1953年のテレビ (日本)

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1953年のテレビ(1953ねんのテレビ)では、1953年昭和28年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

第二次世界大戦敗戦から8年後のこの年、日本においてテレビジョンの本放送が開始する。戦後の1950年3月10日NHK放送技術研究所にて東京テレビジョン実験局を開設[1]してからの実験放送期を経て、3年弱での本放送開始となった。

まず2月1日午後2時、NHK東京でテレビ本放送を開始。当時は一日の放送時間は約4時間程度で、また、テレビカメラがわずか5台しかなく、フィルム取材によるニュース劇場映画などを除き大部分の番組が生放送の時代だった。

続く8月28日には、民間放送テレビ第1号となる日本テレビ放送網が開局。同局は開局に先立ち関東地方各地に街頭テレビを設置。主にスポーツ中継巨人戦大相撲本場所プロレス中継など)が人気を博す。

また、日本テレビの開局と共にテレビコマーシャルの放送も開始。その第1号は精工舎(後のセイコーホールディングス)の時報(正午、夜7時の2回)であった。

又この年は、米でカラーテレビの標準方式としてNTSC方式が決定。NHK放送技術研究所もこれを受け、その方式の研究を12月に開始している(日本ではそれによる試験放送がUHFで1956年12月20日、VHFで1957年12月28日に開始。1960年6月にこの方式が日本のカラーテレビ方式となり、同年9月10日にカラー本放送を開始している)。


できごと

NHKテレビジョン本放送開始(2月1日。写真は当時の東京放送会館)
日本テレビ開局(8月28日)
第4回NHK紅白歌合戦(12月31日)
1月
2月
3月
  • 3日 - NHK、ヴェルディ作曲の『歌劇「椿姫」第一幕』の放送[10]で、歌・音楽などを事前収録するプレスコ方式を初めて採用。[3]
  • 24日 - NHK、同月14日に東京都立竹早高等学校でテレビ・ラジオ同時に公開収録した、『我が家の献立と料理コンクール「フライパン一つでできる1人前20円のお惣菜」』を放送。[注 3][3]
  • 30日 - NHK、皇太子殿下渡英出発の実況を横浜港から中継。その際、テレビカメラでの600ミリ望遠レンズ使用と、テレビ中継に於いてのマイクロ波2段中継を初めて実施。[3]
  • 月内 - 郵政省、静岡大学のテレビ放送実験局に免許を付与。[3]
4月
  • 1920日 - NHK、19日に行われた「第26回衆議院議員総選挙」にて、テレビによる初の開票速報を放送。同月24日に行われた「第3回参議院議員通常選挙」の開票速報も、同月24~6日まで放送。[3]
  • 月内 - NHK放送技術研究所、東芝との共同研究により世界で初めての全進行波管式テレビ中継機を完成。同年8月に、箱根双子テレビ中継所で実用化。[3]
5月
6月
  • 7日 - NHK、初の水泳テレビ中継として、『第25回早慶対抗水上競技大会』を、東京・神宮プールから行う。[3]
  • 1517日 - NHK、内灘闘争について、『特集ニュース』を3日間に渡って放送。[3]
  • 18日 - 信越放送、郵政省にテレビ放送局の免許を申請。[3]
  • 30日 - NHK、ラジオ番組を映画化した、新東宝製作映画『白鳥の騎士』放送。[3]
7月
  • 2123日 - NHK、フィリピンのモンテンルパ刑務所に収容されていた戦犯釈放者帰国に関連する特別番組を編成。その中で22日には、同戦犯を取材した自主制作短編映画『われ再び祖国を見たり』を放送。[3]
  • 25日 - NHK、三越劇場からの中継番組『名人会』にて、古いバスを改装しテレビ放送機器(副調整卓(サブ))を搭載したテレビ中継車(テレビカー)を初使用。[3][11]
8月
9月
10月
11月
  • 2日 - NHKが初の連続ドラマ幸福への起伏[15]を放送開始(全13回、- 1954年1月25日)。[3]
  • 3日
    • NHK
      • 東京テレビジョン放送(JOAK-TV)の出力が2倍に増力される(映像は5kWから10kWになる)。[3]
      • 陸上競技初のテレビ放送『東西対抗陸上競技実況』を、神宮競技場から中継。[3]
  • 5日 - NHK放送技術研究所、大型投写型テレビ受信機を完成。東京の放送会館で受信実験を公開する(後に各都市で公開)。[3]
  • 14日 - NHK、サッカー初のテレビ放送『関東大学サッカー「早大中大」』を、神宮競技場から中継。[3]
12月


テレビ番組

参考文献

脚注

外部リンク

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