ちあきなおみ

日本の元女性歌手、女優 (1947-) From Wikipedia, the free encyclopedia

ちあき なおみ1947年昭和22年〉9月17日 - )は、日本歌手女優

出生名 瀬川 三恵子(せがわ みえこ)
生誕 (1947-09-17) 1947年9月17日(78歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都
概要 ちあき なおみ, 出生名 ...
ちあき なおみ
出生名 瀬川 三恵子(せがわ みえこ)
生誕 (1947-09-17) 1947年9月17日(78歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都
ジャンル 歌謡曲
ポップス
ジャズ
ニューミュージック
AOR
演歌
ムード歌謡
フュージョン
フォーク
職業 歌手
担当楽器
活動期間 1969年 - 1992年
レーベル 日本コロムビア(1969年 - 1978年)
CBSソニー(1980年 - 1981年)
ビクターインビテーション(1981年 - 1988年)
テイチク(1988年 - 1992年)
事務所 有限会社三芳プロダクション(1960年 - 1975年)[注 1]
コロムビア音楽芸能(1975年 - 1976年)
有限会社セガワ事務所(1976年 - 1992年?)[注 2]
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1992年に夫の郷鍈治と死別して以降、芸能活動を完全に休止し、事実上の引退となった。義兄(郷の実兄)は俳優の宍戸錠、義甥(郷の甥)は宍戸開である。

結婚後東京都内に所有した不動産(ビル)のオーナーではあるものの、実業家として表立って活動しているわけではない。

来歴

生い立ち

神奈川県生まれ[1]東京都板橋区[注釈 1]育ち[1]。3姉妹の末っ子として誕生し、芸事の好きな母の影響で4歳でタップダンスを習い、5歳の時日劇にて初舞台を踏む。幼いころから歌が好きで、4歳のときから米軍キャンプを回ってジャズを歌う[1]板橋区立中根橋小学校入学後、小学2年生の時に神奈川県藤沢市辻堂へ転居し、藤沢市立辻堂小学校を卒業、藤沢市立湘洋中学校へ進学する。中学2年生で大田区立大森第三中学校へ転校、中学3年生で新宿区立大久保中学校(現:新宿区立新宿中学校)へ再転校する[2]

コロムビア時代

日本コロムビアのオーディションを受け保留となり、作曲家鈴木淳の元で1年4ヶ月レッスンを受ける。デビュー前は橋幸夫こまどり姉妹前座歌手を務めていた[3]。1969年、21歳の時「雨に濡れた慕情」で歌手デビューした。デビュー当時のキャッチフレーズは「苗字がなくて名前がふたつ」「魅惑のハスキーボイン」。芸名は、当時のフジテレビのプロデューサー千秋予四夫(せんしゅう よしお)の姓を「ちあき」と読ませ、坂本龍馬(本名)の「直柔」からなおみとした[4]

作詞家の吉田旺は、デビュー曲のほかに大ヒットとなった「喝采」「紅とんぼ」「冬隣」など数々の曲を作り上げてきた。その後もちあきと親交があるという。

1970年に「四つのお願い」や「X+Y=LOVE」がヒットし、人気歌手となる。同年、「四つのお願い」で『第21回NHK紅白歌合戦』(NHK総合ラジオ第1)に初出場、以降1977年の第28回まで8回連続出場した。

「四つのお願い」や「X+Y=LOVE」の頃は、いわゆるお色気アイドル路線にて活躍した。『元祖どっきりカメラ』(日本テレビ)や『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』(日本テレビ)などのバラエティー番組に出演し、歌手でありながら体当たりな仕事もこなした。

1972年、代表曲となる「喝采」(吉田旺作詞、中村泰士作曲)が第14回日本レコード大賞TBSテレビラジオ)を受賞し、その年の年末から翌年にかけてオリコン集計で80万枚を売り上げる大ヒットとなる。この曲は当時、ちあきの実体験を元にして作詞されたという触れ込みでプロモーションされたが、実は全くのフィクションであった。実際には前座歌手時代に兄のように慕っていた若手役者が急死した体験を持ち、それと歌詞の内容が偶然似ていたために「実体験」とすることでプロモーションに活かすという戦略をとったといわれている。「喝采」、「劇場」、「夜間飛行」などの楽曲は、歌詞の設定や内容から「ドラマチック歌謡」といわれた。

レコード大賞受賞後も、1973年に「夜間飛行」、1974年に「円舞曲」などのポップス系ヒット曲を発表する一方、演歌では船村演歌ならやってみたいと、1975年に「さだめ川」、1976年に「酒場川」「矢切の渡し」(「酒場川」のB面曲として発表)」、1988年には「紅とんぼ」などの作曲家船村徹の作品を多く歌った。

また、ニューミュージックのアーティストから楽曲提供を受け、1977年に中島みゆきの「ルージュ」、友川かずきの「夜へ急ぐ人」、1978年に河島英五の「あまぐも」、1988年には飛鳥涼の「伝わりますか」などをレコーディングした。「夜へ急ぐ人」は『第28回NHK紅白歌合戦』でも歌われ、紅白の舞台でのちあきの鬼気迫るパフォーマンスが視聴者の度肝を抜き、白組司会の山川静夫は「なんとも気持ちの悪い歌ですねぇ〜」と発言するなど、話題になった[5]

1976年2月、テレビドラマ『大都会 闘いの日々』(日本テレビ)の第8話として「俺の愛した、ちあきなおみ」(脚本倉本聰、監督村川透)というサブタイトルの作品が放映された。実在する現役歌手がサブタイトルにフィーチャーされること自体異例であり、ちあきの代表曲「喝采」がドラマの内容に深く関わっているものであった。

バラエティー番組への出演も続け、演芸番組では美空ひばりの物まねを本人の前で披露しひばりの爆笑を誘ったり、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』では萩本欽一と視聴者からの葉書によるコントを演じたりするなど多才ぶりを見せた。

ちあきがさんまのまんまにゲスト出演した際に明石家さんまから日本で最初に島倉千代子の物まねをしたのはちあきであり、コロッケ山田邦子の物まねは偽物で、ちあきの物まねをみんなに見てもらいたいと力説し、物まねを求められたが、応じなかった。

結婚後

1973年、『元祖どっきりカメラ』やドラマ『くるくるくるり』などで共演し交流があった俳優の宍戸錠がちあきに実弟の俳優郷鍈治を紹介、1978年に郷と結婚した。その後郷は俳優を引退。ちあきの個人事務所「セガワ事務所」を設立し、郷が社長兼マネージャー・プロデューサーとなった。ちあきは「ヒット曲を追うのではなく、自分が歌いたい歌にじっくり取り組みたい」としばらくの「充電期間」に入り、以降歌手としてのテレビ出演の機会が減ったが、レコーディングはマイペースながらも精力的に行った。郷は夫婦の生活の基盤として広尾純喫茶「COREDO」を開店。郷がコーヒーを淹れる喫茶店は業界人の溜まり場となり、ちあきも充電期間中には店を手伝ったこともあった。1980年には、映画『象物語』主題歌の「アフリカのテーマ 風の大地の子守り唄/アフリカン・ナイト」をレコーディング、同映画のサントラ盤にも収録された。1981年10月、ビクターからシャンソンを歌ったアルバム『それぞれのテーブル』が発売された。同年11月4日、新宿ルイードで約3年ぶりにステージに立ち、昔のレパートリーは1曲も歌わず全てシャンソンを歌った[6]。また、この頃は女優としてテレビドラマにも出演した。

1982年、1976年に発売されたシングル「酒場川」のB面に収録されていた「矢切の渡し」が梅沢富美男の舞踊演目に用いられたことで話題になり、日本コロムビアからシングルA面として再発売された。しかし、ちあきが当時ビクターに移籍していたことや、ちあきの当時の活動方針などから翌1983年2月に細川たかし盤が発売された際に廃盤になった。その後、細川盤はミリオンセラーを記録し、第25回日本レコード大賞を受賞した。しかし、有線チャートではちあき盤が1位を独走し、作曲者の船村徹も「なるほどねえ、いいところに目をつけるなと思ったよ。ただ、歌っている姿がおよそ見当もつかない。美声ではあるが細川君の歌い方は一本調子な感じで、ちあき君は観賞用‥細部まできっちりと聴かせる歌だから。正直に言うと細川盤は、楽曲の難しい部分を省略しているので『何だ、これならオレにも歌える』と世間に思わせる歌い方でしたね。‥」とちあきの「矢切の渡し」を評価している[7]

1983年、ビクター時代唯一のシングル「Again」が発売された。

1980年代前半にはLP『それぞれのテーブル』でシャンソンのほか幅広いジャンルの歌を歌った。『THREE HUNDRED CLUB』ではスタンダード・ジャズを歌い、洋楽のカバー・アルバムもリリースしている。また早くからポルトガルの民族歌謡ファドに関心を示していたといい、自ら歌ったファドを収めたアルバム『待夢』を発表。1986年にはTBSテレビの旅番組の企画でポルトガルを訪問、現地の風土や人々の生活にも触れた[8]

またこの頃には、本人の演劇性やコミカルな面を活かし、女優やタレントとしての才能も買われ、テレビでの活躍の場を広げた。1987年からの大日本除虫菊「タンスにゴン」のCMシリーズでは、癖のある主婦を演じる。第一作は街角の公衆電話から「いつものところで・・・」と男に怪しい連絡をするバージョン。タンスにゴンを手に座卓の前で泣きじゃくるバージョンのほか、1986年に木野花もたいまさこが出演し流行語となった「亭主元気で留守がいい」以来のブラックユーモアを引き継ぎ、「これやり出すと長いのよねぇ」「あたしゃ愛より金が好き」など、アクの強い台詞を交えたCMに出演した。中でも自転車に乗った共演者・美川憲一に「もっと端っこ歩きなさいよ」と注意される1990年に放送されたバージョンは話題を呼び、美川の再ブレイクのきっかけにもなった。自動車教習所編(美川憲一と共演)、デュエット編(内田裕也と共演)なども作られ、面白いCMシリーズとして知られた。

テイチク時代

1988年、テイチクに移籍し、シングル「役者」を発売、約10年ぶりに本格的な歌手活動を再開し、テレビの歌番組に出演するなど精力的な活動を行う。『歌謡パレード'88』(NHK総合)のオリジナルソングとして番組内で歌唱した「紅とんぼ」が話題となり、『第39回NHK紅白歌合戦』(NHK総合・ラジオ第1)に11年ぶりの出場を果たした。1989年1月、母が死去[9]

水原弘のオリジナル曲をカバーし1991年に発表された「黄昏のビギン」は同年(京成電鉄スカイライナー」)と1999年 - 2003年(ネスレ日本「ネスカフェ・プレジデント」)、2011年(トヨタ自動車の企業CM ReBORN DRIVE FOR TOHOKU)に、戦後間もない頃に小畑実が歌った曲をカバーした「星影の小径」は1985年(AGF「マキシム・レギュラーコーヒー」)、1992年(ヤナセアウディ」)、2006年(キリンビバレッジ「実感」)テレビCMに使われた。

1989年11月には初の舞台作品となるミュージカル『LADY DAY』に主演し、ジャズ・シンガーのビリー・ホリディ役を演じた。ほぼひとり芝居で進行するストーリーでの歌と演技は好評で、翌年も再演された。1991年にも舞台『ソングデイズ』で主演を務めている。

「かもめの街」や「冬隣」、現時点でのラストシングル「紅い花」などを作曲した杉本眞人は「もっとも尊敬する歌手はちあきなおみ」と語っていた。

夫の死と活動引退

しかし、1992年9月11日に夫の郷鍈治が病死。彼が荼毘に付される時、ちあきは柩にしがみつきながら「私も一緒に焼いて」と号泣したという[注釈 2]

その数日後ちあきは、「故人の強い希望により、皆様にはお知らせせずに身内だけで鎮かに送らせて頂きました。主人の死を冷静に受け止めるにはまだ当分時間が必要かと思います。皆様には申し訳ございませんが、静かな時間を過ごさせて下さいます様、よろしくお願いします」という書面のコメントを公表[10]。引退までは明言しなかったものの、これを最後に歌手業を含めた芸能活動を全面的に停止し、公の場には姿を現さず、マスメディアの取材等にも一切応じず、事実上の引退状態となった[11]。郷の死から半年後、義兄の宍戸錠が開いた「郷を偲ぶ会」にも姿を見せなかった。宍戸によれば、その後自身とも全く交流がなくなり、2010年に義姉(宍戸の妻)の游子が死去した折にも連絡はなかったという[12]

郷は瀬川家(ちあきの実家)に婿入りしており、ちあきの母が眠る瀬川家の墓にともに葬られている[13]。ちあきはその墓のある東京都心の寺の近くにマンションを購入し在住しており、彼岸月命日には郷の墓参を欠かさないという[14][15]

活動休止後と再評価

1992年の芸能活動休業後も、毎年のようにベスト盤CDやLP復刻盤、リマスタリング盤などのリリース、既発表LPのCD化、が続いている。2000年に発売された6枚組CD-BOX『ちあきなおみ・これくしょん ねえあんた』は4万セット以上を売り上げ、歌謡曲系のCD-BOXとしては異例のヒットとなった。翌2001年9月には5枚組CD-BOX『The Anthology of NAOMI CHIAKI ちあきなおみ大全集』が発売された。更に2003年に通販のみで発売された10枚(巻)組CD/カセットBOX『ちあきなおみの世界〜うたくらべ〜』も1万セット以上の売り上げを記録した。2008年10月には6曲のライブ未発表曲、未発表ライブ映像のDVD、本人提供の未発表写真集を含めたCD-BOX『歌手―ちあきなおみ―』が発売された。プロデュースを手掛けた東元晃(日本コロムビアで「喝采」などちあきの曲を担当したプロデューサー。のちテイチク社長となる)がちあきを約2年にわたって根気よく口説き、映像を世に送り出すことを含めて了解を得たという。

2005年11月にはNHK-BS2で90分の特集番組『歌伝説・ちあきなおみの世界』が放送された。これは反響を呼び、初回放送を含めてBS2・NHK総合で2007年8月までに計6回放送された。

また、2007年2月にはテレビ東京たけしの誰でもピカソ』で民放では初となる本格的な特集が組まれ、2008年1月25日にはその続編も放送された。

2009年11月14日には、『歌伝説・ちあきなおみの世界』に次週放送の番組予告・未公開映像素材を追加して、NHK-BS2で『歌伝説 ちあきなおみ・ふたたび』として15分間延長の上、改めて放送された。翌週11月21日には『BSまるごと大全集 ちあきなおみ』が生放送された。この番組は、事前に視聴者からちあきの歌へのメッセージ・リクエストを受け付け、それを基にした楽曲の歌唱映像を2時間にわたり一挙紹介したものである。

2013年11月16日には、NHK総合『SONGS』(第280回)でちあきが特集された[16]。過去の映像とともに船村徹や東元晃の証言を交えた内容で、同番組において長期休業中の歌手が扱われることは極めて異例であった[17]

デビュー50周年を迎えた2019年の4月17日にはコンセプトアルバム『微吟』が発売されたほか、同年6月16日にはBSテレビ東京で未公開映像などを交えた2時間の特集番組『ちあきなおみ 再び始まる歌姫伝説』が放送された[18]。『微吟』は同年11月、第61回日本レコード大賞企画賞を受賞[19]。売り上げも3万5000枚を超え、ヒット作となった[20]

ちあきに対する歌手復帰への期待は根強いものがあり[21][注釈 3]、ベスト盤などのCDのリリースや特集番組が放送されるたびに活動再開を待望する声も上がるが、亡夫から「もう無理して歌うことはない」という遺言があったとされ、本人も歌手復帰を期待する声や音楽関係者の説得に応じていないといわれている[22]。彼女の才能を高く評価していた義兄の宍戸錠も復帰を望んでいたが[23]、宍戸は2020年1月18日に死去[24]、その希望はかなわぬままとなった[25]

2020年8月、元の、そして最後のマネージャーであった古賀慎一郎による評伝『ちあきなおみ 沈黙の理由』(ISBN 4103535415)が新潮社から刊行された[26]。2020年10月にはBS-TBSにて2時間の特集番組『魂の歌!ちあきなおみ 秘蔵映像と不滅の輝き』が放送された[27]

衰えぬ人気「伝説の歌姫」

2021年3月には、2001年9月に発売された『The Anthology of NAOMI CHIAKI ちあきなおみ大全集』が復刻された[28]。人気や注目度は依然として高く、およそ30年にわたって活動再開はおろか公の場に姿さえ見せないことも相まって、「伝説の歌姫」等と称されるに至っている。このためちあきの消息や関係者の証言・回想などが芸能ニュースになることも少なくないが、その沈黙は依然として破られる気配はない。2019年以降、千秋与四夫・宍戸錠・中村泰士・鈴木淳らゆかりの人物が相次いで他界し、ちあきに追悼コメントの依頼もあったようであるが、これに応じた様子はなかった。なおちあき自身はいたって健康だという。古賀によれば、CDアルバムが売れているので(歌唱)印税収入があるほか、アパート経営などもしているため十分生活できるだろう、という。今でもちあきと直接交流がある数少ない人物の一人である東元はちあきについて「彼女は決して世間をシャットアウトしているわけではなく、いまも感受性豊か」だが、本人に歌手復帰の気持ちはもうないだろう、と述べている[29]

2022年10月には好評であった『微吟』に続く新たなコンセプトアルバム『残映』がリリースされた[30]。ちあきにとっては令和初のアルバムとなった本作だが、好調な初動売上を記録、2022年10月31日付オリコン週間アルバムランキング「演歌・歌謡」ジャンルで初登場1位を獲得した。同日付では前作『微吟』も同2位にランクインし、長期間全く活動していない歌手としては異例の1、2位独占を果たした[31]。デビュー55周年を迎える2024年3月には別音源(1989年レコーディング)の「雨に濡れた慕情」(‘89Ver.)・「喝采」(‘89Ver.)などを収録したコンセプトアルバム第三弾『銀嶺』がリリースされた[32]。『微吟』・『残映』・『銀嶺』と続くこのコンセプトアルバムシリーズは東元の監修による作品である[33]

衰えぬ人気を受け、特集番組の放送や再放送も増えている。2023年2月にはBS-TBSにて2時間の特集番組『表現者ちあきなおみ ジャンルを超えた魅惑の歌声』が放送された[34]。2024年5月にはBSテレ東にて2時間の特集番組『ちあきなおみ デビュー55周年~心を照らす不滅の歌声~』が放送(同年9月23日再放送)[35]、同番組には東元が出演し、ちあきの楽曲や歌唱の特徴について往時の思い出を交えながら語った。更に同年9月16日にはNHKBSの番組『The Covers』にて、NHKアーカイブスに保存されているNHK紅白歌合戦ビッグショー等での本人歌唱映像から11曲をセレクトし、ちあき本人のトークシーンも含めた特集『ちあきなおみ〜NHK秘蔵映像で贈るデビュー55周年〜』(ナビゲーター・語り:リリー・フランキー)が放送された[36]。同番組は反響や再放送リクエストが多かったといい、同年11月1日、翌2025年5月3日、12月28日にアンコール放送[37]、同年5月10日には企画第二弾として[38]「ちあきなおみⅡ ~NHK秘蔵映像で贈る名曲シリーズ~」(同年7月20日、12月29日にアンコール放送)が放送されている[39]

2024年6月、55周年を記念し、デビュー日の6月10日に全シングルタイトル曲・全オリジナルアルバム曲332曲にライブ音源を合わせたのべ425曲のデジタル配信を開始した[40][41][42][43]

評価

  • ちあきの義兄である宍戸錠は「ちあきの歌の上手さはハンパじゃないんだよ。好き嫌いはあると思うけど、俺は美空ひばりより上手いと思うね。ありとあらゆる流行歌、英語の歌も含めて、ちあきにかなう歌手はいないよ。リズム&ブルースでもゴスペルでもないんだけど、ちあきは心にその二つの精神を持っている。びっくりするぐらい上手い。」と語っている[44][12]
  • ちあきの「育ての親」のひとりである鈴木淳は「ちあきなおみの最大の武器は声だ。張りがあって、ハスキーさがプラスされた独自の声。世界に二つとないようなヴァイオリンにも似た『名器』たる響きがある。」と評価している[7]
  • 作曲家・船村徹はちあきの歌唱力や実力から、昭和の歌謡界を代表する歌手・美空ひばりと対比し(船村はちあきとひばりの双方の楽曲を数多く手がけている)、「美空ひばりとちあきなおみの決定的な違いは、裏声の出るか出ないかだ(ひばりは裏声が出る)」と発言している[45]
  • ちあきの現役時代をリアムタイムで知見していない年代の歌手がちあきの楽曲を披露したり[46]Z世代の一部からも評価されたりするなど、世代を超えて支持されている[33]。2021年8月、テレビ朝日系列『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』では、当時平均年齢13歳の少年少女を選者とする「昭和の歌姫ベスト20」にて9位にちあきが選出された[47][48]。また、マツコ・デラックス[49]ら著名人のファンも多い。

ディスコグラフィ

シングル

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#発売日曲順タイトル作詞作曲編曲レーベル規格品番
1 1969年
6月10日
A面雨に濡れた慕情吉田央 鈴木淳森岡賢一郎 日本
コロムビア
SAS-1297
B面かなしい唇丹古晴己竹村次郎
2 1969年
11月10日
A面朝がくるまえに 吉田央森岡賢一郎 SAS-1357
B面夜は誰にもあげないで川口真
3 1970年
3月25日
A面モア・モア・ラヴ 森岡賢一郎 SAS-1396
B面愛の荒野
4 1970年
4月10日
A面四つのお願い白鳥朝詠小谷充 SAS-1399
B面恋のめくら吉田央 森岡賢一郎
5 1970年
8月10日
A面X+Y=LOVE白鳥朝詠 SAS-1437
B面想い出なんてほしくない悠木圭子小谷充
6 1970年
11月10日
A面別れたあとで 白鳥朝詠森岡賢一郎 SAS-1471
B面変身船木謙一
7 1971年
2月25日
A面無駄な抵抗やめましょう なかにし礼小谷充 SAS-1500
B面私をもう一度船木謙一
8 1971年
6月10日
A面私という女小谷充 SAS-1534
B面忘れえぬ慕情吉田央森岡賢一郎
9 1971年
9月10日
A面しのび逢う恋 白鳥朝詠 浜口庫之助 小杉仁三 SAS-1564
B面たそがれの海辺
10 1971年
10月25日
A面今日で終って 阿久悠 彩木雅夫 SAS-1573
B面もう忘れましょう
11 1972年
2月10日
A面恋した女 SAS-1589
B面ついて行けないわ村上克子
12 1972年
5月25日
A面禁じられた恋の島 吉田旺 中村泰士 馬飼野俊一 SAS-1609
B面マニキュアがかわくまで
13 1972年
9月10日
A面喝采 高田弘 P-183
B面最后の電話
14 1973年
2月25日
A面劇場 P-215
B面くせ
15 1973年
6月25日
A面夜間飛行 P-230
B面二年前の秋
16 1973年
11月25日
A面あいつと私 千家和也 P-323
B面雨の日にきた別離わかれ
17 1974年
3月10日
A面円舞曲 阿久悠 川口真 P-337
B面女の旅
18 1974年
9月1日
A面かなしみ模様 P-365
B面しゃれた生活
19 1975年
2月1日
A面花吹雪 吉田旺 都倉俊一 P-391
B面真夜中
20 1975年
6月1日
A面恋慕夜曲 浜圭介 馬飼野俊一 P-413
B面誘い水
21 1975年
7月25日
A面さだめ川 石本美由起 船村徹 P-422
B面海郷
22 1976年
1月1日
A面恋挽歌 吉田旺 浜圭介 馬飼野俊一 P-442
B面口紅えれじい
23 1976年
5月1日
A面女どうし 吉岡治 川口真竜崎孝路 P-458
B面雨の日ぐらし高田弘
24 1976年
10月1日
A面酒場川 石本美由起 船村徹 PK-27
B面矢切の渡し
25 1977年
4月10日
A面ルージュ 中島みゆき チト河内 PK-51
B面帰っておいで
26 1977年
9月1日
A面夜へ急ぐ人 友川かずき 宮川泰 PK-75
B面海のそばで殺された夢
27 1978年
2月1日
A面あまぐも 河島英五ミッキー吉野 PK-94
B面視角い故里 友川かずき岸本博
28 1982年
10月21日
A面矢切の渡し石本美由起 船村徹 AH-268
B面別れの一本杉高野公男
29 1983年
1月21日
A面Again 大津あきら 木森敏之 Invitation VIHX-1599
B面冬の道化師ピエロ
30 1988年
3月1日
A面役者 荒木とよひさ 浜圭介倉田信雄 テイチク RE-828
B面悲しみを拾って川口真
31 1988年
10月5日
A面紅とんぼ 吉田旺 船村徹南郷達也 RE-860
B面片情蔦将包
32 1990年
11月21日
01色は匂へど伊集院静筒美京平新川博 TEDA-10031
02キリがないね森浩美中崎英也志熊研三
33 1991年
6月21日
01黄昏のビギン 永六輔 中村八大服部隆之 TEDA-10071
02黒い花びら 倉田信雄
34 1991年
10月23日
01紅い花松原史明杉本眞人 TEDA-10097
[注釈 4]
02百花繚乱水谷啓二 倉田信雄
35 1992年
12月26日
01星影の小径矢野亮利根一郎倉田信雄 ビクター VIDL-124
[注釈 5]
02港が見える丘 東辰三武川雅寛
36 2000年
2月2日
01かもめの街ちあき哲也杉本眞人倉田信雄 テイチク TEDA-10468
02黄昏のビギン永六輔中村八大服部隆之
37 2001年
1月24日
01歳月河新本創子 船村徹南郷達也 TEDA-10492
02ひとりしずか星野哲郎前田俊明
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アルバム

オリジナル・アルバム

さらに見る 発売日, タイトル ...
発売日タイトルレーベル規格規格品番
1970年7月10日四つのお願い
〜あなたに呼びかけるちあきなおみ〜
コロムビア LPALS-5132
1970年11月25日愛の旅路を
〜ちあきなおみ 演歌ブルースを歌う〜
ALS-5139
1970年12月10日愛は傷つきやすく
〜ちあきなおみ ヒット・ポップスをうたう〜
ALS-5142
1972年6月25日 恋と涙とブルースALS-5177
1989年1月21日CD28CA-2689
1972年12月10日 もうひとりの私LPJDX-54
1988年5月21日 CD28CA-2340
2004年10月20日COCP-32894
2007年10月10日 LPCOJA-9245
1974年5月25日 円舞曲JDX-7027
2005年4月20日CDCOCP-33175
1974年11月25日 かなしみ模様LPJDX-7043
2000年10月21日CDCOCP-31128
1975年7月25日 演歌情話LPJDX-7059
2005年4月20日CDCOCP-33176
1975年11月25日 戦後の光と影
ちあきなおみ、瓦礫の中から
LPJDX-7071
2005年4月20日CDCOCP-33177
2007年10月10日 LPCOJA-9244
1976年4月25日 春は逝くPP-7003
2000年10月21日CDCOCP-31129
1976年6月25日 そっとおやすみLPPP-7005
2005年4月20日CDCOCP-33178
1977年7月25日 ルージュLPPX-7031
2000年10月21日CDCOCP-31130
1978年1月25日 あまぐもLPPX-7047
2000年10月21日CDCOCP-31131
1981年10月21日 それぞれのテーブルInvitationLPVIH-28055
2007年3月21日 ビクターCDVICL-62347
2010年5月19日SHM-CDVICL-70073
1982年7月21日 THREE HUNDREDS CLUBInvitationLPVIH-28089
2007年3月21日 ビクターCDVICL-62348
2010年5月19日SHM-CDVICL-70074
1983年9月5日 待夢InvitationLPVIH-28135
2007年3月21日 ビクターCDVICL-62349
2010年5月19日SHM-CDVICL-70075
1985年2月5日 港が見える丘[注釈 6]InvitationLPVIH-28206
1993年3月24日 ビクター CDVICL-5197
2006年5月10日VICL-61941
2007年3月21日VICL-62350
2010年5月19日SHM-CDVICL-70076
1988年3月1日 伝わりますか テイチクLPTL-1001
CD30CH-301
2007年10月24日TECE-25711
1988年10月5日 紅とんぼ
ちあきなおみ 船村演歌を唄う
32CH-324
2007年10月24日TECE-25712
1988年12月1日 夜霧よ今夜も有難う
ちあきなおみ 石原裕次郎を唄う
32CH-335
2011年8月24日TECE-3003
1989年3月21日 男の郷愁32CH-383
2007年10月24日TECE-25713
1989年6月21日 女の心情32CH-405
2011年8月24日TECE-3004
1989年11月21日 喝采〜紅とんぼ 吉田旺 参分劇さんぷんどらまTECA-30002
2011年8月24日TECE-3005
1990年11月21日 かげろふ〜色は匂へど〜TECA-30120
2007年11月21日TECE-25714
1991年7月21日 すたんだーど・なんばーTECA-30259
2007年11月21日TECE-25715
1991年10月23日 百花繚乱TECA-30295
2007年11月21日TECE-25716
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ライブ・アルバム

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発売日タイトルレーベル規格規格品番
1971年5月25日 ちあきなおみ オン・ステージ コロムビアLPALS-4577〜78
2009年12月23日CDCOCP-35981〜82
1973年11月25日 ちあきなおみ ON STAGELPJDX-7016
2009年12月23日CDCOCP-35983
1975年1月25日 ちあきなおみ リサイタルLPJDX-7047〜48
2009年12月23日CDCOCP-35984〜85
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ベスト・アルバム

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発売日タイトルレーベル規格品番
1986年2月1日ちあきなおみ ベスト・ヒット VOL.1コロムビア32C31-7784
1986年2月21日What's NewビクターVDR-1161
1986年3月1日ちあきなおみ ベスト・ヒット VOL.2コロムビア32C31-7785
1987年11月1日BEST ONE ちあきなおみビクターVDR-1447
1988年5月21日喝采/矢切の渡しコロムビア28CA-2339
1990年6月15日演歌・心の故郷 テイチクTECA-30063
1994年10月21日ちあきなおみ全曲集TECA-30561
1994年12月1日ちあきなおみベストTECA-12622
1995年5月21日男の友情〜ちあきなおみ 船村徹を唄うTECA-30641
1995年10月21日ちあきなおみ全曲集 矢切の渡しコロムビアCOCA-12965
1995年11月30日ちあきなおみ大全集テイチクTECA-50679〜80
1996年5月21日ちあきなおみ特選集 喝采コロムビアCOCA-13339
1997年5月21日ちあきなおみ全曲集テイチクTECE-28013
1997年11月29日ちあきなおみ 歌謡ベスト16コロムビアCOCA-14613
1999年10月21日ちあきなおみ全曲集 テイチクTECE-32130
2000年8月23日ちあきなおみ大全集〜黄昏のビギン〜TECE-50174〜75
2001年3月23日ちあきなおみ全曲集〜黄昏のビギン〜TECE-32218
2001年4月21日アナザー・ワールドオーマガトキOMCA-11〜12
2001年11月21日CHATEAU CHANT 1981テイチクTECE-50271〜72
2002年3月21日NEW BEST ONE ちあきなおみビクターVICL-41693
2002年9月21日RE-MASTER VOICE ちあきなおみ テイチクTECE-38311〜12
2002年10月23日ちあきなおみ全曲集〜黄昏のビギン〜TECE-32335
2003年4月23日VIRTUAL CONCERT 2003 朝日のあたる家TECE-28399
2003年5月21日コロムビア音得盤シリーズ ちあきなおみ コロムビアCOCA-71020
2004年8月25日ちあきなおみ ムード歌謡全曲集COCA-72130
2004年10月20日ちあきなおみ・しんぐるこれくしょんCOCP-32892〜93
2004年11月24日VIRTUAL CONCERT 2005 ハンブルグにて テイチクTECE-28526
2005年10月26日ちあきなおみ大全集TECE-48597〜98
2006年3月22日ちあきなおみ全曲集 コロムビアCOCA-71085
2006年6月28日ドーナツ盤メモリー ちあきなおみCOCA-71100
2006年12月20日決定盤 ちあきなおみ大全集COCP-34061〜62
2011年3月2日ちあきなおみ・でらっくす 追憶のなかの20曲COCP-36647
2013年10月23日ちあきなおみの喝采 おぼえてますか、1972年の大晦日に
見せた"伝説の歌唱シーン"…。今こそ、ソロヴォーカルの神髄を!
COCP-38215
ほのぼのと、切なさと、懐かしさと、ちあきなおみの
"黄昏のビギン"はあなたの恋する勇気をサポートします。
テイチクTECE-3209
2016年7月27日日本をもっと愛したい、きれいな歌に出逢いたい…。ビクターVICL-64608
2017年6月21日ちあきなおみ 船村徹をうたうコロムビアCOCP-39992
2019年4月17日微吟 テイチクTECE-3529
2022年10月19日残映TECE-3688
2024年3月20日銀嶺TECD-30641
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サウンドトラック

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発売日タイトル収録曲レーベル規格規格品番
1980年2月25日 象物語 オリジナル・サウンドトラック 風の大地の子守り唄
アフリカン・ナイト
CBS・ソニーLP25AH-930
2005年4月20日Sony Music Direct CDMHCL-536
2023年7月3日オーダーメイドファクトリーDQCL-801
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CD-BOX

さらに見る 発売日, タイトル ...
発売日タイトルレーベル規格品番
2000年6月1日ちあきなおみ・これくしょん〜ねえあんたコロムビアCOCP-30939〜44
2001年9月21日The Anthology of NAOMI CHIAKI ちあきなおみ大全集 テイチクTECS-12241〜45
2008年10月22日歌手-ちあきなおみ-TECS-15401〜05
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タイアップ曲

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楽曲タイアップ
1970年愛の荒野TBS系ドラマ『愛の荒野』主題歌
1980年風の大地の子守り唄映画『象物語』主題歌
アフリカン・ナイト映画『象物語』挿入歌
1983年Again映画『時代屋の女房』主題歌
1985年星影の小径AGF『マキシム・レギュラーコーヒー』CMソング
1990年色は匂へどフジテレビ系ドラマ『虹が出た!』主題歌
酒場川フジテレビ系ドラマ『花迷宮-昭和異人館の女たち-』挿入歌
1991年黄昏のビギン京成電鉄スカイライナー』CMソング
1992年星影の小径ヤナセアウディ』CMソング
1995年紅い花映画『GONIN』挿入歌
1999年黄昏のビギンネスレ日本『ネスカフェ・プレジデント』CMソング
2002年雨に濡れた慕情映画『水の女』挿入歌
2006年星影の小径キリンビバレッジ『実感』CMソング
2011年黄昏のビギントヨタ自動車『ReBORN DRIVE FOR TOHOKU』CMソング
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出演

映画

テレビドラマ

音楽・バラエティ番組

テレビアニメ

CM

  • ジョア (1970年) - ※ヤクルト本社のヨーグルト飲料。CMソングの歌唱も担当。
  • プリマハム(1973年) - ※プリマハムの企業CM。
  • NEWダイヤトロンF「たっち・おん・ぱ」(1976 - 1977年) - ※三菱電機のカラーテレビ。
  • タンスにゴン (1987 - 1991年) - ※大日本除虫菊(金鳥)の防虫剤。計9作に出演。

ラジオ

舞台

  • LADY DAY(初演:1989年、再演:1990年) - ビリー・ホリデイの生涯を演じる一人芝居・ミュージカル。
  • ソングデイズ(1991年) - 戦後の日本を舞台に「カルメン」をモチーフとした歌と芝居で構成。

その他

NHK紅白歌合戦出場歴

さらに見る 年度/放送回, 回 ...
年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1970年(昭和45年)/第21回四つのお願い17/24デューク・エイセス
1971年(昭和46年)/第22回2私という女04/25坂本九
1972年(昭和47年)/第23回3喝采20/23沢田研二
1973年(昭和48年)/第24回4夜間飛行21/23五木ひろし
1974年(昭和49年)/第25回5かなしみ模様24/25三波春夫トリ前
1975年(昭和50年)/第26回6さだめ川23/24布施明トリ前(2)
1976年(昭和51年)/第27回7酒場川23/24布施明(2)トリ前(3)
1977年(昭和52年)/第28回8夜へ急ぐ人21/24布施明(3)
1988年(昭和63年)/第39回9紅とんぼ18/21森進一12年ぶりの復帰出場・現時点で最後の紅白出場
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  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。

脚注

関連項目

外部リンク

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