イタリア国鉄ALn442-448気動車
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イタリア国鉄ALn442-448気動車(イタリアこくてつALn442-448きどうしゃ)はイタリアのイタリア国鉄(Ferrovie dello Stato Italiane(FS))が保有し、TEE[1]などで運行されていた、ALn442とALn448からなる2両固定編成の国際列車用気動車である。なお、本項ではALn442およびALn448の中間車として製造されたLn60および、ALn442を改造したALn460についても記述する。
西ヨーロッパにおける全一等車による国際列車であるTEEは、1957年の運行当初、オーストリア、ベルギー、西ドイツ、フランス、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、スイスの8カ国の各国鉄が運行に参加し、12往復の列車がいずれも気動車で運行されることとなった。これは各国それぞれに電化方式が異なるヨーロッパの鉄道において、国境駅での機関車の付替えの省略と出入国管理等の列車内での実施による所要時間の短縮を図るためであり、各国は以下の通りの機材を用意した(オーストリア、ベルギー、ルクセンブルク各国鉄は運行のみを担当)。
- 西ドイツ国鉄:VT11.5型(後のVT601型)
- フランス国鉄:X2770形
- スイス国鉄とオランダ国鉄:RAm TEEI形(スイス国鉄形式)、DE-IV形(オランダ国鉄形式)、両国の共同開発
- イタリア国鉄:ALn 442およびALn448(本項で記述)
これらは、いずれもTEE列車にふさわしい接客設備を有することとし、TEE発足当初に設定された以下の設計要件が設定されていた。しかし、実際には当時の欧州各国の国力や経済状況を反映し、第二次世界大戦の戦災からの鉄道網の復興途上であったイタリアおよびフランスの機材と、国を代表する国際列車として製造されたその他の国の機材とでは編成の両数や空調装置の有無など仕様に差異があるものとなっていた。
- 最高速度を140km/hとし、平坦線を120-130km/hで、16パーミル上り勾配を70kmhで運転可能。
- 客席は一等車のみで編成定員80名以上とし、座席は最大で横3列(コンパートメント席では1室6名、開放客室では通路を挟み2列+1列)、シートピッチは対向配置で1950mm、片方向配置で950-1000mm。
- 食堂車もしくは客席へのケータリングにより食事を提供する。
- 車体外部の塗装はベージュと濃赤色とし、前頭部に "TEE" のエンブレムを設置する。
一方、イタリア国内では、1930年代以降、リットリナ[2]と呼ばれる、1基もしくは2基のエンジンを搭載した機械式の軽量気動車が各地で導入されており、省力化や高速化、サービス向上などが図られていた。基本的には機械式気動車である[3]リットリナは、最初の機体である1932年製のALb48およびALb64でも車体の片側台車に装架した主機を運転士が前後どちらの運転台からも操作可能なものであり、その後1933年製のALn56では前後の台車に装架した2基の主機の総括制御が、1936年製のALn556では2両編成以上の総括制御が可能となっていた。また、優等列車用としては3車体連接で2+1列の3人掛け固定式クロスシートの1等室/2等室と、厨房・配膳室、荷物室を装備するATR100や、2車体連接でベッドルーム/シャワールーム付の個室と、ラウンジ、厨房・配膳室を装備するATS1も運行されていた。その後、1930年代にはDF1.15液体変速機を搭載する液体式気動車であるALn772が導入される一方、機械式気動車も並行して導入されており、1950年には遠隔操作5段変速の変速機と流体継手を組合わせた機械式気動車のALn880(Breda[4]製)やALn990.1000(FIAT[5]製、OM[6]製のALn990.3000は液体式)が製造されていた[7]。
こういった状況の中導入されたALn442およびALn448はTEE向けとして導入された2両固定編成の気動車であり、1957年7-10月にALn442.201-207号車およびALn448.201-207号車の計14両が、1958年6月にALn442.208-209号車およびALn448.208-209号車の計4両の合計18両がBredaで製造されているほか、平坦線での3両編成化用に付随車であるLn60.201-204号車の計4両が1958年に同じくBredaで製造されている。本形式は前述の同じBreda製のALn880をベースに、主機の改良による出力増強と最高速度の向上などを図ったものとし、車体はTEEに必要となる接客装備の装備と前頭部などのデザインの変更などを図ったものとなっている。なお、形式名の"A"は動力車両、"L"は軽量、"n"はディーゼル燃料[8]を表し、"442"、"448"、"60"の10位と1位の"42"、"48"、"60"は座席数を、100位の"4"は総括制御が可能であることを表すため10位の数字"4"を繰返したもの、機番の百位の"2"はBreda製を、十位と一位は製造順を表している。また、TEEで運行されていた際の現車の車体表記は"TEE 422 20X"もしくは"TEE 448 20X"であったほか、通常運行されていたALn442とALn448の2両編成の状態ではALn442-448と通称されている。
本形式は製造・試運転の遅れにより1957年6月2日のTEEの運行開始には間に合わなかったものの、同年8月および10月よりTEEのメディオラヌム、リーグレで運行を開始し、翌1958年には同じくTEEのレマノで、1960年からはモン・スニでの運行が開始され、並行して国内の列車にも使用されていた。しかし、当初気動車列車により運行を開始し、1961年にはスイス国鉄のRAe TEEII形電車による運行も加わったTEEであるが、固定編成の列車では利用客の増減に対して列車の編成両数を柔軟に変更することが難しかったため、1963年以降伝統的な電気機関車の牽引によるTEEの運行が開始されている。特に編成が2両と短かったことと、冷房装置を搭載しない[9]本形式によるTEEは1969-72年に西ドイツのVT601形やイタリア国鉄などのTEE用客車による客車列車に置換えられ、その後は国内列車で運用されることとなった。なお、これに伴い、1974-79年にALn442に対してキッチン等の供食設備を撤去して客室とする改造が実施されてALn460に形式変更されており、引続きALn448との固定編成で使用されている。
各機体の形式機番と製造年、製造所、その後の経歴は以下の通りである。
| 形式 | 製造時機番 | 製造年 | 製造所 | 記事 | 改番後機番 (1972年) | 改造後形式 | 改造後機番 | 改造年 | 廃車年 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ALn442 | 201 | 1957年 | Breda | 2001 | ALn460 | 2001 | 1979年 | 1983年以降 | |
| 202 | 1969年の事故により廃車 | - | - | - | 1969年 | ||||
| 203 | 2003 | 2003 | 1974年 | 1983年以降 | |||||
| 204 | 2004 | 2004 | 1978年 | 1983年以降 | |||||
| 205 | 2005 | 2005 | 1977年 | 1983年以降 | |||||
| 206 | 2006 | 2006 | 1974年 | 1983年以降 | |||||
| 207 | 2007 | 2007 | 1979年 | 1983年以降 | |||||
| 208 | 1958年 | 2008 | 2008 | 1975年 | 1983年以降 | ||||
| 209 | 1971年にALn442.202に改番 | 2002 | - | - | 1983年以降 | ||||
| ALn448 | 201 | 1957年 | Breda | 2001 | - | 1983年以降 | |||
| 202 | 2002 | 1983年以降 | |||||||
| 203 | 2003 | 1983年以降 | |||||||
| 204 | 2004 | 1983年以降 | |||||||
| 205 | 2005 | 1983年以降 | |||||||
| 206 | 2006 | 1983年以降 | |||||||
| 207 | 1971年の事故により廃車 | - | 1971年 | ||||||
| 208 | 1958年 | 2008 | 1983年以降 | ||||||
| 209 | 1971年にALn448.207に改番 | 2007 | 1983年以降 | ||||||
| Ln60 | 201 | 1958年 | Breda | - | Ln602 | 201 | 1964年 | 1999年 | |
| 202 | 202 | 1965年 | 1999年 | ||||||
| 203 | 203 | 1968年 | 1999年 | ||||||
| 204 | 204 | 1970年 | 1999年 | ||||||
仕様
運行・廃車
TEE
- 1957年7月にはイタリア国鉄に3編成が納入され、ミラノ - コモ間などで試運転と乗務員訓練が実施された。その後10月までに4編成が順次納入され、これに合わせる形で8月からリーグレが、10月にはメディオラヌムが運行を開始しており、さらに翌1958年には2編成が納入され、レマノが運行を開始している。
- 本形式はレマノの運行中に2件の事故を起こしている。1969年10月8日にはALn442.202号車がシンプロントンネル内で火災を起こし、1971年10月30日にはALn448.207号車がロイク駅でスイス国鉄の入れ換え用機関車と衝突事故を起こし、いずれも廃車となっている。なお、その後ALn442.209号車とALn448.209号車が改番されてそれぞれの二代目となり、それまでの9編成体制から8編成体制となっている。
リーグレ
- 1957年8月12日より運行を開始したリーグレはフランスのマルセイユからモナコを経由してミラノへ至る553kmを約7時間で運行した列車である。運行当初より1972年9月30日まで本形式で運行されており、夏期の多客期にはミラノ - ニース間で2編成併結での運行(1965年および1969-72年)や臨時列車の運行(1966-68年)がされていた。なお、リーグレは本列車が沿岸を運行するリグリア海に由来する。運行当初の運行区間および停車駅は以下の通り。
- 本列車は夏季の多客期にはイタリア国内で ALn.990ALe601とLe760などの電車やALn990気動車を増結して運行されることもあった。
- 1969年6月1日には、運行区間がマルセイユからアヴィニョンまで延長されている。これはバルセロナとジュネーヴをアヴィニョン経由で結ぶTEEであるカタラン・タルゴが新設されたためであり、この2列車の接続により、スペインもしくはスイス方面への連絡が図られている。
- 1972年10月1日には本形式による運行から、イタリア国鉄のTEE用客車を用いた電気機関車牽引の客車列車に変更されている。なお、牽引機は、直流3000V電化のミラノ - ヴェンティミリア間はイタリア国鉄のE.444、交流25kV電化のヴェンティミリア - マルセイユ間はフランス国鉄のBB25500形、直流1500V電化のマルセイユ - アヴィニョン間は主にフランス国鉄のCC6500形であった。
メディオラヌム
- 1957年10月15日より運行を開始したメディオラヌムは西ドイツのミュンヘンからオーストリアのブレンナー峠を越えてミラノへ至る579kmを約7時間-7時間半前後で運行した列車であり、運行当初より1969年5月31日まで本形式で運行されていた。なお、メディオラヌムはミラノの古代における名前からとられたものである。運行当初の運行区間および停車駅は以下の通り。
- 1960-65年の間、イタリア国内のミラノ中央 - ヴェローナ間では、ETR220電車による国内急行列車のリアルトと併結して運転されていた。
- メディオラヌムは1969年6月1日に本形式から、他のTEEの客車化により余剰となっていた西ドイツ国鉄の601型(旧VT11.5型)で置換えられている。なお、さらにその後の1972年8月20日には電気機関車牽引の客車列車に置換えられている。
レマノ
- 1958年6月1日に運行を開始したレマノはスイスのジュネーヴからシンプロントンネルを越えてミラノへ至る370㎞の列車であり、運行開始より1972年5月27日まで本形式で運行されていた。1970-71年冬ダイヤにおける運行区間と停車駅は以下の通り。
- ジュネーヴ・コルナヴァン - ローザンヌ - シオン - ブリーク - ドモドッソラ - ミラノ中央
- 1972年5月28日には本形式から電気機関車牽引の客車列車に置換えられている。なお、牽引機は、直流3000V電化のミラノ - ドモドッソラ間はイタリア国鉄のE.444、交流15kV電化のドモドッソラ - ジュネーヴ間はスイス国鉄のRe4/4II形(現Re420形)であった。
モン・スニ
- 1957年6月2日より運行を開始したモン・スニはフランスのリヨンからフレジュス鉄道トンネルを越えてミラノへ至る498kmを約5時間半で運行した列車であり、1960年5月29日からTEEとしての運行終了直前の1972年9月20日まで本形式で運行されていた。なお、モン・スニの名称はフレジュストンネル開業まで同区間の主要交通路であったモン・スニ峠に由来するものである。本形式による運行時の運行区間と停車駅は以下の通り。
- リヨン・ペラーシュ - シャンベリ - モンメリアン - サン=ジャン=ド=モーリエンヌ - モダーヌ - バルドネッキア - ウルクス - トリノ・ポルタ・ヌオーヴァ - トリノ・ポルタ・スーザ - ミラノ中央
- モン・スニはフレジュストンネルの前後にTEEの走行区間では最急となる30パーミル以上の勾配区間があったが、モン・スニの経路ではフランス側に第三軌条方式の直流1500V区間が1976年まで、イタリア側に三相交流3600V区間が1961年まで存在しており、本形式などの気動車から電気機関車牽引の客車列車への転換による所要時間の短縮が困難であり、TEEとしての運行は1972年9月30日で終了している。
- その後モン・スニはフランス国鉄のX2770形による運行に変更の上で1972年10月1日から通常の国際列車として存続したが、X2770形への転換に時間がかかり、TEEからの転換後8ヶ月間程度は本形式が使用されることもあった。
国内での運用
- 1958-59年にはALn442 - Ln60 - ALn448の3両編成での運行がトリノ - トリエステ間およびトリノ - ミラノ中央間の急行列車で試行されている。この編成はTEEの運行ではないため、編成両端のTEEのエンブレムが同じ形状ながら馬をデザインしたBreda社のマークのものに交換されていた。なお、この運行により、3両編成での運行では動力性能が不足することが明かになったため、その後は3両での運行は行われていない。
- TEEでの運行終了後は、モン・スニの暫定運行用に残された2編成以外はイタリア南部のレッジョ・ディ・カラブリアの配置となってALn773等に代わってレッジョ・ディ・カラブリア - バーリ間の急行列車であるピタゴラスに使用されている。
- その後再び北イタリアで使用されるようになり、1974年にパヴィーアに配置となった後、翌1975年にトレヴィーゾの配置となり、ALn990に代わって、カラルツォ - ベッルーノ - ヴィチェンツァ - ミラノ中央間の急行列車であるフレッチャ・デッレ・ドロミーティに1979年まで使用され、カラルツォ - ヴェネツィア・サンタ・ルチーア間の急行列車であるカドーレに1982年まで使用されていたほか、ローカル列車の運用にも使用されていた。
- 1982年10月24日に全編成が優等列車の運行を外れ、ローカル運用でもALn668とALn663に置換えられて1983年以降廃車が始まり、規制されているアスベストの除去が困難であることから、1999年までに事業用もしくは季節列車用に残されたALn460.2008とALn448.2008の編成と後述のALn448.2007号車以外は全車解体されている。ALn460.2008とALn448.2008の編成も2000年代半ばには使用されなくなってそのまま放置されており、静態もしくは動態保存も計画されたが実現していない。また、ALn448 2007号車はアスベスト対策実施の上でミラノのレオナルドダヴィンチ国立科学技術博物館で静態保存されていたが、2008年に解体されている。
- 電車の中間車として使用されるようになった元Ln60であるLe602はミラノ・グレコに配属されて主にトリノ -ミラノ間で使用されていたが、その後ヴェニスに転属となり、ALe540、ALe601、ALe660、ALe840といった電車の中間車として運用されていたが、これらの電車の新型への置換えに伴い本形式も1999年に廃車となっている。
- 運行経路等
- 1957-58冬ダイヤにおけるメディオラヌムの運行経路
- 1957年夏ダイヤにおけるリーグレの運行経路
- 1969年夏ダイヤにおけるリーグレの運行経路
- 1957年夏ダイヤにおけるモン・スニの運行経路
- モン・スニの運行経路詳細
- 1963-64年のTEE時刻表
- ALn442-448と電車が併結したイタリア国内のリーグレの編成例
- レオナルドダヴィンチ国立科学技術博物館で静態保存されていた当時のALn448.2007号車、1994年