シリアルキラーの一覧
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シリアルキラーの一覧は各国や架空の連続殺人犯(シリアルキラー)の一覧である。
→「Category:シリアルキラー」および「シリアルキラー」も参照
法的にシリアルキラーとしての定義を満たしていない人物
| 名前 | 犠牲者数 | 犯行期間 | 事件概要 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| マーク・ナッシュ | 4人 | 1997年代 | 1997年にロスコモンにて民家で若いカップルを殺害し、保護施設で高齢女性二人を殺害、終身刑の判決が言い渡され現在も収監中である。 | [1] |
| アリス・キテラー | 4人 | 1302年 - 1324年 | キルケニーの魔女として知られる人物でアイルランドで初めて魔女として有罪判決が言い渡された犯罪者、夫4人に対する毒殺などの罪により有罪判決が言い渡されたが、その後イングランドに逃亡したため代わりに召使いが拷問を受け火あぶりの刑が執行された。キテラーのその後の運命は不明である。 | [2] |
| アブル・ジャブール | 65 - 300人以上 | 1960年代 - 1970年 | 連続強姦犯、同性愛者、確定しているだけでも65人、推定でも300人以上のも人を強姦し絞殺、また被害者のほとんどは男性と少年であった、1970年に逮捕され、同年10月21日に絞首刑に処された。またジャブールが逮捕されるまでに、ジャブールの犯した犯罪の犯人とされた2人が冤罪により死刑判決を受けている。 | [3] |
| シリン・グル | 27人 | 2000年 - 2004年 | 男性27人を殺害した罪で懲役20年の判決が言い渡された。 | [4] |
| アブドラ・シャー | 20人以上 | 1990年代 - 2002年 | 妻を含める20人近い人々を殺害。2004年4月20日に銃殺刑執行(38〜39歳没)。シャーの死刑執行はタリバン政権崩壊後初の死刑執行となった。 | [5] |
| カルビン・ギブス | 3人以上 | 2010年1月 - 5月 | 快楽殺人犯、アメリカ国籍、快楽目的で民間人3人を無差別に殺害した。終身刑が言い渡された。 | [6][7] |
| テッド・バンディ | 30人以上 | 1974年 - 1978年 | 全米で夥しい数の若い女性を殺害、正式な犠牲者数は不明だが、10年間にわたる黙秘を続けた後に30人を超える殺人を自白した。 | [8] |
| ジョン・ゲイシー | 33人[9] | 1972年1月 - 1978年12月 | 連続強姦犯、同性愛者、33人にもを呼ぶ少年を呼び寄せ性的暴行を加え、自身の同性愛を隠すために殺害、道化師ポゴに扮して少年たちを呼び寄せていた為「キラー・クラウン」などの異名を持つ。 | [9] |
| ブラッディ・ベンダーズ[注 1] | 11 - 20人以上 | 1871年 - 1873年 | アメリカ史上初の連続殺人犯として知られる連続殺人一家、カンザス州で宿を経営していたベンダー一家は宿泊客を次々とハンマーで撲殺、1873年に事件が発覚し、宿を捜査したがベンダー一家は見つからず、その後の運命は不明である。また1887年8月から同年12月にかけて11人を殺害した居酒屋一家のケリー家と同一人物では無いかと言われている。 | [10] |
| デビット・パーカー・レイ | 0 - 60人以上? | 1957年 - 1999年 | 性的拷問を行うためにセミトレーラーに防音対策を施し改造し、それをおもちゃ箱と称した。犠牲者数は不明だが60人の殺人容疑がかけられていた、殺人はいずれも立件でされていない。 | |
| ボニー・パーカー&クライド・バロウ | 13人 | 1930年頃 - 1934年5月23日 | ボニーとクライドの愛称で知られている犯罪者カップル。ルイジアナ州で警官隊によって射殺されるまで、多くの強盗事件を犯し、少なくとも9人の警官と4人の一般市民を殺害した、当時のアメリカは禁酒法と世界恐慌の下にあり、その憂さを晴らすように犯罪を繰り返す彼等の事を凶悪な犯罪者であるにも拘らず、新聞も含めて英雄視する者も多かった。 | [11] |
| H・H・ホームズ | 12 - 200人以上 | 1891年 - 1894年 | 快楽殺人犯、ホテルを経営していたホームズは宿泊客を次々と殺害、またホームズが経営していたホテルの地下からは外科手術用具が山のように置いてあり、死体を処理する為の硫酸で満たされた樽も常備されていた。死刑判決が言い渡され、1896年5月7日に死刑執行。 | |
| アルバート・フィッシュ | 3 - 100人以上 | 1910年 - 1932年 | 快楽殺人犯、人食い人種(カニバリスト)、正式な数は不明だが、数え切れないほどの子供を、肉を採取する目的で殺害し遺体を嗜食した。3件の殺人罪で死刑判決が言い渡され、1936年1月16日に死刑執行。 | |
| ロニー・デイヴィッド・フランクリン・ジュニア | 11人以上 | 1985年 - 2010年 | 連続強姦犯、カルフォルニア州南ロサンゼルスでカルフォルニア史上最悪のシリアルキラーと呼ばれた未解決事件の犯人である黒人男性、若い女性をターゲットとし強姦殺人を繰り返し、1988年に発生した女性(30歳)の強姦殺人未遂事件を最後とし、それからは犯行を行わなかったが、2001年以降から犯行を再び開始し、2001年には家出した女性を強姦し殺害、2003年には35歳の女性を殺害、2007年1月には25歳の女性を殺害した後にゴミ箱へ捨てた、2010年に逮捕され、2016年8月10日に死刑判決が言い渡されたが、2020年3月28日に独房で死亡した(68歳没)。「グリム・スリーパー」の異名を持つ。 | |
| ジェフリー・ダーマー | 17人 | 1978年6月18日 - 1991年7月22日 | 人食い人種(カニバリスト)、同性愛者、快楽殺人犯、ゲイバーなどで自分と同じ同性愛者をターゲットとし、誘拐しては殺害し遺体を嗜食した、また被害者に対してロボトミー手術を行おうと考えたが全て失敗に終わった。1994年11月28日に下記のクリストファー・J・スカーヴァーによって撲殺された(34歳没)。 | |
| クリストファー・J・スカーヴァー | 3人 | 1件の殺人で逮捕され収監され、収監中に上記のジェフリー・ダーマーを含める2人の囚人を撲殺した。 | ||
| ミカジャ・ハープ&ワイリー・ハープ | 40人 | 1797年 - 1803年 | 快楽殺人犯、ハーペ兄弟として知られるアメリカの海賊兄弟、スリルを求める為に乳幼児であろうと関係なく殺人を繰り返した、ミカジャ・ハープは1799年8月24日に被害者殺害の復讐を企てた人々によって殺害された。ワイリー・ハープは1803年に下記のサミュエル・メイソンを殺害し首を当局へ持ち込み懸賞金を受け取ろうとしたところを逮捕された、死刑判決が言い渡され1804年2月8日に死刑執行。 | |
| サミュエル・メイソン | 20人以上 | 18世紀 | 強盗を繰り返し少なくとも20人を殺害した海賊、ハーペ兄弟を含める他の海賊と犯行に及ぶこともあったとされている、上記のワイリー・ハープによって殺害された。 | |
| パティ・キャノン | 少なくとも4人 | 19世紀 | 数百人に及ぶ自由黒人を誘拐し少なくとも4人の黒人殺害した奴隷商人、逮捕されたが判決が言い渡される前に死亡した(60 - 70歳没)。 | |
| ゼブラ・マーダーズ[注 2] | 15 - 73人以上 | 1973年 - 1974年 | ミッション系シリアルキラー、人種差別に対する憎悪を動機とし白人をターゲットとし確定しているだけでも15人を殺害し8人から10人を負傷させた黒人4人組の連続殺人集団 | [12] |
| リッパークルー[注 3] | 18人 | 1981年5月23日 - 1982年10月6日 | ギャング団、女性の誘拐や拷問を繰り返した連続殺人集団 | [13] |
| ゲイリー・リッジウェイ | 49 - 70人以上 | 1982年 - 1984年 | 連続強姦犯、売春婦や家出少女をターゲットとし絞殺、グリーン川に遺棄した、死体遺棄後に死体の様子を見に来て屍姦を行う事もあった。ゲイリーが起こした連続殺人事件はアメリカ最大の未解決事件とされており、20年間未解決であった。 | |
| レックス・ホイヤーマン | 10 - 11人 | 1996年 - 2011年 | 未解決事件とされていたロングアイランド連続殺人事件の犯人、主にCraigslistで仕事を募集していた売春関連の女性達を殺害した。10年以上未解決であったが、警察がホイヤーマンを監視していた際にゴミ箱にピザを捨てるのを目撃し、食べ残しを調べたところ、被害女性3人の遺体に残されていた髪の毛と、ピザから採取したDNA型が一致しホイヤーマンは逮捕された。 | [14] |
| エイミー・アーチャー・ギリガン | 5 - 60人以上 | 1907年 - 1917年 | 毒物で少なくとも5人を殺害した老人ホーム営者、死亡者のうちの一人はギリガンの2番目の夫であった、またギリガンはさらに多くの死に関与していた可能性があり、60人がギリガンの経営する老人ホームで死亡している。 | |
| デルフィーン・ラローリー | 75人以上 | 1834年4月10日以前 | 快楽殺人犯、サディスト、数多くの黒人奴隷に対して虐待や拷問を行い死亡させた奴隷使用者、1834年4月10日にラローリー邸にラローリーの被害者である黒人奴隷が放火し、駆けつけた消防隊員に自分が火をつけたと告げた上で、「屋根裏部屋を開けて見てくれ」と懇願し、消防隊員が屋根裏部屋に突入したことで事件が発覚、この事件は当時のアメリカに大きな衝撃を与え、群集がラローリー邸を囲む騒ぎとなった。ラローリーはラローリー邸から脱出し消息不明となった、一説には、その後ラローリーはパリに渡り、1842年12月7日頃に死亡したといわれている。またラローリー邸は10年間空家になった後イタリア人が購入したが、程なく手放された。その後、アパートに改装されたが、その際に剥がされた床板の下から生き埋めにされたと思われる奴隷の遺体が75体も発見されたと記録されている。 | |
| レイ・コープランド&フェイ・コープランド | 5 - 12人 | 1986年 - 1989年 | 農場で5人の浮浪者を殺害した罪で死刑判決を受けた老夫婦。 | [15] |
| ジョシュア・ドットソン | 3人 | 2019年11月17日 - 2020年 | 2019年11月17日に18歳の少年を射殺、2020年6月12日には元恋人とその胎児を射殺した。2024年10月に懲役102年の判決が言い渡された。またドットソンは自らシリアルキラーを自称し、自分を架空のシリアルキラーのマイケル・マイヤーズに例えた。 | [16] |
| ロバート・デール・シギー | 0 - 173人 | 1938年 - 1950年 | 未成年者、連続放火犯、ハートフォード・サーカス火災の犯人であることを自白し、サーカスに放火して169人を焼死させたと自白、他にも8歳から殺人を開始し4件の殺人を犯したと自白し、そのうちの1件は日本での犯行であると自白したがいずれも立件されず、放火の罪のみで数年服役し、釈放され1997年に死亡した。 | [17][18][19][20] |
| サミュエル・ディクソン | 4 - 5人 | 2000年 - 2001年 | 身元不明の女性含め4人を殺害した、フランキー・リトル・ジュニアを殺害した疑いがある、ジェフリー・ダーマーにインスピレーションを受けたと自白した、終身刑の判決が言い渡された。 | [21] |
| ハッサン・オランギ&アッバス・アリ・ザリフィアン | 62人 | 1945年 - 1951年 | 快楽殺人犯、連続強姦犯、世間を震撼させ悪名を世間に広めたいという思いで、共犯者のアッバス・アリ・ザリフィアンの協力を得て、マシュハド周辺で62人の若い女性や売春婦をスカーフやハンカチで絞殺。 | [22] |
| ホシャン・アミニ | 67人 | 1945年 - 1951年 | 快楽殺人犯、体格的に弱い青少年や女性をターゲットとして選び人里離れた場所に誘い出し、人目のつかない場所で被害者の手足を縛り強姦や拷問を行い、最終的に絞殺しナイフで首を切り落とし、井戸に遺体を遺棄した。逮捕後大騒動となりメディアでも広く報道され井戸に死体を遺棄していたことから「カナート井戸の幽霊」の異名や、フェルト帽を被っていたことから「フェルト帽殺人犯」とも呼ばれた。死刑判決が言い渡され、1963年12月に別の事件の犯罪者と共に公開処刑に処された。 | [23] |
| モハメド・ビジェ | 21 - 29人 | 2004年3月 - 9月 | 連続強姦犯、同性愛者、6ヶ月の間にアフガニスタン難民の41人の少年を砂漠へ誘い出し性的暴行を加えた上で殺傷し、21人から29人を殺害、公開処刑の判決が言い渡され、2005年3月16日にクレーンで息絶えるまで10mの高さまでにあげられ処刑された。 | [24] |
| イーゴル・V・スプルニューク&ヴィクトル・I・サイェンコ&アレクサンドル・O・ハンジャー | 21人 | 2007年6月25日 - 7月16日 | いずれも未成年者、ウクライナ21の犯人、3人組はいじめっ子に対する恐怖を克服する為に、様々な奇行を行ったが次第に動物を拷問にかけるなどと段々と奇行がエスカレートしていき、次第には老人やホームレス、女性、子供などといった自分たちよりも弱い人物を拷問して殺害するようになった。スプルニュークとサイェンコには終身刑、ハンジャーには懲役9年の判決が言い渡された。 | |
| セルゲイ・タカク | 37 - 100人以上 | 1980年 - 2005年 | 小児性愛者、連続強姦犯、「ハルキウ州、ザポリージャ州、クリミア半島」で8歳から18歳までの若い女性をターゲットとし強姦した後に窒息死させた。2005年8月に逮捕され2008年に終身刑が言い渡された。 | |
| アナトーリ・オノプリエンコ | 52人 | 1989年 - 1996年3月22日 | 学生の頃には森林学を学び、その後に水夫として働くが、精神病を発症したことで「殺人をするように」と言う幻聴が聞こえるようになり、森で鹿を撃って殺人の練習を始め、1989年に一家7人を射殺、その後から殺人の目撃者や無関係な家族などを次々と惨殺し1996年に逮捕、1999年に死刑判決が言い渡されたが、ウクライナでは2000年に死刑が廃止され終身刑に減刑され、2013年8月27日に獄死した(54歳没)。 | |
| パブロ・ゴンサルベス | 3人 | 1992年12月31日 - 1993年2月[25] | 1992年12月31日に26歳の女性を窒息死させて遺体を海岸に遺棄。9ヶ月後に15歳の少女を絞殺し、リゾート地のビーチに埋没、5ヶ月後に22歳の女性をビニール袋で窒息死させた。懲役30年の判決が言い渡され、2016年6月23日に釈放された。 | [25] |
| アリエル・アセベド&マルセロ・ペレイラ | 0 - 200人以上 | 2012年3月以前 | 死の天使(ヘルスケア・シリアルキラー)、患者に対する慈悲を動機として、苦しみから解放すると称して少なくとも15人、多くて200人を殺害した容疑がかけられた看護師2人、2人は逮捕後に15件の殺人を自白したが後に撤回し、2015年2月26日に2人に無罪判決が言い渡された。 | [26][27][28][29][30][31][32][33][34] |
| パブロ・ガルシア・セハス | 3人 | 2015年4月2日 | 殺し屋、56歳の男性から58歳の兄を殺害する見返りに9万ペソと仕事を提供すると言われ同意し、2015年4月2日に58歳の男性を鉄棒で撲殺し、同年6月に19歳の売春婦を石で撲殺した、同月15日には1件目の殺人の依頼人である56歳の男性とトラブルになり石で撲殺した、「マルドナドの殺人鬼」の異名を持つ。 | [35][36][37] |
| アロン・アネジオ・スカッフォ・ラ・ロサ | 3人 | 2015年1月 - 7月 | ピザ職人、元警察官、オートバイ運転手それぞれ3人を殺害。2022年4月18日に刑務所内で殺害された。 | [38][39] |
| ホセ・カルロス・マチャド・ゴンサレス | 3 - 9人 | 2010年6月 - 2025年 | 殺し屋、17歳で麻薬の密売人3人を殺害し、2025年に6件の殺人容疑で起訴された。「エル・ペロン」の異名を持つ。 | [40][41] |
| ロバート・ピックトン | 26人以上 | 多くの女性を殺害し、解体した人肉を肉屋で販売し、豚に撒き餌として食べさせた。「バンクーバーの屠殺者」の異名を持つ。 | ||
| シンキチ・サクラダ&タダオ・ヒトミ&ブンシロウ・フジノ | 1 - 20人 | 1929年? - 1931年3月30日 | いずれも日本国籍、1931年3月30日に工場近くの線路脇で、漁師のナオキチ・ワタナベを斧で殺害、また過去2年間にわたり20人以上の日系カナダ人が結核や原因不明の胃病などで死亡している、そのためサクラダらの逮捕後にバンクーバーの日本人コミュニティでは「3人が殺人工場を経営している」と噂が広がり大騒ぎとなった、日本人が関与した凶悪犯罪であった為、日本の新聞でも広く報道された[42]。シンキチとタダオに死刑判決、ブンシロウは証拠不十分により釈放された。 | [43][42][44] |
| ニコス・メタクサス | 7人 | 2016年9月 - 2018年8年 | 5人の女性と2人の子供を殺害した陸軍将校。 | |
| ヤニス・パラスカキス | 1 - 8人 | 2019年代 | 2019年7月2日に60歳のアメリカ人生物学者を殺害、他にも7人の女性を強姦して殺害した疑いが持たれている。 | [45][46][47] |
| アントニス・ダグリス | 3人 | 1993年 - 1996年 | 売春婦に対して激しい憎悪を抱いていたダグリスは3人の売春婦を殺害し、遺体を解体した、3件の殺人と6件の殺人未遂と10件の強盗と武器の不法所持と侮辱罪などといった罪状により終身刑13回、懲役25年の判決が言い渡された、ダグリスの判決は数十年間のギリシャの中で最も長い判決であった、数ヵ月後に首を吊って自殺しているところが発見された。「ノコギリ殺人者」の異名を持つ。 | [48] |
| ヤニス・バルタス | 4人以上 | 4人を殺害した羊飼い、終身刑4回と懲役19年の判決が言い渡された。 | [49] | |
| ヘルマン・ドゥフト&ハンス・ヴィルヘルム・バセナウアー | 6人 | 1969年3月5日 - 4月11日 | ドイツ国籍、6人のギリシャ人を殺害。死刑判決が言い渡され、1969年12月15日に銃殺刑執行。 | [50] |
| エカテリニ・ディメトレア | 6人 | 1962年5月 - 9月 | パラチオンを用いて6人を毒殺、「マニの毒殺者」の異名を持つ。 | [51] |
| ペトロス・クラキシディス | 5人以上 | ロシア国籍、結婚詐欺師、結婚を繰り返し少なくとも5人を殺害した。「ヴリコラックス」の異名を持つ。 | [52] | |
| アリスティディス・パグラティディス | 3人 | 1957年3月 - 1959年 | 冤罪疑惑者、石を投げつけるなどといった方法で被害者を殺傷した、1968年2月17日に死刑が執行されたが無罪を主張している。 | [53] |
| キリアコス・パパクロニス | 3人 | 女性嫌悪者、キリアコスはクサンティ県で生まれ育った、14歳頃に友人と共に売春宿を訪れた際に売春婦に侮辱されたことで女性に対する憎悪を覚えた。このことをきっかけに女性に対する復習を望み、1981年9月5日に売春婦を強姦して殺害、1981年12月にはドラマで女性を殺害しようとした、1982年1月には学生を殺害、1982年8月にはテッサロニキで20歳の学生を殺害、他にも5件の爆破、空港に対する放火などを行った、「ドラマのドラゴン」の異名を持つ。 | [54] | |
| ルーラ・ピスピリゴウ | 1 - 3人 | 2019 - 2021年 | 3人の娘を殺害した疑いで起訴された看護婦、2024年3月に9歳の娘一人を殺害した罪で有罪となった。 | [55][56] |
| マリアム・ソウラキオティス | 27 - 177人 | 1950年以前 | 修道女であったマリアムは自分の地位を利用して、信者たちから金銭を騙し取る行為を繰り返し虐待を行った、マリアムの虐待により177人が死亡した。 | [57] |
| ディミトリス・ヴァクリノス | 5人 | 1987年3月 - 1995年 | 1987年にバールでP(43歳)を撲殺、1993年11月にはA(28歳)にガソリンをかけて火をつけて焼殺した、1994年1月にはタクシー運転手と口論になり殺害した、1995年にはガソリンスタンドで兄弟をリボルバーで射殺した。 | [58] |
| ヤニス・レッツォス&ティミオス・レッツォス | 8 - 26人以上 | 1917年 - 1926年 | 連続強盗殺人犯、強盗や殺人など80件の犯罪を犯した兄弟。 | [59] |
| ウイリアム・バーク&ウイリアム・ヘア | 16人 | 1828年代 | バークとヘア連続殺人事件の犯人、自身らが経営する宿で宿泊客が死亡していたため医科大学に売り、これに味をしめた2人は次々と宿泊客を殺害し最初に売った遺体を含め17体の遺体を医科大学に売った、逮捕後ヘアは罪を自供し免責となった、バークは1828年に死刑が執行され、被害者と同様に医大生に解剖される運命をたどった。 | |
| ハロルド・シップマン | 15 - 250人以上 | 1975年 - 1998年 | 死の天使(ヘルスケア・シリアルキラー)、15件の殺人で終身刑の判決、200人を超える数え切れない程の人々がシップマンによって殺害された疑いがある、2004年1月13日に首を吊り自殺した(57歳没)。 | |
| マーガレット・ウォーターズ | 1 - 19人 | 1866年 - 1870年 | ベビーファーマー、受け取った乳児に薬を与える、飢え死にさせるなどといった方法で19人の乳児を殺害した。死刑判決が言い渡され、1870年10月11日に死刑執行。 | [60][61] |
| フレデリック・ウェスト&ローズ・ウェスト | 12人 | 自分の子供や若い女性や少女などといった人々を誘拐し性的暴行や拷問を行い殺害した夫婦、逮捕後フレデリックは自殺(53歳没)、ローズは1995年11月に終身刑の判決が言い渡された。 | [62] | |
| ジョン・ビショップ&トーマス・ウィリアムズ&ジェームズ・メイ | 3人 | 1831年代 | ギャング団、ロンドン・バーカーズとして知られる死体泥棒3人組、バークとヘア連続殺人事件を参考に12年間にかけて500体から1000体の死体を盗み1831年代に3人を殺害した。 | |
| ジョージ・チャップマン | 3人 | 1897年 - 1902年 | ポーランド人の理髪師で4人の愛人を作り偽装結婚しそのうち3人を酒石酸で毒殺、「市区の毒殺魔(ザ・バーロー・ポイズナー)」の異名を持つ。死刑判決が言い渡され、1903年4月7日に死刑執行(37歳没)。またフレデリック・アバーライン警部がチャップマンを切り裂きジャックなのではないかと考えていた記録が残っている。 | |
| グレアム・ヤング | 3人 | 1962年 - 1971年 | 初犯は未成年者、イギリスの悪名高い毒殺者、幼い頃から毒物に興味があり19762年に自身を虐待していた継母を毒殺、大人になると会社に就職するが同僚2人を毒殺した、逮捕され終身刑の判決が言い渡され、1990年8月1日に死亡(42歳没)。 | |
| キャサリン・フレイリー&フランシス・ビリング | 3人 | バーナム毒殺者として知られる女性2人組、それぞれの配偶者を毒殺しようと企み、バーナム・マーケットにて数回に渡り4人に投毒し3人を死亡させた、逮捕後フレイリーとビリングは裁判にかけられいずれも死刑判決が言い渡され、1935年8月10日にいずれも死刑執行。死刑執行後フレイリーとビリングの遺体からデスマスクが作成され現在もノーフォーク城に展示されている、2人の死刑執行後、8月29日に共犯の疑いがあるピーター・テイラーという男が妻殺害の容疑で裁判にかけられ無罪を主張するも死刑判決が言い渡され、1836年4月23日に死刑執行。テイラーの死刑執行は新聞で処刑の様子を描いたイラスト入りで報道された。 | [63] | |
| アメリア・ダイアー | 6 - 400人以上 | 1869年 - 1896年 | ベビーファーマー、望まれない幼児を金銭と引き換えに養子にする里親となり、広告や顧客との面談で愛情のある家庭を提供すると騙し、次々と養育費と幼児を受け取っては殺害し生計を立てていた、1896年4月4日に逮捕され死刑判決が言い渡され、1896年6月10日に死刑執行(58 - 59歳没)。またダイアーを切り裂きジャックの正体ではないかと考える人も数多くいた。 | |
| サラ・チェシャム | 1 - 4人 | 1845年 - 1849年 | 夫リチャードを毒殺、1845年に発生した3件のヒ素中毒事件の容疑者としても裁判にかけられたが証拠不十分で無罪となった、リチャード毒殺の件では死刑判決が言い渡され、1851年に死刑執行。サラの死刑執行に6000人を超える見物客が集まった。 | [64][65] |
| メアリー・ベイトマン | 1 - 4人 | 18世紀 - 1808年 | 「ヨークシャーの魔女」の異名を持つ詐欺師のメイド、ウィリアム・ペリゴとレベッカ・ペリゴの夫婦にヒ素入りのプリンを与え妻のレベッカを死亡させた。ウィリアムはベイトマンが妻を毒殺したとして通報し逮捕された、またベイトマンは2年前にはペリゴ夫妻から金銭を騙し取っていた、ベイトマンの家を捜査したところ毒物とペリゴ夫妻を含む数人の被害者の私物が見つかった、1809年に死刑執行。 | |
| フレデリック・ベイリー・ディーミング | 6人 | 1891年7月26日 - 1891年12月24日 | 1891年7月26日に妻と4人の子供の喉を切り裂き絞殺し逃亡、1891年12月24日には2番目の愛人の喉を切り裂き撲殺した、犯行内容から切り裂きジャック説が疑われた。 | |
| キャサリン・フラナガン&マーガレット・ヒギンズ | 1 - 4人 | 1891年7月26日 - 1891年12月24日 | アイルランド国籍、「ブラック・ウィドーズ・オブ・リヴァプール」の異名を持つ殺人犯、イギリスのランカシャー州リバプールにて1件の毒殺事件を起こし有罪判決を言い渡された、また複数の殺人の疑いがかけられていた。 | |
| ルーシー・レトビー | 7人 | 死の天使(ヘルスケア・シリアルキラー)、7人の乳児を続けざまに殺害した。英国史上最悪の新生児連続殺人犯と考えられている、またレトビーの家からは「私は悪魔」と書かれたメモが発見された。 | [66] | |
| メアリー・アン・コットン | 21人 | 19世紀 | 生命保険金目当てで親族21人を殺害。 | [67] |
| ケネス・アースキン | 7 - 11人以上 | 1986年4月9日 - 7月28日 | 連続強姦犯、性的暴行を加えるため少なくとも7人の高齢女性を殺害、「ストックウェルの絞殺魔」の異名を持つ。 | [68] |
| アメリア・サック&アニー・ウォルターズ | 12人以上 | 1900年 - 1902年 | ベビーファーマー、預かった乳児を少なくとも12人を殺害した。 | |
| ブルース・ジョージ ピーター・リー | 12 - 26人以上 | 1973年 - 1979年 | 11件の放火、26件の過失致死などといった罪を犯し少なくとも11人を殺害した、終身刑の判決が言い渡された。 | |
| デニス・ニルセン | 12 - 15人 | 1978年12月30日 - 1983年1月26日 | ネクロフィリア、5年間の間に12人の若い男性と少年を殺害し、15人を殺害した疑いがある死体愛好者。 | |
| ジョン・ボドキン・アダムス | 0 - 163人 | 1946年 - 1956年 | 死の天使(ヘルスケア・シリアルキラー)、163人を殺害したと疑われたが証拠不十分により無罪。 | [69] |
| ジェーン・バートン | 0 - 456人 | 1989年 - 2000年 | 死の天使(ヘルスケア・シリアルキラー)、オピオイド処方の不備によって456人を死亡させた、12人の治療に不備があったとして有罪判決を受けたが、医師免許を剥奪されることはなく、自ら引退を選んだ。 | [70] |
| ロジャー・アンデルマット | 24〜27人 | 1995年〜2001年 | 死の天使(ヘルスケア・シリアルキラー)2001年6月に逮捕されるまでに介護施設の入居者に鎮静剤を投与し布やビニール袋を被せて窒息死させるなどといった方法で24人を殺害した。「ルツェルンの死の番人」の異名を持つ。 | [71][72][73] |
| ハインリヒ・ゲッティ | 6人 | 1865年以前 | 生まれてまもない自分の子供6人を毒殺、死刑判決が言い渡され、1865年5月10日にチューリッヒでギロチン刑に処された(37歳没)。 | [74] |
| ヴェルナー・フェラーリ | 5人以上 | 1971年〜1989年 | 男女問わず少なくとも5人の子供祭りから誘い出して殺害した。 | [75] |
| エーリッヒ・ハウエルト | 3人以上 | 1982年〜1993年 | チューリッヒとアールガウ州にて3人を殺害した罪で終身刑が言い渡された犯罪者。 | [76] |
| パウル・イルニガー | 3人以上 | 1933年〜1937年 | 4年間にわたり3人を射殺した罪で1939年8月25日に死刑判決を受け、処刑された。 | [77] |
| マリー・ジャンヌ | 6〜30人以上 | 1868年以前 | 死の天使(ヘルスケア・シリアルキラー)9ヶ月の間に少なくとも6人を殺害した、懲役20年の判決が言い渡された。 | [78] |
| ローランド・キューブラー | 3〜4人 | 1982年9月30日〜2008年1月 | 1993年10月11日に逮捕されるまでに3人を殺傷し2人を殺害、2008年1月には同房者(21歳)を強姦して殺害、2017年に獄中死した。 | [79] |
| ミシェル・ペイリー | 5〜10人以上 | 1933年〜1937年 | 少なくとも5人の10代の少女を拷問、強姦し殺害、少なくとも10件の殺人を犯したとされている。「ロモンのサディスト」の異名を持つ。 | [80] |
| ババ・アヌジカ | 50 - 150人以上 | 1890年代 - 1928年 | ミッション系シリアルキラー、薬草学者であったババはDVに苦しむ主婦に、有機植物毒とヒ素を調合した毒薬を魔法の水と称して現在の日本円で50万円に近い値段で販売し、間接的に次々と毒殺していった、夫を毒殺した主婦らの共犯者として扱われ、懲役15年の判決が言い渡されたが、後に恩赦で出獄した。 | |
| ユ・ヨンチョル | 20 - 21人 | 2003年9月 - 2004年7月 | 人食い人種(カニバリスト)、ソウル20人連続殺人事件の犯人、韓国史上最悪のシリアルキラーであり、確定しているだけでも20の女性を殺害して、そのうち3人の遺体は焼却処分し、その他の遺体は嗜食した。「レインコートキラー」の異名を持つ、死刑判決が言い渡されたが、韓国では死刑制度は残っているが、20年以上、死刑囚の執行が行われていない。 | |
| チョン・ナムギュ | 13人 | 2004年1月14日 - 2006年4月22日 | 快楽殺人犯、ソウル西南部連続殺人事件の犯人、「ソウル特別市冠岳区、九老区、銅雀区、永登浦区など」のソウル西南部一帯で殺人や、放火などの犯罪を犯し13人を殺害、また「タバコはやめれても、殺人はやめれない」と発言し、反省の態度が全く見られず、死刑判決が言い渡されたが、2009年11月22日に首を吊って自殺している所が発見された(40歳没)。 | |
| イ・チュンジェ | 10 - 45人 | 1986年2月8日 - 1994年1月13日 | 快楽殺人犯、華城連続殺人事件の犯人、韓国史上最悪の未解決事件とされていた華城連続殺人事件の犯人、2019年に最新のDNA鑑定によって真犯人であることが判明、時効であるため華城連続殺人事件の罪は問われず無期懲役で現在も収監中である。「韓国のゾディアック」や「韓国の切り裂きジャック」の異名を持つ。 | |
| イ・ソン | 数百人 | 1757年 - 1762年 | 快楽殺人犯、朝鮮王朝のシリアルキラー、連続強姦犯、朝鮮王朝時代の王子であったイは自分の宮廷で働く、多くの女性侍従を強姦し殺害、他にも数百人にも及ぶ数え切れないほどの人々を拷問にかけて殺害。1762年の夏、英祖と口論になり、お前の息子を殺すと殺害予告をし、英祖の宮殿に忍び込むが息子を見つけることができず、息子の衣類や所持品を盗み逃走、その後にイが英祖を殺害しようとしたという噂が朝鮮全土に広まり、英祖の妻は孫達を守る為に、イを処刑するように命じたが、朝廷の規則では王族の遺体を汚すことはできないため、封印の判決を言い渡され、米櫃に封印され8日後に餓死した(27歳没)。 | |
| カン・チャング | 6人 | 1983年 - 1987年 | 快楽殺人犯、連続強姦犯、公州市の田舎で女性6人を強姦し殺害。死刑判決が言い渡され、1995年に死刑執行。 | |
| カン・ホスン | 10人 | 2005年 - 2008年 | 快楽殺人犯、連続強姦犯、自分の顔の良さを悪用し、妻と義母を含める10人の女性を殺害。死刑判決が言い渡され、現在も収監中である。 | |
| キム・デドゥ | 17人 | 1975年8月 - 10月 | 連続強姦犯、連続強盗殺人犯、老若男女問わず17人を殺害、キムは大韓民国成立後の韓国では初のシリアルキラーであった。死刑判決が言い渡され、1976年に死刑執行。 | [81] |
| パク・イングン | 513 - 657人 | 1975年 - 1987年 | 兄弟福祉院事件の犯人、12年間の間に浮浪者や障害者や孤児ら約3000人以上を収容したが、強制労働や暴行によって大量の死者を出した、この事件は「韓国版アウシュビッツ」とも呼ばれた。懲役2年6ヶ月の判決が言い渡された。 | [82] |
| パク・ジョンミン | 2人 | ネクロフィリア、快楽殺人犯、2人の女性を連続して殺害、「第二のユ・ヨンチョル」の異名を持つ。無期懲役判決が言い渡された。 | [83] | |
| パク・ブンレ | 5人 | 1974年 - 1975年 | 保険金目当てで家族や友人の計5人を毒殺、1979年に死刑判決が言い渡され、1983年に死刑執行。 | [84] |
| キム・ソンジャ | 5人 | 1986年 - 1988年 | 自分の父や妹など計5人を青酸カリで毒殺。死刑判決、韓国の歴史上初の女性シリアルキラーである。 | |
| オム・インスク | 4人 | 2000年 - 2005年 | 保険金目当てで、3人を殺害し7人に重軽傷者を負わせた、サイコパステストを行った結果40点中40点満点であり、世界的にも非常に珍しい。無期懲役判決が言い渡された。 | [85] |
| 至尊派[注 4] | 5人 | 1993年 - 1994年 | いずれも人食い人種(カニバリスト)1993年から1994年にかけて5人を殺害し遺体を嗜食した、また被害者のうちの1人は共犯者であるS(18歳)であり裏切り者と見なされリンチにされ殺害された、イ以外は死刑判決が言い渡され、1995年11月2日に死刑執行。 | |
| チョン・ドゥヨン | 10人 | 1986年、1999年 - 2000年 | 連続強盗殺人犯、1986年に殺人を犯し、懲役6年の判決を受けた、出所後に1年間の間に強盗を繰り返し9人を金属バットで撲殺、死刑判決が言い渡され、現在も収監中である。 | |
| チョン・ソンヒョン | 3人以上 | 2004年 - 2007年12月25日 | 小児性愛者、安養小学生拉致殺害事件の犯人、2004年に軍浦市でカラオケ定員を殺害、2007年には幼女2名を殺害、またチョンが犯行に及んだ地域では女性の失踪事件が他にも相次いで発生していた、死刑判決が言い渡され、現在も収監中。 | |
| ペーター・シュトゥンプ | 18人 | 1564年頃 - 1589年 | 神聖ローマ帝国のシリアルキラー、人食い人種(カニバリスト)、25年間「ヤギやヒツジ」などの動物や「女性や子供」の遺体を嗜食したとされる中年男性、また実在した狼男として知られており、狼男伝説の始まりであるとされている、1589年にケルンで斬首刑が執行された(49 - 50歳没)。 | |
| カール・デンケ | 30人以上 | 1921年 - 1924年12月21日 | 同性愛者?、人食い人種(カニバリスト)、「性欲、性欲、金銭欲」などを満足させるため、若いホームレスを殺害をターゲットとし殺害しては屍姦してから食用にし、その遺体の肉の塩漬けや瓶詰めを肉屋で販売したとされている。逮捕後間もなくし、拘置所内で首を吊って自殺した(64歳没)。 | [86] |
| ニールス・ホーゲル | 数百人 | 2000年 - 2005年 | 死の天使(ヘルスケア・シリアルキラー)、100人以上の患者連続殺人を認めたドイツの看護師で、戦後ドイツまたは世界最悪のシリアルキラーと考えられている、検察は5年間にかけて300人ほどの患者がホーゲルによって殺害されたと推定している、2015年に終身刑が言い渡された。 | [87] |
| ペーター・ニールス | 544人 | 1566年頃 - 1581年 | 神聖ローマ帝国のシリアルキラー、人食い人種(カニバリスト)、妊婦の胎児を含め544人もの人々を殺害しては、遺体を嗜食したとされる黒魔術師、逮捕後生きたまま四つ裂きの刑に処された(41歳没)。 | [88] |
| 劉彭離 | 100人以上 | 紀元前144 - 116年 | 前漢のシリアルキラー、中国史上初のシリアルキラーであり、世界最古のシリアルキラーでもある、スポーツ感覚で次々と殺人を犯し100以上を殺害、犠牲者の息子が皇帝と当局に彼の事を訴えた事で事件が発覚し逮捕された、竹山県(現在の湖北省)への追放の判決が言い渡された。 | [89][90] |
| 楊新海 | 67人 | 1999年 - 2003年 | 連続強姦犯、中国史上最悪のシリアルキラー、4年間にかけて「斧、ハンマー、シャベル」を用いて連続的に殺害、証拠隠滅のために犯行を行う度に新しい服と靴に履き替えていた。「モンスターキラー」の異名も持つ。死刑判決が言い渡され、2004年2月14日に銃殺刑が執行された(35歳)。 | [91] |
| 李义江 | 7人 | 1994年・2002年 - 2003年 | 同性愛者、初犯は未成年者、「陰茎狩りの殺人鬼」として知られるシリアルキラーであり、2002年から2003年にかけて同性愛者をターゲットとし殺害後に陰部を切り取ってゴミ箱へ捨てた、また中学生の頃には、同級生に恋心を抱いたことを告白すると、侮辱され、このことにショックを受け、これに怒りを覚えた李はその同級生を殺害したことも判明した、死刑判決が言い渡され、2004年8月20日に死刑執行。 | [92] |
| 何剑 | 3人 | 2013年1月 - 2014年3月11日 | 勇気を養うために柳州市で3人を殺害、死刑判決が言い渡され、2015年11月23日に死刑執行。 | [93][94] |
| 许仁忠 | 6人 | 1954年 - 1956年 | 人食い人種(カニバリスト)、杭州市で6人の少女を殺害し、遺体を嗜食し血を飲んだ。死刑判決が言い渡され、1956年10月26日に銃殺刑執行。 | [95] |
| 马勇&段智群 | 12人 | 2003年5月 - 10月 | 深セン市で就職活動中の少女12人の顔を切り裂いて殺害、いずれも死刑判決が言い渡され、2003年12月18日に死刑執行。 | [96][97] |
| 周克華 | 9人 | 2004年 - 2012年 | 2004年から、3つの州を徘徊し9人を殺害した、2012年8月14日に警察官によって射殺された。 | |
| 康小八 | 5人以上 | 1905年以前 | 清朝のシリアルキラー、連続強盗殺人犯、盗んだ拳銃で数件の強盗殺人を犯した罪で凌遅刑に処された盗賊。また逃走時に武術を悪用することで壁を昇ったり屋根の上を綺麗に走ることができる実力者であった。1905年5月10日に凌遅刑執行、康は清朝時代に凌遅刑で処刑された最後の犯罪者であった。 | [98] |
| 陸強 | 25人 | 1987年9月 - 1988年7月8日 | 女性嫌悪者、工場労働者であった陸強は1982年に女性労働者のWMに恋心を抱き恋人となった、このことに陸は生き甲斐を感じていたが、1986年12月15日の同僚の誕生日会を最後に別れ、Wは別の工場へ転勤した、自分を捨てられたと感じた陸はショックとWに対する激しい怒りを覚え、夜間にWと同じ女性労働者を斧で襲撃し25人を殺害した、1988年12月に死刑判決が言い渡された、死刑執行日は不明。 | [99] |
| 高承勇 | 11人 | 1988年 - 2002年 | 28年間の間に白銀市で11人を殺害した、「中国の切り裂きジャック」の異名を持つ。 | [100][101] |
| 姜建林 | 4人 | 1998年1月6日 - 2002年 | 1998年1月6日に共犯者とともに工場の従業員を刺殺、2002年には20日間の間に3人を殺害、死刑判決が言い渡され、2010年に死刑執行。 | [102] |
| マハマジャン・ダウラティ | 5人 | 2007年 - 2010年10月17日 | 指名手配犯、新疆ウイグル自治区で5人を殺害し、2件の強盗を犯し、2人を負傷させた、2010年10月17日にカザフスタン国境を不法に越え中国に送還された。 | [103][104][105] |
| 王強 | 45人以上 | 1992年 - 2003年 | 1995年1月22日から犯罪を開始し、殺人45件、強姦10件、強盗34件を犯した、王の主張では1992年から殺人を犯したと主張 | [106]> |
| 宫润伯 | 6 - 20人以上 | 2005年3月〜2006年2月 | 少なくとも6人の子供を殺害し、遺体を損壊した。2006年7月13日に死刑判決が言い渡され、同年12月31日に銃殺刑執行(33歳没)。 | [107]> |
| 韩振营 | 27 - 63人 | 1998年1月6日 - 2002年 | 連続強盗殺人犯、14つの都市を旅して強盗や殺人を繰り返し27人を殺害し10人を負傷させた、韩自身は63人を殺害したことを主張した。1996年12月27日に死刑判決が言い渡された、死刑執行日は不明。 | [108] |
| 陈金春 | 6人 | 2000年7月31日 - 2007年8月13日 | 2000年7月31日に家を建てる際の杭打ちの問題で隣人と口論になり隣人とその妹を刺殺、7年後には一家4人を虐殺 | [109][110] |
| 張良璧 | 11人 | 1796年 - 1812年 | 清朝のシリアルキラー、小児性愛者、少女の精液を飲むことで寿命が延びると聞き、安徽省で連続的に14歳以下の少女16人を誘拐し精液を吸い取った、16人のうち11人を死亡させた。凌遅刑によって処刑された。 | |
| 李小龙 | 23人 | 1997年2月 - 1999年10月 | 河北省や山西省を含める5省8都市で独居老人や女性をターゲットとしハンマーで襲撃し、23人を殺害し、9人に重傷を負わせ、2人を強姦した。「ブルース・リー」の異名を持つ。 | [111] |
| 白宝山 | 17人 | 1997年 - 1998年 | 北京、河北省、新疆ウイグル自治区で警察官、歩哨、同房者、共犯者など17人を殺害した。1998年4月に死刑判決が言い渡された。 | [112]> |
| 贾建虎 | 12人 | 1998年7月15日 - 2003年 | ミッション系シリアルキラー、1996年に釈放され社会への復讐を考え、捜査手法などを学んだ。1998年に犯行を開始し2003年に逮捕されるまでに12人の売春婦を殺害した。 | [113] |
| 雷国民 | 23人 | 1992年 - 2001年 | 連続強盗殺人犯、広東省、安徽省、雲南省などで強盗殺人を繰り返した。「冷兵器殺人王」や「ハンマーマニア」の異名を持つ。 | [114] |
| 郭龙海 | 14人 | 1995年 - 2001年 | 女性嫌悪者、工場労働者であった郭龙海は工場へ来た少女に恋心を抱き少女に恋を告白したが拒否された、その後、郭は少女と工場長が親密な関係にあるのを目撃、このことに激怒した郭は少女を尾行して強姦し首を掴み脅迫した、この事件により懲役10年の判決が言い渡され収監され収監中に女性に対する憎悪が芽生え、どのように殺害するかを考え始めた、1990年に釈放された後、1995年に犯行を開始し2001年までに14人の女性を殺害した。 | [115] |
| 焦自成 | 9人 | 連続強盗殺人犯、山西省で9人を殺害した。 | [116] | |
| 卞况の一味[注 5] | 41人 | 2001年 - 2002年2月6日 | ギャング団、ギャング団のリーダーである卞况は1968年に安徽省臨泉県辺荘村に生まれた、幼い頃に両親を亡くし兄の卞怀超と生活をしていた。後に兄の怀超は強盗致傷罪により銃殺刑に処され、1989年に况は牛を盗んだことにより懲役5年の判決が言い渡されたが刑期中に脱走を企てたためさらに懲役6ヶ月が言い渡された、1994年に釈放されたが釈放後も強盗を繰り返し懲役7年の判決が言い渡された、刑期中に况は100人の殺害を誓った、1999年末に釈放され符心远と骆连顺と出会い、共通の趣味を持っていた事で意気投合した、服役中に慕っていた陈万杰も加わり4人組のギャング団を結成し2002年2月6日に逮捕されるまでに41人を殺害し、5人に重症を負わせ、17人を強姦し、15人を輪姦した。卞况、符新远、骆连顺の3人に死刑判決が言い渡され、死刑が執行された。陈万杰には懲役15年の判決が言い渡された。 | [117][118][119][120] |
| 姚逍 | 3人 | 2005年3月28日 - 2006年5月17日 | 2005年3月28日午後9時、窃盗を犯すために病院へ侵入し職員を殺害、2006年5月16日午前3時には談笑中の2人を乗用車に連れ込み地下排水路に誘拐、銀行カードのパスワードを告げさせ、ATMで現金を引き出させようとしたが残高を引き出すことに失敗し、被害者から身代金を脅し取ろうと考え、被害者の母に50万人民元を要求、翌日午前4時頃身代金を受け取れなかったため、地下排水路を出て奪った携帯電話や指輪を売り払い、午前5時頃に地下排水路を出ようとしたところに被害者2人の叫び声が聞こえたため、事件の発覚を恐れ2人を殺害した。死刑判決が言い渡され、2008年11月21日に死刑執行、姚逍は死刑執行前に祖母と電話で通話し犯罪を犯したことを後悔し、反省の涙を流した。 | [121] |
| 唐艳平 | 27人 | 1990年の50日間 | 連続強姦犯、連続強盗殺人犯、50日間の間に数十人に強姦や強盗を行い27人を死亡させた、死刑判決が言い渡され、1992年末に銃殺刑が執行された。また共犯の李剛は逃走中に警察官を挑発したことにより射殺された。 | [123] |
| 李文香 | 13人 | 連続強姦犯、快楽殺人犯、20人以上の女性を強姦し13人を殺害し4人に重症を負わせた。 | [124] | |
| 张友添 | 10人 | 2004年 - 2006年 | 快楽殺人犯、2年間の間に1人の男性と9人の女性を殺害し、遺体の性器を切りつけたり、性器に枝を挿入するなどといった行為を行った。 | [125] |
| 王万明 | 20人以上 | 1992年 - 1998年 | 連続強姦犯、6年間に渡り50件を超える犯罪を行い、20人を殺害した。 | [126] |
| 秦东明 | 33人 | 1991年 - 1994年 | 快楽殺人犯、連続強姦犯、王刚という偽名を用いて3年間の間に33人の女性を強姦し殺害した。 | [127] |
| 焦文军&马俊 | 12人 | 1997年 - 2000年 | 連続強盗殺人犯、西城区、東城区、朝陽区、海淀区、豊台区などの市内各地で149件の犯罪を犯し12人を死亡させ現金20万元以上や携帯電話などを強奪した、 | [128][129] |
| ハルビン強盗団[注 6] | 10人 | 1998年 - 2004年 | ギャング団、強盗団、広東省、浙江省などで6年間にわたり売春婦10人を殺害し遺体をミンチ肉に加工して川に流したり山に遺棄するなどして証拠を隠滅し、200万元を手に入れた犯罪者集団、2011年11月3日に逮捕され、2013年に杨树彬と张玉良に死刑判決が言い渡され、戟红杰に終身刑が言い渡され、吴宏业は獄死した、2016年11月2日に杨树彬と张玉良の死刑が執行された。 | [130][131] |
| 马新野 | 11人 | 1986年11月24日 - 1987年9月19日 | 女性嫌悪者、連続強姦犯、未成年者、当時中学生であった马新野(当時14歳)はある日放課後に女子学生を尾行し、果物ナイフで脅迫し強姦しようとしたが、通行人が音を聞きつけ駆けつけたため未遂に終わった、15日間拘留され退学処分となりこのことをきっかけに女性に対する憎悪を抱き始めた、1986年11月24日に殺人を初め、女性を強姦し凍死させた、1987年3月7日には女性を強姦しようとしたが逃げられ、1987年6月11日には马によって殺害された女性2人の遺体が発見された、その後も7月6日、7月26日、9月1日、9月19日と犯行を繰り返し被害者を強姦し絞殺した。終身刑が宣告された。 | [132] |
| 陈福兆 | 17人 | 2003年5月25日 - 6月27日 | 17人のホームレスを殺鼠剤で毒殺した医者。 | [133][134] |
| 蔡斌 | 4人 | 2004年後半 | 連続強盗殺人犯、50日の間に4人を殺害した | [135] |
| 瀋陽三八事件[注 7] | 21人 | 1989年 - 1999年 | ギャング団、強盗団、10年間の間に21人を殺害した強盗団、いずれも銃殺刑に処された。 | [136] |
| 祖红兵&王建平 | 4人以上 | 1999年- 2003年 | 4人を殺害した兄弟。2004年10月29日に死刑判決が言い渡された。 | [137][138] |
| 陈勇锋 | 10人 | 2003年2月28日- 5月24日 | 廃棄物リサイクル従事者10人を誘い込んで殺害し、そのうち9人の遺体をバラバラに解体した、 | [139] |
| 李枝永 | 25人 | 1993年 - 1996年 | 3年間にわたって25人をホテルで感電死させた。 | [140] |
| 夏克明連続殺人事件[注 8] | 8人 | 1999年12月 - 2007年1月25日 | 8年間にわたり8人を殺害した、いずれも死刑判決が言い渡され、いずれも2014年4月22日に死刑執行。 | [141][142][143] |
| 付贺功 | 5人 | 2002年6月 - 2004年10月21日 | 2002年6月に口論となった男性を刺殺、同年8月3日には口論となった男性をセメントレンガで殴打した後にナイフで刺殺、2004年8月24日には窃盗目的で1人を鉄棒で殴打しナイフで刺殺、2004年10月21日には幼稚園に侵入し職員と園児を消火器で撲殺。2005年9月9日に死刑判決が言い渡された。 | [144] |
| 姚常凤 | 4人 | 2011年 - 2013年 | 連続強姦犯、未成年者4人を強姦して殺害した罪で死刑判決が言い渡された。 | [145][146] |
| 林德新 | 5人 | 2008年3月25日 - 6 月10日 | 連続強姦犯、遼寧省、鉄嶺市、吉林省で11件の犯罪を犯し8人を強姦し、5人を殺害した。 | [147][148] |
| 杨正义 | 4人 | 1996年8月11日 - 2002年8月20日 | 1996年8月11日に20歳の女性を強姦し窒息死させた、2000年に13歳の兄の息子を殺害し、2002年8月20日には口論となった2人の男性を刺殺、死刑判決が言い渡され、2012年11月1日に死刑執行。 | [149][150][151][152] |
| 田雪芹&李慧杰 | 7人 | 1999年 - 2001年 | 田雪芹の娘李慧杰は2年間に4人の夫と結婚し、母の田と共謀して毒殺した、いずれも死刑判決が言い渡された。 | [153] |
| 张宗琴 | 7人 | 1992年 - 2006年 | 27人に毒を盛り、そのうち7人を死亡させ、家畜などを殺害した。 | [154] |
| 江望兵 | 3人 | 2007年9月13日 - 2014年5月19日 | 快楽殺人犯、3人の少女を殺害。 | [155] |
| 龙治民&闫淑霞 | 48人 | 1983年 - 1985年 | 男性31人、女性17人の合計48人を殺害した夫婦。 | [156][157][158] |
| 神医[注 9] | 0 - 146人 | 1997年 - 1999年 | 死の天使(ヘルスケア・シリアルキラー)、2年間にわたって各地の病院で不適切な医療行為によって146人を死亡させた、殺人の罪には問われず無免許医業の罪によって胡に懲役15年、政治的権利の剥奪5年、罰金20万元、吕に懲役11年、政治的権利の剥奪3年、罰金10万元、唐に懲役3年、罰金3万元が言い渡された、贺は刑事処罰を免除された。 | [159][160][161][162] |
| 沈兄弟の一味[注 10] | 11人 | 1999年 - 2004年 | ギャング団、人食い人種(カニバリスト)、兄弟であった沈兄弟2人は4人の共犯者の協力を得て5年間に11人を殺害し、遺体の一部を食べた。 | [163][164][165] |
| 東北五虎[注 11] | 18人 | 1996年 - 1997年 | ギャング団、1996年から1997年にかけて27件の犯罪を犯し、18人を殺害したギャング団、1998年にいずれも死刑判決が言い渡され、銃殺刑が執行された。 | [166] |
| 彭妙计の一味[注 12] | 76人 | 1998年2月 - 1999年3月 | ギャング団、1年間にわたって76人を殺害し、そのうち被害者40人の喉を切り裂き、4人の男性被害者の性器を切断したギャング団、いずれも死刑判決が言い渡され、銃殺刑が執行された。 | [167][168] |
| 尹晓敏&曹项&胡跃龙 | 9人 | 1993年 - 2005年 | 快楽殺人犯、連続強姦犯、強盗団、売春婦9人を強姦・強盗して殺害し、遺体から皮を剥いでベストを作った。いずれも死刑判決が言い渡された。 | [169][170] |
| 鞍山連続殺人事件[注 13] | 21人 | 1942年9月5日 - 1943年4月頃 | 満州国のシリアルキラー、ギャング団、1942年9月5日から同月27日にかけて20人を殺害、翌年の1943年4月に少年の遺体が見つかったことで逮捕された、その後は不明。 | [171] |
| 贾文革の一味[注 14] | 42人 | 1989年 - 1991年 | ギャング団、訥河連続殺人事件の犯人、主犯である贾文革は被害者であった4人を脅迫しマインドコントロール下に置いて支配し共犯関係に置いて殺人を協力させた、被害者に対してハニートラップを仕掛けるなどとして騙して誘い込んで殺害し地下室に遺棄した、1992年1月8日に贾文革、李秀华、徐丽霞、孙文力の4人に死刑判決が言い渡された。いずれも同年同月に銃殺刑執行。 | [172][173][174] |
| 錦州省・奉天省連続強盗殺人事件[注 15] | 12人以上 | 1938年 - 1941年4月4日 | 満州国のシリアルキラー、強盗団、ギャング団、50人以上の部下を率いて錦州省と奉天省の2省、省内6県で千数百件の強盗事件を起こし警察官ら10人以上を射殺し、4月4日には雑貨商宅へ侵入し1家5人を殺傷して2人を射殺し、3人に重症を負わせた、その後は不明。 | [175] |
| 楊樹明 | 9人 | 1992年 - 2006年 | 社会に復讐心を抱き9人を殺害し、3人に重症を負わせた、「赤い服の殺人鬼」の異名を持つ、2006年11月21日に死刑判決が言い渡され、同日中に銃殺刑執行(40歳没)。 | [176][177] |
| 朱大鹏 | 4人 | 1996年 - 2006年12月19日 | 1996年に妻の妹を殺害し、2006年10月25日に娘2人を殺害し、同年12月19日に妻を殺害し遺体を解体、遺体に姦婦の末路と記したメモを貼り付けた、2008年2月1日に死刑判決が言い渡され、同月3日に死刑執行(35歳没)。 | [178][179] |
| 羅樹標 | 18人 | 1977年 - 1995年1月20日 | 18人の女性をバラバラにして殺害し、皮膚などで人体模型を作成し内臓などを保管した、「夜雨の屠殺者」の異名を持つ。1995年1月18日に死刑判決が言い渡され、2日後の20日に銃殺刑執行(40歳没)。 | [180] |
| 楊洪軍 | 12人 | 1996年6月15日 - 2000年8月24日 | 4年間で30人近くを殺傷し、そのうち12人を殺害した。死刑判決が言い渡され、2001年4月18日に銃殺刑執行。 | [181] |
| 侯凯 | 11 - 12人 | 1996年6月15日 - 2000年8月24日 | 人食い人種(カニバリスト)、頭痛を治すために友人や妻を殺害し、脳を食べた、11件の殺人で死刑判決が言い渡された。 | [182] |
| 苏红 | 4人 | 2003年2月 - 2010年4月27日 | 2003年2月に妹を家庭内暴力から助けるためにその夫を瓶で撲殺、2005年11月には金銭トラブルを理由に義理の妹を麻縄で絞殺し、野菜貯蔵庫に遺棄した、2010年4月27日とその2日後には性的嫌がらせを行った兄弟を絞殺し、野菜貯蔵庫に遺棄した、死刑判決が言い渡され、2012年2月10日に死刑執行。 | [183] |
| 张舒红&李艳秋 | 6 - 8人 | 2009年5月 - 2010年8月19日 | 少なくとも6人を殺害した夫婦、张によれば自分の娘含め8人を殺害したと自白したが、血液分析とDNA鑑定では5人のみ確認された。6件の殺人罪で死刑判決が言い渡され。2013年12月26日午前9時に銃殺刑執行。 | [184][185] |
| 徐小明 | 11人 | 1998年 - 2010年 | 13年間に渡って11人を殺害し遺体をバラバラにした9人組ギャング団のリーダー、死刑判決が言い渡された。 | [186][187][188] |
| 张泗维 | 17人 | 1991年4月22日 - 1994年1月17日 | 1991年4月22日から1994年1月17日にかけて17人を射殺した警察官、共犯の王成岩は逃走中に警察官に射殺された。 | [189] |
| 艾紅光 | 3人 | 1981年8月10日 - 9月25日 | 1981年に上海市、浙江省、江西省で発生した連続感電死事件の真犯人 | [190][191] |
| 法子英&労栄枝 | 7人 | 1996年 - 1999年 | 強盗目的で7人を殺害した、法は警察との銃撃戦の末逮捕され、死刑が執行された、労は20年間逃亡し2019年に逮捕され、死刑が執行された。 | [192] |
| 林國偉 | 3人 | 1992年4月24日 - 1993年8月5日 | 連続強姦犯、1992年4月24日午前3時頃に元彼女に容姿が似ている女性(19)を発見し尾行、女性がビルに入ったため追いかけエレベーター前で女性に飛びかかり首を絞め階段まで連れて行き強姦しハンドバッグを盗み逃走、同年6月26日、タクシーを降りたナイトクラブ従業員の女性(32)を強姦、同年8月、女性(39)を遅い草むらに引きずり込み首を絞めて強姦、同年12月4日深夜、少女の首を後ろから絞め、強姦し金品を強奪、同年12月18日、夫と別れ帰宅中の女性を強姦、1993年2月24日、専業主婦の女性(50)に襲いかかり首を絞めるが強く絞めすぎたため死亡させてしまい屍姦しハンドバッグを盗んで逃走した、同年4月14日、女性(22)を強姦し金品を強奪、同年5月24日、カラオケから帰る女性に襲いかかり平手打ちをし絞殺、同年8月5日、女性(21)を強姦、その後映画を見る約束を女性としていたため映画館へ向かったところを逮捕された、逮捕後DNA鑑定が行われ連続強姦事件の犯人であることが判明し、多くの女性を強姦したため「屯門魔(日本語:屯門の強姦魔)」の異名を持つ。終身刑の判決が言い渡された。 | |
| 林過雲 | 4人 | 1982年2月3日 - 1982年7月 | 2月3日に電線で女性を絞殺し自宅に隠し、死体を全裸にし写真を撮影、女性の財布から500ドルを奪い電動ドリルを購入し解体した、5月29日に女性をナイフで脅し手錠をかけ電線で絞殺、その後に手術用のメスで解体し遺棄した。5月29日には殺害した女性の内蔵を摘出し、食べようとしたが嫌悪感を覚えたため未遂に終わった。7月2日にも女性を絞殺し解体後に遺棄した、また林は遺体を解体する際の様子を動画として収めている。死刑判決が言い渡されたが、後に終身刑に減刑された。 | |
| 禹建忠 | 5人 | 1988年の3ヶ月半 | 3ヶ月半の間に士林区にて鉄の棒や棍棒で31人を殺傷し所持品を奪った、この連続事件により26人が負傷し、5人が死亡した、 | [193][194] |
| 林宗誠グループ[注 16] | 5人 | 1983年 - 1986年 | 強盗団、ギャング団、132件の強盗事件を引き起こし、5人を殺害した犯罪グループ、また犯人のほとんどが高学歴であり溫錦隆は警察官であった為大きな話題を呼んだ。 | [195][196] |
| 張介宗 | 3 - 7人 | 2024年 - 2025年 | 高雄連続殺人事件の犯人、3人の殺人容疑で逮捕された、また3ヶ月以内に7人を殺害した疑いがある。 | [197][198][199] |
| 夏小平強盗殺人集団[注 17] | 7人 | 1992年 - 1993年 | 強盗団、1年間にわたり身代金目的の誘拐や強盗殺人を繰り返し7人を殺害、いずれも死刑判決が言い渡された。 | [200] |
| 林來福 | 28人以上 | 1986年 - 1990年 | ギャング団のリーダーであった林は台湾全土で「強盗、脅迫、誘拐、恐喝、殺人」などといった数百件の犯罪を犯し少なくとも28人殺害した。1991年7月25日に死刑執行(31歳没)。 | |
| 陳高蓮葉 | 7人 | 1985年 - 1986年 | 陳高蓮葉は若い頃に子宮を摘出したことで子供が産めない体になっていたため子持ちの幸せな家庭に対して激しい嫉妬と憎悪を抱いていた、そのためシアン化カリウム入りのキャンディを1年間にわたり子供達に食べさせ、7人を死亡させ2人に重症を負わせた、逮捕後逮捕されなかった場合200人以上を殺害しようとしていた事を自供し、陳の家からは200人を殺害するのに十分な量の毒物が見つかった、1989年7月9日に銃殺刑執行。また陳は台湾で2番目に死刑判決が言い渡された女性であり、台湾の歴史上最も人を殺害した女性でもあった。 | |
| 林于如 | 3人 | 2008年11月 - 2009年7月 | ギャンブラーであった林は2000万台湾ドル(日本円で約500万円)を超える借金を背負っていたため、家族に保険金を掛けて殺害する計画を立てた、2008年6月18日に臭豆腐の店に放火、同年11月に母親を階段から突き落とし負傷させた、その後、母親は死亡し500万台湾ドルを(日本円で約140万円)を受け取ることに成功、2009年5月には義母を死亡させた、続いて体調不良を訴え入院した夫を殺害、林は保険金の申請を行ったが林の親族が次々と不審死していることに不審に思った保険会社が通報し逮捕された、また林の義理の姉と息子にも保険をかけられていることが判明した、2010年4月に3件の殺人で死刑判決が言い渡されたが2012年2月に控訴に対して終身刑へ減刑、しかし2013年6月14日には終身刑は差し戻しとなり再び死刑が言い渡された、 | |
| 黄鸿寓 | 6人 | 1988年 - 1990年 | 様々な犯罪を犯し6人を殺害した台湾のギャング。「黒い暴牛」を意味する「黑牛」の異名を持つ。 | [201] |
| 張正義 | 6人 | 1989年 - 1990年 | 連続強姦犯、タクシー運転手を装って、女性客を次々と殺害した。「タクシーウルフ」や「台北の狼」などといった異名を持つ。死刑判決が言い渡され、2011年に死刑執行。 | |
| 徐東志 | 7人 | 1976年 - 1983年 | 1976年に恋人と口論になり頭を地面に叩きつけて殺害、翌年8月には同棲中の恋人とその同僚を感電死させた、1983年には「300キロの金の財宝がある」と4人に嘘を伝え、ガスで中毒死させた、 | [202] |
| パク・ミョンシク | 12人 | 1990年4月 - 10月 | 人食い人種(カニバリスト)、持病として肝硬変を持っていた為、肝硬変には若い青少年の肝臓が効くと占い師から告げられ、それを信じ込んだパクは咸鏡南道の新浦市の農村に派遣されている14歳から17歳の学生を見つけるために、農村を隅から隅まで探して、肝臓を抽出し食べた、この連続殺人事件によって世間は震撼し住民は夜の外出を控えるようになったと言われている。1990年10月に旅行中の学生を誘拐しようとしたが未遂に終わり、近くにいた住民によって取り押さえられ、警察署に連行され逮捕された。非常に猟奇的な犯行内容から「臓器の収穫者」や「臓器収穫装置」などといった異名を持つ、銃殺刑の判決が言い渡され、1991年10月に銃殺刑が執行された。パクに肝硬変には肝臓と教えこんだ占い師は強制送還されたそうだが、その後は一切不明である。またこの連続猟奇殺人事件は韓国でも広く報道された。北朝鮮は検閲が厳しいため連続殺人が起きてもたったの一部しか流出しない事が多いが、より詳しく詳細が知られ渡っている北朝鮮のシリアルキラーでは、現時点パクのみである。 | [203][204][205] |
| エリザベート・バートリー | 650人以上 | 1585年 - 1610年 | ハンガリー王国のシリアルキラー、美しさのために数え切れないほどの召使いの女性を拷問して殺害し、生き血を浴槽にため入浴したり、シャワーとして利用したりし当時の世間を震撼させた、また中世のシリアルキラーでは、フランス王国のジル・ド・レの次に圧倒的な犠牲者数を誇り、実在したヴァンパイアとしても知られている。幽閉の判決が言い渡された。 | |
| ペドロ・ロドリゲス・フィーリョ | 71 - 100人以上 | 1968年 - 2007年 | 初犯は未成年者、ミッション系シリアルキラー、胎児として母親の中にいる時に父親が母親に日常的な虐待を行っていたた頭に大きな傷があり、その事を根に持っていたため子供の頃から暴力的な性格であった、次第にペドロは「悪は居なくなればいい」と考え、14歳の頃には冤罪により父親を解雇した副市長と冤罪を擦り付けた男の2人をショットガンで射殺、その後に逃亡し逃亡生活を繰り返しながら密売人など社会的に悪とみなされる人物をターゲットに強盗殺人を繰り返した、やがて逃亡先で恋人を作り恋人の亡き夫のギャングのリーダーとしての地位を継いだ、やがて恋人は妊娠し子が宿るが恋人がライバルのギャング団のリーダーによって殺害されたためこれに激怒し復讐を決意、復讐を実行するためにライバルのギャング団の幹部を誘拐しては拷問にかけリーダーについての情報を吐かせ殺害するなどといった犯行を繰り返した、その後にギャングのリーダーが結婚式をあげるという情報を入手し、結婚式当日に式場で乱射し惨殺、その後に父親が母親を殴り殺したという報告が届き、これに激怒したペドロは父親の面会時に立ち会いの看守を気絶させ父親の心臓をえぐりだし殺害、この事件によってペドロは逮捕されるが、護送中には同じ護送車に乗っていた強姦犯が自身の犯行を自慢げに話してきたためそれに激怒したペドロは強姦犯を殺害、懲役126年の判決が言い渡されるが、当時のブラジルの法で30年以上の刑は禁止されていたため30年に減刑、2007年4月24日に刑期を終えて釈放されるが、2011年9月15日に逮捕され再び収監される、2018年12月10日に釈放されYouTuberとなるが、2023年3月5日午前10時頃に正体不明の人物によって射殺された(68歳没)。またペドロの犯罪は被害者が全員犯罪者やギャングなどと反社会的行為を行う人々であったため英雄視する者が多かった。 | |
| ホルヘ・ベルトラン・ネグロモンテ・ダ・シルベイラ&イザベル・クリスティーナ・トレアン・ピレス・ダ・シルベイラ&ブルーナ・クリスティーナ・オリベイラ・ダ・シルバ | 3人 | 2008年 - 2012年 | 人食い人種(カニバリスト)、ガラニュンスの人食い人種の異名で知られる3人組のシリアルキラー、2008年5月26日に1歳の娘を連れていた当時17歳の少女を自宅へ誘い込み浴内ででナイフを使って頸動脈を刺して殺害、血抜きなどの処理を行った後にバラバラに解体し冷蔵庫に保管した、翌日に塩やクミンなどといった調味料で味付けし3人で焼いて食べた、また被害者の少女の娘も被害者の肉を食べさせられた、2012年2月には当時31歳のZを殺害、同年3月15日には当時20歳のAを誘拐し殺害、Aを殺害した後に臀部と太ももから肉を解体しスナック菓子に加工した後に地元の人々に販売した。ネグロモンテとブルーナに懲役71年、オリベイラに懲役61年の判決が言い渡された。 | [206][207] |
| チアゴ・エンヒッキ・ゴメス・ダ・ホーシャ | 28 - 36人以上 | 2015年10月14日に逮捕 | 2011年以降28件の殺人容疑で起訴されたブラジルの青年。 | [208] |
| デイゼ・モウラ・ドス・アンジョス | 少なくとも4人 | 2020年 - 2024年 | ヒ素入りのクリスマスケーキを家族に食べさせ6人を殺傷しうち3人を死亡させた、この事件の発生以前の9月には舅までも毒殺された事が疑われ墓を掘り起こし解剖した結果ヒ素が検出された。2020年には実父が亡くなっており、こちらも毒殺されたと見られている。 | [209] |
| ホセ・パス・ベゼラ | 7 - 24人 | 1970年 - 1971年 | 1年間にわたりサンパウロとパラー州で20人を超える女性を拷問の末殺害した疑いが持たれている。「モルンビの怪物」の異名を持つ。 | [210][211] |
| ディオゴ・フィゲイラ・ダ・ロシャ | 50人以上 | 1894年 - 1897年 | 1894年から1897年の間に50件以上の殺人を犯したとされている常習犯。1897年に特殊部隊に追跡され川のほとりで銃撃戦となり、射殺されたとされているがディオゴの遺体は見つかっていない。 | |
| ホセ・ラモス&カタリナ・パルス | 3 - 9人以上 | 1863年 - 1864年 | アルヴォレド通り殺人事件の犯人、被害者を選んだ後にパルスにより被害者を誘惑し、ラモスの家で金品を盗み殺害し、。ソーセージに加工しもう1人の共犯者であるカルロス・クラウスナーの店で販売した。また連続殺人事件により市内がパニックに陥った事でクラウスナーが怯え始めたため、ラモスはクラウスナーによる警察への密告を恐れ、クラウスナーを殺害した。 | [211] |
| フロリスヴァルド・デ・オリヴェイラ | 少なくとも50人 | 1982年 - 1983年 | サンパウロにて少なくとも50件の殺人を犯したとして逮捕された元警察官。 | [212][213] |
| エドソン・イジドロ・ギマランイス | 4 - 131人 | 1999年1月 - 5月 | 死の天使(ヘルスケア・シリアルキラー)、看護師であったエドソンは1999年に患者に塩化カリウムを注射し、死亡させた事で逮捕され5件の殺人を認めたが、うち4件が立証された。また最大で131人を殺害した疑いがある。 | [214] |
| フランシスコ・ダス・シャーガス・ロドリゲス・デ・ブリト | 30 - 42人 | 1991年 - 2003年 | 1991年から2003年の間にマラニョン州で30人の少年を殺害し、逮捕後にパラー州にて12人を殺害したことを自白したが後に撤回した。 | [215] |
| フランシスコ・デ・アシス・ペレイラ | 11人 | 1997年 - 1998年 | サンパウロの公園で11人の女性を強姦し殺害、さらに9人に暴行を加えた。「パークマニアック」の異名を持つ。 | [211] |
| ホセ・アウグスト・ド・アマラル | 3人 | 1926年 - 1927年 | カヌードス戦争で中尉であった頃に逃亡したことで逮捕された、釈放後未成年者2人を含め3人を殺害した。 | [211] |
| フェブロニオ・インディオ・ド・ブラジル | 6人以上 | 1925年 - 1927年 | 仕事を与えると騙し6人を殺害、殺害後に遺体にDCVXVIの文字を掘った[211]。 | [211] |
| ジル・ド・レ | 150 - 1500人以上 | 1431年頃 - 1440年9月15日 | 連続強姦犯、快楽殺人犯、同性愛者、フランス王国のシリアルキラー、戦友であったジャンヌ・ダルクが捕らえられたことで心が荒んでいき、ジルはジャンヌを助けるためにルーアンを攻撃したり、土地を奪ったりするなどの行動を行うようになり、次第に黒魔術までにも手を染めてしまうようになる、黒魔術を行うために150 - 1500人もの少年を誘拐しては、陵辱したり性行為を行うなどの拷問にかけ次々と殺害、後に自首し絞首刑が執行された。 | |
| エレーヌ・ジュガード | 23 - 36人 | 1833年 - 1851年 | 家族7名を含め次々と毒殺を繰り返したメイド、最終的に取り調べて墓穴を掘ったことで、エレーヌが犯人であることが明らかとなり逮捕され、ギロチン刑が執行された。 | |
| ラ・ヴォワザン | 1000 - 2500人以上 | 1660年代 - 1679年 | フランス王国のシリアルキラー、魔法使いであったヴォワザンは逮捕された後に、拷問によって黒ミサで儀式的に1000人を超えるほどの乳児を殺害したことを自白した、またルイ14世を毒殺しようと殺人未遂も犯した。火刑の判決が言い渡され、1680年に火刑が執行された。歴史上のどのシリアルキラーよりも圧倒的な犠牲者数を誇る大量殺人犯 | |
| ド・ブランヴィリエ侯爵夫人 | 3人以上 | 17世紀 | フランス王国のシリアルキラー、遺産目当てで次々と親族を毒殺した、裁判では全く反省の意志を見せず、水責め拷問でも口を割らなかったが、火刑法廷で拷問が進むと反省した、死刑を宣告され、即刻斬首刑に処された。 | |
| アンリ・デジレ・ランドリュー | 11人 | 1915年 - 1919年1月13日 | 結婚詐欺の常習犯であり、男性と10人の女性と関係を持って金品を騙し取り殺害した。「稀代のレディキラー」や「フランス版青ひげ」などといった異名を持つ。1922年2月25日にギロチン刑執行。 | [216] |
| スタニスラス・ワレジェフスキー | 18人以上 | 1942年11月 - 1945年2月 | ポーランド国籍、ロット=エ=ガロンヌ県を旅し火かき棒や鎌やスコップで被害者を拷問、他にも放火、強盗、暴行などといった犯罪を犯し多くの人々を殺害した。逮捕後死刑判決が言い渡され[217]、収監後にモントーバン刑務所から脱獄[218]、逃亡中に警察官に射殺された[218](25歳没)。 | [217][218][219][220] |
| ピエール・マルタン&マリー・マルタン&ジャン・ロシェット | 1 - 50人以上 | 1830年以前 | 失踪したアンジョルラスの遺体が1831年10月26日にアリエ川のほとりで発見され逮捕された、3人に死刑判決が言い渡され、ギロチン刑に処された、また共犯と疑われたピエールの甥であるアンドレは無罪判決が言い渡された。また3人は後にローベルジュ・ルージュと呼ばれる宿屋を経営しており、裁判では100人以上の証人によって「死体からパテやシチューを作って客に提供していた、鍋から人の手が見えた、ベッドシーツや壁が赤く染っているのを見た、煙突からは不快な煙が頻繁に出ていた、パン用のオーブンで遺体を焼いた」などといった証言があったが、いずれも認められていない、また3人は処刑後にデスマスクが作成され現在もクロザティエ博物館に展示されている、 | [221] |
| アントワーヌ・ガレット&ルイ・ガルバリノ | 8人 | 1871年代 | プロヴァンスにて強盗殺人を繰り返したギャング団の一員、1872年10月1日に死刑執行。 | [222] |
| ルイーザ・デ・ジーザス | 28 - 34人[223] | 1760年代 - 1772年 | ポルトガルの歴史上初のシリアルキラー、コインブラにて28人から34人の捨て子を次々と絞殺、1772年7月1日に両腕を切り落とすなどの拷問を受けた後に死刑執行(23歳没)。 | [223] |
| ホセ・ドミンゲス・ボレゴ | 5人 | 1970年10月 - 11月 | リスボンにて同性愛者5人を絞殺し遺体をバラバラに解体し、ビニール袋を詰めて水辺に遺棄した、「羊の皮をかぶった狼」や「狼の手」などといった異名を持つ、逮捕後自殺した。 | [224] |
| フランシスコ・レイタオ | 4人 | 2010年代 | 連続強姦犯、未成年者500人に対する強姦542件と殺人4件の罪で逮捕、「キング・ゴブ」の異名を持つ。最高裁で25年の懲役が言い渡された。 | [225][226] |
| アデバヨ・オラミデ・アジーズ&モーゼス・アビデミ・アルワジ&マリア・アウラジ | 10人 | 2023年9月23日 - 2024年1月11日 | カルト信者、儀式目的でオグン州にて10人の女性をソーシャルメディアで誘い込み殺害。 | [227] |
| ハッサン・ジュマイ | 47 - 51人 | 1995年 - 2001年 | 未成年者、カルト信者、13歳で逮捕されるまでにブードゥー教の儀式に使用する目的で父親含め47人または51人を殺害し、臓器を販売した少女 | [228][229] |
| アバッサ・アディエミ | 5人 | 2023年以前 | 少なくとも11人を殺害し、15件の殺人を自白。 | [230] |
| ヘンリー・チブエゼ | 200 - 300人以上 | 1992年 - 2017年 | イモ州議会議員など含め200人以上を身代金誘拐、強盗目的で殺害したギャング団のリーダー、ヘンリーは2017年に銃撃戦で射殺された、またヘンリーは11歳で犯行を開始した。「ヴァンパイア」の異名を持つ。 | [231][232][233][234][235][236][237][238] |
| グレイシャス・デイビッド・ウェスト | 11 - 15人 | 2019年7月 - 9月20日 | エド州で5人を殺害し、病院の敷地内に埋没または遺棄した医師。 | [239] |
| フェイソラ・ドムス | 8人 | 2020年4月30日 - 8月1日 | 2020年4月30日に農場で働く民間警備員2人とトーゴ人の高齢者1人を殺害、5月1日には身元不明の少年を殺害、翌日に3人を斧で殺害、8月1日には斧で2人を殺害した。警察を割れた瓶の鉈で襲撃した際に射殺された。 | [240] |
| フランク・イクエボル | 38人 | 2019年4月23日逮捕 | カルト信者、ライバルのカルト教団のメンバーを殺害しようとしたところを逮捕された、38人を殺害した疑いが持たれている。 | [241] |
| 小平義雄 | 7 - 11人以上 | 1945年 - 1946年 | 連続強姦犯、快楽殺人犯、小平事件の犯人、食糧難の時期に、若い女性を対象に言葉巧みに声を掛け、山林に誘い出したうえで強姦して絞殺、死刑判決が言い渡され、1949年10月5日に宮城刑務所で死刑執行(44歳没)。 | [242] |
| MH | 3人 | 2005年2月19日 - 2005年6月10日 | 快楽殺人犯、自殺サイト殺人事件の犯人、自殺願望がある人々をターゲットとし、「絞首と覚醒を繰り返す」という拷問を繰り返し殺害、またMはスクールソックスなどの白い靴下に興奮する性癖を持っていた為、被害者はMと会う時に「白い靴下を履いてきてね」とお願いされていた。死刑判決が言い渡され、2009年7月28日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没)。 | [243] |
| 平井権八 | 130 - 185人以上[244] | 1672年 - 1678年? | 連続強盗殺人犯、徳川幕府のシリアルキラー、初犯は未成年者、侍であった平井は18歳(1672年の秋)の頃に父「正衛右門」の同僚である本庄助太夫(須藤助太夫)を日本刀で斬殺し江戸(現在の東京)へ逃亡した、逃亡先では花魁の小紫と恋人関係となったが、小紫に会うためには莫大な金が必要であったため、小紫と会う金を稼ぐために強盗殺人を繰り返し確定でも130人を殺害し推定でも185人を殺害[244]、後に僧侶に扮して故郷の鳥取藩に帰るが両親が死亡していたため自首し逮捕された。強盗殺人などの罪で斬首刑の判決が言い渡され、1679年12月5日に品川・鈴ヶ森刑場で磔刑が執行された(23 - 24歳没?)。知られている限りでは日本の歴史初のシリアルキラーと考えられる。また小紫は、権八の処刑後に権八の墓の前で自殺した、また「白井権八」の名でも知られている。 | [245][244] |
| 吹上佐太郎 | 7 - 13人[246] | 1906年 - 1924年 | 小児性愛者、連続強姦犯、吹上佐太郎事件の犯人で、幼女をターゲットとし91人以上の幼女を強姦し、そのうち7人以上を殺害、強姦したが殺害までには至らなかった被害者を"生き別れ"と称し、殺害した被害者を"死に別れ"と称した。 | [247][246] |
| 木嶋佳苗 | 3人 - 6人 | 2007年 - 2009年 | 首都圏連続不審死事件の犯人、婚活を利用し、付き合った男性を次々に毒殺したため、"婚活連続殺人事件"などと言った事件名でも呼ばれる。死刑判決が言い渡され、現在も収監中である。 | [248] |
| 宮﨑勤 | 4人 | 2007年 - 2009年 | 小児性愛者、人食い人種(カニバリスト)、快楽殺人犯、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定117号事件)の犯人、連続的に4人の幼女を誘拐し殺害、また被害者の人肉を食べるなどの行為(カニバリズム)を行っていた事も自白し、過去にも祖母の遺骨を食べていた事も判明した。死刑判決が言い渡され、2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行。 | [249] |
| オウム真理教[注 18] | 29人 - 79人以上 | 1988年9月22日 - 1995年5月16日 | ミッション系シリアルキラー、テロリスト集団、カルト信者、麻原彰晃こと松本智津夫によって設立された宗教団体、毒物を使った地下鉄サリン事件や松本サリン事件などといったテロ行為や、教団と対立する宗教団体の創設者の暗殺未遂などを繰り返したカルト教団である。また元信者や教団に不満を持った人物などを拷問にかけて殺害したりした、麻原は殺人をポアと称し、多くの人々の命を奪った。13人に死刑判決が言い渡され、それぞれ2018年7月6日または7月26日に死刑執行。また死刑執行後に報道されたオウム真理教女性信者殺害事件は時効を迎えており未解決となっている、また執行時点で教団内で50人を超える行方不明者が出ている。 | |
| 坂口弘 | 16人 | 1971年 - 1972年 | 連合赤軍のナンバー3、あさま山荘事件、山岳ベース事件などに関与し16人を殺害した。死刑判決が言い渡され、現在も収監中である。 | |
| 永田洋子 | 12人 | 1971年 - 1972年 | 印旛沼事件、山岳ベース事件に関与、死刑判決が言い渡されたが2011年2月5日に獄死した(65歳没)。 | |
| 南館正夫 | 7人 | 1915年3月30日 - 1920年6月29日 | 小児性愛者、未成年者、連続強姦犯、東京・柳島自転車商一家殺人事件の犯人、1915年3月30日に柳島の自転車商一家4人を薪割りで虐殺し、翌月4月には栃木県で15歳の少女を強姦して刺殺し、1916年7月には東京都で15歳の少女を強姦して絞殺し、1920年6月29日には王子町で17、8歳の少女を強姦し絞殺した後に口に砂を詰めて、荒川に投げ込んだ、死刑判決が言い渡され、1922年に死刑執行?(22歳没)。 | [250][251][252] |
| 馬場勝太郎 | 6人 | 1905年 - 1907年 | 人食い人種(カニバリスト)、肝取り勝太郎事件の犯人、水車小屋を営んでいた馬場は、肝臓を売る為に女性を対象に鎌で殺害し[253][注 19]、肝を抽出した、また食べる目的で心臓も抽出している、当時は「ゾンビが現れた!」と大騒ぎとなり話題となった。「肝取り勝太郎」の異名を持つ。死刑判決が言い渡され、1908年6月18日に死刑執行。 | [253][254] |
| HS&HK | 4人 | 2018年1月 - 2023年3月 | 不凍液連続殺人事件の犯人、不凍液を用いて親族4人を次々と毒殺。 | [255] |
| 野口男三郎 | 1 - 3人 | 1902年 - 1905年 | 人食い人種(カニバリスト)?、確認された被害者は薬局主人1人であるが、少年を殺害し臀部と眼球を煮込んでスープにして食べた疑いと、兄の野口寧斎を殺害した疑いがある。「臀肉男三郎」の異名を持つ。死刑判決 | [256][257] |
| KK | 3人 | 1952年10月2日 - 1960年12月31日 | ホテル日本閣殺人事件の犯人、ホテル経営者夫妻を相次いで殺害、1952年10月2日には警官の青年Nと自分の夫を毒殺していたことが判明。いずれも死刑判決が言い渡され、1970年6月11日に東京拘置所で死刑執行(KK:61歳没・OK:41歳没)。KKは戦後初の女性死刑囚の執行であった。 | |
| 高橋貞三郎 | 4人 | 1936年代 | 毒入りカステラ殺人事件の犯人、耳鼻咽喉科医院長である高橋は、保険金目的の殺人や対立する病院に対する妨害行為などを目的とし、チフス菌入りのカステラを用いて差し入れやお見舞いと称して連続的に17人にチフス菌入りのカステラを食べさせ13人を感染させ4人を感染症により死亡させた、1938年7月4日に浦和地裁で死刑判決を言い渡され、控訴審でも死刑判決を言い渡されたが、1940年2月の勅令第45号(減刑令)で無期懲役に減刑された[258]。 | [259][260][261][258] |
| 大久保清 | 8人 | 1971年3月31日 - 5月10日 | 連続強姦犯、2ヶ月間の間にベレー帽を被ってルバシカ姿で画家を装って自家用車で若い女性をターゲットとし、ナンパし、誘って強姦殺人を繰り返した、手口が小平事件に似ていたため、「群馬の小平義雄」の異名を持つ。死刑判決が言い渡され、1976年1月22日に東京拘置所で死刑執行。 | [262] |
| 五味鐵雄&田中藤太 | 6人 | 1925年9月6日 - 1928年8月19日 | 大岡山・千住連続殺人事件の犯人、1925年9月6日に1家3人を惨殺し、1928年8月19日にも一家3人を惨殺、五味と田中による大岡山事件の犯人と疑われ逮捕されたが、五味らの事件とは全く関与していなかった冤罪のTは獄死したが、五味らの連続殺人事件に全く関与してないはずなのにあっさりと犯人であると嘘の自白をしたため、後に未解決事件である桐ケ谷洋品店一家6人殺害事件の犯人ではないかと考えられた。死刑判決が言い渡され、いずれも1933年3月7日に死刑執行 | [263] |
| 川俣初太郎 | 26 - 28人以上 | 1928年 - 1933年 | ベビーファーマー、目黒貰い子殺人事件の犯人、1928年に貰い子1人を殺害した罪で懲役4年の判決が言い渡されたが、恩赦により3年で出所し、出所後療育費欲しさに貰い子を引き受け少なくとも25人の乳児を殺害し、現在の西郷山公園などに埋め遺棄した。死刑判決が言い渡され、1934年9月23日に死刑執行。 | [264][265] |
| KY | 5人 | 1985年5月下旬 - 1994年3月下旬 | 大阪連続バラバラ殺人事件の犯人、4人の女性と1人の少女を絞殺した後に、証拠隠滅のためにバラバラに解体し、人気のないあぜ道に遺棄した。事件発覚から3ヶ月後に「怪人22面相」を名乗り警察に挑戦状を出している、「大阪の切り裂きジャック」の異名を持つ。死刑判決が言い渡され、2016年3月25日に福岡拘置所で死刑執行(75歳没)。 | |
| 勝田清孝 | 8 - 22人以上 | 1972年 - 1983年 | 勝田は京都府京都市東山区山科御陵別所町102(現・京都市山科区御陵別所町102)のアパートに侵入し被害者である住人のクラブホステス女性(事件当時24歳)に気付かれ「泥棒!警察に通報する!」と騒がれたことに逆上し強姦した上で絞殺・現金1000円を奪った、1975年7月6日午前1時過ぎには大阪で2件目の強盗殺人を犯し・現金約10万円を奪った、1976年3月5日午前2時35分過ぎには名古屋で3件目の強盗殺人を犯し・現金訳12万円を奪った、次々と強盗殺人を繰り返し1977年8月20日に勝田が出演した『夫婦でドンピシャ!』が放送され、その時点で5人の命を奪っていた、1977年12月13日午後5時には兵庫県で猟銃を用い、6件目の強盗殺人を犯した、さらに次々と強盗や殺人を繰り返し続け1982年10月27日午後9時30分ごろには、千種警察署へ「木下」と偽名を名乗って「田代北派出所をお願いします」と嘘の通報をし、駆け付けた警察官を車で轢き、さらに所持していた鉄棒で頭部を殴るなど暴行を加えて重症を負わせた、その上で巡査から実弾5発入りの回転式拳銃「ニューナンブ38口径」を強奪し逃走、拳銃を強奪した勝田はさらに強盗殺傷事件を繰り返し、1983年1月31日に名古屋で113号事件の犯人を名乗り、男性を脅し、強盗を試みるも抵抗され、駆けつけた銀行員らに取り押さえされ逮捕、死刑判決が言い渡され、2000年11月30日に名古屋拘置所で死刑執行(52歳没)。この死刑執行は20世紀最後の死刑執行となった。 | |
| TM | 3 - 5人 | 1967年以前 - 1968年 | 快楽殺人犯、東京切り裂きジャック事件の犯人、東京の浅草などで、飲食店従業員の女性と、おでん屋の女性を刺殺、遺体は非常に酷く損傷されており、内蔵がえぐり出され、切り裂かれていたため「東京の切り裂きジャック」と呼ばれた。少年期に殺人を犯した前科あり、逮捕後には未成年時に2人の幼女を絞殺した事を自供した。死刑判決が言い渡され、1972年8月に死刑執行(32歳没)。 | [266] |
| 石川ミユキ&石川猛 | 5 - 169人以上?[注 20] | 1946年4月 - 1948年1月15日 | ベビーファーマー、死の天使(ヘルスケア・シリアルキラー)、産婦人科を営んでいた石川夫婦は私生児を療育費欲しさで受け取り、受け取った私生児をネグレクトによって餓死または凍死させた、嬰児の遺体は1人につき500円で葬儀屋の長崎が火葬場で処理していた。後に事件が発覚し逮捕され石川夫婦に懲役刑、長崎は証拠不十分で釈放された。 | [267] |
| 栗田源蔵 | 8人 | 1948年 - 1952年1月13日 | 快楽殺人犯、闇ブローカーとして生計を立てていた栗田は、三角関係のもつれから1948年に静岡県で交際女性2人を刺殺、1951年8月9日には栃木県で子供を寝かしつけようとしていた主婦を強姦しながら絞殺した上に、殺害した後に屍姦した。10月10日には上総興津駅で行方不明となった夫を探すために偶然通りかかった、母子4人を言葉巧みに誘い出し誘い出し、日付が変わった翌日の深夜に長男と長女を断崖絶壁の「おせんころがし」にて投げ落とした挙句、主婦を強姦して背中に背負っていた次女ごと崖に投げ落とした。被害者達は崖に捕まって留まっていたが、それに気づいた栗田は崖におり、石で殴打し殺害した、長女だけは隠れていたため奇跡的に生き残る事が出来た。1952年1月13日、には千葉県千葉郡検見川町(現:千葉市花見川区)で主婦と叔母が殺され、主婦は屍姦された。この事件の捜査の際に指紋が検出され、栗田は逮捕された。一連の連続殺人事件と検見川事件で死刑判決が言い渡され、1959年10月14日に死刑執行(32歳没)。現時点の日本で唯一、二回死刑判決を受けた死刑囚であった。 | |
| 小田島鐵男&MK | 4人 | 2002年8月5日 - 9月 | 連続強盗殺人犯、資産家をターゲットとし連続強盗殺人を繰り返した。2002年8月5日午後3時頃にマブチモーター社長宅殺人放火事件を起こし、現金や宝石を奪い放火し逃走、2002年9月頃に東京都目黒区歯科医師強盗殺人事件を起こし現金35万円相当とカレッジリングを奪い逃走、2002年11月21日午後6時10分頃に我孫子市金券ショップ経営者妻殺害事件を起こし被害者から現金百数万円や、財布1個(時価約2000円相当)などを強奪し殺害、2006年12月19日にMKに死刑判決、2007年3月22日に小田島に死刑判決が言い渡されたがいずれも病死している[268][269]。 | [268][269] |
| SS | 3人 | 1960年11月6日 - 1960年12月 | 女性連続毒殺魔事件の犯人、借金が16万円ほどあったSSは金銭目的で連続的に3人もの人を毒殺、1960年11月6日にSSの家に姑が訪ねて来た。SSは姑の好物の乳酸菌飲料に農薬を混入して飲ませて殺害したが現金は持っていなかったため金策には失敗、次に隣家の主婦を殺害して現金を奪う計画を立て、12月14日に隣家を訪れ、農薬を塗った馬肉を食べさせて殺害したがこの時も被害者は現金を持っていなかったため金策には失敗、12月17日昼頃に顔なじみの依頼行商人に農薬入りの鯛味噌を食べさせ13500円を奪う、農薬の量が少なかったため、被害者は死に至らず植物状態になった。12月28日に17日とは別の行商人に農薬入り納豆を食べさせて殺害し15円を奪う。翌日に家宅捜査の結果、SS宅の台所にあった納豆や鯛味噌から高濃度の農薬が検出されたことから一連の連続殺人事件の犯人であることが判明、死刑判決が言い渡され、1970年9月19日に死刑執行。 | |
| 坂本慶次郎 | 9人以上 | 1898年11月15 - 1899年1月23日? | 稲妻強盗事件の犯人、連続強姦犯、俊足であり、1日に188キロメートルも逃げ延び、その犯行の行動範囲の広さから「稲妻小僧」や「稲妻強盗」という異名を持つ。ピストルや日本刀を用いて強盗に押し入り、抵抗すれば容赦なく被害者を殺害した、9件の強盗殺人と17件の強盗致傷と121件もの窃盗の疑いで逮捕された。死刑判決が言い渡され、1900年2月17日に死刑執行(34歳没?)。 | [270] |
| 原田千里 | 3人 | 1946年 - 1947年 | 毒殺強盗団事件の犯人、麦茶に青酸カリを仕込んで飲ませたり、喉に青酸カリを押し込むなどの方法で3人を毒殺し世間を震撼させた、いずれも死刑判決が言い渡され、いずれも1952年8月11日に死刑執行。 | [271] |
| ST | 9人 | 2017年8月 - 10月 | 快楽殺人犯、座間9人殺害事件の犯人、自殺願望がある若い人々をツイッター(現・X)で誘い出し、計9人もの男女を殺害、殺害した遺体はインターネット掲示板・2ちゃんねるで50キロの巨大な肉と称し、処理方法を質問し帰ってきた回答を参考にしバラバラに解体した後にクーラーボックスに隠した。死刑判決が言い渡され、2025年6月27日に死刑執行(34歳没)[272]。 | [272] |
| 大米龍雲 | 少なくとも5人 | 1905年 - 1915年 | 連続強姦犯、大米龍雲連続殺人事件の犯人、元僧侶で尼僧をターゲットとし、連続的に強姦し殺害、確認された犠牲者数は5人だが自供では「何十人も殺した」と話した。また尼僧をターゲットとしていたため、「殺尼魔」の異名を持つ。死刑判決が言い渡され、1916年6月26日に死刑執行。 | [273] |
| MF&OJ | 7 - 9人 | 1996年 - 2002年 | 北九州監禁殺人事件の犯人、共犯であるOJやその家族らを拷問や虐待によってマインドコントロール下に置き、被害者同士をぶつける事により次々と殺害、主犯のMFには死刑判決が言い渡され、現在も収監中である。共犯のOJには無期懲役判決が言い渡された。 | |
| KA | 3 - 48人? | 2016年に発覚 | 死の天使(ヘルスケア・シリアルキラー)、大口病院連続点滴中毒死事件の犯人、入院患者の点滴液にヂアミトールを混入し殺害、また3ヶ月の間に48人もの患者が死亡しているが、既に火葬済みであったため、その他の殺人は認められず、3件の殺人で無期懲役判決が言い渡された。 | |
| UY | 5人 | 1992年 - 1994年 | 大阪愛犬家連続殺人事件の犯人、1992年4月ごろ、旧友の男性と散歩中に偶然再会、しかしそのうち口論などのトラブルにより筋弛緩剤を注射して最初の殺人を犯す。 他にも1992年から1993年にかけて出資上のトラブルから計4人の男女を筋弛緩剤で相次いで殺害、遺体は訓練所の敷地内に埋めて遺棄した。死刑判決が言い渡され、現在も収監中である。 | |
| 小口静 | 3 - 5人 | 1946年 - 1947年 | 第二小平事件の犯人、小平義雄と同様に、若い女性をターゲットとし、言葉巧みに山林へ誘い出し絞殺、また小平義雄の犯行動機が強姦(快楽)目的であったのに対し、Kの動機はあくまでも強盗であった。「第二の小平」の異名を持つ、死刑執行。 | [274] |
| SM | 3 - 18人以上 | 1952年9月10日 - 1962年3月26日 | 連続強姦犯、快楽殺人犯、九州北部で次々と若い女性を殺害し、若い女性をターゲットとする事から「九州の小平」の異名を持つ。また獄中では免田栄に「18人は殺した」と話しており[275]、そのうち調査された事件は8件のみで、5件は捜査が難航し放棄された[275]。死刑判決が言い渡され、1970年6月20日に死刑執行(45歳没)。 | [275][276] |
| 古谷惣吉 | 10人以上 | 1951年5月15日 - 1960年代 | 古谷惣吉連続殺人事件や福岡連続強盗殺人事件の犯人、1951年5月15日 - 6月3日には、少年と共謀し、2人の中年男性を殺害し金品を奪った、事件後二人は逃走し、少年が逮捕されるが、警察は少年を主犯と考え少年には死刑判決が言い渡された。少年の死刑執行後に古谷は逮捕され、少年の刑が執行されていた事を知り、少年に罪を押し付けたことで福岡連続強盗殺人事件では懲役3年の刑に処された、出所後に古谷惣吉連続殺人事件を起こし8人の中高年の男性を殺害、死刑判決が言い渡され、死刑執行。 | |
| HK | 3人 | 1950年2月28日 - 5月1日 | 巡査から奪った拳銃で、次々と3人の警察を殺害、盗まれた警官用拳銃が犯罪に使われた事例では戦後初である。 | [277] |
| 安尾鎌太郎 | 8人 | 1909年1月22日 - 1912年11月14日 | 二本榎連続一家殺人事件の犯人、1909年1月22日に二本榎で1家5人を撲殺、1912年11月14日に同じく二本榎で1家3人を撲殺。死刑判決が言い渡され、1915年6月15日に東京監獄で死刑執行。 | [278][279] |
| KC | 3 - 10人以上 | 2007年12月18日 - 2013年12月28日 | 関西青酸連続死事件の犯人、5年間にわたり京都、大阪、兵庫で夫や内縁関係にあった4人の高齢男性に青酸化合物を飲ませ3人を殺害、またKの周りでは1994年以降から男性10人が死亡している。死刑判決が言い渡されたが、2024年12月26日に獄死した。 | [280] |
| 中内丑太郎 | 7 - 9人 | 1884年 - 1921年3月 | ベビーファーマー、赤バッチ事件の犯人、高知県で療育費目当てで私生児を受け取っては殺害、この貰い子殺しによって5人の嬰児が死亡した、また1884年以来から傷害致死などの罪を犯した前科がある。 | [281][282] |
| HH | 4人 | 1996年4月18日 - 9月14日 | 広島タクシー運転手連続殺人事件の犯人、快楽殺人犯、1996年4月から9月にかけて4人の女性を殺害し、強盗を行った。死刑判決が言い渡され、2006年12月25日に死刑執行。 | |
| 西口彰 | 5人 | 1963年10月18日 - 12月29日 | 1963年10月に2人を殺害し、1964年1月3日に逮捕されるまで逃亡を続け、大学教授や弁護士を装って計5人を殺害。死刑判決が言い渡され、1970年12月11日に死刑執行。 | |
| 中村誠策 | 9人 | 1941年8月18日 - 1942年8月30日 | 未成年者、浜松事件の犯人、聾啞者であった中村は自身の家族など9人を殺害。死刑判決が言い渡され、1944年7月24日に死刑執行(20歳没)。 | |
| UM | 2 - 6人 | 2004年 - 2009年 | 鳥取連続不審死事件の犯人、5年にわたり6人の男性がUの周りで不審な死を遂げた、そのうち男性に対する2件の強盗殺人が認められ死刑判決が言い渡されたが、2023年1月15日に食べ物を喉に詰まらせ死亡した。 | |
| 柴田與三郎 | 15人以上 | 1913年 - 1917年 | ベビーファーマー、福岡貰い子殺人事件の犯人、14回に渡り療育費を騙し取り、預かった私生児を次々と殺害、死刑判決。 | [283] |
| MA&MK&SE | 3人 | 1994年 - 1996年 | 殺し屋?、MAとMKは双子である、マニラ連続保険金殺人事件の犯人、199412月3人はとある男性の殺害を依頼されフィリピン・マニラで殺人を実行し報酬として1350万円を受け取り、これに味をしめた3人は1995月6月、保険金目的で別の男性をマニラで殺害、さらに1995年6月22日には日本・長野県でも会社員を殺害して金銭を強奪した。いずれも死刑判決が言い渡された。MAは肺炎のため八王子医療刑務所で死去(61歳没)[284]。MKは老衰による低ナトリウム血症により死去[285]。SEは現在も収監中。 | [284][285] |
| KH | 4人 | 2024年 - 2025年 | 福島・山形連続自殺幇助事件の犯人、自殺願望者複数人とSNSで関係を持ちそのうち4人を死亡させた、わいせつ行為やキャッシュカードを使った金銭の強奪も行った、「死への案内人」の異名を持つ。懲役5年の判決が言い渡された。 | [286][287][288][289][290][291][292][293][294] |
| 大松五郎 | 50人以上? | 1791年以前 | 連続強姦犯、連続強盗殺人犯、快楽殺人犯、葵小僧として知られる盗賊、18世紀後半に殺人や強姦を好んで行い50件を超える犯行に及んだ。逮捕から10日後に斬首刑に処された。 | [295] |
| 阿佐吉廣 | 3人 | 1997年3月 - 2000年5月14日 | 山梨キャンプ場殺人事件の犯人、1997年3月に雇っていた男性を説教したが、反抗的な態度をとったため、木刀で殴打し、数日後に死亡させた、2000年5月14日には当て逃げ事故を起こした3人を暴行し、そのうち2人を絞殺した。死刑判決が言い渡されたが2020年2月11日に獄死した。 | [296] |
| 入江三郎 | 4人 | 1916年4月26日 - 11月9日 | 精神病質者、入江事件の犯人、1916年4月26日に2人を殺傷し、1人を死亡させた罪で私宅監置室にて厳重監禁されていたが脱走し、その後に3人の女性を殺害した。 | [297][298] |
| 真刀徳次郎 | 不明 | 1789年以前 | 連続強盗殺人犯、陸奥、常陸、上総、下総、下野、武州など数百ヶ所で数百件におよぶ強盗を犯し、百姓や農民を対象に強盗殺傷(死者数・負傷者数不明)を繰り返した強盗団のリーダー、斬首刑に処された。 | [295][299] |
| 塚本隆一 | 3人 | 1966年 - 1967年 | 混血少年連続殺人事件の犯人、未成年者、本名ST、塚本隆一という偽名を用いて1966年12月から1967年1月にかけて若い女性を殺害。 | [300] |
| SG&風間博子 | 4 - 7人以上 | 1993年4月 - 8月 | 外国犬の取引でトラブルとなった男性3人を硝酸ストリキニーネで毒殺、また他にも1人の女性を殺害した。 | |
| 斎藤広右衛門 | 7人 | 1806年1月21日 - 3月6日 | 徳川幕府のシリアルキラー、快楽殺人犯、人を槍で突いてみたいという好奇心を動機に1月21日から3月6日にかけて槍で14人の乞食や盲人などを刺し、そのうち7人を死亡させた、4月18日に店から頭巾2着を盗んだ罪で逮捕され、24日に江戸市中引廻しの上、鈴ヶ森刑場にて獄門に処された。 | [301] |
| 尼崎事件[注 21] | 8 - 11人以上 | 1987年 - 2011年 | 少なくとも8人を集団拷問によって殺害した擬似家族、他にも3人が行方不明となっている。 | [302] |
| 大場啓仁 | 4人 | 1973年7月20日 - 9月6日 | 大学教授であった大場は7月20日に不倫関係にあった教え子を絞殺、9月6日には家族3人とともに心中した。 | |
| 中川吉之助 | 4 - 6人以上 | 1885年 - 1886年 | ベビーファーマー、様々な方法で少なくとも4人の乳児を殺害した裁縫職人、4件の殺人で死刑判決を受けたが、他にも乳児を殺害した疑いがある、また逮捕当時は1886年に発生した強盗殺人の容疑もかけられていた、1888年3月29日に死刑執行。 | [303][304][305] |
| 高橋大次郎 | 4 - 7人 | 1919年5月21日 - 8月8日 | 連続強姦犯、神奈川県、福島県、東京都、群馬県の4県で少なくとも4人を強姦して絞殺、逮捕後他にも3人を殺害したことをほのめかすような発言をしているため、他にも3件の殺人を犯したのではないかと言われている。死刑判決が言い渡され、1921年6月20日に死刑執行。 | [306][307] |
| MI | 9 - 21人 | 1948年1月26日 -1954年10月10日 | 徳宿村一家9人毒殺放火事件の犯人、帝銀事件の真犯人容疑者、逮捕後に服毒自殺。 | |
| 藤原保輔 | 不明 | 985年 - 988年 | 連続強盗殺人犯、平安京で強盗や殺人を繰り返した貴族、自分の所有する屋敷の蔵に穴を掘り、商人を誘い込んで殺害し、その穴に遺棄していたとされている、検非違使に包囲された直後に切腹し、内臓を引きずり出して検非違使達に投げつけ自殺を測ったが即死せず逮捕された、翌日に傷が原因で死亡した。 | [308] |
| OC | 5人 | 1998年 - 2003年 | 連続放火犯、小児性愛者、連続強姦犯、1998年から2003年にかけて大阪府、京都府、兵庫県、岡山県、東京都の5都道府県で7歳から13歳の少女に対して強姦致傷・未遂の計15件と放火13件を犯した、一連の放火事件で5人が死亡し財産的被害は3億円近くに上った、自供では放火200件と強姦40件を自白し「空前絶後の放火・強姦魔」と呼ばれた。無期懲役の判決が言い渡された。 | [309][310] |
| NC&NS | 3 - 6人 | 2004年 - 2006年 | 筑後リサイクル店事件の犯人、自身が経営するリサイクルショップで少なくとも3人を暴行して殺害した、「第2の尼崎事件」とも呼ばれた、NCに懲役30年、NSに懲役28年の判決が言い渡された。 | [311][312][313][314] |
| AS | 0 - 40人以上 | 2000年 - 2001年、2022年 | 死の天使(ヘルスケア・シリアルキラー)朝倉病院事件の犯人、診療報酬や不正請求を目的に不適切な医療行為によって40人以上を死亡させた、刑事責任を問われることはなかったが保険医登録と保険医療機関の登録が取り消された、2023年にも病院内での暴行容疑で逮捕されており、2022年に病院内で患者が不審な死を遂げている。 | [315][316][317][318][319] |
| 佐久間虎三郎 | 6人以上 | 1862年代 | 連続強盗殺人犯、幕末に遊興費を稼ぐために江戸(現在の東京都)の飯倉、広尾、三河台、赤坂、麻布、芝区の六ヶ所で辻斬り強盗を働いた藩士、佐久間は剣術の達人であったため被害者は袈裟斬りにされ、遺体の損傷は激しい状態であった、切腹を命じられた。 | [320][321][322] |
| 加藤信嘉 | 1 - 4人 | 1959年以前 | 人食い人種(カニバリスト)、サディスト、死体愛好者、岡崎市バラバラ殺人事件の犯人、1959年9月2日に17歳の少女を強姦して絞殺、その後数日間に渡って自宅でドライアイス詰めにして保管し屍姦に及び乳房を食べた、他にもこの事件以前から加藤の周りでは3人の妻が失踪しているため加藤が殺害したと疑惑が上がったが立件されず、1959年の殺人のみで無期懲役判決が言い渡された。「日本のアルバート・フィッシュ」の異名を持つ。 | [323][324] |
| AH | 0 - 7人以上 | 1967年3月9日 - 1971年10月4日 | 第二の大久保清事件の犯人、逮捕後に巡査と女性6人を殺害したと自供した事で「第二の大久保清」と恐れられた、殺人事件はいずれも立件されることはなかった。 | [325][326][327] |
| TK | 5人 | 1998年2月11日- 2003年12月18日 | 連続放火犯、館山市一家4人放火殺人事件の犯人、1998年2月11日にキャバレーに放火し全焼させ、1人の男性を焼死させた、2003年12月18日には民家にに放火し全焼させ、1家4人を焼死させた、死刑判決が言い渡され現在も収監中。 | [328] |
| YL | 2 - 3人 | 2001年10月 - 2002年2月 | 中国籍、西成替え玉連続殺人事件の犯人、遺産相続目的で夫と替え玉の男性の計3人を殺害した、殺人罪と傷害致死罪の計2件が適応され無期懲役の判決が言い渡された、1件の事件では立件されず無罪となった。 | [329][330][331] |
| 権善五 | 3人 | 1955年3月28日 - 8月29日 | 連続強盗殺人犯、韓国籍、権善五事件の犯人、巡査含め3人を殺害、死刑判決が言い渡されたが、判決が確定する前に獄死した。「六の日ギャング」の異名を持つ。 | [332][333][334] |
| 清水定吉 | 5 - 6人 | 1882年 - 1886年 | 連続強盗殺人犯、1882年から1886年にかけて80件以上の強盗事件を犯し、5人を射殺、1886年12月3日には巡査と格闘になり逮捕された、格闘になった巡査は翌年4月26日に格闘の際の傷が原因で死亡した、死刑判決が言い渡され、1887年9月7日に死刑執行、定吉は日本で初めて拳銃を使用した犯罪者であった。近代日本初のシリアルキラーとも考えられている。 | |
| AK | 3人 | 2010年10月2日 - 2011年11月24日 | 連続放火犯、山形・東京連続放火殺人事件、元交際相手2人を支配する目的でそれぞれ2人の家族3人の家2軒に放火し殺害、死刑判決が言い渡され、現在も収監中。 | [335][336] |
| KK | 3人 | 1946年3月15日 - 4月22日 | 快楽殺人犯、上大崎アベック連続殺人事件の犯人、スリルを求めてアベックに対する襲撃を繰り返し、3人の女性を刺殺、統合失調症により無罪となった。 | [337][338][339][340][341][342][343][344][345] |
| KS | 2 - 3人 | 2013年8月 - 2014年1月 | 連続強姦犯、新発田市女性連続殺人事件の犯人、少なくとも2人の女性を強姦して殺害、2013年9月21日に女性の焼死体が発見された事件にも関与が疑われたが立件されていない、無期懲役の判決が言い渡された。 | [346] |
| 石橋安老 | 6 - 11人 | 1937年11月中旬 - 1939年11月8日 | ベビーファーマー、神奈川貰い子殺人事件の犯人、6件の殺人と1件の殺人未遂によって懲役12年の判決が言い渡された、石橋自身は11件の殺人を自白している。 | [347][348][349][350][351] |
| 木幡たき | 23人 | 1870年代後半 | ベビーファーマー、大阪で23人の乳児を養育費目当てで受け取っては絞殺した、逮捕後自宅の床下から3人の乳児の遺体が発見された。 | [352] |
| YM | 0 - 26人 | 1992年2月 - 1997年2月 | 死の天使(ヘルスケア・シリアルキラー)、大和川病院事件の犯人、5年間の間に患者に対するリンチなどを繰り返し、26件の不審死事件を起こした、殺人罪で裁かれることはなく、診療報酬不正受給及び詐欺罪等で起訴され、1998年4月に懲役3年の判決が言い渡された。 | [353] |
| 谷口富士郎 | 2人以上 | 1928年6月27日 - 11月11日 | 1928年の6月27日に強盗目的で弟と共に老婆を絞殺し、同年11月11日に老婆殺害の共犯である弟を玄翁で撲殺した、各新聞社は様々な殺人事件を富士郎と結びつけ、警視庁も余罪がないかしつこく追求したが立件された事件は無い。1935年6月15日に無期懲役が言い渡された。 | [354][355][356] |
| クリストフ・ガウリク | 5人 | 2001年2月 - 3月 | 1ヶ月の間に5人を機関銃で射殺、「スコーピオ」の異名を持つ。終身刑が言い渡され、現在も収監中である。 | |
| タデウシュ・グジェシク | 8 - 20人以上 | 1991年 - 2007年 | イチゴ農家でありギャング団のリーダーであったタデウシュは少なくとも8人をポーランド各地で殺害した。「両替商殺人者ギャング」の異名を持つ。 | |
| ヴワディスワフ・マズルキェヴィチ | 6 - 30人 | 1943年 - 1955年 | 1943年12月に汚染された飲み物をギャンブラーに飲ませ殺害し1200ドルを強奪、その後も次々と殺人を繰り返し1955年に逮捕された、「紳士殺人犯」の異名を持つ、6件の殺人が認められたが30件の殺人を犯した可能性がある、1956年8月30日に死刑判決が言い渡され、1957年1月29日に死刑執行(45歳没)。 | |
| タデウシュ・エンスタイン | 7人 | 1933年2月 - 7月 | 連続強姦犯、7人の女性の頭を杭や石で殴打した後に強姦し殺害、その後に被害者の顔を切り裂いた、懲役15年の判決と公民権停止10年の判決が言い渡された。「ウォヴィチの吸血鬼」の異名を持つ。 | |
| ズジスワフ・マルヒヴィツキ | 14人 | 1964年 - 1970年 | 1970年まで19人の女性を尾行し鈍器で後頭部を殴打するなどといった手口で殺傷し、そのうち14人を殺害、「ザグウェンビエの吸血鬼」の異名を持つ。死刑執行が言い渡され、1977年4月26日に死刑執行(49歳) | |
| メルヒオール・ヘドロフ | 251人以上 | 1648年? - 1653年 | 人食い人種(カニバリスト)、ポーランド・リトアニア共和国のシリアルキラー、ライフルで多くの人々を射殺し、ヤタガンで追い剥ぎを行った上、遺体をバラバラに解体してその遺体を食べた、1653年に逮捕され251件の殺人を自白し、死刑判決が言い渡され、1654年に死刑執行。 | [357] |
| ビラル・ムサ&スーザン・イブラヒム | 12人 | 1994年 - 1998年 | 連続強盗殺人犯、殺人を始めた経緯は不明であるが、手口としては「不動産業者やセールスマンを装い民家を訪問し、住人が高齢者であると判断すると椅子で殴る、喉を刺すなどといった方法で殺害、殺害後に宝石や現金、カセットテープなどといった高額で取引される物を奪い犯行現場から逃走する」といった手口で12人を殺害した。またビラルとスーザンはヨルダン史上初のシリアルキラーであった。また一部冤罪視もされている。 | [358] |
| アンドレイ・チカチーロ | 43 - 57人 | 1978年12月22日 - 1990年11月20日 | 快楽殺人犯、旧ソ連史上最悪のシリアルキラー、大腸をえぐり出し、両眼をくり抜くなどといった非常に猟奇的で残虐な方法で多くの人々を殺害、死刑判決が言い渡され、1994年2月14日に銃殺刑が執行された。 | |
| ダリヤ・サルトゥイコヴァ | 38 - 100人 | 1755年 - 1762年 | 快楽殺人犯、サディスト、ロシア帝国のシリアルキラー、貴族であったダリアは、拷問によって100人以上の農奴を殺害し性的興奮を覚えていた、自分より美しい少女などを激しく嫌い、犠牲者の殆どは少女であった、逮捕された後に「人を拷問死させた女」と書かれた標識をぶら下げ、モスクワで1時間晒し台にかけられた後に女子修道院の地下に閉じ込められる終身刑に服した、またダリヤの罪を捌いた裁判官はダリヤが潔癖症であったことを知っていたため、ついでに死ぬまで入浴と洗体が出来ない判決も言い渡され、徐々に精神崩壊を起こし1801年12月27日に死亡した。 | |
| アレクサンドル・ピチュシキン | 49 - 60人以上 | 1992年7月27日 - 2006年6月14日 | 「チェスボード・キラー」として知られる連続殺人鬼、チェス盤の64マスと同じ数の人々を殺害することを目標とし、数十人の人々を殺害した。 | |
| アレクセ・ポポワ | 300人以上 | 1879年 - 1909年 | 殺し屋、ミッション系シリアルキラー、「マダム・ポポワ」として知られる家庭内暴力を行う男性専門の殺し屋で、男性による家庭内暴力を根絶するために「廃棄物処理」と称し安い値段で殺人の依頼を受け、30年間にわたり300人を超える男性を毒殺したとされる。手口としては被害者の男性と知り合いになり、食べ物や飲み物に毒を盛るといった手口で次々と毒殺していった。逮捕後「300人以上の女性を解放した」「不幸な妻たちを暴君から解放するという素晴らしい仕事をした」などと拘置所内で誇らしげに自慢した、死刑判決が言い渡され、1909年にサンクトペテルブルクで銃殺刑が執行された(享年不明)。 | [359] |
| タマラ・サムソノバ | 11人 | 不明 - 2015年7月 | 人食い人種(カニバリスト)、カルト信者、年金受給者11人を殺害し食人行為を行った、警察がサムソノバの家を捜査したところサムソノバの日記が見つかり、人肉食やオカルト信仰に着いての内容が記載されていた、裁判は傍聴人からの復讐による殺人を防ぐためにサムソノバの席は檻で囲われ、裁判中には報道陣に向かって投げキッスをしたり、身柄勾留の判決が言い渡されるとはしゃいで喜ぶなどといった奇行を行った。また女性によるカニバリズムは珍しいため大きな話題を呼び「切り裂き老婆」の異名で呼ばれた。 | |
| エゴール・バシュカトフ&ナタリア・バシュカトワ | 459人 | 1921年3月 - 1932年1月 | ウスチン・バシュカトフ・デミドフことエゴール・バシュカトフはソ連史上最悪のギャングとして知られるギャング団のリーダーであり、約11年間の間に大量の犠牲者を出した。1933年にエゴールの死刑が執行された(54歳没?)。 | [360] |
| ミハイル・ポプコフ | 83 - 200人以上 | 1992年 - 2010年 | 連続強姦犯。18年間の間にアンガルスクで少なくとも83人(現行国家のロシアにおける民間人の最多殺人記録)を強姦し殺害した、被害者は一人暮らしの女性がターゲットとなり警察の制服を着用した上での犯行であったためポプコフを不審に思う女性は多くなかった、警察当局は200人もの女性がポプコフによって殺害されたと推定している。終身刑が言い渡されたが近年発生した2022年ロシアのウクライナ侵攻へ参戦した後に出所することを希望した。 | [361] |
| アルチョム・アヌフリエフ&ニキータ・リトキン | 6人 | 2010年11月 - 2011年4月 | いずれも未成年者、アカデミーマニアックスの犯人、被害者の耳を切り落とすなどといった手口で拷問し殺害した。この事件で9人が負傷し6人が死亡した。 | [362] |
| ドミトリー・コピロフ | 5人 | 2004年6月22日 - 2005年8月15日 | 未成年者、1年間に渡って5人を強盗、強姦、拷問した少年、懲役10年の判決が言い渡され、2016年に釈放された。 | [363] |
| ウラジミール・クズミン | 7 - 11人 | 1997年6月 - 9月 | 強姦目的で少なくとも7人を殺害し人工貯水池に投げ込んだ、11件の殺人を自白したがそのうちの4人の遺体は発見されなかった。終身刑が言い渡された。 | [364] |
| アブドゥファット・ザマノフ | 14人 | 2002年6月 - 2004年11月 | タジキスタン国籍、連続強姦犯、個人的な恨みを動機として男性9人と女性5人を殺害した、犯行にはナイフ、家庭用品、石、火かき棒、衣類、串などが使用された、「クラスノヤルスク・チカチーロ」の異名を持つ。終身刑が言い渡された。 | [365] |
| アレクサンダー・タラン | 3人 | 2003年5月21日 - 2004年6月21日 | 娘と息子の死に復習する目的で3人を射殺した養蜂家。懲役刑23年の判決が言い渡された。 | [366] |
| アンドレイ・ノビコフ&スタニスラフ・ペステレフ | 5人 | 2003年4月 - 2006年4月 | 未成年者、ハンニバル・レクターにインスピレーションを受けて模倣する目的で強盗と強姦を繰り返し、少女4人と少年1人のを殺害した少年2人組、「トムスク・マニアックス」の異名を持つ。アンドレイに懲役刑18年、スタニスラフに懲役刑10年の判決が言い渡された。 | [367] |
| エフゲニー・チュプリンスキー | 19 - 29人 | 1998年 - 2005年6月 | 11人の身元不明の女性含め19人を殺害した、29件の殺人を自白したがそのうちの10件は立件されなかった。終身刑が言い渡された。 | [368] |
| ウラジーミル・ジューコフ | 3 - 4人 | 2002年 - 2006年 | 小児性愛者、21件の犯罪を犯し14人の子供を虐待し、そのうち少なくとも3人を殺害した、「ニジニ・ノヴゴロド・チカチーロ」や「ニュー・チカチーロ」の異名を持つ。終身刑が言い渡された。 | [369] |
| クリーナーズ[注 22] | 14人以上 | 2014年 - 2015年 | ギャング団、快楽殺人犯、思想犯、ホームレスやアルコール中毒者などをゴミと称して殺害、自らをクリーナーズ(清掃員)と自称した、遺体は数十箇所刺されていた。リーダーのパベルに終身刑、その他4人に懲役刑が言い渡された。 | [370][371] |
| アレクセイ・ファルキン | 3人 | 2005年 - 2017年 | 連続強姦犯、3人の女性を殺害、「ウラル・チカチーロ」や「非常事態省マニアック」の異名を持つ。終身刑が言い渡された。 | [372] |
| ゲルマン・クリスタン | 6人 | 2002年 - 2017年 | 連続放火犯、殺人罪で服役後に4人を焼殺した。終身刑が言い渡された。 | [373] |
| ヴァシリ・コマロフ&ソフィア・コマロフ | 33人 | 1922年 - 1923年 | 乳児含め33人を殺害した、1923年6月18日に銃殺刑執行。ヴァシリは「モスクワの狼」と呼ばれた。 | [374] |
| ヴァシリー・クリク | 13人 | 1984年 - 1986年 | 30件近くの強姦を犯し、13人を殺害した小児性愛者、1989年6月26日に銃殺刑執行(33歳没)。「イルクーツクの怪物」、「マーダー・ドクター」、「ザ・マーダラー」などの異名を持つ。 | |
| ドミトリー・グリディン | 3人 | 1989年7月 - 11月 | 3人を殺害した、死刑判決が言い渡されたが、終身刑に減刑された。 | |
| ギャング・オブ・アマゾンズ[注 23] | 10 - 31人以上 | 2007年 - 2013年 | ギャング団、2013年に逮捕されるまでに複数の犯罪を犯したギャング団、リーダーの1人であるロマンは逮捕前に射殺された。リーダーのイネッサ含める4人に10件の殺人罪により懲役刑が言い渡された。 | [375][376] |
| ウラジーミル・フジャコフ | 3 - 11人 | 1989年代 | 小児性愛者、髪にリボンを身についている少女3人を絞殺し、車の中に被害者のリボンを保管した、死刑判決が言い渡されたが終身刑に減刑された。「ペルミ・チカチーロ」の異名を持つ。 | [377] |
| ゲンナジー・フェドロフスキー | 4人 | 1977年 - 1982年 | 女性嫌悪者、5年間で4人の女性を殺害したタクシー運転手、「チェス・プレイヤー」の異名を持つ、裁判前に不審な死を遂げた。 | [378] |
| ウラジミール・スリマ | 3人 | 1968年4月 - 6月 | 3人をハンマーで撲殺した、3件の殺人、20件の暴行および強姦の罪で死刑判決が言い渡され数週間後に銃殺刑に処された。「ハンマー・マニアック」の異名を持つ。 | [379] |
| ウラジーミル・ヴィンニチェフスキー | 8人 | 1938年 - 1939年 | 未成年者、1年間にわたって2歳から4歳の子供に対する18件の暴行を犯し、そのうち8人を殺害した。死刑判決が言い渡され、1940年11月11日に銃殺刑執行(17歳没)。 | |
| リノ=スカチェフスキー・ギャング[注 24] | 19 - 37人 | 2006年10月 - 2007年4月 | 未成年者、ギャング団、快楽殺人犯、思想犯、2006年から2007年にかけて数十件の観光客に対する襲撃事件を引き起こした人種差別主義者の7人組のギャング団、主犯の2人は37件の殺人を自白した。リーダー2人を含め5人が有罪となり、2人は無罪となった、リーダーの2人に懲役10年が言い渡された。 | [380][381][382][383][384] |
未解決事件のシリアルキラーの一覧
| 名前 | 犠牲者数 | 犯行期間 | 事件概要 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| アルファベット殺人事件 | 3人 | 1971年11月16日 - 1973年11月26日 | 10歳から11歳の少女3人が連続的に殺害された事件、被害者の姓はいずれも同じ頭文字で始まり、被害者の遺体が遺棄されていた場所はその被害者の名前と同じ文字で始まる名前の場所であった。 | [385] |
| 召使い少女殲滅者 | 8人 | 1884年12月30日 - 1885年12月24日 | テキサス州オースティン市で犯行に及んだ正体不明の連続殺人鬼、凶器は斧やナイフ、鉄製の道具などを用い被害者は皆後頭部を刺されていた、また少女を強姦していたことで警察官に射殺されたコック・ネイサン・エルギンと言う黒人の青年が犯人ではないかと言われている。 | [386] |
| シカゴの絞殺魔 | 51 - 76人 | 2001年〜2018年 | シカゴで多数の女性を絞殺したとされる事件、被害者の遺体は半裸または全裸にされており、廃墟、路地、ゴミ箱、公園、雪の吹き溜まりに遺棄されていた。 | [387][388][389] |
| ゾディアック | 5 - 37人[注 25] | 1968年 - 1974年 | ゾディアックと名乗る正体不明の犯人によって少なくとも5人が殺害されたアメリカ最大の未解決事件、警察や新聞社に犯行声明と暗号を送りつけた、2020年には340個の記号で構成された「340暗号文'」が51年越しに解読された[390]、また2021年10月には「ケース・ブレーカーズ」という40名以上の元法執行機関捜査官、軍部情報機関職員、記者で構成される集団が、ゾディアックの正体が2018年に死亡したゲアリー・フランシス・ポステである事を突き止めたと発表した[391]。 | [390][391] |
| レッドヘッド・マーダーズ | 6 - 11人 | 1978年10月 - 1992年 | 赤毛の女性だけが標的に次々と殺害された連続殺人事件、同一犯による犯行によるものか複数犯による犯行なのかも分かって居ない。 | [392] |
| ゴールドソックスキラー | 3人 | 1973年7月 - 8月 | 1人の女性と2人の少女を絞殺、凶器に靴下が使われ、3件の事件のうち2件に使われた靴下の色は金色であったため「ゴールドソックスキラー」の異名を持つ。 | [393] |
| 切り裂きジャック | 5人以上 | 1888年 - 1891年? | 世界的にも最も悪名高い未解決事件、ホワイトチャペルで少なくとも5人の売春婦を殺害、「ホワイトチャペルの殺人鬼」「レザー・エプロン」とも呼ばれる。1894年に容疑者の一人とされていたアーロン・コスミンスキーが犯人と見られ、現在は容疑者と被害者の子孫により調査が進められている。 | |
| 大川乳幼児連続失踪事件 | 3 - 4人 | 1991年 - 1993年 | 5人の乳児が誘拐され1人だけが生き残り、3人が死亡し1人が行方不明となった連続誘拐事件、また誘拐された5人のうち4人は同じ産婦人科で産まれた乳児であった。 | [394] |
| 公主嶺連続殺人事件(凌冬元) | 31人 | 1994年 - 1995年 | 国道102号線沿いにて短期間のうちに31人を斧で撲殺した犯罪者、2008年にDNA鑑定が行われ未解決事件の犯人として凌冬元という人物が特定されたが逮捕されず、現在も行方不明となっている。 | |
| 呼蘭の英雄 | 10人 | 1987年 - 1988年 | 呼蘭警察官連続殺人事件の犯人、1987年から1988年にかけて警察官とその家族ら10人が殺害された、2022年に真犯人が逮捕されたとデマが流れた、また犠牲者数が52人、115人などと誇張される。 | [395] |
| 菏沢市トイレ連続殺人事件 | 5人 | 1989年1月31日 - 不明 | 菏沢市のトイレで22件の連続事件が発生し、5人が死亡し、18人が負傷した、18件は昼間に、4件は夜間に発生し、20件は女性用トイレ、2件はそれぞれ屋内トイレと屋外トイレで発生した、2002年に容疑者数人が逮捕されたが未解決となった。 | [396] |
| 咸鏡北道会寧市連続児童殺人事件 | 3人 | 2013年9月の4日間 | 4日間にかけて血が抜かれた状態で4歳児が次々と殺害された、「死者を生き返せるためのまじないのために犠牲となった」などと様々な噂が飛び回ったが不明で、犯人が捕まったとの情報はない。 | [205] |
| グアルーリョスの絞殺魔 | 8人 | 2001年 - 2002年 | サンパウロのグアルーリョスで10人の女性に性的暴行を加え、そのうち8人を絞殺した身元不明の連続殺人犯、生き残った被害者の目撃情報によると、犯人は20代後半から30代前半の白人男性で、眼鏡をかけており、身長は約1.65メートルであった。その後に容疑者2名が逮捕されたがいずれも釈放された。 | |
| レインボーマニアック | 13人 | 2007年 - 2008年 | パトゥリス公園連続殺人事件の身元不明の犯人の異名、ゲイ男性をターゲットとし次々と殺害、レインボーマニアックという異名はLGBTの象徴であるレインボーフラッグから名付けられた。 | |
| リスボン・リッパー | 3 - 9人 | 1992年 - 1993年・1993年〜1997年(疑惑) | 22歳のMが1992年7月31日に小屋の中で血溜まりの中に横たわっている状態で発見された。Mは首を絞められ内蔵を切り離され、内蔵の一部が取り出されていた。1993年1月27日には鉄道建設作業員によって24歳のMの痛いが発見され、内蔵をエグり出されていた。1993年3月15日には27歳のMが最初の被害者の遺体が発見された現場近くで発見された、1連の連続殺人事件の3人の被害者はいずれもM という名前で売春婦で薬物中毒者であったとされている。また連続殺人事件が発生した地域では売春婦と思われる女性2人が遺体で発見された。また1993年から1997年の間にはオランダ、チェコ、ベルギー、デンマークなどの国で似たような事件が4件発生している。 | [397] |
| 水曜日の絞殺魔 | 7人 | 1975年 - 1989年 | 佐賀女性7人連続殺人事件や北方事件の正体不明の犯人の異名、佐賀県で連続的に若い女性7人が水曜日に行方不明なり殺害されたため、この異名を持つ。 | |
| パラコートキラー | 13人 | 1985年4月30日 - 11月24日 | パラコート連続毒殺事件の正体不明の犯人の異名、自動販売機の清涼飲料水に農薬のパラコートを混入し13人が死亡した、無差別殺人事件、2019年にも自動販売機の中からパラコート入りの缶ビールが見つかっている(被害は無し)。 | |
| 青酸コーラ無差別殺人事件 | 2 - 3人 | 1977年1月4日〜2月半ば | 清涼飲料水のコカ・コーラにシアン化カリウムを混入し、2人の会社員を殺害、他にも1人が不審な自殺、上記のパラコート連続毒殺事件はこの事件の8年後に発生している。 | |
| 新宿歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件 | 3人 | 1981年3月 - 6月 | 3月から6月まで新宿区歌舞伎町のラブホテルで3人がパンストで絞殺されるという事件が発生した、いずれの事件を時効が成立した。 | [398] |
| 寿薬妙法丹 | 不明 | 17世紀後半または18世紀前半 | 人喰い人種(カニバリスト)?、元禄時代に江戸の各地で性行為中の夫婦やカップルが殺害される事件が相次いで発生した、被害者はいずれも頭を叩き割られ、脳が摘出されていた、やがて寿薬妙法丹という民間薬を販売する僧侶が容疑者として浮上したが逮捕される前に殺害され、事件は未解決となった。 | [399] |
| 埼玉・タクシー運転手3人連続殺人事件 | 3人 | 1985年10月30日 - 1986年1月8日 | 1985年10月30日に60歳のタクシー運転手が刺殺され、同年12月16日には37歳のタクシー運転手が刺殺された、翌年1月8日には66歳のタクシー運転手が刺殺された。 | [400][401] |
| 首都圏女性連続殺人事件 | 10人 | 1968年 - 1974年 | 連続強姦犯、千葉県、埼玉県、東京都の3都道府県で発生した10件の焼殺事件。 | |
| 北関東連続幼女誘拐殺人事件 | 4 - 7人 | 1979年 - 1996年 | 北関東各地で発生した連続誘拐事件。 | |
| 紅梅町事件 | 3人 | 1932年8月27日 - 1933年9月9日 | 愛知県で発生した3件の射殺事件。 | [402][403] |
| 大阪少女連続殺人事件 | 4人 | 1990年10月14日 - 1992年4月28日 | 1991年までに3人の少女が殺害され、翌年に1人が殺害された一連の未解決事件。 | [404] |
| 沖縄女性連続殺人事件 | 3人 | 1977年9月9日 - 1977年12月28日 | 身元不明の女性含め女性3人が連続して殺害された。 | [405] |
詳細不明なシリアルキラーの一覧
| 名前(または事件名) | 犠牲者数 | 犯行期間 | 事件概要 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| ケリー一家[注 26] | 11人 | 1887年8月〜12月 | 居酒屋を経営していたケリー家は、客の内の裕福な客をターゲットとし、裕福な客の椅子は落とし戸の上に設置し、合図とともに落下死させるといった方法で11人を殺害、最終的にケリー・ケイトは馬に乗って逃走したが、逃走中に馬がつまづいた事で落馬し首の骨を骨折し死亡した、ケリー・ウィリアム・シニア、ケリー・ウィリアム・ジュニア、ケリー・キットの3人は処刑された。またベンダー一家と共通点が多い事から同一人物では無いかと考えられている[406]。 | [406] |
| アレクサンダー・ソニー・ビーン | 1500人以上 | 15世紀 | ステュアート朝のシリアルキラー、人食い人種(カニバリスト)、数十年にわたり、自分ら一族のアジトである洞窟前を通る旅人を襲っては金品を強奪した後に遺体を嗜食したとされる人物、最終的に処刑された。本当に実在していたのであれば世間的にも大きな話題を呼んだはずなのにもかかわらず当時の人間の日記や出版物にはソニー・ビーンについての詳細が一切記録されていない為、架空の人物なのではないかと考えられている。 | |
| クリストマン・ゲニペルテインガ | 964〜1000人以上 | 16世紀 | 神聖ローマ帝国のシリアルキラー、1581年頃の資料によると964人から1000人近い人々を殺害し車裂きの刑で処刑されたとされる盗賊、当時の地元の記録には残っておらず、実在したかどうか不明であり、同年に処刑されたペーター・ニールスのことではないのかと考えられている。 | [407][408] |
| 平安北道女性連続殺人事件 | 30人以上? | 2020年8月〜不明 | 名前不詳、鉄山郡住在の外貨稼ぎ機関の責任者の男が、金で買った女性を船上パーティーに連れ出し、薬物を与えるなどの行為を続けてきたがやがて歯止めがかからなくなった、言うことを聞かない女性は殺害し、川に投げ捨てた。その遺体が下流の水面に次々に上がったことで犯行が発覚し逮捕された、一説に犠牲者数は30と言われる、その後の運命は不明だが、処刑されたと考えられる。 | [409] |
| マナグア・リッパー | 6人 | 1889年1月14日?〜1889年1月24日? | 10日間にかけてニカラグアの首都マナグアで6人の貧しい売春婦を殺害したとされている、被害者は全員ナイフで傷つけられ、そのうちの2人は酷く惨殺されていた。クーリエ・ジャーナルは1889年7月にニカラグアに訪問した際に、事件はマナグアの地元民に「全く知られていない」と報じたため、デマである可能性が高い。 | |
| 浅茅ヶ原の鬼婆 | 999人 | 不明〜不明 | 大和時代のシリアルキラー、東京都台東区花川戸に伝わる伝説であり、自分の家に宿泊する旅人をターゲットとし、奪った金品で生計を立てていたとされる老婆、999人にも及ぶ旅人を石で撲殺または圧殺したとされている最終的に池に身を投げた。 | [410] |