ジーン・ティアニー

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本名 ジーン・イライザ・ティアニー
: Gene Eliza Tierney
生年月日 (1920-11-19) 1920年11月19日
没年月日 (1991-11-06) 1991年11月6日(70歳没)
ジーン・ティアニー
Gene Tierney
Gene Tierney
1946年の宣伝写真
本名 ジーン・イライザ・ティアニー
: Gene Eliza Tierney
生年月日 (1920-11-19) 1920年11月19日
没年月日 (1991-11-06) 1991年11月6日(70歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 テキサス州ヒューストン
職業 俳優
活動期間 1938年  1980年
配偶者
    オレグ・カッシーニ
    (結婚 1941年、離婚 1952年)
      W・ハワード・リー
      (結婚 1960年、死別 1981年)
      受賞
      ドノスティア賞(1986年)、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム
      署名
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      ジーン・イライザ・ティアニー: Gene Eliza Tierney1920年11月19日1991年11月6日[1])は、アメリカ合衆国出身の舞台・映画女優である。その美貌からハリウッド黄金時代を通じて名高い主演女優であり続けた[2][3]。1944年にはオットー・プレミンジャー監督のフィルム・ノワール映画『ローラ殺人事件』でタイトル・ロールのローラ・ハントを演じ、翌1945年にはジョン・M・スタール英語版監督の映画『哀愁の湖』でアカデミー主演女優賞にノミネートされた[4][5]20世紀フォックスの共同創業者であるダリル・F・ザナックは、ティアニーは「紛れもなく、映画史において最も美しい女性である」("unquestionably, the most beautiful woman in movie history") と評した[5]

      ティアニーは20世紀フォックスとの契約俳優で、出演作のほとんどが同社製作作品である。20世紀フォックスの興行的成功作にいくつも出演し、その出演作には『地獄への逆襲』(1940年、映画デビュー作)、『タバコ・ロード』(1941年)、『激闘』(1942年)、『天国は待ってくれる』(1943年)、『アダノの鐘英語版』(1945年)、『剃刀の刃』(1946年)、『幽霊と未亡人』(1947年)、『鉄のカーテン』(1948年)、1950年の『疑惑の渦巻英語版』と『街の野獣』、1951年の『メイティング・シーズン英語版』(原題)と『南仏夜話 夫(ハズ)は偽者英語版』、『エジプト人』(1954年)、『レフト・ハンド・オブ・ゴッド英語版』(原題、1955年)、『マドリードで乾杯英語版』(1964年、最後の劇場公開映画出演作)などが挙げられる。ハリウッドでのキャリアに陰りが見え始めてからは、散発的にテレビ番組に出演した。最後の出演作は1980年のミニシリーズ『スクループルズ英語版』である。

      私生活では2度の結婚を経験し、オレグ・カッシーニとの最初の結婚で儲けた第1子は先天性風疹症候群に苦しんだ。この一件はアガサ・クリスティの長編小説『鏡は横にひび割れて』に影響を与えたと言われている。

      ジーン・イライザ・ティアニーは、1920年11月19日に、父ハワード・シャーウッド・ティアニー、母ベル・ラヴィニア・テイラーの第2子として(: Howard Sherwood Tierney, Belle Lavinia Taylor)、ニューヨーク市ブルックリン区で生まれた。彼女の名前は若くして亡くなったおじに因んで名付けられた[4]:25。ティアニーは3人きょうだいの真ん中で、兄と妹がいた。保険ブローカーとして成功を収めていた父は父方にアイルランド系のルーツを持ち、ティアニーの母は元々体育教師をしていた[4]

      彼女は1926年に一家でコネチカット州に移住し、コネチカット州ウォーターバリーの聖マーガレット女子学校(: St. Margaret's School for Girls、後にチェイス・カリジェット・スクール英語版へ編入されて現在に至る)、同じくコネチカット州フェアフィールドアンクォワ・スクール英語版に学んだ[6]。その後2年をヨーロッパで過ごし、スイスローザンヌブリリアントモント・インターナショナル・スクール英語版に通って流暢なフランス語を身に着けた。アメリカ合衆国へは1936年に帰国し、ファーミントン (コネチカット州)英語版ミス・ポーターズ・スクール英語版に通った[6]西海岸への家族旅行の際に、彼女はワーナー・ブラザースのスタジオを訪れて、母のいとこで歴史短編映画のプロデューサーとして働いていたゴードン・ホリングシェッド(: Gordon Hollingshead)と出会う。映画監督のアナトール・リトヴァクは、17歳だったティアニーに会って、君は女優になるべきだと話したという。ワーナーは彼女との契約を望んだが、娘に社交界での地位も望んでいた両親は、提示された給料が低すぎると言って辞退するように助言した[4]:11–13

      ティアニーの社交界デビューは、17歳だった1938年9月24日である[4]:14。彼女は社交界生活へすぐに飽きて、演技の道を追い求めようと決めた。ティアニーの父は、「もしもジーンが女優になるなら、正統劇英語版に出ないと」(: "If Gene is to be an actress, it should be in the legitimate theatre.")と言って、彼女を定期的に演劇へ連れて行った[7]。彼女はニューヨーク・グリニッジ・ヴィレッジにある小さな演技スタジオで、ブロードウェイ俳優・監督のベンノ・シュナイダー(: Benno Schneider)と共に演技を学んだ[8]。また、ブロードウェイのプロデューサー・監督ジョージ・アボット英語版メンタリングを受けた[7][9]

      キャリア

      ブロードウェイ

      ティアニーの最初の仕事はブロードウェイに始まり、1938年の "What A Life!" で、舞台上を横切ってバケツの水を運ぶ女性を演じた。『バラエティ』誌の批評家は、「ミス・ティアニーは今まで観た中で1番美しい水運びだった!」(: "Miss Tierney is certainly the most beautiful water carrier I've ever seen!")と表した。同じ年には "The Primrose Path" でアンダースタディとなった。

      翌1939年、ティアニーはブロードウェイ作品 "Mrs. O'Brien Entertains" でモリー・オーデイ英語版役を演じる[4]:19。『ニューヨーク・タイムズ』紙の批評家ブルックス・アトキンソン英語版は、「祖国から来たばかりのうら若きアイルランド系女性として、初舞台を踏んだジーン・ティアニーの演技は、とても可愛らしく新鮮なほど慎ましい」と書いた[注釈 1]。同じ年、"Ring Two" で演じたペギー・カー役にも好意的なレビューが寄せられた。『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン英語版』紙の演劇批評家リチャード・ワッツ・ジュニア英語版は、「ミス・ティアニーが興味深い舞台キャリアを積めない理由が見当たらない——勿論、映画界が彼女を連れ去らない限り、だが」と述べた[注釈 2]

      同じ頃、ティアニーの父は娘の演技キャリアに資金提供して支援するため、「ベル=ティア」(Belle-Tier) という会社を興している。1939年、コロンビア ピクチャーズはティアニーと6か月の契約を結んだ。この時彼女はハワード・ヒューズと初めて出会い、後に長年の友となる。

      あるカメラマンに少し体重を落とした方がよいと言われた後、彼女は『ハーパーズ バザー』誌にダイエットに関する連載を始め、25年にわたって続けた。ティアニーは当初『緑園の天使』(1944年)の主役に予定されていたが、製作スケジュールが遅れてしまった[4]:23。コロンビアピクチャーズはティアニーの降板を決め、彼女はブロードウェイに戻って舞台『男性英語版』(1940年)のパトリシア・スタンリー役で興行的にも批評家からも大成功を収める。『ニューヨーク・タイムズ』紙のブルックス・アトキンソンは。「ティアニーはこれまでで1番の演技で、活き活きと活力に溢れている」[注釈 3]と評した。20歳の誕生日前にブロードウェイで大成功を収め、『男性』での好演は『ライフ』誌に特集され[7]、その他『ハーパーズ バザー』誌、『ヴォーグ』誌、『コリアーズ・ウィークリー英語版』誌でも彼女の写真特集が組まれた[4]:38

      『男性』の開演から2週間後、20世紀フォックスのトップであるダリル・F・ザナックが観劇しに来たという噂が流れた。彼は観劇中アシスタントにティアニーの名前を書き留めておくよう伝えた。同じ夜、マンハッタンのナイトクラブストーク・クラブ英語版に立ち寄ったザナックは、ダンスフロアにいる若い女性を見つけて、アシスタントに「劇の女の子は忘れて、あの子と契約できるか確認してこい」(: "Forget the girl from the play. See if you can sign that one.")と囁いた。ザナックは劇で観た女性だとつゆほども思わなかったが、この女性こそがティアニーだった。ティアニーは後に、「いつもいくつかの異なる『ルックス』を持っていて、それが自分のキャリアに有用だったと証明された」(: "I always had several different 'looks', a quality that proved useful in my career.")と回想している[4]:38[9]

      映画キャリア

      宣材写真(1941年)

      ティアニーは20世紀フォックスと契約し[4]:39、1940年のフリッツ・ラング監督映画『地獄への逆襲』(西部劇)でのエレナー・ストーン役が映画デビュー作となった(この作品ではヘンリー・フォンダと共演した)。翌1941年には5本の映画に出演した。まず『ハドソンズ・ベイ英語版』(原題)の端役でポール・ムニと共演し、次いでジョン・フォード監督のコメディ『タバコ・ロード』でメインキャストのエリー・メイ・レスターを演じると、『ベル・スター英語版』ではタイトル・ロールベル・スターを演じてランドルフ・スコットと共演した。この年には更に『砂丘の敵英語版』、『上海ジェスチャー英語版』にも出演している。1942年には『激闘』でイヴ役を演じた後、ルーベン・マムーリアン監督のスクリューボール・コメディ映画『リングス・オン・ハー・フィンガーズ英語版』(原題)でスーザン・ミラーとリンダ・ワーシントンの2役を演じ、また『大空の戦士 サンダーバード英語版』、『チャイナガール』にも出演した。

      エルンスト・ルビッチ監督のコメディ映画『天国は待ってくれる』(1943年)で主役を張り、ティアニーのキャリアはうなぎ登りとなる。この作品の製作を振り返ってティアニーは次のように述べている。

      ルビッチはセットでは暴君で、最も要求の厳しい監督だった。正午から5時までかかった1シーンの後、ルビッチが自分を叱責する声を聞いて泣きそうになっていた。翌日彼を探し出して、彼の目を見ながら『ルビッチさん、最善を尽くしたいと思っていますが、あなたがずっと私に怒鳴り続けているならば、もうこの作品には出られません』と言った。『自分は君に怒鳴るために給料をもらっている』と彼は声を荒げた。『はい』と私は答え、『私もそれに耐えるために給料をもらっていますが——充分じゃなくて』と答えた。しばし緊張に満ちた沈黙があった後、ルビッチは突然笑い出して、その瞬間から我々は意気投合した。[注釈 4]

      1944年には、オットー・プレミンジャー監督のフィルム・ノワール映画『ローラ殺人事件』でタイトル・ロールを演じ、後に彼女の代表作となった[5]。この作品ではダナ・アンドリュースと共演した(アンドリュースとは、『鉄のカーテン』(1948年)、同じくプレミンジャー監督作品の『歩道の終わる所英語版』(1950年)でも共演している)。

      哀愁の湖』(1945年)にて、ジーン・クレイン

      1945年、『アダノの鐘英語版』でティナ・トマシーノ役を演じた後、彼女は映画『哀愁の湖』で嫉妬深くナルシストファム・ファタール、エレン・ベレント・ハーランド役を演じた[5]。この作品はベン・エイムズ・ウィリアムズ英語版による同名の人気小説を映画化したものである。この作品ではコーネル・ワイルドジーン・クレインヴィンセント・プライスらと共演し、ティアニーの演技は同年の第18回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。作品は20世紀フォックススタジオにとって1940年代最大のヒット作となった。映画監督のマーティン・スコセッシはこの作品をお気に入りのひとつに挙げ、ティアニーを評してハリウッド黄金時代の女優で最も過小評価されているひとりだと述べている[10]

      1946年、ティアニーは映画『呪われた城』でミランダ・ウェルズ役を演じ、ウォルター・ヒューストン、ヴィンセント・プライスと共演した。この作品はジョーゼフ・L・マンキーウィッツの監督デビュー映画である。同年、彼女はタイロン・パワーと共に『剃刀の刃』に出演し、イザベル・ブラッドリー役を演じた。この作品はサマセット・モームによる同名小説英語版を映画化したものである。

      映画『呪われた城』(1946年)より場面写真。左から右に、グレン・ランガン、ティアニー、ヴィンセント・プライス

      1947年には同じくマンキーウィッツ監督作品の『幽霊と未亡人』でルーシー・ムーア役を演じ、レックス・ハリソンと共演した[11]。翌年にはタイロン・パワーと再共演し、大成功したスクリューボール・コメディ映画『ザット・ワンダフル・アージ英語版』(原題)でサラ・ファーリー役を演じた。1940年代終わりには、『ローラ殺人事件』の監督プレミンジャーと再度手を組み、古典的フィルム・ノワール映画『疑惑の渦巻英語版』(1950年)に出演した(この作品にはリチャード・コンテホセ・フェラーも出演した)。その他、1950年にはジュールズ・ダッシン監督の『街の野獣』(ロンドンで撮影)、プレミンジャー監督作品の『歩道の終わる所英語版』と更に2本のフィルム・ノワール映画に出演している。後者ではダナ・アンドリュースと5本目の共演となった。

      この後パラマウント・ピクチャーズに貸し出されたティアニーは、ミッチェル・ライゼン英語版監督のアンサンブル笑劇メイティング・シーズン英語版』(原題)でマギー・カールトン役を演じ、ジョン・ランド英語版ミリアム・ホプキンスセルマ・リッターらとコミカルな役に挑戦した[4]。1951年にはワーナー・ブラザース映画『クロース・トゥ・マイ・ハート英語版』(原題)でレイ・ミランドと共演し、打って変わって柔和な演技を見せた。この作品はカップルが子どもを養子縁組しようという筋書である[4]。ミランドとは後にテレビ映画『生きている墓石英語版』でも共演した。

      1952年にロリー・カルホーンと共演した『草原の追跡英語版』出演後、20世紀フォックスとティアニーの契約は終了した。同じ年、彼女はメトロ・ゴールドウィン・メイヤー (MGM) 製作の『プリマス・アドベンチャー英語版』(原題)でドロシー・ブラッドフォード役を演じた。この作品で共演したスペンサー・トレイシーと、ティアニーはごく短期間だが交際した[12]。1953年にはイングランドで撮影された映画『哀愁のロシア英語版』でマリヤ・ラマーキナ役を演じ、クラーク・ゲーブルと共演した[4]

      1940年代、ティアニーは美貌の主演女優として人気絶頂となり、「同業の妖婦リタ・ヘイワースラナ・ターナーエヴァ・ガードナー」(: "fellow sirens Rita Hayworth, Lana Turner and Ava Gardner")と肩を並べた、と評された[2]。「映画史に残る最も美しい女性」(: "the most beautiful woman in movie history")とまで評され、実際に1940年代の出演作の多くは名作映画となっている[3][5]

      ティアニーはしばらくヨーロッパに滞在し、1953年にはユナイテッド・アーティスツの映画『憧れの小径英語版』でケイ・バーロウ役を演じた。ヨーロッパ滞在中、ティアニーはイスマーイール派サイイドであるアリ・ハーン英語版と浮名を流したが、婚約したもののアリの父であるアーガー・ハーン3世に猛反対されて結婚できなかった[13](アリはこの直前にリタ・ヘイワースと離婚したばかりだった)。1953年はじめ、ティアニーはアメリカ合衆国へ戻り、フィルム・ノワール映画『意外な犯行英語版』のアイリス・デンヴァー役でジンジャー・ロジャースヴァン・ヘフリンと共演している。

      健康問題

      ティアニーは、最初の映画出演の後、自分の声が「怒ったミニーマウスみたい」("like an angry Minnie Mouse") と感じ、声を低くしようとして喫煙を始めたと報じられている[14]。次第に彼女はヘビースモーカーになった[14]

      第二次世界大戦中、雑誌 "Brief" に掲載されたピンナップ写真。1945年4月掲載

      ティアニーは長年にわたって双極性障害に苦しみ続けた。1943年には第1子ダリアが生まれたが、彼女は先天性風疹症候群のため、全聾かつ重度の精神発達遅滞を負っていた[5][15]。1953年には集中力を欠いて、いくつかの映画出演に影響が出た。同年の映画『モガンボ』でクラーク・ゲーブルの相手役を演じるはずだったが、ティアニーの病状が原因でグレース・ケリーに変更された[16]。1955年にハンフリー・ボガートと共演した映画『レフト・ハンド・オブ・ゴッド英語版』(原題)の最中にも症状がぶり返した。ボガートの妹フランシス(愛称パット)も精神疾患に苦しんでいたことから、ボガートはティアニーに同情し、撮影中にはティアニーの台詞のきっかけを作ったり、手助けを求めていいと励ましていた[4]

      ティアニーはその後精神科医を受診し、ニューヨークのハークネス・パビリオン (Harkness Pavilion) に入院した。その後はコネチカット州ハートフォードインスティテュート・オブ・リヴィング英語版に通院した。うつ状態の緩和を目的に27回の電気けいれん療法が行われた後、ティアニーはこの施設から脱走したが、発見されて連れ戻された。後に彼女は自著の中で、この治療が自分の記憶の大部分を破壊したと主張し、電気けいれん療法に公然と反対した[17]

      1957年12月末、マンハッタンにある母のアパートメントに滞在していたティアニーは、地上14階にある張り出し棚に20分留まって、自殺未遂と見なされた[18]。警察に通報した後、ティアニーの家族はカンザス州トピカメニンガー・クリニックに彼女を入院させる手はずを整えた。翌年、うつ状態の治療を経てティアニーは退院した。退院後彼女は社会復帰を望みながら、地元の衣料品店で売り子として働いた[18]。トピーカの地元新聞が彼女の就労状況を報じると、州内だけでなく全国的な関心を呼んだ[19]

      1958年後半、20世紀フォックスはティアニーへ映画『リオの若い恋人たち英語版』(1959年)の主役をオファーしたが、ストレス過多のため数日で降板し、メニンガー・クリニックへ戻っている[18]

      カムバック

      ティアニーは1962年のオットー・プレミンジャー監督映画『野望の系列』でスクリーン・カムバックを果たした[4]。直後、リリアン・ヘルマンの戯曲を基にした映画『欲望の家英語版』でアルバータイン・プライン役を演じた。同年にはダン・デイリー英語版らと共演して国際製作映画『フォー・ナイツ・オブ・ザ・フル・ムーン英語版』(原題、西: "Las cuatro noches de la luna llena)にも出演したが、この作品はフィルム紛失により失われた映画となっている。

      1964年には映画『マドリードで乾杯英語版』でジェーン・バートン役を演じ、性格俳優として堅実なキャリアを歩み始めたと思われたが、その矢先に突然引退状態となった。1969年にテレビ映画『生きている墓石英語版』に出演したのが映画としては最終で、最後の演技作品は1980年のテレビミニシリーズ『スクループルズ英語版』(原題)だった[4]

      私生活

      1940年代の宣材写真

      ティアニーは2度結婚している。最初の夫でファッションデザイナーオレグ・カッシーニとは、ティアニー20歳、カッシーニ28歳の1941年6月1日に駆け落ちしている。ティアニーの両親は、フランス生まれでロシア・イタリア系の家庭出身のカッシーニとの結婚に猛反対していた[18]。ティアニーとカッシーニの間には、アントワネット・ダリア・カッシーニ(: Antoinette Daria Cassini、1943年10月15日  2010年9月11日)[20]、クリスティナ・"ティナ"・カッシーニ(: Christina "Tina" Cassini、1948年11月19日  2015年3月31日)[21][22][23]と2人の娘が生まれた。

      1943年6月、第1子ダリアを妊娠中だったティアニーは風疹に感染したが、これは彼女のファンだった罹患者に移されたものと推定されている[18]。ダリアはワシントンD.C.3ポンド2オンス (1.4 kg)しかない早産極低出生体重児として生まれ、生まれてすぐに全血輸血を要した。先天性風疹症候群のため、ダリアは全聾白内障による弱視、また重度の精神発達遅滞を負っており、その人生の大半を養護施設で過ごすことになった[18]。一連の出来事は、1962年にアガサ・クリスティが発表した長編小説『鏡は横にひび割れて』(ミス・マープルシリーズ)の筋書きに影響を与えたと言われ、クリスティ公式財団のウェブサイトには次のように書かれている。

      「筋書きは、障害を持って生まれた子どもに対するひとりの母の感情に触れたアガサ・クリスティの反応に端を発するもので、クリスティがアメリカの女優ジーン・ティアニーの実際の悲劇に影響されたことは少しの疑問もない」
      "The plot was inspired by Agatha Christie's reflections on a mother's feelings for a child born with disabilities and there can be little doubt that Christie was influenced by the real-life tragedy of American actress Gene Tierney."[24]

      ティアニーの長年の盟友だったハワード・ヒューズは、ダリアの医療費を負担して彼女が最高の治療を受けられるように計らい、ティアニーはこの恩を決して忘れなかったと自伝に書き記している[4]。ダリアは2010年9月11日に66歳で亡くなった。第2子クリスティナを通じて、ティアニーには4人の孫と6人の曾孫がいる[21][25]

      ティアニーとカッシーニは1946年10月20日に別離し、11月10日に財産分与契約を結んだ[26]。同時期のマスメディアでは、ティアニーとチャールズ・K・フェルドマン英語版の交際が報じられている[27][28]。カッシーニとの離婚は1948年3月に成立する予定だったが、両者はこれより早く合意に達した。夫妻は1952年に離婚したものの、1991年11月にティアニーが亡くなるまで友人であり続けた[29]。離婚合意書には、カッシーニの死後、財産の半分が2人の娘たちに渡るとあった[23]

      カッシーニが2006年に亡くなった後、ダリアに50万アメリカ合衆国ドル、クリスティナに100万ドルが信託相続された[30]。クリスティナは、カッシーニと極秘結婚していた未亡人マリアン・ネスター (Marianne Nestor) に対して、ティアニーとの離婚調停書に基づいて父の資産の1/4を請求する裁判を起こしたが、ネスターはこの離婚調停書は遺言によって無効になると真っ向から反発した[31]。ネスターは60年以上前に結ばれた調停書であるため、条項自体執行不能であると主張した[32]ニューヨーク遺言検認裁判所英語版はクリスティナに有利な判決を出したが[23]、クリスティナは相続分を受け取れないまま貧困に喘ぎながら2015年に没した[33]

      カッシーニと破局した後、ティアニーは映画『呪われた城』(1946年)の撮影中に、第二次世界大戦の若き帰還兵ジョン・F・ケネディと出会った。ふたりは恋に落ちたが、翌年ケネディから政治的野心のために結婚できないと告げられて破局する[12]。1960年、大統領選挙に勝利したケネディにティアニーは祝辞を送っている。また、元夫のカッシーニも、大統領夫人ジャクリーンの服装を手掛けて有名になる[29]

      1952年、新聞各社はティアニーとカーク・ダグラスの恋仲を報じた[34]。その後、ヨーロッパで映画『憧れの小径英語版』を撮影中に、彼女はアリ・ハーン英語版と恋人関係になった[13]。ハーンとリタ・ヘイワースの離婚手続が進行中にふたりは婚約したが[35]、ハーンの父であるアーガー・ハーン3世の大反対を受けて結婚はできなかった[13]

      1958年、ティアニーはテキサス州の石油王W・ハワード・リー(: W. Howard Lee)と出会った。リーは1953年に女優で発明家のヘディ・ラマーと結婚していたが、アリモニー英語版(離婚後に元配偶者へ支払われる生活費支援)を巡る長い法廷闘争の末、1960年に離婚した[36]。リーとティアニーは1960年7月11日にアスペン (コロラド州)で結婚し、最初はテキサス州ヒューストン、次いでフロリダ州デルレイビーチにて、1981年にリーが亡くなるまで静かに暮らした[18][36]

      テキサスで自主的にキャリアから離れた生活を送ったものの、ティアニーはカムバックを期してハリウッドからのオファーをいくつか受けている。1960年11月にはテレビ番組『ジェネラル・エレクトリック・シアター英語版』に出演し、前後して妊娠が発覚している。直後、20世紀フォックスは映画『青春の旅情』(1961年公開)でティアニーが主演を務めると発表したが、流産したことが元で降板した。

      ティアニーは生涯を通じて共和党員で、リチャード・ニクソンロナルド・レーガンの大統領選挙を支援した[37]

      後半生と死

      1979年、自伝 "Self-Portrait" が出版され、この中でティアニーは自身の人生やキャリア、容姿や精神疾患との闘いについて赤裸々に述べている[5]

      1986年には、スペイン最大の映画祭サン・セバスティアン国際映画祭にて、グレゴリー・ペックと共に同年創設されたばかりのドノスティア賞(生涯功労賞、名誉賞)に選ばれたが[38]、ティアニーはスペインでの授賞式には出席しなかった[39]

      1960年2月8日には、ハリウッド・ブールバード6125番地にティアニーのハリウッド・ウォーク・オブ・フェームが設置された。

      生涯を通じた愛煙家だったティアニーは、71歳の誕生日をわずか13日後に控えた1991年11月6日に、肺気腫のためテキサス州ヒューストンで亡くなった[1]。彼女はヒューストンのグレンウッド墓地英語版に埋葬されている。ティアニーの映画出演作に関する資料、個人的書簡などはウェズリアン大学のシネマ・アーカイブスに保管されているが、一般公開はされていない[40]

      出演作品

      ブロードウェイ作品

      いずれもオリジナル脚本作品。

      作品名ジャンル役名演出家
      1938年 What A Life! コメディ 通行人、水を運ぶ人 ジョージ・アボット英語版
      The Primrose Path ドラマ・コメディ アンダースタディ ジョージ・アボット
      1939年 Mrs O'Brien Entertains コメディ モリー・オーデイ英語版 (Molly O'Day) ジョージ・アボット
      Ring Two ペギー・カー (Peggy Carr) ジョージ・アボット
      1940年 男性英語版 The Male Animal パトリシア・スタンリー (Patricia Stanley) ハーマン・シャムリン英語版

      映画

      作品名(邦題/原題)役名監督 その他のキャスト 注釈
      1940年 地獄への逆襲
      The Return of Frank James
      エレナー・ストーン
      Eleanor Stone
      フリッツ・ラング ヘンリー・フォンダ テクニカラー作品
      1941年 ハドソンズ・ベイ英語版(原題)
      Hudson's Bay
      バーバラ・ホール
      Barbara Hall
      アーヴィング・ピシェル英語版
      タバコ・ロード
      Tobacco Road
      エリー・メイ・レスター
      Ellie Mae Lester
      ジョン・フォード
      ベル・スター英語版
      Belle Starr
      ベル・スター
      Belle Starr
      アーヴィング・カミングス
      テクニカラー作品
      砂丘の敵英語版
      Sundown
      ジア
      Zia
      ヘンリー・ハサウェイ ブルース・キャボット
      上海ジェスチャー英語版
      The Shanghai Gesture
      ヴィクトリア・チャートリス、またの名をポピー・スミス
      Victoria Charteris a.k.a. Poppy Smith
      ジョセフ・フォン・スタンバーグ ウォルター・ヒューストン
      1942年 激闘
      Son of Fury: The Story of Benjamin Blake
      イヴ
      Eve
      ジョン・クロムウェル タイロン・パワー セピア調
      リングス・オン・ハー・フィンガーズ英語版(原題)
      Rings on Her Fingers
      スーザン・ミラー(別名リンダ・ワーシントン)
      Susan Miller (aka Linda Worthington)
      ルーベン・マムーリアン ヘンリー・フォンダ
      大空の戦士 サンダーバード英語版
      Thunder Birds
      ケイ・サンダース
      Kay Saunders
      ウィリアム・A・ウェルマン テクニカラー作品
      チャイナガール
      China Girl
      ハオリ・ヤング
      Miss Haoli Young
      ヘンリー・ハサウェイ ジョージ・モンゴメリー英語版
      1943年 天国は待ってくれる
      Heaven Can Wait
      マーサ・スターベル・ヴァン・クリーヴ
      Martha Strabel Van Cleve
      エルンスト・ルビッチ ドン・アメチー テクニカラー作品
      1944年 ローラ殺人事件
      Laura
      ローラ・ハント英語版
      Laura Hunt
      オットー・プレミンジャー
      1945年 アダノの鐘英語版
      A Bell for Adano
      ティナ・トマシーノ
      Tina Tomasino
      ヘンリー・キング ジョン・ホディアック英語版
      哀愁の湖
      Leave Her to Heaven
      エレン・ベレント・ハーランド
      Ellen Berent Harland
      ジョン・M・スタール英語版 アカデミー主演女優賞ノミネート
      テクニカラー作品
      1946年 呪われた城
      Dragonwyck
      ミランダ・ウェルズ・ヴァン・リン
      Miranda Wells Van Ryn
      ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ
      • ウォルター・ヒューストン
      • ヴィンセント・プライス
      剃刀の刃
      The Razor's Edge
      イザベル・ブラッドリー・マテュリン
      Isabel Bradley Maturin
      エドマンド・グールディング
      1947年 幽霊と未亡人
      The Ghost and Mrs. Muir
      ルーシー・ムーア
      Lucy Muir
      ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ
      1948年 鉄のカーテン
      The Iron Curtain
      アンナ・グーゼンコ
      Anna Gouzenko
      ウィリアム・A・ウェルマン ダナ・アンドリュース
      ザット・ワンダフル・アージ英語版(原題)
      That Wonderful Urge
      サラ・ファーリー
      Sara Farley
      ロバート・B・シンクレア英語版 タイロン・パワー
      1950年 疑惑の渦巻英語版
      Whirlpool
      アン・サットン
      Ann Sutton
      オットー・プレミンジャー
      街の野獣
      Night and the City
      メアリー・ブリストル
      Mary Bristol
      ジュールズ・ダッシン リチャード・ウィドマーク
      歩道の終わる所英語版
      Where the Sidewalk Ends
      モーガン・テイラー
      Morgan Taylor (Payne)
      オットー・プレミンジャー ダナ・アンドリュース
      1951年 メイティング・シーズン英語版(原題)
      The Mating Season
      マギー・カールトン・マクナルティ
      Maggie Carleton McNulty
      ミッチェル・ライゼン英語版
      南仏夜話 夫(ハズ)は偽者英語版
      On the Riviera
      リリ・デュラン
      Lili Duran
      ウォルター・ラング ダニー・ケイ テクニカラー作品
      脱獄者の秘密英語版
      The Secret of Convict Lake
      マーシャ・ストッダード
      Marcia Stoddard
      マイケル・ゴードン グレン・フォード
      クロース・トゥ・マイ・ハート英語版(原題)
      Close to My Heart
      ミッジ・シェリダン
      Midge Sheridan
      ウィリアム・キーリー英語版 レイ・ミランド
      1952年 草原の追跡英語版
      Way of a Gaucho
      テレサ・チャベス
      Teresa Chavez
      ジャック・ターナー ロリー・カルホーン テクニカラー作品
      プリマス・アドベンチャー英語版(原題)
      Plymouth Adventure
      ドロシー・ブラッドフォード
      Dorothy Bradford
      クラレンス・ブラウン テクニカラー作品
      1953年 哀愁のロシア英語版
      Never Let Me Go
      マリヤ・ラマーキナ
      Marya Lamarkina
      デルマー・デイヴィス クラーク・ゲーブル
      憧れの小径英語版
      Personal Affair
      ケイ・バーロウ
      Kay Barlow
      アンソニー・ペリシエ英語版
      1954年 意外な犯行英語版
      Black Widow
      アイリス・デンヴァー
      Iris Denver
      ナナリー・ジョンソン英語版 シネマスコープ、デラックスカラー
      エジプト人
      The Egyptian
      バケタモン
      Baketamon
      マイケル・カーティス シネマスコープ、デラックスカラー
      1955年 レフト・ハンド・オブ・ゴッド英語版(原題)
      The Left Hand of God
      アン・スコット
      Anne Scott
      エドワード・ドミトリク ハンフリー・ボガート シネマスコープ、デラックスカラー
      1962年 野望の系列
      Advise & Consent
      ドリー・ハリソン
      Dolly Harrison
      オットー・プレミンジャー パナビジョン
      1963年 欲望の家英語版
      Toys in the Attic
      アルバータイン・プライン
      Albertine Prine
      ジョージ・ロイ・ヒル
      フォー・ナイツ・オブ・ザ・フル・ムーン英語版(原題)
      • : Four Nights of the Full Moon
      • 西: Las cuatro noches de la luna llena
      役名不明 ソービー・マーティン英語版 ダン・デイリー英語版 フィルム紛失、失われた映画
      1964年 マドリードで乾杯英語版
      The Pleasure Seekers
      ジェーン・バートン
      Jane Barton
      ジーン・ネグレスコ シネマスコープ、デラックスカラー

      テレビ番組

      番組名役名 その他の出演者 注釈
      1947年 The Sir Charles Mendl Show 本人として ホスト:サー・チャールズ・メンドル英語版
      1953年 トースト・オブ・ザ・タウン
      oast of the Town
      ホスト:エド・サリヴァン エピソード#6.33、『エド・サリヴァン・ショー』の前身番組
      1954年 第26回アカデミー賞
      26th Academy Awards
      司会:ドナルド・オコーナーフレドリック・マーチ 衣裳デザイン賞プレゼンター
      1957年 ホワッツ・マイ・ライン?英語版(原題)
      What's My Line?
      司会:ジョン・チャールズ・デイリー英語版 8月25日回、ミステリー・ゲスト[41]
      1960年 ジェネラル・エレクトリック・シアター英語版
      General Electric Theater
      エレン・ギャロウェイ
      Ellen Galloway
      ホスト:ロナルド・レーガン エピソード:"Journey to a Wedding"
      1969年 FBIアメリカ連邦警察
      The F.B.I.
      フェイ・シンプソン
      Faye Simpson
      エフレム・ジンバリスト・ジュニア
      Efrem Zimbalist Jr.
      エピソード:S4E23 "Conspiracy of Silence"
      生きている墓石英語版
      Daughter of the Mind
      レノア・コンステイブル
      Lenore Constable
      レイ・ミランド テレビ映画
      1974年 マーヴ・グリフィン・ショー英語版
      The Merv Griffin Show
      本人として ホスト:マーヴ・グリフィン
      1979年
      1980年 ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソン英語版
      The Tonight Show Starring Johnny Carson
      ホスト:ジョニー・カーソン
      マイク・ダグラス・ショー英語版
      The Mike Douglas Show
      ホスト:マイク・ダグラス
      ダイナ!英語版
      Dinah!
      ホスト:ダイナ・ショア
      スクループルズ英語版
      Scruples
      ハリエット・トッピントン
      Harriet Toppington
      リンゼイ・ワグナー テレビミニシリーズ
      1999年 バイオグラフィー
      Biography - 'Gene Tierney: A Shattered Portrait'
      本人(アーカイブ映像) ホスト:ピーター・グレイブス 3月26日放送、伝記的ドキュメンタリー

      ラジオ番組

      番組名エピソード・出典
      1945年Old Gold Comedy TheatreA Lady Takes a Chance[42]
      1946年 ラックス・ラジオ・シアター英語版
      Lux Radio Theatre
      呪われた城Dragonwyck[43]
      ハリウッド・スター・タイム英語版
      Hollywood Star Time
      ベデリア英語版Bedelia[44]

      受賞とノミネート

      カルチャーへの影響

      • 2006年に『プルミエール・マガジン英語版』が発表した「100人の最もセクシーなオールタイム映画スター」"The 100 Sexiest Movie Stars of All Time" でティアニーは71位に選出された[48]
      • ディーン・マーティンジェリー・ルイスによるお笑いコンビ「底抜けコンビ」は、ボクシングショーツとギアを付けたルイスが、ジーン・ティアニーと闘ってやるんだと息巻くネタを作った[38]。これは1926年から1928年までプロボクシング世界ヘビー級王者だったジーン・タニーが、ティアニーのフルネームと酷似していることに引っかけている。
      • マッシュ』第3シーズンのエピソード "House Arrest" では、登場人物が『哀愁の湖』に登場するティアニーの姿を観ている。相手役のコーネル・ワイルドが熱情的にティアニーにキスするシーンで、ホークアイ・ピアースは「もしやつがあの出っ歯を真っ直ぐにしたら、あいつを殺してやる」"If he straightens out that overbite, I'll kill him." と息巻く。
      • キャスリン・ハイゼンフェルト (Kathryn Heisenfelt) は1947年の小説 "Gene Tierney and the Invisible Wedding Gift"(意味:ジーン・ティアニーと見えない結婚祝)で、彼女をヒロインに据えている[49]
      • アガサ・クリスティが1962年に発表したミス・マープルシリーズの長編小説『鏡は横にひび割れて』は、妊娠中に風疹に罹患したティアニーとその娘の実話を基にしていると指摘されている。
      • オフ・ブロードウェイミュージカルVIOLET英語版』には、何回かティアニーへの言及がある。メインキャラクターのヴァイオレットは、幼少期に父が関与した不慮の事故で顔に傷を負っており、「ジーン・ティアニーの眼」があればと願う。

      脚注

      参考文献

      外部リンク

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