タイキフォーチュン
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| タイキフォーチュン | |||||||||
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引退後のタイキフォーチュン (2024年8月20日撮影) | |||||||||
| 欧字表記 | Taiki Fortune[1] | ||||||||
| 品種 | サラブレッド[1] | ||||||||
| 性別 | 牡[1] | ||||||||
| 毛色 | 鹿毛[1] | ||||||||
| 生誕 | 1993年2月9日[1] | ||||||||
| 死没 | 2025年2月21日(32歳没) | ||||||||
| 父 | Seattle Dancer[1] | ||||||||
| 母 | パテントリークリア[1] | ||||||||
| 母の父 | Miswaki[1] | ||||||||
| 生国 |
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| 生産者 | Taiki Farm[1] | ||||||||
| 馬主 | (有)大樹ファーム | ||||||||
| 調教師 | 高橋祥泰(美浦北)[1] | ||||||||
| 競走成績 | |||||||||
| 生涯成績 | 15戦4勝[1] | ||||||||
| 獲得賞金 | 1億6324万2000円[1] | ||||||||
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タイキフォーチュン(欧字名:Taiki Fortune、1993年2月9日 - 2025年2月21日)[1]は、日本の競走馬、種牡馬。
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[2]
1993年2月9日、アメリカ合衆国に誕生[3]。アイルランドで調教が施されたのち、日本で外国産馬としてデビューした[3]。
1995年11月5日、東京競馬場の新馬戦に出走し、8着。翌週の新馬戦に連闘で出走して初勝利を挙げる。中山競馬場の葉牡丹賞をレコードタイムで制して西下し、ラジオたんぱ杯3歳ステークスに出走もロイヤルタッチの11着に終わる。年明けて弥生賞から始動しダンスインザダークの7着ののち再び西下して毎日杯に出走して優勝した。
新設されたNHKマイルカップへ出走、18頭中14頭が外国産馬となった[3]。レース前にはマイル戦への対応が不安視されたが、逃げたバンブーピノが作り出した前半1000メートル通過56秒7というハイペースの展開が中距離向きの馬の台頭を促した形となり、直線では鋭く伸びて最後は遊びつつ勝利、NHKマイルカップ初代王者に輝いた[4]。このレースで記録された1分32秒6というレースレコードタイムは、当時の東京芝1600メートル全体のレコードタイムである1分32秒4(1990年の第40回安田記念でオグリキャップが記録したタイム)とコンマ2秒しか違わないもので異様とも評され[4]、2004年にキングカメハメハが更新するまで維持された[5]。実際、フジテレビでこのレースを実況した三宅正治アナウンサーは4歳馬(現:3歳馬)でこの勝ちタイムを叩き出したため驚愕し、解説の吉田均に「これは…!電光掲示板、間違ってないですよね?」と確認を求める程であった。
秋は毎日王冠から始動して1番人気に支持されるもアヌスミラビリスの8着。続く2戦、ジャパンカップは6着、有馬記念11着と連敗を重ね、古馬になっても勝ち星とは縁遠く、1997年のマイルチャンピオンシップ(競走中止)から連闘で挑んだジャパンカップ(14着)が最後のレースとなった。
競走成績
以下の内容は、JBISサーチ[2]およびnetkeiba.com[6]に基づく。
| 競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭 数 | 枠 番 | 馬 番 | オッズ (人気) | 着順 | タイム (上がり3F) | 着差 | 騎手 | 斤量 [kg] | 1着馬(2着馬) | 馬体重 [kg] |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1995.11.5 | 東京 | 3歳新馬 | ダ1400m(良) | 14 | 7 | 12 | 2.6(2人) | 8着 | 1:30.1(41.0) | 2.2 | 柴田善臣 | 54 | タイキフォレスト | 488 | |
| 11.11 | 東京 | 3歳新馬 | 芝1800m(良) | 9 | 3 | 3 | 3.0(1人) | 1着 | 1:52.9(35.5) | -0.1 | 柴田善臣 | 54 | (シロキタクロス) | 480 | |
| 12.2 | 中山 | 葉牡丹賞 | 500万下 | 芝2000m(良) | 11 | 3 | 3 | 21.6(5人) | 1着 | 2:01.6(36.7) | -0.4 | 柴田善臣 | 54 | (マキノプリテンダー) | 480 |
| 12.23 | 阪神 | ラジオたんぱ杯3歳S | GIII | 芝2000m(良) | 15 | 8 | 15 | 5.2(3人) | 11着 | 2:04.0(36.3) | 1.3 | 坂本勝美 | 54 | ロイヤルタッチ | 478 |
| 1996.3.3 | 中山 | 弥生賞 | GII | 芝2000m(良) | 13 | 1 | 1 | 17.8(4人) | 7着 | 2:03.7(36.3) | 1.0 | 柴田善臣 | 55 | ダンスインザダーク | 490 |
| 3.24 | 阪神 | 毎日杯 | GIII | 芝2000m(良) | 16 | 3 | 6 | 5.8(3人) | 1着 | 2:01.1(35.3) | -0.2 | 柴田善臣 | 55 | (ナムライナズマ) | 486 |
| 5.12 | 東京 | NHKマイルC | GI | 芝1600m(良) | 18 | 4 | 7 | 11.8(4人) | 1着 | 1:32.6(34.8) | -0.1 | 柴田善臣 | 57 | (ツクバシンフォニー) | 486 |
| 10.6 | 東京 | 毎日王冠 | GII | 芝1800m(良) | 12 | 8 | 12 | 3.6(1人) | 8着 | 1:46.8(35.7) | 1.0 | 柴田善臣 | 57 | アヌスミラビリス | 500 |
| 11.24 | 東京 | ジャパンC | GI | 芝2400m(良) | 15 | 2 | 3 | 12.1(5人) | 6着 | 2:24.3(36.2) | 0.5 | 柴田善臣 | 55 | シングスピール | 494 |
| 12.22 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m(良) | 14 | 8 | 13 | 16.9(7人) | 11着 | 2:36.5(38.7) | 2.7 | 柴田善臣 | 55 | サクラローレル | 496 |
| 1997.4.5 | 中山 | ダービー卿CT | GIII | 芝1600m(重) | 13 | 7 | 11 | 6.7(4人) | 9着 | 1:37.2(38.0) | 1.7 | 柴田善臣 | 57 | ロイヤルスズカ | 496 |
| 5.10 | 東京 | 京王杯SC | GII | 芝1400m(良) | 16 | 5 | 10 | 7.4(4人) | 4着 | 1:20.9(33.5) | 0.4 | 柴田善臣 | 58 | タイキブリザード | 494 |
| 6.8 | 東京 | 安田記念 | GI | 芝1600m(良) | 18 | 4 | 8 | 6.0(2人) | 11着 | 1:34.9(35.6) | 1.1 | 柴田善臣 | 58 | タイキブリザード | 498 |
| 11.16 | 京都 | マイルCS | GI | 芝1600m(良) | 18 | 5 | 9 | 67.8(14人) | 競走中止 | 柴田善臣 | 57 | タイキシャトル | 498 | ||
| 11.23 | 東京 | ジャパンC | GI | 芝2400m(良) | 14 | 7 | 11 | 56.9(11人) | 14着 | 2:28.3(37.5) | 2.5 | 柴田善臣 | 57 | ピルサドスキー | 492 |
種牡馬時代
引退後はイーストスタッドで種牡馬として供用され、2000年から2004年までの供用で血統登録頭数29頭、出走頭数23頭を記録[7]。2005年以降は種付け記録がなく種付料も2012年の時点ではプライヴェートに設定されていた[8]。その後、イーストスタッドからの申し出があって認定NPO法人引退馬協会のフォスターホースの一頭に加わることになり[5][注釈 1]、2020年1月18日に新ひだか町の本桐牧場に移動した[9]。高齢のため、去勢手術は見送られた[5]。
2024年4月にはフラワーパークの死亡により、同時点で存命最年長のJRA・GI競走優勝馬およびJRA重賞優勝馬となった。
2025年2月21日、繋養されていた本桐牧場で死亡。当日はいつも通り放牧され飼葉も完食していたが16時頃に倒れそのまま立ち上がれず、呼吸が荒れ心拍数も上昇したため、苦痛を長引かせないよう安楽死処分されたという。本馬の死亡により、同時点でテイエムオオアラシ(1997年カブトヤマ記念・福島記念勝利馬)が存命最年長のJRA平地重賞勝利馬に、メジロドーベル(GI・5勝含む重賞7勝)が存命最年長のJRA平地GI勝利馬となった。