ナガランド民族社会主義評議会
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| ナガランド民族社会主義評議会 | |
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| 創設者 |
Isak Chishi Swu S. S. Khaplang Thuingaleng Muivah |
| 指導者 | Thuingaleng Muivah |
| 活動期間 | 1980年1月31日 – present |
| 忠誠 | 西部東南アジア連合民族解放戦線 (NSCN-K) |
| グループ |
NSCN-IM NSCN-K NSCN-KK NSCN-U NSCN-R |
| 本部 |
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| 活動地域 |
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| 主義 |
ナガ民族主義 キリスト教民族主義[1][2] 毛沢東思想 分離主義 |
| 政治的立場 | 極左 |
| 規模 |
~5,000 (NSCN-IM)[3][4] <500 (NSCN-K)[5] 1,000+ (NSCN-U)[6] ~2,500 (NSCN-R)[7] |
| 関連勢力 | |
| 敵対勢力 | |
| 戦闘と戦争 | |
| テロ組織指定者 |
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ナガランド民族社会主義評議会(ナガランドみんぞくしゃかいしゅぎひょうぎかい、National Socialist Council of Nagaland、NSCN)は、北東インドを拠点とするナガ人の反政府武装組織である[2][9]。ナガ人による独立国家であるナガリム(Nagalim)の設立を目指している[10]。大きくは、S・S・カプラン率いるカプラン派(NSCN-K)と、イサク・チシ・スウとトゥインガレン・ムイヴァーの率いるイサク・ムイバ派(NSCN-IM)に分裂している[11]。
「ナガ」は北東インドのヒマラヤ山脈周辺に居住する諸民族の総称であり、19世紀の英領インド時代に命名された。インドの独立以来、ナガ人は独立運動を繰り返してきた。NSCN設立の契機となったのは1975年、分離主義組織であるナガ民族評議会(NSC)が暴力行動を放棄し、インド政府とシロン協定を結んだことである[12]。NSC指導部の一部、イサク・チシ・スウ、トゥインガレン・ムイヴァー、S・S・カプランらはナガランドをインドの領土と認める同協定に反発し、新組織であるナガランド民族社会主義評議会(NSCN)を設立した[12][13]。
NSCNは政治部門と武装部門からなる地下政府を設立した。しかし、政府との交渉姿勢をめぐり再び指導部で対立が発生し、1988年4月30日にNSCNはカプラン派(NSCN-K)とイサク・ムイバ派(NSCN-IM)に分裂した。NSCN分裂後、両派閥は衝突した。1997年、NSCN両勢力とインド政府の停戦が実現した[14]。また、NSCN-Kはミャンマー政府と2012年に停戦した[15]。
2015年8月3日、NSCN-IMはナレンドラ・モディ首相ら立ち会いのもとでナガ平和協定に署名した[16]。一方で同年、NSCN-Kは北東インドの反政府勢力同盟である西部東南アジア連合民族解放戦線(UNLFW)に加盟した[17][18]。UNLFWのNSCN-Kとカンレイ・ヤオル・カンナ・ラプは2015年6月4日、マニプル州奇襲を実行し、インド軍の兵士18人を殺害・15人を負傷させた[19][20]。6月10日、インド軍はミャンマー国内のNSCN-K基地を攻撃したと発表したものの[21]、ミャンマー政府およびNSCN-Kはそのような事実は確認できなかったと発表した[22][23]。2019年2月から6月にかけて、ミャンマー軍とインド軍は共同作戦である Sunrise および Sunrise II を実行し、NSCN-Kをふくむ印緬国境諸勢力の拠点を攻撃した[24]。