ビルマ国民革命軍

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指導者 ボー・ナガー
創設 2022年1月1日 (2022-01-01)
規模 1000+[1]
ビルマ国民革命軍

ミャンマー・ロイヤル・ドラゴン軍
(2022年-2023年9月)
ビルマ国民革命軍
(2023年9月-現在)


မြန်မာ့တော်ဝင်နဂါးတပ်တော်
(2022年-2023年9月)
ဗမာအမျိုးသားတော်လှန်ရေးတပ်မတော်
(2023年9月-現在)
指導者 ボー・ナガー
創設 2022年1月1日 (2022-01-01)
活動地域 ペイル郡区, ザガイン地方域, マンダレー地方域
規模 1000+[1]
関連勢力

国民統一政府

ミャンマー民族民主同盟軍
敵対勢力

ミャンマーの旗 ミャンマー (SAC)

戦闘と戦争

ミャンマー内戦

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ビルマ国民革命軍(ビルマこくみんかくめいぐん、ビルマ語: ဗမာအမျိုးသားတော်လှန်ရေးတပ်မတော်英語: Burma National Revolutionary Army)、略称:BNRA)は、2021年ミャンマークーデターを機に結成された武装組織である。リーダーはボー・ナガーであり、ミャンマー有数のPDFの1つである。

2024年9月現在、3,000人以上の兵力と18個大隊を擁し、アニャーマグウェ地方域ザガイン地方域マンダレー地方域。ドライゾーンとも言う)で活動しており、NUGや少数民族武装勢力の指揮下になく、自立型PDFに分類される[2]

ザガイン地方域・モンユワ県パレー郡区に本拠地を置いている[2]

MRDA時代

ボー・ナガー

2021年ミャンマークーデター以来、ボー・ナガーはパレーPDFを率いていたが、2022年1月1日、国民統一政府(NUG)の指揮下に入り、ミャンマー・ロイヤル・ドラゴン軍(Myanmar Royal Dragon Army:MRDA)を結成した。カチン独立軍(KIA)とアラカン軍(AA)から軍事訓練を受け[3]、4個大隊を擁し、それぞれインマービン郡区の第3、第4、第5、第6大隊に指定され、KIAやAAや他のPDFと協力して、主に国軍の軍事拠点、車列、行政施設を標的とした攻撃を頻繁に行い、国軍の兵站と統制を混乱させる作戦に従事した[4]

しかし、同年5月、ボーナガーは「NUGから資金を受け取ってない」とFacebookに投稿[5]。同年12月には、パレー郡区におけるNUGの地方行政機関・人民行政チーム(PAT)のリーダーが、MRDAがレイプや他の反政府勢力のメンバーを殺害したと告発する事態が生じた。ボーナガーとそのリーダーがソーシャルメディア上で激論を交わし、ボー・ナガーは容疑を否定したが、証拠を示すことはできなかった[6]

2023年初頭には他の反政府勢力に対する暴力行為や、地域住民に対する不法な徴税の疑惑も浮上した[7]。同年8月には、抵抗勢力のために対空兵器を購入する献金キャンペーン「プロジェクト・ドラゴンフライ」(Project Dragonfly)が、200万ドル以上の寄付金を集めたことに対して、ボー・ナガーは「NUGからお金を受け取っていない」と主張した。しかし、キャンペーンを主導した在米ミャンマー人作家のペンシロは「NUGはMRDAにボー・ナガーが主張する以上の資金を提供している」と反論[8]。その後、NUGはMRDAに7万500米ドル以上の資金を提供しているという声明を発表した[7][9]

結局、NUGは、MRDAが命令に従わず独自に活動しているとして、指揮下から外した。MRDA傘下の4個大隊はすべてMRDAを脱退し、NUGの傘下に留まった。その後、その4個大隊はパレー革命同盟(Pale Revolutionary Alliance:PRA)を結成したが、分裂したと伝えられる[10][11]

BNRA時代

一方、ボー・ナガーは、2023年9月9日、ビルマ国民革命軍(BNRA)という新たな武装組織を結成。しかし、結成後1年経ってもほとんど武装闘争を行っていないという批判が巻き起こり、ボー・ナガーが「軍事政権への攻撃で、これまで一体何を成し遂げたのか?」と反論する一幕があった[6]

2024年11月11日、BNRAは、NUG傘下にないPDFであるジェネレーションZ軍(Generation Z Army:GZA)[12]と共同でパレーに駐屯していた国軍の部隊に攻撃を加え、2日後の町を占領した[13]。しかし、国軍側の空爆による反撃に遭い、わずか3日後の11月14日に撤退を余儀なくされた[14]

この際、BNRAは地元のNUG地方行政機関や住民に事前に攻撃を知らせなかったので、約1万5,000人の住民が非難を余儀なくされ、大きな批判を招いた。あるオブザーバーは、BNRAの攻撃は寄付金の獲得が目的であると指摘した[15]

その後、BNRAは、2025年9月にカニー郡区で小規模な戦闘を行った以外、ほとんど戦闘を行わなかった。

ボー・ナガーの降伏

2026年1月8日、ボー・ナガーはNUGがBNRAへの攻撃を開始したと発表[16]。翌9日、NUG傘下のPDFがBNRAが設置した4箇所の検問所を排除する事件が起きた。1月19日、今度はBNRAが、NUG傘下のPDFが設置した検問所を襲撃し、NUGの地方行政組織である人民行政チーム(PAT)のメンバーを拘束したと報じられた[17]

2026年2月、BNRAがNUG傘下のPDF兵士を射殺したことへの報復として、件のPDFがBNRAにドローンと爆発物による攻撃を仕掛け、BNRA側に10人の死者が出たと報じられた[18]

その後、2月18日、国軍系テレビ局・ミャワディテレビは、ボー・ナガーとその家族が、パレー郡区にある国軍の基地に赴き、兵器と弾薬を引き渡して降伏したと報じた[19][20][21]

NUGの発表によると、ボー・ナガーとBNRAメンバー数名は殺人、児童レイプ、拷問などの容疑がかけられ、苦情が寄せられたことから、NUG傘下のPDFが2月17日から彼らを包囲し、逮捕の準備を進めていた。その際、国軍がボー・ナガーに連絡を取り、家族とともにヘリコプターで近隣の村に避難させたのだという[22][23]。また、ボー・ナガーらを逮捕しようとした際に両者の間で衝突が発生し、PDFはBNRAの兵士約150人を逮捕。国軍はPDFの部隊が駐留していた村々をジャイロコプターを用いて2回空爆した[23]。ボー・ナガーの情報提供により、付近のPDF側の拠点が国軍の空爆および地上攻撃に晒される危険性が高まっていると指摘されている[11]

その後、3人の大隊長を含むBNRAメンバー約150人が武装解除に応じて、インマービン郡区のPDFに加わったが、一方で、BNRAのメンバー約20人が国軍側に寝返ったとも報じられている[24]。また、ボーナガーの妹が資金の運用を調査するためにPDFに拘束されたとも報じられた[6]

ソーシャルメディア上では、この出来事は大きな衝撃を持って受け止められ、抵抗運動全体に与える影響について活発な議論が行われた。多くのユーザーが過去5年間でもっとも大きな転機だと指摘し、一部ネットユーザーは、ボー・ナガーの降伏によって抵抗運動が弱体化し、反政府勢力内部の分裂が深まる可能性があると指摘、若い戦闘員の士気低下に対する懸念を表明した。また、国軍がこれを勢力誇示の材料として利用し、USDP主導の総選挙や文民政府樹立に向けた政治的プロパガンダに利用するのではないかとの見方も出ている[25]

あるオブザーバーが次のように語っている[6]

NUGは、「この田舎者が我々に指図する権利があるのか?」という感じだったと思う。ボー・ナガーの態度は、「戦っているのは我々だ、苦しんでいるのは我々のコミュニティだ、お前は基本的に海外でぶらぶらしているだけだ」というものだった。ボー・ナガーの態度は多くの人々の共感を呼び、彼の離反の痛みをさらに深くしたと思う。彼はロビン・フッドから斧の柄に転落した...ビルマの政治心理を考えると、それは到底許されることではない。

組織

脚注

参考文献

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