井上省三

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井上省三

井上 省三(いのうえ せいぞう[1][2]弘化2年10月15日1845年11月14日〉 - 1886年明治19年〉12月14日)は、日本実業家技術者。明治時代初期の官吏。「日本の毛織物工業の父」と呼ばれた[1][3]

1845年11月14日(弘化2年10月15日)に厚狭郡宇津井村(現下関市)の庄屋である伯野家に次男として生まれ[1][4]、同郡厚狭村(現山陽小野田市)の厚狭毛利家の家臣である井上家の養子となる。山口兵学校で蘭学を学び、奇兵隊隊長として倒幕に参加、1869年(明治2年)に木戸孝允と出会う。翌年に上京し、半年後に北白川宮能久親王に随行しドイツベルリン留学

当初は兵学を目的としていたが、殖産興業に変更し織物工場にて製絨技術を学ぶ。1875年(明治8年)に帰国し、内務省勧業寮へ出仕[5][6]。官営の製絨所を設立する準備のために再びドイツへ向かい、機械の購入や技師を雇い入れ、1878年(明治11年)にシレジアザーガン染色職人の娘と結婚して帰国[7]1879年(明治12年)、日本初となる毛織物工場「千住製絨所」が開業。初代所長となり日本の毛織物工業のを築いた。1886年(明治19年)2月13日に農商務少技長に任ぜられ[8]、同年12月14日に病気で42歳で亡くなる。墓所は熱海市海蔵寺。

栄典

家族

生家伯野家は多々良姓大内氏支族。大内義弘の弟・弘常を祖とし、その孫・義世が「伯」氏を名乗り、後に「伯野」とも称するようになったとされる[2]。長女・ハナ(Hanna)は井上の死後、母親に伴われてドイツに帰国、長じてロベルト・コッホの甥と結婚した。異母弟・彦作(伯野家から豊浦郡小串の旧家・高須家へ養子入り)は小串村村長(第12代)。彦作の子に、朝倉文夫に学んだ東京美術学校出身の彫刻家高須俊彦がいる。

銅像

脚注

参考文献

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