京須行男
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人物
- 没後の孫に、のちに十八世名人有資格者となる将棋棋士、森内俊之がいる。
- 弟子はいないが、名古屋出身の山田道美は金子金五郎門下だったが金子が名古屋在住であったため、1950年に東京に上京後、京須の道場に通って実力をあげ[5]、また亰須の紹介で同1950年に奨励会に入った[4]。
- プロ入り前の経歴として、日本紙業就職後、1937年8月に召集により戦地へ赴くも戦闘中に左胸に貫通銃創を受け帰還した[6][7]。こののち、日日新聞アマ名人戦に優勝[1]。
- 二段当時、早く昇段したいという焦る気持ちの中、敗戦を重ねて特に生活が苦しい状況にあったが、自らの生活を確立するために意を決し、敢えて結婚をしたという[6][8]。
- 三軒茶屋の将棋道場で指導にあたる[1]。京須の没後は上述の山田道美が土日に指導に入り道場再建の一助とした[9]。