浅沼一
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終戦後、順位戦が始まり、第4期順位戦(1949年度)では東西のC級乙組で三段以下が合計4名参加した。当時24歳で東の二段だった浅沼もその一人である(ほかには、東の清野静男三段、西の神田鎮雄三段・増田敏二二段)。第4期を4勝4敗の指し分けの成績とし、浅沼は1950年4月に四段に飛び昇段。翌期(第5期)に四段棋士として参加した。
順位戦での上記を含む最初の6年間は指し分け(勝ち負け同数)や勝ち越しがあり5割前後の勝率であったが、7年目に著しく負けがこみ、予備クラス(現在の奨励会三段リーグやフリークラスに相当)に陥落。当時は、まだ降級点のようなクッション的な制度がなく、1期の成績不振ですぐ降級であった。
その後、予備クラスで5期(2年半)指したのち、1958年10月に引退[1]。まだ33歳であった。5期目の予備クラスでは、三段に昇段してきた当時17歳の内藤國雄との対戦が2局あり、2局中2敗している。