大崎下島
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所在海域
瀬戸内海
| 大崎下島 | |
|---|---|
| 所在地 | 日本(広島県) |
| 所在海域 | 瀬戸内海 |
| 所属諸島 |
芸予諸島 (下大崎群島) |
| 座標 | 北緯34度10分23.4秒 東経132度49分47.4秒 / 北緯34.173167度 東経132.829833度座標: 北緯34度10分23.4秒 東経132度49分47.4秒 / 北緯34.173167度 東経132.829833度 |
| 面積 | 17.82 km² |
| 海岸線長 | 26.0 km |
| 最高標高 | 449 m |
| 最高峰 | 一峰寺山 |
大崎下島(おおさきしもじま)は、瀬戸内海の中部にある下大崎群島の島。行政上は広島県呉市の豊町と豊浜町からなり、本土である東広島市安芸津町の南約15kmの海上に位置する離島である[1]。
地理
地域・集落
山がそのまま島になったような地形から、集落は海岸部に集中している。人家が密集した集落が形成されているのは、東から反時計回りに、御手洗、大長、久比、立花、大浜、沖友である。沖友のみ南岸に立地している。島の南の沖友と北の久比との間には山腹を貫く大崎下島トンネルが開設されている。
住所表記としては、住所表示は「豊浜町」「豊町」を引き継いでいる。具体的には、旧・豊町の地域は呉市に続けて「豊町」を、旧・豊浜町の地域は同じく「豊浜町」を付ける。(例)呉市豊町久比 呉市豊浜町大浜
それぞれの郵便番号は次のとおり。
- 〒734-0301 呉市豊町大長(ユタカマチオオチョウ)
- 〒734-0303 呉市豊町沖友(ユタカマチオキトモ)
- 〒734-0304 呉市豊町久比(ユタカマチクビ)
- 〒734-0302 呉市豊町御手洗(ユタカマチミタライ)
- 〒734-0103 呉市豊浜町斎島(トヨハマチョウイツキシマ)
- 〒734-0102 呉市豊浜町大浜(トヨハマチョウオオハマ)
- 〒734-0101 呉市豊浜町豊島(トヨハマチョウトヨシマ)[4]
※「チョウ」と「マチ」が混在しているが、編入合併前の「町」の読みを踏襲したもの。
歴史


- 戦国時代までは下島と呼ばれ、大山祇神社の寺社領であった。また伊予国に属していた。
- 江戸時代以降、御手洗は潮待ち・風待ちの港町として賑わった。
- 1863年(文久3年)の八月十八日の政変で失脚し京都を追放された七卿のうち五卿は、長州に逃れる途中、この島に立ち寄っている。その時立ち寄ったとされる屋敷が御手洗地区に七卿落遺跡として広島県指定の史跡になっている。
- 1917年(大正6年) 大崎電灯が設立され全島で電灯ともる[5]。
- 大長地区では近隣の島へミカンの出作を行うため、農船と呼ばれる小型船を使用していた。最盛期は大長の船溜りには400艘を超える農船がひしめいていたが、架橋の進展などにより、次第に使用されなくなり、現在では大幅に減少している。
交通
道路
- 県道
- 広島県道355号大崎下島循環線(島を一周する道路)
- 橋
バス
港湾
(南西から時計まわりに)
航路
- 高速船
- ※ 御手洗地区 寄港便もある。「めばる」から「明石」までが「大崎上島」
- フェリー
- 小長港 - 明石(大崎上島)
文化
- 御手洗には現在も江戸後期から昭和初期の建物が数多く残り、突堤、雁木などの港湾施設も良好に保存されていることから1994年に「豊町御手洗伝統的建造物群保存地区」の名称で重要伝統的建造物群保存地区として選定された(全国で38番目の選定)。
見所・名産
御手洗地区の事柄については、御手洗 (呉市)を参照
作品の舞台などとして
- ももへの手紙 - 大長地区と御手洗地区が舞台のモデルとなっている[10]。
- 男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎 - 大長大橋の付近がワンシーンに登場する。
- 悪霊島 - 刑部島のシーンなど。

