岡村島
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| 岡村島 | |
|---|---|
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岡村島 | |
| 所在地 | 日本(愛媛県) |
| 所在海域 | 瀬戸内海 |
| 所属諸島 | 関前諸島 |
| 座標 | 北緯34度11分15.8秒 東経132度52分40.8秒 / 北緯34.187722度 東経132.878000度座標: 北緯34度11分15.8秒 東経132度52分40.8秒 / 北緯34.187722度 東経132.878000度 |
| 面積 | 3.17 km² |
| 海岸線長 | 11.1 km |
| 最高標高 | 213 m |
| 最高峰 | 甲ノ峰 |
| 最大都市 | 関前岡村 |
岡村島(おかむらじま)は、瀬戸内海の中部にある関前諸島の島。行政上は愛媛県今治市に属する離島である[1]。
1959年(昭和34年)5月に離島振興法の離島振興対策実施地域に指定されたが、 今治市への合併後、2010年(平成22年)4月1日付で指定は解除された[2]。
基幹産業は第一次産業の農業や漁業である[1]。島の地質は花崗岩に所々で砂質土壌がみられ、秩父古成層地帯の角礫の含有量が極めて多いため、ミカン栽培に適している[1]。本州の広島県呉市と安芸灘とびしま海道(陸路)でつながっており、2024年現在、その終端である[3]。
自然
クロツバメシジミの生息地が存在することで知られる。
社会
集落
- 明治時代中頃から柑橘類の栽培が始まり、大正時代にはみかんの島として知られるようになった。以来、村役場がこの島に置かれるなど、関前諸島の中心として機能してきた。集落は島の南東部でフェリーの寄航する岡村港のある岡村に集積し、今治市関前支所(旧村役場)もこの集落にある。西に大崎下市の御手洗港に正対する形で白潟集落があるものの、規模は小さい。
行政区分
- 天保9年に隣島の小大下島を二分してその一部を岡村と合する。
- 1890年(明治23年)に岡村島と大下村の合併により越智郡関前村となる。
- 昭和の大合併は離島という特性のため、経験しなかった。
- 2005年(平成17年)1月16日 - 関前村が今治市に編入合併され、今治市の一部となる。
人口
2021年(令和3年)11月の時点の人口は約280人で過疎化が進んでいる[3]。2012年(平成24年)4月時点では409人[4]、240世帯だった。
学校

歴史
- 古くから斎灘の海上交通の要衝にあたり、平安時代から空海や菅原道真らが立ち寄ったいわれがある。戦国時代には村上水軍の城砦が築かれた。江戸時代中期には隣島の大崎下島の御手洗港などとともに潮待ち港として栄えた。
- 1950年 観音崎が瀬戸内海国立公園に編入される。
- 1862年 岡村桟橋が完成
- 1995年8月1日 平羅橋(へいらばし)開通。安芸灘諸島連絡架橋の一つ。大崎下島広域農道(通称・安芸灘オレンジライン)の一つ。広島県側の大崎下島とつながる3つの橋の内最初に開通。
- 1995年8月29日 岡村大橋開通。安芸灘諸島連絡架橋の一つ(7号橋)。岡村島と広島県側の中ノ島との間に架かっている。農道としては珍しい、県境をまたぐ橋。
- 1998年11月6日 中の瀬戸大橋開通。中ノ島と西隣の平羅島との間の橋。これにて一連の3橋が開通し、岡村島は大崎下島と陸路でつながる。
- 2008年11月18日 豊島大橋(豊島-上蒲刈島)の開通。これにて本州と陸路でつながった。
産業
交通

四国からのアクセスは、今治港から今治市営フェリーを使うのが一般的。広島県西部からは、呉市より安芸灘とびしま海道を利用して陸路で来ることができる。広島県東部以東からは、瀬戸内しまなみ海道を使って隣接する大三島に上陸し、大三島ブルーライン・今治市営渡船を使う方法がある。
- 岡村港全景
- 岡村島中心部
- 岡村島の路地
架橋

- 安芸灘とびしま海道の現時点での終点に位置する[3]。愛媛県と広島県の県境に位置するが、広島県との間には、安芸灘諸島連絡架橋の一環の岡村大橋、中の瀬戸大橋、平羅橋の3つの橋により大崎下島と道路でつながっている。[5]
海上交通
フェリー 「第二せきぜん」が今治-岡村間を1日4往復(内3往復は小大下島・大下島に寄港)、旅客船 「とびしま」が今治港-宗方港-岡村港間を1日4往復する。2012年10月より宗方・木江とのフェリー航路が就航(宗方-岡村間は5往復)。
- 港
- 岡村港
- 白潟港
- 城ノ谷漁港
- フェリー「第二せきぜん」
- 旅客船とびしま」


