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宮沢和史

日本のシンガーソングライター、俳優 From Wikipedia, the free encyclopedia

宮沢 和史(みやざわ かずふみ、1966年1月18日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優。元THE BOOMのボーカル。息子は宮沢氷魚。

別名 MIYA
生誕 (1966-01-18) 1966年1月18日(60歳)
概要 宮沢(みやざわ) 和史(かずふみ), 基本情報 ...
宮沢(みやざわ) 和史(かずふみ)
2005年 ポーランド公演にて
基本情報
別名 MIYA
生誕 (1966-01-18) 1966年1月18日(60歳)
出身地 日本の旗 日本 山梨県甲府市
学歴 明治大学経営学部卒業
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1986年 -
レーベル よしもとミュージック
配偶者 光岡ディオン(1994年 - )
著名な家族 宮沢氷魚(子)
共同作業者

THE BOOM (1987年 - 2014年)

GANGA ZUMBA
公式サイト みやんち STUDIO&COFFEE Official Website
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チャンネル
活動期間 2020年-
ジャンル 音楽
登録者数 794人
概要 宮沢和史公式, YouTube ...
宮沢和史公式
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年-
ジャンル 音楽
登録者数 794人
総再生回数 9,121回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2026年4月29日時点。
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来歴

山梨県甲府市出身。(甲府市立千塚小学校、甲府市立北中学校を経て)山梨県立甲府南高等学校、明治大学(経営学部とされる)卒業[1]。

1986年に小林孝至 、山川浩正、栃木孝夫らと共にTHE BOOMを結成、歩行者天国でのライブを積み重ねた後、1989年5月シングル「君はTVっ子」、アルバム『A PEACETIME BOOM』でCBS・ソニーからメジャー・デビュー。

THE BOOMのほぼ全楽曲を作詞・作曲。グループの知名度を特に高めた楽曲として「島唄」「風になりたい」が挙げられる。世界中を旅し、そこで得たインスピレーションで独創的な音楽を生み出してきた。楽曲はロックがすべての下敷きになってはいるが、サンバ、ケチャ、カリプソ、ボサノヴァ、ジャズ、ソウル、スカ、レゲエ、HR/HM、パンク、演歌、ヒップホップ、テクノなど、あらゆるジャンルに造詣が深い。

ソロのシンガーソングライターとして楽曲発表、楽曲提供、著書それぞれ多数。以前、俳優としても活動し、ミュージカルやテレビドラマ、映画にも出演した。

妻は光岡ディオン(1994年に結婚)。3人の子供(二男一女)を授かり、長男は俳優でモデルの宮沢氷魚で[2]、次男はアメリカで弁護士をしている[3]。

人物

宮沢は明治大学を第一志望としており、併願校に合格していたものの、同大学への進学を希望して1年間浪人したと語っている[4]。

大学時代にはレストランでコックのアルバイトをしていた。料理については「得意じゃない」としつつも、作ることは好きだと語っている。子どもが小さいころから、家にいるときは食材を買い、自分で料理をしていたという[5]。

2012年8月には、沖縄市与儀に開業したカフェ「みやんちSTUDIO&COFFEE」の店名、コンセプト、メニューをプロデュースした[6]。

幼少期から釣りに親しみ、父親や友人の影響で渓流釣りを始めた。中学生の頃からフライ・フィッシングを続けており、2024年には日本釣用品工業会のロイヤルアングラー賞を受賞した[7][8]。

2001年「島唄」がアルゼンチンで大ヒットしていることを宮沢は全く知らずインターネットを見たスタッフに知らされたという[9][10]。カバーしたアルフレッド・カセーロも「島唄」の作者・宮沢に無許可でリリースしていたが、後に宮沢がアルゼンチンまで出向き、カセーロと2人で「島唄」を聴衆と共に現地で合唱した。

2005年に統合新設された甲府市立舞鶴小学校の校歌を作詞・作曲[11][12][13]。

1989年のシングル「気球に乗って」が天安門事件をモチーフにしているなど、デビュー当時から社会問題を時々歌に取り入れている[注 1][注 2]。

くるちの杜100年プロジェクト

宮沢は、三線の棹材となるくるち(琉球黒檀)の植林・育林に取り組む「くるちの杜100年プロジェクト in 読谷」の名誉会長を務めている。サントリー文化財団および沖縄県三線製作事業協同組合によると、同プロジェクトは2012年に発足し、会長は読谷村長、筆頭賛同人は平田大一で、協力団体には沖縄県三線製作事業協同組合や沖縄県立芸術大学などが参加している[14][15][16][17][18][19][20][21]。

読谷村は、同プロジェクトについて、沖縄の伝統楽器・三線に欠かせないくるちの植樹を推進する活動であり、沖縄戦で多くが失われたうえ、成木までに100年を要することから、宮沢和史や平田大一の提案で、読谷村や三線製作関係者が協力して実行委員会を発足したと説明している。サントリー文化財団も、宮沢が2012年に「沖縄に恩返しをするためにくるちの植林を始めたい」と考え、友人で演出家の平田大一に相談したこと、平田が住む読谷村が三線の始祖として伝えられる赤犬子ゆかりの地であり、過去にくるち植林の実績もあったことから、両氏の呼びかけに読谷村、地元団体、古典音楽各会派、沖縄県三線製作事業協同組合などが応えて発足したと紹介している[22][23]。

宮沢がこの活動に関わるようになった理由については、本人が複数の媒体で比較的具体的に語っている。2017年の琉球新報によると、宮沢は、ある三線店の人から「『島唄』がヒットしたことで黒木の輸入が増えた」と聞かされ、罪悪感を感じたことが県産黒木の植樹に目を向ける契機になったと述べている。2019年のインタビューでも、三線を手にする人が増える一方で、三線職人から県産黒木が確保できなくなり輸入に頼るようになったと聞き、「僕にも責任があると思って」県に相談に行ったこと、読谷村で先行して行われていた植林を引き継ぐ形で2012年にプロジェクトが始まったことを説明している[24][25]。

宮沢はまた、この活動を単なる植樹事業としてではなく、三線文化の持続可能性を支える基盤整備として位置づけている。沖縄県森林管理課の2021年資料によると、宮沢は保育作業にWEB参加し、三線職人、沖縄音楽関係者、林業関係者が意見を交換しながら、どのような道筋をたどれば木材や人材が循環・継続していくのかを考えることが重要であると述べた。また、原料木の枯渇や価格高騰によって若手職人が育ちにくくなり、職人の生活も厳しくなる事態を避けるためにも、くるちの木を次代に残したいと説明している[26][27][28][29]。

活動内容も、植樹や育樹に限定されない。読谷村広報は、同プロジェクトが助成金や寄付金をもとに運営され、ボランティアによる月例作業のほか、毎年10月頃に育樹祭や音楽祭が行われる長期的な取り組みであると説明している。沖縄テレビは、座喜味城跡公園北側を中心に約3000本のくるちが植えられていると報じている。サントリー文化財団は、これに加えて、植樹祭・育樹祭に合わせて開催される音楽祭、シンポジウム、ワークショップ、「お出かけくるちの杜講座」などを通じて理解者を広げてきたと紹介している[30][31][32]。

教育普及の面でも継続的な活動が確認できる。2014年の読谷村広報では、「平田大一×宮沢和史」による「お出かけくるちの杜講座」が小中学校を巡回して行われたことや、「くるちの杜100年シンポジウム」が開催されたことが紹介されている。サントリー文化財団も、宮沢や平田が地元の小中学校や高校を訪れて活動継承を呼びかけていること、くるちの研究者がいる琉球大学や、琉球古典音楽を教える沖縄県立芸術大学とも連携しながら、三線文化の継承と発展のよりよい方法を模索していることを紹介している。[33][34]

宮沢は、この活動を平和の問題とも結びつけて語っている。2017年の琉球新報によれば、宮沢は、100年後に県産黒木の三線ができれば、その間この島が戦争をしなかった証しにもなるという趣旨を述べた。こうした認識は、くるちの杜の取り組みを、三線材の確保という実務的課題だけでなく、沖縄の文化と平和を未来へ手渡す長期的活動として位置づけるものである[35]。

2018年には、「くるちの杜100年プロジェクト in 読谷」が第40回サントリー地域文化賞を受賞した。サントリー文化財団は、これまでに約3000本を植樹し、月1回の草刈りには読谷村だけでなく県内外や海外からもボランティアが参加していること、さらに読谷村から始まったこの取り組みを将来的には沖縄県全域へ広げていく構想も進んでいることを紹介している[36]。

唄方プロジェクト

宮沢は、沖縄民謡の記録と伝承を目的とする「唄方プロジェクト」に監修・特別顧問として関わった。琉球新報によると、宮沢は4年以上をかけて沖縄県内各地の唄い手を訪ね、200人以上の歌い手による民謡245曲を録音・記録した。こうした収録は、沖縄民謡を楽譜だけでなく音声としても残したいという考えに基づくものだったと、宮沢はラジオ番組で語っている[37][38]。

これらは17枚組CDボックス『沖縄/宮古/八重山民謡大全集 1(唄方-うたかた)』として2016年にまとめられた。国立国会図書館サーチでは、宮沢和史監修による録音資料として登録されている[39]。

同プロジェクトは、収録規模の拡大により制作費が膨らんだことを受け、寄付を募る形で立ち上げられた。2016年に完成したCDボックスは、県内の公立高校、特別支援学校、公立中学校、図書館、県外・海外の沖縄県人会などへ順次寄贈され、2022年の報道では、国内外の県人会や県内の図書館、学校など約600カ所への寄贈実績が示されている[37][40]。

2022年には第2期として、245曲の解説書と歌詞改訂版の制作および追加寄贈が進められた。報道では、解説書は宮沢が新たに執筆したとされる[37]。

2023年には沖縄県立図書館で「唄方プロジェクト」展示が行われ、宮沢と平田大一による対談イベントも開催された。対談では、宮沢が登川誠仁を記録したいと思ったことが出発点の1つだったと語っている。また、同プロジェクトでは音源だけでなく演奏時の映像も記録しており、対談ではその一部も公開された[41][42]。

また、日本芸術文化振興会の業務実績報告書では、国立劇場おきなわの三線音楽公演「唄方」が、CD『沖縄・宮古・八重山民謡大全集 唄方』の制作を担った宮沢によるプロデュース公演として位置づけられている[43]。

経歴

学生時代

幼少期は体が弱くて内向的な性格だったが、近所の友達に釣りに誘われたのをきっかけに自然を駆け回る活発な性格になった[1]。小学校高学年の時、好きな女の子が書いていた詩の意外性に衝撃を受けのをきっかけに言葉の面白さに目覚めた[1]。

中学生頃から将来は音楽の道に進むことを望んで中学2年生から作曲を始め、高校進学後は帰宅すると自宅で毎日2時間ほど弾き語りに励んだ[1]。高校では普段目立つタイプではなくシャイな性格だったが、文化祭で生徒たちの前で歌を披露して同級生を驚かせた[1]。

THE BOOMのデビュー

高校卒業と同時に上京し[1]、1986年11月、THE BOOMを結成。1987年7月26日、歩行者天国で路上ライブ開始。

大学卒業の前年、周りからの勧めで1988年12月18日のCBS・ソニーのオーディションを受け、グランプリを受賞して合格[1]。

1989年5月21日、シングル「君はTVっ子」・アルバム『A PEACETIME BOOM』でメジャー・デビュー。ほどなくして、毒気を叙情性でくるんだ耳に残る楽曲と跳んだり走ったりの派手なパフォーマンスで一躍人気を集めた[注 3]。

「島唄」のヒット

ある時レコード会社から沖縄民謡のカセットテープをもらったのを機に、旋律の心地よさと三線の音色の虜になって琉球音階を用いた曲作りを始めた[1]。

1990年9月21日、3rdアルバム『JAPANESKA』で初めて沖縄音楽を取り入れた[注 4]。前2作がスカやロックなど、オーソドックスな音楽スタイルであったが、この時期から、バンドの音楽の方向性が著しく変わっていく。

1992年1月22日、4thアルバム『思春期』発表。本作で後の大ヒット曲となる「島唄 (オリジナル・ヴァージョン)」が初めて発表された。この歌は、“二度と戦争を起こしてはいけない”という思いから生まれた[注 5]。

1992年12月12日、「島唄」をウチナーグチで歌ったシングル「島唄 (ウチナーグチ・ヴァージョン)」を沖縄限定で発売。泡盛のCMタイアップ曲にも使用されヒットした。

1993年6月21日、かねてからシングル・リリースの要望が高かった「島唄 (オリジナル・ヴァージョン)」が発売となり、全国的な大ヒットとなる。

1993年12月31日、「第35回日本レコード大賞」で「ベストソング賞」を受賞。『紅白歌合戦』に出場、「島唄」をウチナーグチで歌う。

THE BOOMの活動休止〜ソロ活動開始

1994年、初めてブラジルのリオデジャネイロに訪れ、現地の人達の生きるエネルギーに圧倒された[1]。これをきっかけに、サンバのリズムに乗せて日本人が踊れて気持ちよく開放されるような音楽を作り始めた[1]。同年11月21日、6thアルバム『極東サンバ』を発表。このアルバムには、先のリオデジャネイロのイパネマの海岸でメロディーが浮かび、帰国後に歌詞を書いた「風になりたい」が収録され、代表曲の一つとなった[1]。

上記を境にこれまでの沖縄音楽やアジアの音楽的要素から完全に脱却。以降、1997年初頭にグループとしての活動を一時休止するまでブラジル音楽に傾倒[注 6]。1996年5月、念願であったTHE BOOMのブラジルでの初のコンサート[1]を3都市で行う(4公演)。

1997年1月、表立ったTHE BOOMの活動を一時休止、各人ソロ活動に専念。9月10日、久石譲とのコラボレーション・シングル「旅立ちの時〜Asian Dream Song〜」を発表。本楽曲は『長野パラリンピック』のテーマソングとして制作され、『長野パラリンピック』の開会式で、同曲を披露した。

1998年、全曲ポルトガル語のソロアルバム『AFROSICK』を南米のアーティストと制作し、ブラジルでコンサートを行った[1]。同アルバムが評判になったのを受けて、多国籍ミュージシャンたちと中南米やヨーロッパを回るツアーを行った[1]。

THE BOOMの活動再開

1999年、THE BOOMとして活動を再開。以後は局地的な音楽をアルバム・コンセプトにせず様々なジャンルに挑戦。

2000年、矢野顕子、大貫妙子、鈴木慶一、奥田民生らと「Beautiful Songs」と題したコンサートを全国8ヶ所で敢行、ライブ・アルバムをリリース。2002年も再びコンサートを開催した。

2001年に、アルゼンチンでアルフレッド・カセーロがカバーした「SHIMAUTA」大ヒット、日本でも話題に。国内は「島唄」をまとめたシングル「島唄 Shima Uta」がヒット。

GANGA ZUMBAの結成

2006年、新バンドGANGA ZUMBA結成。リーダーおよびボーカルを担当。同時に、THE BOOMとしての活動を休止。

2008年9月、ジルベルト・ジルの日本公演にて、スペシャル・プレゼンターとして参加。また、この頃にTHE BOOMとしての活動も再開。以後はTHE BOOMとGANGA ZUMBAの活動を並行して行なっている。

遡って2005年のある日、首にバットで殴られたような痛みが走り、以後定期的に同様の痛みの発作が起きるようになり、時には痛みで眠れないほどで歌唱にも影響が出始めた[1]。

その後症状が悪化して2013年11月、頚椎症性神経根症(または頚椎ヘルニア[1])の治療のため約4ヶ月の活動休止を発表[44]。

THE BOOMの解散〜ソロ活動の休止

2014年12月、自分の病気のことでメンバーに迷惑をかけられないとの理由からTHE BOOM解散[1]。個々で音楽活動を継続。

2015年6月より、本格的なソロ活動として、弾き語りツアー 寄り道2015『連れづれなるままに…』開催。

2015年10月19日、翌2016年4月から那覇市の沖縄県立芸術大学で非常勤講師を務めることが明らかになる[45][46]。

その後首の痛みが限界を感じたため、医師から「手術する場合は声帯を移動すること」及び「仮に失敗すれば下半身不随になる可能性もゼロではない」という話を聞き、歌手活動を休止して症状と付き合うことを決意[1]。2016年1月3日、同年春を目処に表舞台における歌唱活動の無期限休養を発表[47]。

ソロ活動再開〜現在まで

2017年1月7日、Twitterおよび公式サイトにて、歌唱活動を少しずつ再開していくことを発表[48][49]。2017年3月11日、震災チャリティ・イベント「The Unforgettable Day 3.11」で歌手活動復帰[50]。

2018年夏、日本テレビ『THE MUSIC DAY』、テレビ朝日『ミュージックステーションウルトラFES』にソロとして初出演。THE BOOMでの出演以来、実に9年振りに同番組に出演となり、「島唄」を25年振りに披露した。その他、高野寛・おおはた雄一らとライブを頻繁に行なっている。

ディスコグラフィー

シングル

  1. Seven Days, Seven Nights(1998年2月18日)オリコン57位
  2. ブラジル人・イン・トーキョー(1998年5月27日)オリコン77位
  3. 沖縄に降る雪(2001年11月7日)オリコン39位
  4. コシカ/ひとつしかない地球(2005年4月20日)
    「ひとつしかない地球」は、教育団体「ラボ・パーティ」のために書かれた楽曲。
  5. 午前0時の近景(2023年5月31日)配信限定
  6. 島唄 ~琉奏~ / 宮沢和史 with 親川遥(2023年9月13日)配信限定
  7. 遠影 / 宮沢和史 with 藤巻亮太(2024年2月14日)配信限定

アルバム

  1. Sixteenth Moon(1998年3月18日)
  2. AFROSICK(オリジナル・ポルトガル語ヴァージョン)(1998年7月8日)
    「MIYAZAWA」名義・全編ポルトガル語のブラジル発売盤
  3. AFROSICK(1998年7月18日)
    日本盤
  4. AFROSICK(ポルトガル語ヴァージョン)(1998年11月16日)
    「オリジナル・ポルトガル語ヴァージョン」の日本盤
  5. MIYAZAWA(2001年11月28日)
  6. MIYAZAWA-SICK(2003年1月16日)
    3作のオリジナル・アルバムから選曲したベスト・アルバム。ボーナストラックとして「Shima Uta (Cancion de Isra)」収録。
  7. DEEPER THAN OCEANS(2003年6月3日)
    「MIYAZAWA」名義、輸入盤(イギリスでリリース)。
  8. SPIRITEK(2004年1月28日)
    セルフ・カヴァー集。
  9. TOKYO STORY(2004年11月1日)
    「MIYAZAWA」名義、輸入版(イギリスでリリース)。
  10. 寄り道(2007年5月15日、通信販売・ライブ会場のみで購入可能)
    ライヴ・アルバム。
  11. 寄り道 06/07(2008年2月27日)
    前作「寄り道」にDVDを添付した作品。CDの内容は前作と同じ。
  12. MUSICK(2015年12月2日)[51][52]
    ソロ活動の集大成として、新曲・セルフカバー10曲とソロ・GANGA ZUMBA名義のベスト10曲、計20曲が収録されたベスト・アルバム[53]。
  13. 留まらざること 川の如く(2019年5月22日)[54][55]
    2001年の『MIYAZAWA』以来17年半ぶり、4作目のオリジナル・アルバム[56]。
  14. 次世界(2021年1月20日)
    5作目のオリジナル・アルバム。新曲4作品に加え、新録「旅立ちの時」を収録。
  15. 〜35〜[注 7](2024年4月24日)
    6作目のオリジナル・アルバム。THE BOOM時代のセルフカバーと先行配信された3曲に加え、TRICERATOPSとの新曲「恋をする時」を含む新曲4作品を収録。

映像作品

  1. AFROSICK LIVE IN OSAKA(1998年10月18日)
  2. afrosick(1999年3月10日)映像の全ての編集を、宮沢本人が担当。
  3. 未完の夜(2001年12月6日)
  4. afrosick(2003年1月16日)1999年に発売されたVHS作品をDVD化
  5. MIYAZAWA-SICK(2003年1月16日)
  6. 宮沢和史/THE BOOM 二十一世紀の音霊(2004年3月10日)
  7. EURO ASIA 〜MIYAZAWA-SICK EUROPE TOUR '05〜(2005年6月18日)
  8. 寄り道2007 夏さがし(2008年2月27日)

書籍

  • 『セイフティ・ブランケット』シリーズ(1993年-2004年)
    • セイフティ・ブランケット(1993年)
    • セイフティ・ブランケット 2(1996年)
    • セイフティ・ブランケット 3(1999年)
    • セイフティ・ブランケット 4(2004年11月2日)
    • セイフティ・ブランケット 1991-1998(2004年11月25日)
      • 同名本1-3をまとめた文庫版
  • 夜ふかしの凡人(1996年)
  • 『音の棲むところ』シリーズ(1996年、2000年、2007年)
    • 音の棲むところ(1996年)
    • 音の棲むところ 2(2000年)
    • 音の棲むところ 3(2007年7月31日)
  • 詞人から詩人へ(2000年)
  • 未完詩(2001年)
  • 宮沢和史全歌詞集(2001年11月22日)
  • 旅の響き(2002年2月25日)
  • 寄り道(2005年6月29日)
    • CD-ROM付、コンサート会場での直接販売と通信販売のみ
  • 寄り道2(2006年6月8日)
    • CD-ROM付、コンサート会場での直接販売と通信販売のみ
  • 寄り道(上記の作品とは別物)
  • 言の葉摘み(2006年8月25日)
  • 足跡のない道(2008年6月18日)
  • BRAZIL-SICK(2008年12月3日)

コラボレーション・関連作品

楽曲提供

アーティスト

新垣勉
  • 「白百合の花が咲く頃」(作詞・作曲)
有里知花
  • 「あなたに会いに行こう」(作曲)
  • 「TREASURE THE WORLD」(作曲)
石川さゆり
  • 「ニヒルに愛して」(作詞)[59]
  • 「日々呉々(くれぐれ)と」(作詞・作曲)[60]
INSPi
  • 「ちっぽけなボクにできること」(作曲)
江口透子
  • 「Cobalt」(作詞)
MCU
  • 「ありがとう」(作詞はMCU、作曲はMCUとヤマヒロとの共作)
おおたか静流
  • 「ひがらがさ」(作曲)
岡田准一
織田裕二
  • 「いちばん小さな島で」(作曲)
小野リサ
  • 「シ・ア・ワ・セ」(作詞)
上條恒彦
  • 「何もいらない」(作詞・作曲)
喜納昌吉&チャンプルーズ
  • 「地球の涙に虹がかかるまで」(作曲)
  • 「愛は私の胸の中」(作詞・作曲)
我如古より子
  • 「あの海へ帰りたい」(作詞・作曲・編曲)
  • 「島唄南の四季」(作曲)
川村結花
  • 「誰よりも遠くから」(作詞)
KinKi Kids
小泉今日子
坂本美雨
  • 「時雨の森」(作曲・編曲)
坂本冬美 with M2
  • 「花はただ咲く」(作曲)
坂本龍一
サヨコ
  • 「夢の旅人」(作曲)
  • 「SPIRITEK」(作曲)
  • 「MIX UP」(作曲)
  • 「空にはばたいてゆく日」(作曲)
SANDII
  • 「DREAM CATCHER」(作曲)
  • 「Pulse」(作曲)
  • 「Sambinha」(作曲)
島田歌穂
  • 「涙の浜辺」(作曲)
JAJAJAH ALL STARS featuring NAHKI&BABY BABY
  • 「女と兵器とラガマフィン」(作詞)
JUDITH BANAL
  • 「コーヒーの花」(作曲)
SMAP
TAKA
  • 「とある夏の日」(作詞はTAKA、作曲はTAKAとnzmとの共作)
高杉さと美
高橋幸宏
  • 「Wind that blow to Bikal」(作詞)
竹中直人
  • 「国分寺1976」(作詞・作曲)
谷理佐
  • 「橋」(作曲)
Tamao
  • 「夏が終わる」(作詞)
CHAKA
  • 「Dawn〜はじまりの唄」(作曲)
  • 「僕等はもっとすごいはず」(作曲)
  • 「新しい日々」(作曲)
チト河内
  • 「Boroboe ボロボエの吹く朝」(作詞)
ちわきまゆみ
  • 「ため息つかせて」(作曲 作詞はちわきまゆみとの共作詞)
ディアマンテス
  • 「魂をコンドルにのせて」(アルベルト城間との共作詞)
  • 「太陽の祭り」(作詞)
ディック・リー
  • 「Antonio(with live from Miya and Dick)」(作曲)
友部正人
  • 「すばらしいさよなら」(作曲)
  • 「鎌倉に向かう靴」(作曲)
中島美嘉
夏川りみ
  • 「愛よ愛よ」(作詞・作曲)
  • 「あしたの子守唄」(作詞・作曲)[61]
  • 「夏花の唄」(作詞・作曲)[61]
  • 「月の蛍」(作詞・作曲)[61]
sarah
P.J.
  • 「FRIEND」(作詞)
本田美奈子.
MISIA
南佳孝
  • 「太陽のメロディ -Melodia do Sol-」(南佳孝との共作曲)
宮野弘紀
  • 道の陽(作詞)
矢野顕子
RIKKI
  • 「哀しみにバンソウコウ」(作曲)
  • 「涙のようにきれいな星」(作曲)
  • 「巡る想い」(作曲)
Regine
  • 「WAIT AND SEE」(作曲)
Letit go
  • 「地球(ほし)の上で」(作曲・プロデュース)

学校校歌

出演

テレビドラマ

映画

舞台

ラジオ

CM

音楽番組

NHK紅白歌合戦出場歴

さらに見る 年度/放送回, 回 ...
年度/放送回回曲目出演順対戦相手備考
2008年(平成20年)/第59回特別企画島唄~ブラジル移民100周年記念バージョン--自身が所属する、
GANGA ZUMBA、
THE BOOMと共演
閉じる

その他

  • 青春探検(NHK総合・1997年4月-、ナレーション)
  • ハイビジョンスペシャル はるかなる音楽の道 海を渡った郷愁 ~ポルトガルギターの大航海~(NHK 2002年)
  • 情報プレゼンター とくダネ!
    • (環境プロジェクト、ナビゲーター)(フジテレビ・2007年)
  • Name-X~挑み続ける者たち
    • ナレーション(TBS・2008年4月-)
  • コニカミノルタプラネタリウム「銀河の輝き 天の川 宮沢和史とめぐる星空の旅」(2009年夏、歌とナレーション)
  • 時の首里彩画(琉球放送・2020年-、ナレーション)[62]

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

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