岡嶋二人
From Wikipedia, the free encyclopedia
- 1975年 - コンビ結成。江戸川乱歩賞への応募を始める。
- 1981年 - 『あした天気にしておくれ』が第27回江戸川乱歩賞候補となるも落選。
- 1982年 - 『焦茶色のパステル』で第28回江戸川乱歩賞受賞。デビュー作になる。
- 1984年 - 『あした天気にしておくれ』が第5回吉川英治文学新人賞候補となるも落選。
- 1985年 - 『チョコレートゲーム』で第39回日本推理作家協会賞長編賞受賞。
- 1986年 - ゲームブックの『ツァラトゥストラの翼』刊行。
- 1988年 - 『99%の誘拐』で、翌年第10回吉川英治文学新人賞受賞[2]。
- 1989年 - 『クラインの壺』刊行を最後に、コンビを解消。その後、井上泉は井上夢人の筆名で創作活動を続けている。徳山諄一も田奈純一と変え、テレビ番組「マジカル頭脳パワー!!」の推理ドラマのトリックメーカーとして参加していた。
- 2005年 - 『99%の誘拐』が「この文庫本がすごい!」2005年1位に選ばれた。
- 2011年 - それまで書籍化されていなかった短編三作を『記録された殺人』に増補・再編集した短編集『ダブル・プロット』を刊行。これで、書籍化されていない岡嶋二人の小説はショート・ショート「地中より愛をこめて」一編となった。
- 2021年 - 11月8日、徳山諄一が死去。78歳没。井上夢人(井上泉)がTwitterにて同月14日に報告を行った[1]。
概要
世界ではコンビで執筆するペンネームは珍しいものではないが、日本ではそれほど例がない。
作品の中には、二人の個性のうちの一方が強く反映されているものもある。初期の作品は競馬を題材にとったものが多い。競馬・スポーツの知識は徳山に、映像・パソコンの知識は井上に拠っているといわれる。井上は初期のパーソナルコンピュータが「マイコン」と呼ばれていた時代からのコンピュータ愛好家であり、親指シフトの支持者でもある。豊富なアイディアを軽快で抑制の効いた文体でまとめあげ、ユーモラスなタッチのものも少なくない。『ちょっと探偵してみませんか』のようなクイズ集でも高水準の読み物として提供する技量の持ち主で、テーマも多彩なため器用な作家と誤解されるふしもあるが、決して量産はしておらず、苦吟の創作過程はのちの井上の著書で吐露されている。
誘拐をテーマにした作品は高い評価を受け、「バラバラの島田」(死体分断トリックの多い島田荘司)に対比して「人さらいの岡嶋」・「誘拐の岡嶋」と呼ばれることがある。
二人の作業分担は、原則としてプロットが徳山、執筆が井上であったが、中期以降、徳山の示すプロットがだんだんとラフになって井上の負担が増し、末期には井上がプロットの大部分も手がけるケースがあった(逆に徳山のほうが執筆まで手がけた作はない)。最後の長編である『クラインの壺』はほとんど井上の手によるといわれており、それまでの作品とはかなり傾向が異なり、コンビ解消後の井上夢人の処女作である『ダレカガナカニイル…』と多くの共通点を持っている。
日本のミステリにおける大きな主流である、シリーズキャラクター、殺人事件のつく題名、トラベルミステリがきわめて少ない。例外が、捜査ゼロ課シリーズの『眠れぬ夜の殺人』『眠れぬ夜の報復』、山本山シリーズの『三度目ならABC』『とってもカルディア』、沖縄を舞台とした『珊瑚色ラプソディ』、そして『5W1H殺人事件』(のち『解決まではあと6人』に改題)である。他に、1冊のみの連作短編キャラクター物に『なんでも屋大蔵でございます』がある。なお、このポリシーはコンビ解消後の井上夢人にも引き継がれており、1冊限りの連作短編キャラクター物までしか書いていない。
結成から解散までの経緯は、井上夢人の『おかしな二人 岡嶋二人盛衰記』に詳しい。