新川橋 (吉川市)
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橋の諸元
歴史
昔の大落古利根川(現在の中川、以下古利根川)は西に大きく逆「S」の字を描くように蛇行して流れていた。その流路は吉川市と越谷市の境界とほぼ一致する。いつから設けられていたかは定かではないが、川藤村には江戸後期までに「榎戸渡し(さんこう渡し)」が、須賀村には『新編武蔵風土記稿』より見出せる「せきの渡し(せき舟の渡し)」と称される農耕用の作場渡しの渡船場が置かれ[注釈 1]、川を隔てた増森村(現越谷市大字増森)と往来していた[9][10][11]。これらの渡船場は後述の河川改修により廃止された[9]。 内務省が1915年(大正4年)から1928年(昭和3年)にかけて庄内古川や古利根川の河川改修を行った際に、蛇行した古利根川の流れに南北に直線的な捷水路が開削されたことで、旭村や吉川町(現吉川市)の一部地区が右岸側に取り残されることとなった[12]。当初は増森村を分断するように新流路が計画されたが、当村民からの激しい反発に遭い、現行の流路に計画が修正されている[注釈 2]。そのため、河川改修工事の際に右岸側に飛び地化された地域との往来を可能にすることを目的として、1車線分の幅員を持つ[6]本橋が初めて架橋された[9]。1946年(昭和21年)の航空写真によると河川に構造物(橋梁)が設置されていることが判る。なお、古利根川から現在の中川と称されるようになったのは昭和20年頃からである[13]。旧流路は昭和後期まで淵として残されていたが、その後埋め立てられている。河跡は道路の線形や、土地利用などから明瞭に判別できる。また、本橋の下流側で中川に合流する新方川の合流点付近は、古利根川の旧河道を流用したものである。 現在の橋は1984年(昭和59年)度に事業着手され、総事業費9億400万円を投じてそれまでの橋の60メートル川上側に吉越橋の開通と同時期の1990年(平成2年)に架けられたものである[14]。開通式は同年4月16日に挙行され、地元の2組の三世代夫婦による渡り初めが行われた[6]。
