1992年11月に新蔡県の西北にある葛陵村で坪夜君墓が発見され、1994年5月に河南省文物考古研究所の研究チームが共同して当該墓を発掘した。墓内から出土した戟に「坪夜君成之用戟」または「坪夜君成之用戈」などの文字が鋳刻されていたことと、竹簡中に「小臣成」の記載があることから、「坪夜君成」(平輿君成)が墓主であることが判明した。坪夜君成は楚の昭王の子の坪夜文君の子であり、埋葬年代は楚の悼王元年(紀元前401年)から悼王7年(紀元前395年)のあいだであると推定される。
竹簡の総数は1571枚。内容は二十数枚の遣策以外は、すべて卜筮祭祷記録である。第一種は墓主の坪夜君成の占卜祷祠の記録で、病状を占い問うものが主である。第二種は小臣成自身の祈祷の記録だが、その数量はあまり多くない。祷祠の対象は楚の文王・平王・昭王・恵王・簡王・声王・坪夜文君・子西(公子申、昭王の兄)などであり、これらの記述が墓葬年代を決定する根拠となっている。