望山楚簡

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作製年代 戦国時代中期
発見年月 1965年10月 - 1966年
出土地 中華人民共和国の旗 中国湖北省荊州市江陵県裁縫郷望山楚墓
所蔵者 湖北省博物館
望山楚簡
作製年代 戦国時代中期
発見年月 1965年10月 - 1966年
出土地 中華人民共和国の旗 中国湖北省荊州市江陵県裁縫郷望山楚墓
所蔵者 湖北省博物館
図版 湖北省文物考古研究所・北京大学中文系『望山楚簡』(中華書局[1]
資料データ
種別 竹簡
数量 1号墓207枚、2号墓66枚
寸法 最長52.1cm、幅1cm、厚さ0.1cm
内容 卜筮記録・遣策
書体 楚系文字[2]
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望山楚簡(ぼうざんそかん)は、中国湖北省荊州市江陵県から出土した戦国時代中期の竹簡である[2]

1965年秋、湖北省文博部門は漳河ダム建設にともない、八嶺山古墓区で考古調査を実施したところ、大小55基あまりの墓葬を発見した。同年10月から翌年1月にかけて、望山・沙塚の2か所の墓地を発掘し、望山1号墓・2号墓から竹簡が出土した[2]

直径1号墓は盗掘を受けておらず、副葬品は比較的多かった。しかし墓内が浸水していたため、竹簡のほとんどは器物によって圧迫されてしまい、表面は褐色に変化し、すべて残簡となっていた。接合した結果、総数は207枚にのぼった。内容は主として卜筮記録。墓主の名は𫺕固といい、悼を氏とする楚国の王族で、楚の悼王の曽孫にあたる。𫺕固は生前に病を患い、3か月にわたって繰り返し卜筮祭祷を行っていたことがその記録から読み取れる[2][3]

2号墓の墓主は女性で、推定年齢は50歳以上とされる。この墓は早い時期に盗掘に遭っていたが、副葬品は比較的多く残されている。竹簡の編綴の紐はすでに朽ち果て、出土時は断簡となって、あちこちに散乱していた。整理した結果、総数は66枚。内容は遣策で、そこに記された器物名は320種に達する[4][5]

望山1号墓

脚注

参考文献

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