春は馬車に乗って
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発表経過
作品背景・モデル
作中の「妻」は、横光利一と1919年(大正8年)に知り合い、1923年(大正12年)の関東大震災の3か月前から同居を始めた小島キミ(同人仲間・小島勗の妹)である[6]。同居後キミは1925年(大正14年)6月に結核を発病し、翌年1926年(大正15年)6月24日の午前5時に入院していた逗子の小坪の湘南サナトリウムで20歳の生涯をとじた[7][8][注釈 1]。横光はキミの療養に通うため、菊池寛の紹介で葉山の森戸に家を借りていた[8][2]。小島勗に反対され駆け落ち同然の同居であったため[注釈 2]、2人は戸籍上婚姻しておらず、キミの死の1か月後の7月8日に入籍をした[8][6][10]。
なお、亡妻を題材にした横光の小説は他に、『蛾はどこにでもいる』(1926年)と『花園の思想』(1927年)があり、「亡妻もの」の三部作とされている[2][11][12]。『蛾はどこにでもいる』は、妻の没後から描かれている[12]。
あらすじ
胸の病で臥せっている妻の寝台からは、海浜の松や庭のダリアや池の亀が見える。そんなものを見ながら、いつしか彼(夫)と妻の会話は刺々しくなることが多くなっていた。彼は妻の気持を転換させるために柔らかな話題を選択しようと苦心したり、妻の好物の鳥の臓物を買ってきて鍋にしたりした。妻は病の焦燥から、夫が執筆の仕事で別室へ離れることにも駄々をこね、原稿の締切りに追われながら生活を支えている彼を困らせた。かつては円く張り滑らかだった妻の手足も日増しに竹のように痩せてきた。食欲も減り、鳥の臓物さえもう振り向きもしなくなった。彼は海から獲れた新鮮な魚や車海老を縁側に並べて妻に見せた。彼女は、「あたし、それより聖書を読んでほしい」と言った。彼はペトロのように魚を持ったまま不吉な予感に打たれた。
妻は咳の発作と共に暴れて夫を困らせた。そんな時、彼はなぜか妻が健康な時に彼女から与えられた嫉妬の苦しみよりも、寧ろ数段の柔らかさがあると思った。彼はこの新鮮な解釈に寄りすがるより他なく、この解釈を思い出す度に海を眺めながら、あはあはと大きな声で笑った。しかし彼は妻の看病と睡眠不足で疲れ、「もうここらで俺もやられたい」と弱気になってきた。彼はこの難局を乗り切るため、「なお、憂きことの積れかし」[注釈 3]と、繰り返し呟くのが癖になった。腹の擦り方にも我がままを言う妻に彼は、「俺もだんだん疲れて来た。もう直ぐ、俺も参るだろう。そうしたら、2人でここで呑気に寝転んでいようじゃないか」と言った。すると妻は急に静かになり、虫のような憐れな小さな声で、今までさんざん我がままを言ったことを反省し、「もうあたし、これでいつ死んでもいいわ。あたし満足よ」と、夫に休むように促した。彼は不覚にも涙が出てきて、妻の腹を擦りつづけた。
ある日、薬を買いに行った時、彼は医者から、もう妻の病が絶望的なことを告げられた。もう左の肺がなくなり、右もだいぶ侵食されているという。彼は家に帰っても、なかなか妻の部屋へ入れなかった。妻は夫の顔を見て、彼が泣いていたことに感づいて黙って天井を眺めた。彼はその日から機械のように妻に尽くした。彼女は、もう遺言を書いて床の下に置いてあることを夫に告げた。病の終日の苦しさのため、しだいに妻はほとんど黙っているようになった。彼は旧約聖書をいつものように読んで聞かせた。彼女はすすり泣き、自分の骨がどこへ行くのか、行き場のない骨のことを気にし出した[注釈 4]。
寒風も去り、海面には白い帆が増して、しだいに海岸が賑やかになって来た。ある日、彼のところへ知人から思いがけなくスイトピーの花束が岬を廻って届けられた。早春の訪れを告げる花束を花粉にまみれた手で捧げるように持ちながら、彼は妻の部屋に入っていった。「とうとう、春がやって来た」と彼は言った。「まア、綺麗だわね」と妻は頬笑みながら、痩せ衰えた手を花の方へ差し出した。「これは実に綺麗じゃないか」と彼は言った。そして、「どこから来たの」と訪ねる妻へ、「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を捲き捲きやって来たのさ」と答えた。妻は彼から花束を受けると両手で胸いっぱいに抱きしめた。そうして彼女は花束の中へ蒼ざめた顔を埋めると、恍惚として眼を閉じた。
作品評価・研究
井上謙は、様々な葛藤の末、おだやかに死の準備をしている夫婦の元へスイトピーの花束が届くという最後の場面について、「美しい幕切れは、亡妻への愛を込めた鎮魂と、利一の青春への挽歌でもあった」とし[2]、「その(横光の)視座は日本近代文学の歴史の中で“結核と文学”をみる場合、芹沢光治良の『ブルジョア』と並んで一考すべき課題を残している」と解説している[2]。
篠田一士は、「『ナポレオンと田虫』や『春は馬車に乗って』の二作を読めば、ここには横光の文壇進出をかざった、いわゆる“新感覚派”運動のめざましい成果を知ることができるが、それは、ほかならぬ、志賀文学を中核とする大正文学の支配勢力に対する懸命の反抗だった」と解説し[13]、その横光の「絢爛たる修辞にみちあふれた文章」や「観念のモザイクに隈どられた小説構成」などは、すでに「志賀直哉の小説手法とは正反対のもの」が見られるとしている[13]。
ドナルド・キーンは、横光の『春は馬車に乗って』には、一般的な私小説にありがちな「自己憐憫」はかけらもなく、「しかも、すべてが透明な描写を与えられている」と高評価し[1]。この小説の性格が、一部の批評家から「新感覚派主義的」ではないと言われたことにも触れ、横光はこの小説で意図して新感覚派的な描法を捨てたのではなくて、「この作はむしろ死期迫る妻という切迫した状況を描くには新感覚派的な文体では役立たなかったことを示した」と解説している[1]。
また、同じく妻の死を扱った作品で、日本の評論家が、『春は馬車に乗って』よりも完成度が高いと評価する傾向のある同時期の『花園の思想』(1927年)の文体の叙述の技巧の巧みさに触れつつ、「藝術的」という意味では『花園の思想』の方が上ではあるが、そこには『春は馬車に乗って』ほどの「胸に迫るもの」がないとし、「横光は文体のモダニズムと表現の藝術性を追うあまり、みずからの固有の才能を傷つけてしまったという感がする」と評している[1]。
デニス・キーンは、中山義秀が『春は馬車に乗って』や『青い石を拾ってから』(1925年)を横光自身の生活への「挽歌」であるに比して『花園の思想』は生活から直接創り出されたものではなく「抽象と普遍の世界」であると評したことに触れ、「誠に的を得た分類」と述べつつも[14]、『春は馬車に乗って』はいわゆる日本文学的な「病妻もの」のような私小説ではないと評している[14]。
伊藤整は、作品の題名について、横光が好んだノルウェーの作家アレキサンダー・キーランドの作品の前田晃訳の題名『希望は四月緑の衣を着て』の近似性を指摘している[15][16][9]。キーランドについて伊藤は、「風景描写と観念とが美しい綾をなしてゐるやうな特殊な文体を持つた小説家であつて、新感覚派的文章に近い形のもの」を持っていたと解説している[15][16]。
おもな刊行本
単行本
- 『春は馬車に乗って』(改造社、1927年1月12日)
- 文庫版『春は馬車に乗つて・機械』(角川文庫、1962年10月30日)
- 文庫版『春は馬車に乗つて』(新潮文庫、1955年11月30日)
- 文庫版『機械・春は馬車に乗って』(新潮文庫、1969年8月20日。改版2003年3月20日)
- 文庫版『日輪・春は馬車に乗って 他八篇』(岩波文庫、1981年8月16日)
- 英文版『Oxford Book of Japanese Short Stories (Oxford Books of Prose & Verse) 』(編集:Theodore W. Goossen。訳:Dennis Keene)(Oxford and New York: Oxford University Press,、1997年)
- 収録作品:森鷗外「山椒大夫」(Sansho the Steward)、芥川龍之介「藪の中」(In a Grove)、宮沢賢治「なめとこ山の熊」(The Bears of Nametoko)、横光利一「春は馬車に乗って」(Spring Riding in a Carriage)、川端康成「伊豆の踊子」(The Izu Dancer)、梶井基次郎「檸檬」(Lemon)、坂口安吾「桜の森の満開の下」(In the Forest, Under Cherries in Full Bloom)、中島敦「名人伝」(The Expert)、安部公房「賭」(The Bet)、三島由紀夫「女方」(Onnagata,)、ほか
全集・選集
- 『横光利一全集 第9巻』(非凡閣、1936年10月15日)
- 『横光利一全集 第2巻』(改造社、1948年7月25日)
- 『横光利一集』〈現代日本文学全集36〉(筑摩書房、1954年3月5日)
- 『横光利一全集 第2巻』(河出書房、1955年10月25日)
- 『定本横光利一全集 第2巻』(河出書房新社、1981年8月31日)
- 監修:河上徹太郎、永井龍男、大岡昇平。編集協力:小田切進、横光象三
- 編集・校訂:保昌正夫、井上謙、栗坪良樹
- 解題・編集ノート:栗坪良樹
- 月報2:石塚友二「思ひ出」、秋山駿「横光利一の再登場」、デニス・キーン「會いたい作家、會いたくない作家」。【同時代評】川端康成「『青い石を拾つてから』評」「『園』評」、藤沢恒夫「『花園の思想』評」
- 収録作品:「負けた良人」「冬の女」「馬鹿と馬鹿」「表現派の役者」「慄へる薔薇」「美しき裏切」「青い石を拾つてから」「園」「一条の詭弁」「静かなる羅列」「街の底」「壊れた女王」「妻」「ナポレオンと田虫」「梯子」「鼻を賭けた夫婦」「街へ出るトンネル」「春は馬車に乗つて」「蛾はどこにでもゐる」「計算した女」「青い大尉」「美しい家」「花園の思想」「火の点いた煙草」「盲腸」「負けた勝者」「朦朧とした風」「担ぎ屋の心理」「七階の運動」「滑稽な復讐」「皮膚」「眼に見えた虱」「名月」「古い女」「愛の栄光」「花婿の感想」「或る職工の手記」
アンソロジー
- 『近代小説のなかの家族――短編の愉楽3』(有精堂出版、1991年7月)
- 『恋するための文学』(プチグラパブリッシング、2007年3月)
- 『小川洋子の偏愛短篇箱』(河出書房新社、2009年3月)
- 『涙の百年文学――もう一度読みたい』(太陽出版、2009年4月)
- 編者:風日祈舎
- 収録作品:新美南吉「ごん狐」、宮沢賢治「よだかの星」、鈴木三重吉「やどなし犬」、有島武郎「一房の葡萄」、吉田甲子太郎「白い封筒」、吉田絃二郎「捕虜の子」、太宰治「待つ」、寺田寅彦「病院の夜明けの物音」、岡本かの子「家霊」、森鷗外「高瀬舟」、菊池寛「父帰る」、土田耕平「お母さんの思ひ出」、「きけ わだつみのこえ」、伊藤左千夫「野菊の墓」、堀辰雄「風立ちぬ」、徳富蘆花「不如帰」、芥川龍之介「奉教人の死」、倉田百三「出家とその弟子」、夏目漱石「こころ」、島崎藤村「破戒」、横光利一「春は馬車に乗って」、宮沢賢治「永訣の朝」、金子みすゞ「さびしいとき」、中原中也「汚れつちまつた悲しみに…」、中原中也「また来ん春…」、立原道造「のちのおもひに」、高村光太郎「レモン哀歌」、高村光太郎「梅酒」、八木重吉「花がふつてくると思ふ」、八木重吉「母の瞳」、八木重吉「蟲」、竹久夢二「わすれな草」、竹久夢二「かへらぬひと」、萩原朔太郎「さびしい人格」
- 『ポケットアンソロジー この愛のゆくえ』(岩波文庫、2011年6月16日)
- 編者:中村邦生
- カバー装幀:中野達彦。カバー画:マーク・ロスコ「Untitled(Violet, Black, Orange, Yellow, on White and Red)」
- 解説:中村邦生「アンソロジーの作法――偶感」。収録作品・作家一覧
- 収録作品:カルヴィーノ「魔法の庭」、チェーホフ「いたずら」、堀辰雄「燃ゆる頬」、ドーデー「星」、三島由紀夫「雨のなかの噴水」、マンスフィールド「ささやかな愛」、太宰治「きりぎりす」、チェウ・フアン(Triệu Hoán)「流れ星の光」、菊池寛「大島が出来る話」、オコナー「国賓」、アンデルセン「バラの花の精」、宮沢賢治「土神ときつね」、シュトルム「マルテと時計」、梶井基次郎「交尾」、坂口安吾「恋をしに行く」、横光利一「春は馬車に乗って」、ダウスン「十日の菊」、プラトーノフ「帰還」、岡本かの子「扉の彼方へ」、レッシング「彼」、芥川龍之介「女体」、アンダーソン「とうもろこしの種まき」、ギャリ「地球の住人たち」、小林多喜二「救援ニュースNo.18.附録」、ユルスナール「源氏の君の最後の恋」、吉田知子「箱の夫」