Wikiwand AI

大塚周夫

日本の男性声優、俳優 (1929-2015) From Wikipedia, the free encyclopedia

大塚 周夫(おおつか ちかお、1929年〈昭和4年〉7月5日[1][11] - 2015年〈平成27年〉1月15日[12])は、日本の声優、俳優[13]。最終所属は青二プロダクション[13]。

本名 大塚 周夫[1]
愛称 周さん[2]、周ちゃん、周夫さん[3]
性別 男性
概要 おおつか ちかお大塚 周夫, プロフィール ...
おおつか ちかお
大塚 周夫
1962年
1962年
プロフィール
本名 大塚 周夫[1]
愛称 周さん[2]、周ちゃん、周夫さん[3]
性別 男性
出身地 日本の旗 日本・東京都世田谷区[4][5]
死没地 日本の旗 日本・東京都新宿区[6][7]
生年月日 (1929-07-05) 1929年7月5日
没年月日 (2015-01-15) 2015年1月15日(85歳没)
血液型 B型[8]
職業 声優、俳優、ナレーター
事務所 青二プロダクション(最終所属)
配偶者 あり
著名な家族 大塚明夫(長男)[3]
公式サイト 大塚周夫|青二プロダクション
公称サイズ(時期不明)[9]
身長 / 体重 167[8] cm / 73 kg
俳優活動
活動期間 1948年 - 2015年
ジャンル テレビドラマ、映画、舞台
デビュー作 『アナタハン島の眞相はこれだ!!』映画のデビュー作
声優活動
活動期間 1960年代 - 2015年
ジャンル アニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション
デビュー作 ヒラー総統
『鉄腕アトム』アニメのデビュー作[10]
声優:テンプレート | プロジェクト | カテゴリ
閉じる

長男は、声優・俳優の大塚明夫[3][14]。伯父に、彫塑家の渡辺長男と朝倉文夫がいる[4]。

生涯

生い立ち

東京都[15][16]世田谷区出身[4][5]。4人兄弟の末っ子で、父親と兄が彫刻家という芸術一家であった[4][17]。

4歳から新宿区内のタップダンス教室に通い、小学1年生のころからダンサーを始める[3][4][5]。これは、生まれつき体が弱い周夫を心配した母親に知人だったダンス教室の講師が「身体がよくなるから」と自身の教室に通うよう勧めたことや、繁華街を歩く学生が補導される時代に高校生だった2人の兄が新宿で遊ぶ口実を作るため習うように言ったことがきっかけだったという[17]。

日支事変が激しくなった11歳の頃、戦争で長兄を亡くす。また、この頃に「外国の踊りをするのはおかしい」と学校からの苦情があったため、ダンスも辞め中断せざるを得なかった[4][18][19]。

大東亜戦争が始まった中学生時代は、勤労奉仕により工場で飛行機の部品となるアルミニウムの鋳造工をしていた[18][19]。

中学4年の時に終戦を迎えるが、勉強はほぼしておらず、また、大学も生徒不足で東京大学などの一部を除き入学金さえ払えば誰でも入れる有様を目撃したことで「学校は行かなくていいや」と考え、進路選択で進学は放棄。以前から憧れていたダンサーを志した[17]。

キャリア

日本学園中学校・高等学校卒業[16]。復員したダンス教室の講師の内弟子となりダンスを再開し、そのツテを辿ってダンスの仕事を探す[18][19]。また、どんなダンスをするにしてもクラシックバレエが基本だということで、バレエを習い始める[20]。そして、進駐軍が来たため多くのダンサーが必要となり、オーディションを経て、キャンプや赤坂などのグランドキャバレーで踊った[5]。

当時はタップダンスは珍しかったことから友人4人と組んで踊ったといい、ワンステージで4千円ほど稼いでいたという(当時は相当の金額だった)[18]。クラシックバレエの勉強では、帝国劇場に立ったこともあった[20]。

こうして、社交ダンスからタップダンスまで会得[5]。だが、練習のやり過ぎで両脚が膝関節炎になり、医者から「結核菌が入ると一生曲がらなくなるからダンスはやめた方が良い」と告げられる。この時、知り合いであった早稲田大学演劇部の先生から「君は踊りが出来るんだからお芝居をやりなさいよ」と言われたことで、俳優への転向を図る[4][18][20][21]。

俳優として

俳優を目指したころ、たまたま劇団員を募集していた劇団東芸に入団する[4][18][20][22]。東芸の後輩には、田の中勇、富田耕生[23]、熊倉一雄[24]、野沢雅子[2]がいる。

東芸の『ファウスト』の公演で火の精の役となり、きれいな赤い衣装を着て踊っていたところ、知り合った人物から新派の作家が書いていた芝居『うやうやしき貪欲者』の中に登場していたすごく踊りの上手い用心棒の男役を「きみやらないか」と誘ってもらう[20]。それまでは好きで役者の道に進んだわけではないため悩んでいた部分もあったというが、この時に大塚は「よし、それじゃ、芝居の方をやろうかな」と決意したという[20]。

テレビ放送が開始される以前、民放のラジオもなく仕事がなかった頃は、大八車を引いて小学校をまわり、『桃太郎』や『浦島太郎』などの演劇の芝居だけが唯一の仕事だったという苦労が続いた時期があったと語っている[4]。その後、NHKからガヤなどのエキストラとして仕事がくるようになったが、1年に1、2回ぐらいでギャラは700円だったという[4]。その内民放ラジオが増えてきてラジオドラマなどの仕事がくると、やっと仕事ができると安堵し、嬉しかったと語っている。

1960年、心酔していた演出家・俳優の早野寿郎から誘われて劇団俳優小劇場に入団。その後テレビ放送が開始されると、中学時代にボクシングをやっていたことやジャズダンスを踊っていたその運動神経を活かして、スタントを交えたアクション映画の悪役の仕事に就く[4][20]。特に丹波哲郎などに殴られて吹っ飛ぶアクションが上手く、殴った丹波が強そうに見えるということで、その演技にひかれた丹波本人から出演を依頼されることが多かった[20]。また、この縁からテレビドラマへの出演も増えたという。

1971年、俳優小劇場の解散後は小沢昭一が立ち上げた芸能座に移籍し、『しみじみ日本・乃木大将』『国語事件殺人辞典』(どちらも井上ひさし作)などに多数出演。その後はA&Eに所属した[15][25]。

声優として

劇団在籍中、「外国映画のアテレコをやらないか」という話があった[22]。その時は生放送のテレビドラマに多く出演しており忙しかったせいもあり「冗談じゃない!他人の影の声なんかできるか」と言って突っぱねたが、アテレコをしていた劇団のある研究生の稼ぎ高の多いことを知り「待てよ、あれだけの年季と技量であれだけの収入が…それにこれから外国映画のTV放映が増えるぞ」という気がしたという[22]。

その折、たまたま映画館で見たリチャード・ウィドマークの凄みのある芝居に惹かれ、ウィドマークの映画を朝から夜まで観てその芝居を研究し、日本で吹き替え放送が開始されてからは、各局にウィドマークの吹き替えをやらせてもらえるように頼んで回っていた[4][20]。そして日本テレビの外画部が「ああいいよ。そんなことを言ってきたのは初めてだ」と頼みを聞き入れ、1963年10月13日に放送された『襲われた幌馬車』でウィドマークの吹き替えを担当することになった[4][5]。こうしてアテレコを始めたといい、他の人物と比べて2年くらい遅れてだったという[22]。

以後、数々の洋画吹き替え、アニメで活躍した。

晩年

1992年、63歳の時に記憶力や体力の低下を感じ、舞台を引退する[26]。さらに、同時期には当時の個人マネージャーに多額のギャラを取られていたことが判明[注 1]。それをきっかけに「もう顔出しするのはよそう」と思い、芝居に対する熱や考え方の違いなどから気持ちよくできなかったマスコミ(テレビドラマなど)への出演も一切やめることを宣言[27]。声優業に専念することを決意し、久保進から声をかけられたことで声優事務所の青二プロダクションに移籍した[28]。

2014年、東京アニメアワード「アニメ功労部門」を声優として受賞[29][29][30]。

死去

2015年1月15日、青二プロダクションの新年会終了後に帰宅するために乗った地下鉄内で倒れ、虚血性心疾患のため東京都新宿区の病院で死去[6][7][12][31]。85歳没。

その新年会に出席する前に収録され、同年1月25日にテレビ東京系で放送されたバラエティ番組『1位じゃなくっていいじゃない』のナレーション収録が最後の仕事となった[32]。また同番組には大塚明夫も声で出演しており、最後の親子共演となった[33][34]。

葬儀・告別式は1月23日に青山葬儀所で行われ、喪主は長男・明夫が務めた[35][36]。戒名は付けなかったとされる[37]。弔辞は野沢雅子と尼子騒兵衛が読み、250人が参列した[37]。

特色

俳優としては、早野寿郎から「空を飛べるし水中にも潜る、雑食、他の動物といさかいを起こさない」ムササビに例えられたことがあり、本人もそれを自負していた[38]。ただし、声優としてはトラのように「猛獣の中を入っているつもり」だったという[39]。

声優としては、どことなく憎めないというような悪役を得意とする一方で、恐いぐらいに悪に徹した悪役を演じても絶品で、重厚な脇役も数多かった[20]。

本人は、悪役から二枚目、三枚目まで、守備範囲だと語っていた[40]。

人物

長男は同じく俳優・声優の大塚明夫[3][14]。伯父は彫塑家の渡辺長男、その弟で同じく彫塑家の朝倉文夫。朝倉摂は一番近い従姉妹にあたる[4]。

本名の“周夫”は、朝倉文夫が「『周』は、感性に優れたという字だからこれにしよう」と命名した[41]。

仕事に関しては非常に厳しい姿勢だが(後述)、茶目っ気あふれる愛嬌のある人柄から現場の空気を明るくする存在として、仕事仲間や後輩から慕われていた。

好きな言葉に「流れ」「間」「味」を挙げている[42]。

趣味は人間観察とへら鮒釣り[5]。

愛煙家で、かつては1日40本吸っていた時期もあったが、ある先輩から「役者辞めないんなら、止めた方がいいと思う。もうちょっと何か観たいよ、あんたの(芝居)」と言われたことで、65歳から禁煙していた[43]。

エピソード

仕事に対する姿勢

芝居に関しては自他ともに認めるほど熱心であり、80代を過ぎてなお丹念な人間観察を行いながら、自身の芸に磨きをかける努力を惜しまなかった。

デビューした頃、先輩から「その顔と身体じゃスターにはなれないよ。言われた役を製作者が納得できるくらいの演技で魅せるバイプレイヤーしかない。そのためには、色んな人の個性を君が体験しないとダメだ」と言われたことがあり、それがきっかけで演技力を鍛えたほか、観察眼とセンスを大事にしていた。また「役者は生活の中でも、一日に一つか二つは感じるものを体に吸収しなくてはならない」と話していたこともあった[44]。

舞台出身のため「演じる舞台上と客席には境目があり、異次元の存在。一緒の次元だと大道芸やドサ回りと同じになるため、役者はその“異次元”を持たなければいけない」「客は異次元の世界、夢の世界を覗き見するためにお金を払っている。そのお客に『見せる』芝居をするのは失礼だ」という考えだった。そのため、俳優・声優問わず演じる際は、完全に自分の世界に閉じこもって「役に入り込んでいた」といい、風代わりな役でも気恥ずかしさは無かったほか「じゃなきゃ、役なんか演じられませんよ」と話していた[45]。

若い頃は、リアルな会話とはどういうことかを勉強するために小さなテープレコーダーを持って電車に乗り、乗客の声のトーンを研究した逸話がある[要出典]。60歳を迎えたとき、「これからは老いを表現していかなければならない」と考えた。そこで70歳以上からしか会員になれないへら鮒釣りの会に、頼み込んで入会させてもらい、そこで自分より高齢の人たちを観察し勉強をしたと、野沢那智のラジオに出演した際に語っていた[信頼性要検証]。

「人に好かれようとは一切考えない」「上にも下にも媚(こ)びない」人間であり、そうした昔気質な一面は息子である明夫にとって「追い風にもなり向かい風でもあった」という[46]。

オーディションが嫌いでほとんど受けたことがない[40]。特に吹き替えでは「演技ではなく声の質で決めるのなら誰でもいい」「声の質で決まるようなものなら、そんなものは出たくありません」と話しており、唯一参加したのがディズニー映画『ピーターパン』のフック船長だった[40]。

台詞(言葉)に関して、聞き取りやすさは大事とした上で「今回は何を言いに出てきたか」「何が行動で何が説明か」「この行の中でどれが一番大事で次はどれか⋯」まで考えて演じているといい「せめて、それくらいの神経は使わないと」と発言していた[47]。

移動は電車か徒歩である。車は「人間観察をしなくてはいけない俳優には不必要」と語ったことがある。

高齢のため総入れ歯にしなくてはならなくなった際も、歯科医に15回ほど入れ歯を作り直させ、歯があったころと声の発音方法が変わらないように工夫したという[48]。

「役者は普通ではない」との考えから遊びを大事にしていたほか、様々な人と交流し“普通じゃない人”と交友関係を持つようにしていた。ただし、晩年のインタビューでは「今は通用しない」とも話していた[49]。

ある時、道端のホームレスを見て「この人と⋯喋りてえなあ」と考え、ワンカップを二本買い渡したことがある。ホームレスは、突然他人から酒をプレゼントされたことで戸惑いながらも「⋯⋯ありがとう」と伝え、その“間”に大塚は「普通の人には絶っ対出ない、お金じゃ買えない“間”だ」と喜んだといい「これねえ、考えてみるとねえ、すっごい失礼なことじゃないですか。でも「ねえ、一杯飲んでよ」って言ったのに対して、自分の全人生かかって、僕の顔を見て言った男の気持ち。そういうの考えた時、鳥肌が立つんですよね」「そういう中から得ることがたくさんある」と話していた[50]。

役作りに、飼い猫を参考にしたことがある。ドラマ『ナニワ金融道』でサラ金から二千万円を借り逃げするも捕まる役を演じた際、恫喝されるシーンにて、台本では怖がるだけだったものの「平気でヤクザ相手に二千万円チョロまかす奴がそうそうのことで怖がらない」と考え、共犯役の池田道枝と相談。かつて飼い猫が物音に驚いて飛び起きたことを思い出し「あの驚きが動物本能の最高のもの」と、二人で「黙る中、本当に驚いたタイミングだけピョーンと飛び上がる」芝居をアドリブに近い形で披露した。すると、共演した緒形拳が噴き出すなど好評となり、この場面は番宣にも使われることとなった[51]。

悪役などを演じるテクニックとして、「普段を悪く見せておいて、その人の人間的な温かいところをチラリチラリと見せる。そうすることによってキャラクターに幅がでてくるんですよ」と語っていた[52]。

アニメでの役作りは、まずキャラクターの映像を実際に見てから、その絵に合う声の「音程」やアクセントなどを決め、そこに個性となる「こういうのがあれば面白くなるゾ」となるような“癖”も追加し、あとは「画面と同じような顔や口にすると、(声が)出てくる」と話していた[53]。

アニメにおいては、アフレコ時に絵が入らなくなった(完成していない)ことに不満を述べている[54]。「台本に「けつまずく」と書いてあっても、絵が無いと、どんなものにけつまずくかによって転び方も違うだろうし声の出し方も変わる」「ムードも何もないから、芝居ができない」と語り、そのような現場では何度もスタッフと本気で言い争ったという[55]。

ナレーション業が苦手で、「前提(役)がないと自分が何者か分からなくなるため」と話していた(そのため「医者の役で部下に説明をする場面」など、役や設定がある場合は問題なかったという)。なお、生前最後の仕事となったバラエティ番組『1位じゃなくっていいじゃない』のナレーション収録について、「ナレーションではなく芝居をしてやった」と語っていたことが没後に明かされ[32][56]、番組の最後には白バックに黒字で「この番組が最後の作品となったナレーター故大塚周夫さんのご冥福をお祈りいたします」と追悼メッセージが流された[33]。

演じていて楽しいのは、その人物になり自分にないもの表現できた時、それを極めた時だという[57]。

所属する青二プロダクションの新人育成傾向が声優専門に偏っていることには懸念を持っており、あえて若手の指導には当たっていなかった。ただし「人間なんてねずみ男みたいに時間が経てば、コロコロ考え方が変わってしまうもんだから、言ったことと逆のことをしているかもしれない」と語ったこともある。また、あるインタビューで「いっそのこと、スパルタ教育の"大塚塾"を開かれたらどうですか」と冗談で言われたときには全否定をし、「この歳になったから色々言っているだけで、役者がそんなことを言うべきではない」と主張している[54]。

アニメ作品について

『チキチキマシン猛レース』のブラック魔王役は原音で台詞がない部分が多く、演出の高桑慎一郎に「あんた、東京生まれだろう」と問われ、そうだと答えると「江戸弁でいっちゃおうよ」と言われたという。実際にやってみるとそれが好評で制作会社のハンナ・バーベラ・プロダクションの担当者から「どうぞご自由にやってください」と言われたこともあり、台詞がない部分にもアドリブで江戸弁をしゃべって埋めていったという[4][5]。また、台詞回しは古今亭志ん生の型を応用しているという。

『バビル2世』ではヨミを演じていたが、「どうやったら冷たくて嫌味で毒のある悪役を演じられるか」と考え、リチャード・ウィドマークの演技を参考にしたという。また、台本を読み込みどんどんヨミになったことで、途中からしもべたちの存在が憎たらしく、本気で「また出てきやがった!」とムシャムシャしていたという[40]。大人になってから見ればヨミ、ノロイは翳のあるカッコイイ役だが、子供にとって見れば憎き敵だったことから昔は、「ヨミの声をやってます」と言っていたところあからさまに「えー」と嫌われたと話すほか、ヨミによって若い世代に、ワルなら「大塚だ」というイメージになったのかもしれない、としている[40]。主人公のバビル2世役の神谷明は後に、失敗をしても周夫から「いいよ、いいよ」、「しょうがない、しょうがない」と一生懸命やっていることを分かってもらえたといい、プライベートでは親のように接していたと明かしている[58]。

悪役に関して、40代からは一癖も二癖もあるような役を好んで演じていたため、ヨミが「ほとんど最後の極悪キャラだ」と語り、そのうち「完全な極悪」は演じないようになっていった、としている[40]。

『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』の石川五エ門役は、時代劇にもよく出演した周夫にとって親しみやすかったといい、「古くからの日本人像だけど、ちょっと異常な感じ」「当時の日本のアニメにはない洋画、欧米匂いがする中で、武士そのものの男が尺八の音と共に現れる。そんな不和協音というか、アンサンブルね。そういうものが心地いいし、表現出来たらいいと思って演じていた」とするほか、山田康雄演じるルパンは意識せず「一般的にいえば悪いことをしていても、信念があるから周りのことは気にしない(中略)戦いの最中は冷酷非情に見えるけど、ふっと緊張感が解けたらそこに人間味がでるんだよ」「冷静だけど、一度刀を手にかけたら目つきも口調も変わり、周りが見えなくなるくらい入り込む。「ルパンなんか関係ない“俺の世界”」って感じで演じたほうが面白い。そんなキャラクターだったね」と話している[59]。また、最晩年の2014年のインタビューでは「レギュラーで演じたのが1stシリーズだけだったのは残念だけど、今でも五エ門の演技には自信を持っているからね(笑)ぜひ皆さんにも、確認してほしいですね」と言葉を残している[59]。

『タイガーマスク二世』では日の出スポーツデスクと宇宙プロレス連盟々主の二役[60]を演じ分け、主人公の亜久竜夫 / タイガーマスク役の堀秀行はこれから学ばせてくれたと語っていた[61]。

『美味しんぼ』では、主人公である山岡士郎の父親・海原雄山を演じた。海原を演じる際、お膳をひっくり返し妻を叩く場面で大塚は「日本で一流とか何とか言われてる人が、飯がまずいという理由で膳をひっくり返し女房をひっぱたいたりしない」と考え、監督に「これは普通じゃ殴れません。あの場面は酔っ払ってやることにしてください」「なんとか顔は赤くしてください」と頼みこんだことがあり、物語の根幹にも関わる設定変更のため監督は悩んだものの、最終的には採用され、自身もろれつが回ってない演技をしたという。後年には「せがれ(士郎)がそれを根に持って「親父を嫌いになった」というけど、酔っ払わなきゃできないから」「でも、今、考えると演出家に迷惑かけました。良く黙って次週からやってくれたものです。今でも感謝しています」と話していた[62]。

『忍たま乱太郎』の山田先生役に関して、原作者の尼子騒兵衛は中学の頃から周夫のファンであり「周夫さんが声を当てた『スカイキッドブラック魔王』のブラック魔王というキャラクターと、山田先生の顔が似ているんです。だから山田先生はぜひ大塚周夫さんに担当してほしいと、そこだけはワガママを言わせていただきました」と話しており、同作では唯一、原作者指名でキャスティングされた[37][63]。周夫本人は後に、女装姿もある山田先生はコミカルで「いつかそんな役がくるかもしれない」と女形の練習を密かにしていたと明かしている[40]。没後は明夫が役を引き継いだほか、土井先生役の関俊彦[64]、ユキ役の國府田マリ子[65]山田先生の息子である利吉役の岡野浩介[66][67]などが生前の周夫から可愛がってもらい演技論を教わったことなど、慕っていた旨のコメントをしている。

唯一オーディションに参加し選ばれたディズニー映画『ピーター・パン』のフック船長役は、本国から直接出向いていたディズニーの担当者に認められたといい、以降は複数のディズニー作品に参加している。ある時には台詞が無く「ピョンピョン」というだけの役に「何か演ってくれ」とオファーされ困惑するも、実際に収録すると担当者からグッドポーズをされたこともあったという[68]。

『ピーターパンの冒険』を含め複数の作品でフック船長を演じているが、演じる際は「あれだけ威張っていても、気の小さい臆病者の権化」として演じたという。

難しかったのは『釣りバカ日誌』のスーさんで、映画版で三國連太郎がイメージを作りきっており、アニメの方とはキャラクターが違ったためその分難しかった[40]。その後の三國のスーさんは周夫が演じていたスーさんのニュアンスを少し意識しており、「これは、盗まれたな」とピンと来ていたという[40]。

吹き替え作品について

音響演出家の佐藤敏夫によると、吹き替えの現場を周夫は気に入っていたという。テレビドラマ(実写)の現場では誰かがミスしても「あいつが落っこっちゃえば、次俺の番があるから」と誰も助けないが、吹き替えの現場は誰かが困っているとみんなで助けてくれるといい、「この現場はいいよなあ」とよく言っていたという[69]。

チャールズ・ブロンソンに関して、初めて担当した際は独特の声を表現するため、前日にブランデーやジンを飲み喉をわざと荒らしてアフレコに挑んだといわれていたが、とり・みき著『映画吹替王』の中で、「(略)あれはね、オーバー。ただ、前の日少しは飲んでも大丈夫っていう感じでね…だいたい毎日飲んでたけどね」と笑いも交えつつ、やんわりと訂正している。また、「ブロンソンには独特の間合いがある」とのことで、吹き替えが非常に難しい存在であったといい「ただ声を低くして、渋く喋っているだけじゃ駄目。彼の持つ雰囲気、また台詞と台詞の間(ま)など、彼の魅力を声で表現する場合、一番大切なのは台詞の最後の音を『半音』にすることを意識している」「(それにより)少ない台詞に言外の意味合いや雰囲気を持たせることができる」と語っている。なお、半音にするという方法は市原悦子の独特なしゃべり方を観察して発見したそうである。吹き替えたブロンソンの作品では、『ウエスタン』『ストリートファイター』『狼よさらば』が印象に残っているという[4]。

俳優小劇場を解散し小沢昭一が芸能座を立ち上げたころ、井上ひさし脚本の舞台劇を年間2本で5年間で10本やろうという話になり、1ヶ月稽古で2か月地方公演というスケジュールだったため、東京での収録となる吹き替えの仕事ができず、その間に、持ち役であったブロンソンの吹き替えが森山周一郎の担当となったことに「悔しかった」と当時の思いを語った[4]。なおその時期に森山がブロンソンを担当した映画『軍用列車』は、後のDVD収録の際にブロンソンに周夫を起用して改めて吹き替え音声を収録している[要出典]。

リチャード・ウィドマークに関して、日本で吹替が始まる以前から彼の芝居を研究していたため、「日本の役者の中で誰よりも彼の芝居を知っている」と誇りをもっており、独特な笑い方や喋る際の癖などを完璧に覚えている、と自信があったという。[4]。先述の通り、周夫自ら各テレビ局の外画部に「ウィドマークの作品を買い付けた時は、彼の吹替をぜひやらしてください」と売り込んでいたところ本当に声がかかったのが始まりで「合わない場合は使わなくて良いから」と吹き替えたところ好評だったため、テレビ放送されたウィドマーク出演作を局またぎで多数担当した[4]。このため、ウィドマークについては一部の例外を除き、出演作のほとんどを周夫が吹き替え、ウィドマークの遺作『トゥルー・カラーズ』まで担当している。

ウィドマーク出演作で好きな作品は『太陽に向って走れ』。周夫自身、ウィドマークの吹替の出来栄えに一定の自信を持っていたと思われ、たまたま違う声優がウィドマークを吹き替えたところ、激怒して現場まで行き、プロデューサーに「なんで俺じゃねえんだ」「あんな下手くそに喋らせやがって」などと詰め寄ったこともあるという[46]。同じく持ち役としたブロンソンとウィドマークの比較について「演技のテクニックとしては、ウィドマークの方が上だと思いますね」と述べており[4]、2人の俳優としての「武器」はそれぞれ異なっていたのでは、との見方を示している。

『事件記者コルチャック』で吹き替えたコルチャック(ダーレン・マクギャヴィン)はお気に入りだったという[要出典]。同作などでよく使うアドリブの一つである「やだね~、あ~やだやだ」は森川信から直接「頂いた」ものである[70]。また、コルチャックは職業意識の面で自身の役者人生と重なる部分があり、アドリブのぼやきには自身の思いも重なっている部分があるという[71]。

吹き替えが始まった頃は、ヘッドフォンもなく自分の役を覚え、モニターの俳優を見て自分の役がしゃべっているのを見つけて演じていたという。また、当時はテープ代が出演料の10倍と高価で、録り直す場合は最初から録り直し、最高で23時間かかったという[4]。前述のとおり遅れてアテレコを始めたため、当初はうまく行かず、それを逆に利用して、「俺は知らないんだ」というセリフを「俺は知らねーんだよー」といったリアリズム調で切り込んでいった[22]。このような演技で「面白い」と個性をアピールでき、その後、特殊な役の吹替で多く起用されることに繋がっていったという[22]。

息子・明夫との関係

長男の大塚明夫とは、芝居に熱中し家庭が疎かだったことが原因で最初はギクシャクしていたが、明夫当人が役者となってからは良好な親子関係だったという。

明夫が赤ん坊のころ、母親が不在だった時に、その日中に読まないといけない台本を読んでいた際に大泣きした明夫を「うるさい」と押し入れに閉じ込められたことがある[72]。このエピソードを明夫自身は「(役者としての父親が)そうするのも無理は無い」とし、「役者になっていなかったら(父親の)そういった心境も理解できなかっただろう」という趣旨のコメントした[72]。

明夫は当初、役者になることを内緒にしており、周夫は黙って明夫が劇団の入団試験を受けているのを人づてに聞いたことで初めて知った。最初は驚くと同時に、自身が“役者バカ”で我が儘な人生を歩んでいるため、同じ道を選ぶことに「まずいなあ⋯」とも思ったという[73]。後日、明夫を呼び「お前、本当に役者になるのか?」と問うと、明夫は「もう20歳を過ぎているが、不器用で、何にも出来るもんないですよ。踊りもダメだし歌もダメ、残ったのは役者だけ」と答えたといい、周夫は「バカ野郎(笑)」と返すも、その心境が理解できたことや「当人が言うならどうしようもない」と、役者になることを認めたという[74]。後年のインタビューでは「感性に生きる仕事を選んでくれたことは嬉しい」と語っている[72]。

明夫が駆け出しの劇団員として苦しい生活を送っていた際には、声優の仕事を紹介したことがある[75]。

息子たちに「(財産もないし)何も遺してやれなくてごめんなぁ」と語ったところ、明夫から「俳優として一番大切なものを遺してもらった」と言われる。周夫がそれは何かと問うと「血だ」と言われたことに感動し「嬉しかった」とインタビューなどでたびたび口にしている[74]。

『荒野の七人』を飛行機の機内で上映することになっていた際、予算の都合上で吹き替えを担当した声優が呼べず、若い者を起用しようということになり、「自分の息子なら文句ないだろう」として、明夫がチャールズ・ブロンソンの吹き替えを担当したことがある[72]。しかし吹き替えを担当した際、明夫の耳にはその場にいないはずである周夫の「違うなぁ」という声が聞こえてきたという[72]。

『ブラック・ジャック21』の第1話「医師免許が返る日」では明夫と共演している。その話で演じた医師会長の息子の名前を「明夫」と叫んでいる。これは当初、台本には「息子よ」という台詞が書かれていたが、「自分の息子のことを『息子』と呼ぶような親はいない」との周夫の指摘があり、製作者の判断で「明夫」と変更になったという[76]。なお、この話では内海賢二も自身が演じた友引警部の息子の名前を「賢太郎(内海の長男の名前)」と呼んでいる。

『メタルギアシリーズ』では、ビッグ・ボス役を明夫とともに親子二代で演じている[10]。また、同作の『4』では、アフレコをする際のモニタ映像でモーションアクターである明夫の芝居を見ながら、それに合わせて声をあてるという珍しい現象が起きた[要出典]。

『バビル2世』では彼の演じたヨミ役を明夫が1992年版OVAで演じた[58]。その後で神谷明が周夫に会った時、周夫は「あいつ(明夫)に取られたか」と嬉しそうに言っていたと神谷は語る[58]。

『キングダム ハーツ バース バイ スリープ』ではマスター・ゼアノートとして出演。これは『キングダム ハーツ』でゼアノートのハートレスであるアンセムを演じた明夫と親子であることを意識したキャスティングである[77]。

周夫の没後、持ち役の一部を明夫が引き継いでおり、明夫は「結構そういうのがあってね。『たぶん周夫さん枠なんだろうな』という仕事もあって、周夫さんぽくやってみると喜んでもらえたりする。調子に乗ってよくやるんだけど」と語っている。また「(父の)セリフ回しだったりとかが残っていて。そこを親父だったらどう演じるだろうと探っていって音に出してみると、親父がまだ生きているような、会えるような気がするんだよ」とも語っていた[78]。

ねずみ男

『ゲゲゲの鬼太郎(第1作)・(第2作)』で演じたねずみ男がお気に入りであり「人間の本質でもあるいい加減さを体現したキャラクターに共感を覚える」と語っている。しかし、初めて演じた際は人間でもなく妖怪でもないという、あやふやなキャラクターを演じるにあたって「どこ行きゃいいんだ」と困ったという[79]。また、ねずみ男を演じたおかげで、息子の明夫は学校で「小ねずみ男」などと呼ばれ、いじめられたという[72]。

放送当時はもともと同じ劇団の野沢雅子や田の中勇がレギュラーとして入っていたこともあり、遠慮なくそれぞれ話し合いながらキャラクターを創り上げていけたという。また最初のころは、原作者の水木しげるが録音現場に来ていて、「先生、ここんとこ、こうしていいですか」と周夫が言うと水木が「ああ、面白いからやってみな」と原作にないアドリブなどを思うようにやらせてくれたという[4]。「ねずみ男はなにやってもいいから。死んでもすぐ生き返らせるからね」と言われたとも言い、この言葉がねずみ男役をやりがいのある役にしてくれたという[52]。

ねずみ男の声について、うんと調子よくやった方が面白いと考えハイトーンにしたといい、以前吹き替えでやった役のずる賢さと重なったという[52]。ねずみ男のこと自体は気に入ってはいるものの、ハイトーンを維持するのは大変らしく、「くたびれたね、あれは」と語っている[72]。野沢によると、当時のアフレコの際、周夫がねずみ男のパートをしゃべった後、後頭部をさすりながら「熱くて……」とこぼしていたとのこと[80]。たびたびねずみ男がオネエ言葉になるのは台詞の印象を和らげるためであり、その技術は田の中に教わったという[要出典]。

本人のねずみ男に対する分析は、「(ねずみ男の)本質は『自分で自分のことが大嫌いなヤツ』」であり、人間でも妖怪でもないということから、行き先や居場所をなくし、どんどん孤独化して寂しくなり、結果性格が悪質になっていくのだという。物事の善悪もわからないため、逆に言えば何が来ても彼にとっては恐怖はなく、「怖いのは鬼太郎だけ」と語っている[80]。コミカルさを軽減した『墓場鬼太郎』では、その本質を見え隠れさせている。

当時、役を必死で掘り下げたため「絶対に僕と同じようなねずみ男はできない」と語るほど自信を持っていた[52]。一方で、第3シリーズ以降は担当声優が交代していることをインタビューで触れられた際は「あのくらいなら俺だってやってやるよ、俺がやってやるよ、っていうのが出てきてもいいと思う」と話していた。

第5シリーズにおいてはゲストキャラクターを二役演じている。そのうち一役の白山坊役は、毎回高木渉演じるねずみ男との絡みが多い役柄であった。また、この白山坊は第4シリーズでも周夫が演じている。

初代ねずみ男を演じた周夫であるが、当時バラエティ番組などにおいて鬼太郎の出演声優が呼ばれるという企画があった際にも、狂言回しであるねずみ男がピックアップされることは少なく、番組においてもあまり出演がなかった。代表作としても、以前は積極的に発表されにくかった。しかし『墓場鬼太郎』などの影響から、彼が初代ねずみ男を演じていたことが改めて世に知れ渡ることとなった。

息子の明夫は、「(父の)一番すごい仕事はねずみ男だと思っている」と語っている。ブラック魔王なども、このねずみ男あってのものだと分析し、本人も軽く同意した[72]。また、いじめの材料にされたキャラクターであるが、逆に明夫は「ねずみ男を自分が演じて見たい」と冗談めかして言ったこともある。そして2017年の『映画 妖怪ウォッチ シャドウサイド 鬼王の復活』では、明夫がねずみ男の声を担当することとなった[81]。

後任

周夫の降板および死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。なお、周夫の生前に引き継がれた『ルパン三世』の石川五ェ門(後任は井上真樹夫)や『ピーターパン』各作品のフック船長(後任は内田直哉)などは含まない。

さらに見る 後任, 役名 ...
閉じる

出演

太字はメインキャラクター。

テレビドラマ

映画

オリジナルビデオ

  • 漂流姫(1986年、東宝)

テレビアニメ

1963年
1964年
1967年
1968年
1969年
1970年
1971年
1972年
1973年
1974年
1975年
1976年
1977年
1978年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1986年
1987年
1988年
1989年
1991年
1993年
1994年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2014年

劇場アニメ

1971年
1974年
1976年
1978年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1999年
2001年
2002年
2004年
2007年
2008年
2009年
2011年
2012年
2013年
2014年

OVA

1971年
1985年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1997年
2000年
  • ジョジョの奇妙な冒険 ADVENTURE(ジョセフ・ジョースター)
2001年
2002年
2006年
2007年
2010年
2012年

Webアニメ

2006年
  • FLAG(ラ・ポー)

ゲーム

2015年以降の一部出演作品は生前の収録音声を使用したライブラリ出演。

  • TWISTED(ナレーション)(3DO)
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2019年
2021年

ドラマCD

吹き替え

俳優

アルバート・フィニー
クリス・クリストファーソン
ジャック・パランス
ジョン・ハート
ダーレン・マクギャヴィン
チャールズ・ブロンソン[208]
チャック・コナーズ
ハーヴェイ・カイテル
ピーター・セラーズ
ボブ・ホスキンス
リチャード・ウィドマーク[125]
ロバート・デュヴァル
R・リー・アーメイ

映画

ドラマ

アニメ

人形劇

ラジオ

ナレーション

人形劇

CM

書籍

  • 僕らを育てた声 大塚周夫編(アンド・ナウの会)

その他コンテンツ

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks