椎葉剛
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プロ入り前
堺市立三原台小学校1年生のときに高倉台ポニーズで野球を始める。堺市立三原台中学校では富田林ボーイズで投手としてプレーした[2][3]。小・中では捕手も経験していたが、富田林ボーイズで捕手の練習についていけず投手一本となった[4]。
進学先は甲子園出場歴がある島根県内の私立高校を周囲から勧められたが、椎葉自身は納得がいかず悩んでいたところ、長崎県の島原中央高等学校の李崇史監督から声を掛けられ、「この人と野球がしたい」と決め進学[5]。当初、島原中央は別の右投手が入学予定だったが急遽キャンセルとなり、李監督が中学2年の時にチェックしていた椎葉を思い出し勧誘したという[6]。
高校では1年春から公式戦に出場[3]。捕手不足のチーム事情で、経験があったことから入学直後から主に捕手としてプレーしていた[3][7]。リリーフを任された2年春に右肩を痛め半年間ノースローで過ごし、3年春は再発防止のため40球限定で登板していた。3年夏は県大会1回戦の佐世保北戦で捕手として先発出場し、リリーフ登板もしたが2-5で逆転負けし初戦敗退を喫した[8]。
投手としてセレクションを受け、高校卒業後はミキハウスへ入社。1年目の5月に初登板したが、2年目に腰痛を発症するなど実戦から遠ざかり、3年目のシーズン後に戦力外通告を受けた。3年間で公式戦には1試合の登板に留まった[9]。
四国IL徳島時代
ミキハウスから独立リーグ・徳島に入った先輩選手の後押しもあり、四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスのトライアウトを受験して合格し、2023年より入団。日本ハムやオリックスなどで指導経験がある徳島の岡本哲司監督はトライアウトで初めて椎葉を見て、「投げる歯車が全然合っていなかった。腰の回転と上体が合ってない感じ」と欠点を見抜き、ただ体つきは一級品で「糸井嘉男の体によく似ていた。身のこなしなども」と評していた[10]。
初めて本格的なウエイトトレーニングに取り組み、入団時の最高球速が148km/h[注 1]だったところ[2]、シーズン中は常時150km/h台を投げられるようになり[3]、6月下旬には最速157km/hを計測[11]。リリーフとして勝ちパターンを担い、秋には徳島がリーグ制覇し自身初の優勝を経験。独立リーグ日本一を決めるグランドチャンピオンシップの準々決勝では自己最速の159km/hを計測した[9]。11球団から調査書が届き[3]、同年10月26日に開催されたドラフト会議にて、阪神タイガースから2位指名を受けた[7]。独立リーグからの2位指名は同年の大谷輝龍や、過去には2013年の又吉克樹に並び歴代最高タイ記録となった[12]。11月12日、契約金7000万円・年俸1000万円という内容で仮契約を結んだ(金額はいずれも推定)[13]。背番号は26[14]。担当スカウトは渡辺亮[15]。
阪神時代
2024年、ルーキーの中で唯一一軍キャンプに参加したがオープン戦で結果を残せず、一軍での登板はなかった。二軍では主に中継ぎで23試合に登板し、防御率4.45[16]。
2025年、5月22日にプロ2年目で初めて一軍に昇格したが、登板機会のないまま同28日に登録抹消。再昇格後、6月12日の埼玉西武ライオンズ戦(ベルーナドーム)でプロ初登板を果たした[17]。二軍ではチーム最多の42試合に登板し、4勝2敗1セーブ、防御率2.20[18]。シーズン終了後に参加したみやざきフェニックス・リーグでは、10月14日の斗山ベアーズ戦のリリーフ登板で失点し、二軍監督の平田勝男から、同じく失点を喫した木下里都とともに「全然ダメだよ。椎葉、木下」「フェニックスなめとるよ」「ただ投げてるだけ。力んで。なんにもないこの2人」などと苦言を呈された[19]。
選手としての特徴
人物
三兄弟の三男で、「下の子だけど強く育ってほしい」という思いを込め「剛」と命名された[5]。サイン色紙には「誰のものかひと目で分かった方がいい」として、徳島時代から「剛」の1字を崩さずに書いている[21]。
阪神ファンだった父の影響で自身も幼少期から大の阪神ファンで、憧れの選手は藤川球児[22]。
徳島時代はチームメイトの井上絢登の紹介で、鳴門市内のホテルでアルバイトをしていた[23]。
趣味は釣りで、2024年に入寮時にも釣り竿を持参した[24]。同年オフの秋季練習では同じく釣りを趣味とする監督の藤川球児からマンツーマン指導を受け、釣り竿をしならせるように投げる〝釣り竿投法〟のアドバイスを受けている[25]。
テレビ長崎のインタビューで、藤川球児の「火の玉ストレート」のように自身のストレートに名前を付けることを提案され、磯部翔アナウンサーから徳島の特産品にちなんだ「すだちストレートはどうですか?」と言われたが、「いやいや、ダサいでしょ(笑)。これから見つけていきます」と答えている[26]。
詳細情報
年度別投手成績
| 年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2025 | 阪神 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 13 | 3.0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.33 |
| 通算:1年 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 13 | 3.0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.33 | |
- 2025年シーズン終了時
独立リーグでの年度別投手成績
出典はリーグのデータサイト[27]。
| 年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2023 | 徳島 | 22 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 1 | 1.000 | 161 | 39.0 | 19 | 0 | 25 | - | 3 | 51 | 7 | 0 | 10 | 10 | 2.31 | 1.13 |
| 通算:1年 | 22 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 1 | 1.000 | 161 | 39.0 | 19 | 0 | 25 | - | 3 | 51 | 7 | 0 | 10 | 10 | 2.31 | 1.13 | |
年度別守備成績
| 年 度 | 球 団 | 投手 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
| 2025 | 阪神 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
| 通算 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |
- 2025年度シーズン終了時
記録
NPB
- 初記録
- 初登板:2025年6月12日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(ベルーナドーム)、7回裏に3番手で救援登板、1回無失点[17]
- 初奪三振:2025年9月14日、対中日ドラゴンズ21回戦(阪神甲子園球場)、9回表に石伊雄太から空振り三振[28]
背番号
- 15(2023年)
- 26(2024年[14] - )