武石伸也

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武石 伸也(たけいし しんや、1967年10月5日 - )は、東京都出身[1]札幌市育ち[2]の元モーターサイクルロードレースライダー

小学3年生の頃、父が自転車屋から80ccのミニモトクロスを購入してきたのがきっかけで、当時住まいが荒川の近くだったためその河川敷で動かし方を習得していった[2]。その80ccが盗難に遭い、ポケバイレースへ移行し中学2年まで4年のキャリアを積む。

東海大学付属第四高等学校 (現:東海大学付属札幌高等学校)に進学し、アルペンスキー部で活動する。高校2年の時に運転免許を取得し、ホンダ・MBX50で札幌近郊のミニバイクコース「サッポロスポーツランド」(石狩市厚田)を走るようになった[2]。50ccでのレースには高校卒業まで熱中した。その後、サイクルショップに勤務の傍ら、倶知安に1985年開業したサーキット「北海道スピードパーク(HSP)」でオートバイ・ロードレースの技術を磨く[1]。初めの頃は1986年型のTZR250でHSP NB-F3に参戦。1987年にNAに昇格し、1989年までHSPをホームコースとして毎週のように走った[3]

1990年よりブルーフォックスの社員となり、三重県に住まいを移す[2][1]1991年シーズンより、TT-F1の750cc 4サイクルマシンに乗るようになり、鈴鹿8時間耐久ロードレースに初参戦[4]。これまで2サイクル250ccのTT-F3マシン育ちだったため、4サイクル750ccの特性と車重の重さに徐々に順応していくことになるが、ブルーフォックスでは宮崎祥司岩橋健一郎というTTフォーミュラマシンでの経験が豊富な先輩がおり、彼らに学ぶことが多かったと述べている[2]。同年の全日本最終戦(MFJグランプリ)では、欠場した宮城光に代わって[5]NSR500に乗り全日本500ccクラスにも参戦した[2]

1992年よりホンダのワークスマシン「RVF750」で全日本ロードレース選手権・TT-F1クラスに参戦[1]。同年の鈴鹿8耐ではフレディ・スペンサーダリル・ビーティーを抑え最速タイムを記録し、日本人初のポールポジションを獲得[6]。決勝レースでも3位に入賞し表彰台に立つ。鈴鹿8時間耐久では、1994年大会と1997年大会でも3位表彰台を獲得した[7][8][9]。同年の全日本選手権では初優勝を含む4勝を挙げ、シーズン最多となる7回のポールポジションを記録。シーズン中盤までポイントリーダーとしてタイトル争いをリードし、TT-F1ランキング3位を獲得する。1993年は3勝を挙げランキング2位となった。

1994年ホンダワークス(HRC)契約となり、1995シーズンは4勝を挙げ全日本ランキング2位となる。1996年より、カワサキ・ワークスに移籍。移籍3年目の1998年第6戦・鈴鹿で待望の移籍後初優勝を挙げる。2002年を最後にレース界を離れ、札幌を拠点として自動車販売業に転身した[4]。その後、2008年にレース復帰し[1]、2009年の鈴鹿8耐では2位に入る[10]

2015年は、JSB1000クラスで1999年以来の全日本ロードレース選手権フル参戦[11]

2025年、全日本ロードレースに参戦する伊藤真一のチーム「SIレーシング アステモ・ホンダ」に第6戦岡山ラウンドからチーフメカニックとして帯同し、現役ライダーを支える[12]

レース戦歴

出典

外部リンク

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