田中大聖
From Wikipedia, the free encyclopedia
藤井寺市立藤井寺小学校2年時に「小山ジャンボ」で野球を始める。藤井寺市立第三中学校では「河南シニア」でプレー。[2]
中学卒業後は山形県の鶴岡東高等学校に進学。2学年上に吉住晴斗がいた。3年夏の山形予選では2試合に登板し[2]同校3年ぶりの甲子園出場に貢献するが、本戦である第101回全国高等学校野球選手権大会ではチームは3回戦に進出するも登板がなかった[2]。
高校卒業後は近畿学生野球連盟に所属する太成学院大学人間学部健康スポーツ学科[1]に進学。同二部リーグに打者としては1年秋から、投手としては3年春から出場し、打者として2年秋と4年秋に首位打者、指名打者としてベストナインを、3年秋には一塁手としてベストナインを獲得した。2023年度新人選手選択会議においてプロ志望届を提出する[3]も指名漏れ。
大学卒業後はHonda鈴鹿に入社。入社後は投手に専念し[4]第96回都市対抗野球大会に出場に貢献するも本戦ではJFE西日本に敗れ1回戦敗退。
2025年度新人選手選択会議において千葉ロッテマリーンズから7位指名。契約金3000万円、年俸800万円[5]。また登録名を「大聖」、背ネームを「YAMATO」することが発表された。
選手としての特徴
Honda鈴鹿時代に出場した第50回社会人野球日本選手権大会では最速161キロを計測した右腕[6]。
太成学院大時代は投打の二刀流として4年秋に打率4割超えを記録するなどの活躍をしたが、Honda鈴鹿時代は抑えとして投手に専念した[7]。