坂井遼
From Wikipedia, the free encyclopedia
プロ入り前
富里市立富里小学校[2]5年生から『富里リトルスターズ』で野球を始め、富里市立富里中学校時代は硬式野球の『江戸川南ボーイズ』でプレーし[3]、外野手であった[4]。
投手を志願して関東第一高校へ入学すると[4]、1年秋からベンチ入りし[3]、2年夏の東東京大会では背番号10で3試合に登板[5]。2年秋は、東京大会では背番号10を付け、創価との決勝では1失点完投勝利でチームを8年ぶり5度目の優勝に導いた[4]。明治神宮大会では背番号1を付け[6]、チームは同大会5度目の出場で初勝利を挙げるなど、ベスト4[7]。坂井は東京大会と明治神宮大会で計11試合・50回を投げて防御率2.88を記録した[5]。
翌2024年の甲子園大会では背番号10を付け、八戸学院光星との初戦で同点の8回表から登板したが[8]、4回4失点でチームも敗退[9]。3年春の東京大会からは背番号1を付け[10]、3年夏の東東京大会では5試合・17回を投げて防御率2.65を記録し、チーム5年ぶりの優勝に貢献した[11][12]。甲子園大会では東海大相模との準々決勝で自己最速の151km/hを計測するなど[13]、準決勝まで15回2/3連続無失点を記録[14]。ただ、京都国際との決勝で同大会初失点を喫し[15]、チームも敗れて準優勝であった[16]。
8月23日にはU-18アジア選手権の日本代表に選出されたが[17]、同25日に発熱。体重は4kg落ち、壮行試合にも登板せず現地入りとなったものの[18]、同選手権には3試合登板した[19][20][21]。
10月24日に開催されたドラフト会議にて、千葉ロッテマリーンズから4位指名を受けた[22]。11月20日には契約金4000万円・年俸560万円(いずれも金額は推定)で仮契約を締結[1]。12月4日に新入団選手発表会が行われ、背番号は62と発表された[23]。担当スカウトは福澤洋一[24]。
選手としての特徴
詳細情報
年度別投手成績
| 年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2025 | ロッテ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 4 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 |
| 通算:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 4 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 | |
- 2025年シーズン終了時
年度別守備成績
| 年 度 | 球 団 | 投手 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
| 2025 | ロッテ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
| 通算 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |
- 2025年度シーズン終了時
記録
初記録
- 投手記録
- 初登板・初ホールド:2025年10月5日、対福岡ソフトバンクホークス25回戦(ZOZOマリンスタジアム)、6回表に2番手で救援登板、1回無失点[25]
- 初奪三振:同上、6回表に谷川原健太から見逃し三振[25]
背番号
- 62(2025年[23] - )