本前郁也
日本のプロ野球選手
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経歴
プロ入り前
札幌市立札苗小学校3年から東ハリケーンで野球を始め、札苗中時代は札幌白石シニアでプレー[3]。
札幌光星高等学校では3年夏の南北海道大会でエースを務めるも、1回戦で駒大苫小牧に3対10で敗れた[3]。齊藤誠人は小中高の2学年上の先輩にあたる[4]。
北翔大学への進学後は1年春からベンチ入りし、札幌6大学リーグでは2年春~3年秋に3季連続で最優秀投手に輝いた[3]。しかし、全国大会である全日本選手権や明治神宮大会への出場は叶わず[5]、2019年9月2日の日本製鉄室蘭シャークスとのオープン戦では打球が頭部に直撃し、入院。プロ志望届を病床で書くこととなり[3]、同14日に提出した[4]。リーグ戦通算成績は49試合の登板で14勝10敗・防御率1.45[3]。
2019年10月17日に行われたプロ野球ドラフト会議において、千葉ロッテマリーンズから育成1位指名を受け[6]、11月19日に支度金300万円、年俸300万円(金額は推定)で仮契約した[7]。背番号は120[8]。北翔大学から初めてのプロ野球選手となった[4][7]。
ロッテ時代
2020年、イースタン・リーグ公式戦で1試合20球程度のリリーフから始まり、先発で4イニング、さらに6イニングと段階的に球数を増やしていき[9]、ルーキーイヤーは同リーグで11試合(6先発[10])に登板し、38回2/3を投げて2勝0敗・防御率2.56を記録[11]。オフに現状維持の推定年俸300万円で契約を更改した[10]。
2021年は育成投手で唯一春季キャンプを一軍でスタートすると[4]、2月24日の福岡ソフトバンクホークスとの球春みやざきベースボールゲームズでは3イニングを打者9人に抑えるパーフェクトピッチング[12]。3月11日の東北楽天ゴールデンイーグルスとのオープン戦では3回無失点と好投するなど[13]結果を残し、3月14日に支配下登録[14][15]。推定年俸420万円、背番号は49へ変更となり[14]、翌15日に公示された[16]。その後もオープン戦で好投を続け[17]、開幕ローテーション入り。開幕6戦目の楽天戦でプロ初登板初先発を果たし、5回4失点でプロ初勝利を挙げた[18]。続く4月8日のオリックス・バファローズ戦では5回5失点でプロ初黒星を喫し[19]、翌9日に出場選手登録を抹消されて[20]以降は、二軍で被本塁打数の改善に取り組みながらローテーションの谷間で一軍の先発マウンドに上がった[21][22]。6回を投げきった試合は6月11日の読売ジャイアンツ戦のみで[23]、37回2/3を投げて被本塁打が7と多いなど課題は残したものの[24][25]、8試合の先発登板で1勝2敗・防御率4.78を記録[24]。オフに250万円増となる推定年俸670万円で契約を更改した[25]。
2022年は4月6日の北海道日本ハムファイターズ戦でシーズン初登板初先発となるも、2本のソロ本塁打を打たれて5回2失点で勝敗付かず[26]、翌7日に出場選手登録を抹消された[27]。4月27日の楽天戦でシーズン2度目の先発登板となり、ソロ本塁打による1失点のみで6回を投げきり、勝利投手の権利を持って降板したものの、リリーフ陣が同点を許してシーズン初勝利とはならず[28]、同30日には無症状ながら新型コロナウイルス陽性判定を受け、翌5月1日に特例2022で登録抹消[29]。6月5日の巨人戦で一軍復帰を果たし[30]、この日は5回を投げて3本塁打で4点を失ったものの[31]、打線の援護に恵まれてシーズン初勝利を挙げた[32]。佐々木千隼・唐川侑己・田中靖洋・東妻勇輔と前年の主力リリーバーが二軍調整中というチーム事情もあって[33]その後はブルペン待機となり、6月17日の日本ハム戦でプロ初のリリーフ登板。5回裏からの4イニングを無失点に抑えると、打線が9回表に逆転したことでプロ初の救援勝利を挙げた[34]。同24日のオリックス戦で先発に戻るも、5回1/3を3失点(自責点1)ながら敗戦投手となり[35]、その後は登録抹消と再登録を繰り返しながら、先発ローテーションの谷間での一軍登板を重ね、12試合(11先発)に登板し3勝2敗・防御率4.66という成績を残した。オフに630万円増となる推定年俸1300万円で契約を更改した[36]。
2023年も開幕を二軍で迎えたが、イースタン・リーグでは10試合(9先発)の登板で防御率1.74と結果を残し、6月10日の広島東洋カープ戦でシーズン初登板初先発[37]。5回4安打4四球5奪三振2失点で勝敗は付かず[38]、翌11日に出場選手登録を抹消された[39]。その後は二軍で先発ローテーションを回り、イースタン・リーグの規定投球回に到達したが、7月以降は防御率6.75と振るわず[40]、この年の一軍登板は前述の1試合のみに終わった。なお、このシーズンでは二軍での奪三振数(84奪三振)がイースタン・リーグ最多(井上温大と同数)であった[41]。シーズン終盤には左足首を捻挫し、投球フォーム改造を決意する[42]。
2024年は春季キャンプ中の2月20日、楽天との練習試合での登板で、4回表に捕手の頭上を大きく超える大暴投をした際、左肩付近を抑えマウンドにしゃがみ込んだまま動けなくなった。その場で緊急降板し[43]、開催地の西崎球場には救急車が到着する事態であった。同日中に上腕骨螺旋骨折と診断され、長期離脱となった[44]。本前曰く、投げた瞬間に左腕が外れた感覚であったという[45]。同月23日に左上腕骨骨幹部のスクリュー手術を受けた[46]。夏ごろにはキャッチボールを再開していたが、骨の接合が充分でなく、再び手術を受けた[47]。同年は一軍・二軍ともに登板することは出来ず、リハビリが長期間続く見込みであるため、オフに戦力外通告を受け[48]、11月18日に育成契約を締結した[49][47]。背番号は121。
2025年は、9月24日に行われた二軍の埼玉西武ライオンズ戦で復帰登板を果たした[50]。シーズン終了後、10月6日から開催されるみやざきフェニックス・リーグに参加することが発表された[51]。
選手としての特徴
人物
ルーキーイヤーの2020年オフから、福岡ソフトバンクホークスの和田毅の合同自主トレに毎年参加している[42][57]。
詳細情報
年度別投手成績
- 2025年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2025年度シーズン終了時
表彰
- イースタン・リーグ優秀選手賞(2021年[58])
記録
- 初記録
- 投手記録
- 初登板・初先発登板・初勝利・初先発勝利:2021年4月1日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(ZOZOマリンスタジアム)、5回4失点
- 初奪三振:同上、4回表に小郷裕哉から空振り三振
- 打撃記録
- 初打席:2021年6月3日、対中日ドラゴンズ3回戦(バンテリンドーム ナゴヤ)、3回表に勝野昌慶から一ゴロ