碧水駅
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年表
- 1931年(昭和6年)10月10日:札沼北線石狩沼田 - 中徳富(初代、現在の新十津川)間開通と同時に開業[3]。一般駅[1]。
- 1944年(昭和19年)7月21日 - 太平洋戦争激化に伴い不要不急線として休止[1]。
- 1956年(昭和31年)11月16日:雨竜 - 石狩沼田間復活により当駅が復活[1]。札沼線が全線復旧。当駅は駅長を置かず、和駅の管理下に置かれて職員を配置した[4]。
- 1964年(昭和39年)4月1日:不採算を理由に業務委託化[4]。
- 1972年(昭和47年)6月19日:札沼線新十津川 - 石狩沼田間廃止に伴い廃駅となる[1]。
駅名の由来
地名より。
現在の碧水地区の開拓は渡邊八右衛門による渡辺農場の小作人として1894年(明治27年)に入植を始めた人々が始まりである[4]。なお、このころの字名としてはのちの和地区などと同様に「恵岱別」の一部に含まれていた[4]。
同地区はその後の移住者増もあって教育へのニーズが高まり、1903年(明治36年)に掘っ立て小屋を使った私立恵岱別簡易教育所を設置、これを既成事実として翌1904年(明治37年)に公立化することとなった[4]。
この公立化の際、校名は当初、農場主である渡邊八右衛門の雅号である「盤水」から「盤水簡易教育所」とする計画であったが、同一名の学校があるとして却下されてしまい、農場支配人の小林という人物の提案によりわずかに字を変え「碧水簡易教育所」として申請・認可された(のちの町立碧水小学校の前身となる)[4]。
これが「碧水」の名称の始まりであり、その後字名としても使用されるようになり、駅名ともなった[4]。
なお、当駅廃止後の1973年(昭和48年)に『駅名の起源』の新版として国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』では、水が濁っている雨竜郡の一帯で、この地方だけ水が澄んでいることから、という別説を示している[5]。
駅構造
駅舎は札幌に向かって右手の西側に設置され、駅舎前に単式ホーム1面1線と短めの副本線、駅舎横石狩沼田側の貨物ホームへ1本の引込線を有していた[6]。
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおりであった。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。
| 年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 年間 | 1日平均 | |||
| 1961年(昭和36年) | 42,553 | (116.6) | [4] | |
| 1962年(昭和37年) | 39,625 | (108.6) | ||
| 1963年(昭和38年) | 44,370 | (121.2) | ||
| 1964年(昭和39年) | 46,166 | (130.0) | ||
| 1965年(昭和40年) | 44,386 | (121.6) | ||
駅跡
旧駅舎は倉庫として使用されており、2025年11月8日には北竜町の地域おこし協力隊員が中心となり札沼線の歴史を振り返るイベント「碧水駅オープンデー」を開催している[7]。