若者頭
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採用
江戸時代までは「若い者」の呼称が用いられ、当時は現役力士(大抵は幕下以下)と兼摂(けんせつ)することができた上にそもそも褌担ぎとの線引きも曖昧で正式な職名としてはなかった[4]。現役生活が20年前後の力士が務め、明治時代までは勝敗に関わらず一定の地位にあり準年寄の待遇であった。番付に掲載される直前の1909年(明治42年)6月までは髷をつけたまま現役で兼務するものであった。以降も髷はついており1943年(昭和18年)に全員が髷を切った。昭和期までは巡業で付け人を使うことが許された[4]。
新規採用は、引退した十両・幕下力士で適格と認められる者から行うこととされているが[5]、年寄名跡の不足を背景として元幕内からも採用が行われることがある。2026年3月時点では若者頭を務めている6人中5人が元関取で、そのうち2人が元幕内である。
2024年9月まで務めた花ノ国は若者頭・世話人の中で唯一金星獲得・三賞受賞、なおかつ三役目前(東前頭筆頭)まで上がった経験を持ち、現役時代の実績では一部の年寄を上回る。2026年3月から若者頭となった千代丸は幕内在位が31場所(最高位は東前頭5枚目)で、花ノ国の24場所を上回る。
定員
当初12人[注釈 1]であったが、1975年7月より8人とされている。停年(定年。以下同)は1961年1月の停年制度施行時は55歳、その後1975年7月に60歳、1982年7月に63歳と引き上げられ、1990年1月以降65歳と定められている[6]。年寄と違い定年後の再雇用の規定はない。
2022年1月場所終了時まで定員は一杯だったが、その後は欠員が続いている状態である。
- 2022年1月場所以降の推移
| 年 | 出来事 | 在籍人数 | 欠員数 |
|---|---|---|---|
| 2022年2月17日 | 白岩が停年退職直前で死去 | 7 | 1 |
| 2022年4月21日 | 琴千歳が停年退職 | 6 | 2 |
| 2024年9月25日 | 琴裕将が就任 | 7 | 1 |
| 2024年10月14日 | 花ノ国が停年退職 | 6 | 2 |
| 2026年3月23日 | 伊予櫻が停年退職[注釈 2] 千代丸が就任[7] | 6 | 2 |
| 2026年6月3日(予定) | 福ノ里が停年退職 | 5 | 3 |
任務
- 力士養成員の監督
- 勝負の記録
- 負傷者の退場補助[8]
- 本場所で取組での負傷等により自力で退場できない力士のために車椅子を用意する。
- 表彰式の連絡、進行[8]
- 優勝力士から賜杯や優勝旗などを土俵下で受け取る仕事も含まれる。
- 前相撲の指導、進行、取組編成
- 出世披露の指導、進行
- 大相撲中継の幕下以下の解説
- 相撲行事の段取り[8]
- 部屋の事務雑事
その他
若者頭から年寄を襲名した力士は江戸時代は珍しくなかったが、昭和以降ではそのような例は1930年(昭和5年)に10代・年寄濱風の養子になった若者頭の元十両・雷ヶ浦が年寄・濱風を襲名したことが若者頭から親方に転身した唯一のケースと言われている[9]。また、後に武蔵川理事長になる元前頭筆頭・出羽ノ花はケガで引退した際に、師匠から若者頭転身を打診されたが、先代の12代武蔵川親方の遺族から武蔵川の年寄株を譲渡されたと言う。これまでに若者頭に就任した力士のうち、年寄名跡襲名条件を満たしていたのは1998年5月1日の年寄名跡襲名条件変更以前の、嗣子鵬[注釈 3]、伯龍[注釈 4]、琴千歳[注釈 5]、花ノ国[注釈 6]の4人と、変更以降の前進山[注釈 7]千代丸[注釈 8]の2人の合計6人。
若者頭は1910年(明治43年)1月以降番付にその名前が掲載されるようになったが、1959年(昭和34年)11月場所限りで削除され、1994年(平成6年)7月場所より再び掲載されている。番付上に書かれる位置は、現行の番付では東の最下段の親方衆より左側の欄である。以前は西の最下段の親方衆より左側の欄や、中軸の行司の下に書かれたこともあった。
なお、1996年(平成8年)10月以前まで関取が現役を引退し年寄名跡を襲名するケースを「引退」、それ以外の関取や幕下以下の力士が協会を離れる場合を「廃業」としていた。相撲協会の嘱託職員という都合上、若者頭、世話人に転向し協会に残る場合も「引退」ではなく「廃業」と表現されていたが、1996年(平成8年)11月以降は全て「引退」に統一された[注釈 9]。
若者頭一覧
現職
2026年3月23日現在(欠員2)
| 名前 | かな読み | 最高位 | 現役時代の 所属部屋 | 就任月 | 停年予定日 | 所属部屋 (若者頭就任後) | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 福ノ里邦男 | ふくのさと くにお | 十両13 | 立田川部屋 | 1993年6月 | 2026年6月3日 | 立田川部屋 →陸奥部屋 →音羽山部屋 | |
| 前進山良太 | ぜんしんやま りょうた | 十両2 | 高田川部屋 | 1999年9月 | 2031年4月21日 | 高田川部屋 | |
| 栃乃藤達之 | とちのふじ たつゆき | 前頭11 | 春日野部屋 | 2001年1月 | 2034年11月14日 | 春日野部屋 | |
| 虎伏山義幸 | とらふすやま よしゆき | 幕下2 | 三保ヶ関部屋 | 2020年4月 | 2036年6月5日 | 春日野部屋 | 世話人から転向[10] |
| 琴裕将由拡 | ことゆうしょう よしひろ | 十両13 | 佐渡ヶ嶽部屋 | 2024年9月 | 2059年5月13日 | 佐渡ヶ嶽部屋 | |
| 千代丸一樹 | ちよまる かずき | 前頭5 | 九重部屋 | 2026年3月 | 2056年4月16日 | 九重部屋 |
退職者
| 名前 | かな読み | 最高位 | 現役時代の 所属部屋 | 在職期間 | 所属部屋 (若者頭就任後) | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 豊光重信 | とよひかり しげのぶ | 十両18 | 立浪部屋 →双葉山道場/時津風部屋 | 1957年3月 - 1962年8月(死去) | 時津風部屋 | |
| 鶴美山侑宏 | つるみやま ともひろ | 十両16 | 井筒部屋 →双葉山道場/時津風部屋 →井筒部屋 | 1957年3月 - 1987年6月(停年) | 井筒部屋/陸奥部屋 | |
| 嗣子鵬慶昌 | ししほう よしまさ | 前頭2 | 二所ノ関部屋 →大鵬部屋 | 1987年4月 - 1991年7月(廃業) | 大鵬部屋/大嶽部屋 | |
| 津軽海伝藏 | つがるうみ でんぞう | 十両16 | 春日野部屋 | 1957年11月 - 1993年5月(停年) | 春日野部屋 | |
| 伊勢錦貫二郎 | いせにしき かんじろう | 十両12 | 高嶋部屋 | 1958年11月 - 1994年10月(停年) | 高嶋部屋/友綱部屋 | |
| 佐賀光健吾 | さがひかり けんご | 十両5 | 二所ノ関部屋 | 1962年1月 - 1999年4月(停年) | 二所ノ関部屋 | |
| 出羽ヶ崎富二郎 | でわがさき とみじろう | 幕下28 | 出羽海部屋 | 1962年4月 - 2000年12月(停年) | 出羽海部屋 | |
| 伯龍弘基 | はくりゅう ひろき | 十両1 | 伊勢ノ海部屋 →鏡山部屋 | 1988年7月 - 2019年4月(停年) | 鏡山部屋 | 現役引退時の四股名は魄龍 弘(はくりゅう ひろし) |
| 白岩政俊 | しらいわ まさとし | 十両7 | 伊勢ヶ濱部屋 | 1987年8月 - 2022年2月(死去[11]) | 伊勢ヶ濱部屋 →桐山部屋 →朝日山部屋 →浅香山部屋 | |
| 琴千歳晃精 | ことちとせ こうせい | 前頭5 | 佐渡ヶ嶽部屋 | 1991年8月 - 2022年4月(停年) | 佐渡ヶ嶽部屋 | 世話人から転向 |
| 花ノ国明宏 | はなのくに あきひろ | 前頭1 | 花籠部屋 →放駒部屋 | 1994年10月 - 2024年10月(停年) | 放駒部屋 →芝田山部屋 | |
| 伊予櫻政行 | いよざくら まさゆき | 十両11 | 高砂部屋 | 1988年5月 - 2026年3月(停年) | 高砂部屋 |