藤村有弘
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幼少期より芸能活動を行い、俳優・千葉信男の付き人を務めていたこともあった[1]。喜劇役者として映画などで個性的な役柄を演じたほか、『ひょっこりひょうたん島』(NHK総合)のドン・ガバチョの声(初代)や「インチキ外国語」で一世を風靡した。日本のお笑い史にも軌跡を残し、“バンサ”の愛称で知られる。
ドン・ガバチョのつぶやき声である「ブフブハ」、笑い声の「ハタハッハ」は「誤記」された台本をそのまま読んだことから、またトラヒゲを「トラどん」とアドリブで言ったところスタッフに受けたため採用されたものである。
トニー谷のトニングリッシュに続く「インチキ外国語芸」の使い手であり、特に協和語を多用したインチキ中国語はフジテレビ『新春かくし芸大会』の中国語劇のナレーションとして定番であった。また、時にアクション映画で中国人ギャング役を演じることもあった。
趣味はアマチュア無線で、当時のコールサインはJH1BAN(今は別人に割り当て済み)。著名人であることから郵政省電波監理局が愛称にちなみ便宜を図ったようだが、真相は明らかにされていない。
1982年(昭和57年)3月10日に風邪ぎみになり、同年3月13日、レギュラーパーソナリティーとして出演していた静岡放送(SBSラジオ)の生放送ラジオ番組『藤村有弘の東海道それゆけ4時間』の放送終了後に緊急入院した。その後の診断で原因がかねてからの持病だった糖尿病の悪化によるものと判明したため、主治医の勧めで3月15日夜に戸塚共立第2病院に転院したが、緊急入院からわずか3日後の3月16日午後5時35分に糖尿病性昏睡のため死去。48歳没[2]。その日に放送された『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系)が最後の出演だった。普段の生活ではゲイであることを公言しており、葬儀のスピーチで友人の大橋巨泉は「バンサは彼がゲイである事を隠さなかった。しかし日本にはまだ同性愛者に対する強い偏見がある。だからボクは今夜、藤村有弘を立派な同性愛者として送ってやりたい」と述べた[3]。
一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている[4]。
後任
藤村の死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。
- 名古屋章(『ひょっこりひょうたん島』リメイク版:ドン・ガバチョ役)[注釈 1]