金東赫
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1936年(昭和11年)、日本統治下の朝鮮の京城府(現、ソウル特別市)に生まれた[1]。大韓民国国軍の兵士として朝鮮戦争に参戦したが、朝鮮人民軍に拉致され、その後、北朝鮮工作員となった[1]。1976年(昭和51年)、対南工作で韓国巨文島に派遣されたとき、彼は意を決して同僚たちに集団亡命を提案したが、激しい抵抗にあい、結果、激闘の末に単独での亡命を決行した[1][3]。
彼によれば、1975年8月、1人の日本人拉致被害者を平壌曲芸劇場にて目撃した[1][4][5]。この人物は、日本の特定失踪者の写真と照合すると1975年4月に失踪した萩本喜彦にとてもよく似ており、金はその後もこの人物を2度ほど目撃している[1][4]。
それ以外にも、1976年の金正日による拉致指令以降、日本人拉致について、多くの話を伝聞したこと、同年、招待所において金正日が工作員教官にするために拉致を行えと指令したと学んだこと、また、それ以前にも拉致は行われていたのであり、1969年には金日成総書記が万景峰号を用いて拉致を行えと工作機関に教示を下していたこと[2][注釈 1]、日本人拉致被害者総数は80人から90人と予想されることなどを証言した[2]。
著書
- 『金日成の秘密教示-対日・対南工作,衝撃の新事実』産経新聞ニュースサービス、2004年12月。ISBN 978-4594048686。