ウィリアム・ハレット夫妻

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製作年1785年
寸法236.2 cm × 179.1 cm (93.0 in × 70.5 in)
『ウィリアム・ハレット夫妻』
英語: Mr and Mrs William Hallett
作者トマス・ゲインズバラ
製作年1785年
種類キャンバス上に油彩
寸法236.2 cm × 179.1 cm (93.0 in × 70.5 in)
所蔵ナショナル・ギャラリーロンドン

ウィリアム・ハレット夫妻』(ウィリアム・ハレットふさい、: Mr and Mrs William Hallett)、または『朝の散歩』(あさのさんぽ、: The Morning Walk)は、18世紀イギリスの巨匠トマス・ゲインズバラが1785年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。1954年にアート・ファンド (芸術基金)英語版の援助で購入されて以来[1]ナショナル・ギャラリー (ロンドン) に所蔵されている (目録番号6209)[1][2]

ゲインズバラは本作を1785年の夏に描いたが、当時モデルのウィリアム・ハレット (William Hallett, 1764–1842年) とエリザベス・スティーヴン (Elizabeth Stephen, 1763/4-1833年) はともに21歳で、1785年7月30日にリトル・スタンモア英語版セント・ローレンス教会英語版で結婚する直前であった。ゲインズバラはハレットから本作の委嘱を受け、120ギニー (126ポンド)を支払われた[1]

ウィリアム・ハレットは成功した家具職人であった同名のウィリアム・ハレットの孫で、ミドルセックスキャノンズ・パーク英語版 にあった彼の不動産を相続した。エリザベス・スティーヴンは、彼女の結婚前に死去した外科医の父親からほぼ2万ポンドを相続した[1]。夫妻は一度もキャノンズ・パークに居住することはなく、1788年までにウィリアムはキャノンズ・パークを売却し、バークシャーリトル・ウィッテンハム英語版の不動産を購入した。しかし、夫妻は、ほぼ20年間オックスフォードシャーファリンドン・ハウス英語版に居住した。ウィリアムは競馬が好きな博徒で、ビジネス上の取引で金銭的損失を出し、1830年までに破産していた[1]。エリザベスにとって楽な生活ではなかったにちがいないが、夫妻はほぼ48年間結婚生活をし、2人の息子と4人の娘が生まれた。ウィリアムは、1833年にエリザべスが死去してから再婚した[1]。1842年に死去した後、彼は、エリザベスと結婚したセント・ローレンス教会の敷地のエリザベスの隣に埋葬された。

作品

ジョージ・ロムニー『夕方の散歩』として知られる『クリストファー卿とサイクス婦人』 (1786年) 、スレッドミア・ハウス英語版

この肖像画の様式は、ゲインズバラ以前の画家であるアントワーヌ・ヴァトーアンソニー・ヴァン・ダイクの作品を拠りどころとしており、繊細な詩的性格を持っている[1]

ハレット夫妻はゲインズバラ画業後期に特有の柔らかな筆致で描かれ、腕を組んで森の中の道を歩いている。彼らには、ポメラニアン・シープドッグが付き添っている[1]。犬は当時その頭部の形から一般的に「キツネ犬」として知られていたが、ずっと小さな現代のポメラニアンよりはジャーマン・スピッツまたはサモエド犬により近い種である。

夫妻は、結婚のための衣装を身に着けているのかもしれない[1]。エリザベスは、レース袖口の付いた、波打つような象牙色ののドレス (腰の部分で黒い絹で留められている) を纏っており、胸に付けられた緑色のリボンは、帽子に巻かれた大きな緑色の蝶結びのリボンと呼応する。広いつばのある帽子には、ダチョウ羽根が付いている[1]。ウィリアムは、大きな金色のボタンと黄緑色のウェストコートの付いた、黒いベルベットフロックコートを身に着けている。そして、黒色の半ズボン、白いストッキングバックルの付いた靴を履いている。手には簡素な黒色の帽子を持っている。空と木々の葉に見られるゲインズバラの斜めの筆致により、微風があるかのような動きの印象が生まれている[1]。なお、夫妻はおそらく別々に写生された[2]

ゲインズバラの本作の構図は、『夕方の散歩』として知られるジョージ・ロムニーの『クリストファー卿とサイクス婦人 (Sir Christopher and Lady Sykes)』 (現在も、サイクス家のスレッドミア・ハウス英語版蔵) にインスピレーションを与えた[3]

来歴

エリザベスの死後、この絵画は1834年のフォスター商会の競売に出されたが、買い手が見つからなかった[1]。ウィリアムは娘のレティス (Lettice)・エリザベスに遺贈し、彼女は下院議員エドワード・ヒリアード英語版の息子ナッシュ・クロージャー・ヒリアード (Nash Crosier Hilliard) と結婚した。絵画は2人の息子ウィリアム・エドワード・ヒリアードに相続され、1859年のブリティッシュ・インスティテューション英語版でのゲインズバラ展の出品作に含まれた。『ザ・タイムズ』紙で、「若い人の優雅さと高貴な育ちの完璧な作例」と称賛された[1]。絵画はまた、ロンドン万国博覧会 (1862年) でも称賛された。

1884年4月に、絵画はハレット夫妻の孫ウィリアム・エドワード・ヒリアードからアグニュー商会英語版に売却され、さらに8日後にはナサニエル・ロスチャイルド (初代ロスチャイルド男爵) に売却された。1954年には、ロスチャイルド卿のコレクションから3万ポンドでロンドンのナショナル・ギャラリーに取得された。アート・ファンドが3万ポンドのうち5,000ポンドを支給している[4]

2017年3月17日、本作は鋭い凶器を持つ男により損害を受けた[5][6]。ハレット夫人の下半身を横切る、それぞれ約1メートルと65センチの長さの切り傷を受けたのである。しかし、キャンバス地は貫通されなかった[7]。10日に渡る修復作業の後、作品はふたたび展示された[7]

脚注

参考文献

外部リンク

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