オダリスク (ブーシェ)

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製作年1745年ごろ
寸法53 cm × 64 cm (21 in × 25 in)
『オダリスク』
フランス語: L'Odalisque
英語: The Brunette Odalisque
作者フランソワ・ブーシェ
製作年1745年ごろ
種類キャンバス上に油彩
寸法53 cm × 64 cm (21 in × 25 in)
所蔵ルーヴル美術館パリ

オダリスク』(: L'Odalisque)、または『茶髪のオダリスク』(ちゃぱつのオダリスク、: L'Odalisque brune: The Brunette Odalisque)は、18世紀フランスロココ期の巨匠フランソワ・ブーシェが1745年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。1914年にバジール・ド・シュリシュタン (Basile de Schlichting) 男爵から遺贈されて以来[1]パリルーヴル美術館に所蔵されている[1][2][3][4]。なお、ブーシェの署名のある同構図のヴァージョンがランス美術館にもある[2]。さらに、画家は、『ソファに横たわる裸婦』 (アルテ・ピナコテークミュンヘン) を含む2点の別のオダリスクを主題とする絵画も制作している。

本作は、つややかな絹で覆われたベッドの上に横たわる全身の女性を表している。右側には緑色の衝立があり、左側には見事な器や宝石の置かれたサイドテーブルがある[2]。画中の女性をオダリスク (トルコ後宮に仕えた女性[2])、あるいは妾の女性と呼ぶのは不適切であると考える研究者もいる。しかし、作品の多くの要素は、枠のないベッド、衝立上の精緻な植物文様、女性の髪に着けられた羽根など異国的主題を示唆している。ブーシェの時代には、東方世界に対する強い興味が広まっていた。それは、珍しいものに憧れる異国趣味であると同時に官能的世界に対するいざないで[3]、オダリスクの主題は豊満な裸婦の姿を描く格好の口実でもあった[2]

絵画の主題と形式は、神話の人物を表現している可能性もある。当時、横たわる裸体の女性像は同時代の女性ではなく、女神を表しているものと思われた。ヤーコプ・ファン・ローの『イタリア風就寝 (Coucher à l'italienne)』やヤーコプ・ヨルダーンスの『カンダウレスとギュゲス (Candaules and Gyges)』は、そうした絵画の代表例となっている。本作の裸体女性のポーズも、ブーシェが『アイネイアースのためにウルカヌスに武器を依頼するレダとヴィーナス』などの絵画の神話的人物像にしばしば用いたものである[5]

フランソワ・ブーシェ『昼間用寝台の上の女性』 (1743年)、フリック・コレクションニューヨーク。ブーシェ夫人を描いたものとされる。

とはいえ、画中の女性は、あたかも特定の人物の肖像であるかのように非常に個人的なものとして、かつ個性的に描かれている[5]。そのため、美術史家たちは、彼女が現実の女性の姿なのかもしれないと考えている。彼女が誰があるかについては多くの推測がなされてきたが、候補としてポンパドゥール夫人、『ソファに横たわる裸婦』のモデルとされる女性の姉である通称ド・サングラシヤン嬢ことヴィクトワール・オーマーフィー (Victoire O’Murphy) が挙げられる。しかし、美術史家たちは、誰よりもブーシェの妻であるジャン・カイユー (Jean Cailleux) であると考えている[2][5][6]

ブーシェの妻がモデルとあるという見解には、多くの理由がある。たとえば、ブーシェは肖像画家ではなく、モデルの人物と特別な関りがある場合を除いて肖像画は描かなかった。加えて、画中のサイドテーブルにはブーシェの署名が記された紙片があり、それもまた画家とモデルの間の特別な関係を示唆する。さらに、研究者たちは、女性がフリック・コレクション (ニューヨーク) にある、ブーシェの妻の肖像とされる作品に類似していることに注目している。実際、絵画が制作された当時も、モデルがブーシェの妻であるという可能性は、議論を巻き起こした。芸術批評家ドゥニ・ディドロは本作と類似した作品を引き合いに出し、ブーシェが妻を裸体像で表して、彼女を娼婦の姿にしていると画家を叱責した[3][5]

複数のヴァージョン

ブーシェにもとづくピエール・シャルル・ルベック英語版エングレービング『目覚め』 (1765年) 、ナショナル・ギャラリー (ワシントン)

ブーシェは、本作をもとに複数の署名入りヴァージョンを制作した。アラステール・ラン (Alastair Laing) は、作品が広く流布したことにより、モデルがブーシェの妻であるという見解は疑問に付されると述べている。画家は、このような個人的な主題が幅広く知れ渡ることを望んだとは考えられないからである[5]

ピエール・シャルル・ルベック英語版が1765年に制作したエングレービングは、おそらくモデルの素性を曖昧にするために、あるいは当時 (本作制作から20年後) の人々にとってのもっと優雅な、または適切な顔を提示するために本作の頭部に変更を加えている。この淫らな版画はブーシェが国王の主席画家に任命された時に制作されたが、それはブーシェの名声を損なわせようするためのものであったのかもしれない[5]

脚注

参考文献

外部リンク

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