ジョイ (スーパーマーケット)
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| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場 |
| 本社所在地 |
札幌市中央区北8条西21丁目1-10 |
| 設立 | 2004年(平成16年)7月30日 |
| 業種 | 小売業 |
| 事業内容 | スーパーマーケット |
| 代表者 | 松長正三(代表取締役社長) |
| 資本金 | 90百万円(2007年3月) |
| 売上高 | 21,570百万円(2007年3月) |
| 総資産 | 4,895百万円(2007年3月) |
| 従業員数 | 226名(2007年3月) |
| 決算期 | 3月31日 |
| 主要株主 | イオン 100% |
| 関係する人物 | 茶山政明 |
| 外部リンク | チニタ生活館 - 閉鎖。住友石炭鉱業、エスシーエム興産運営時のホームページ。イオングループ加入後は無し。 |
| 特記事項:エスシーエム興産の流通事業を会社分割後、株式をイオングループに譲渡。2008年4月にマックスバリュ北海道に吸収合併。 データは2008年の合併前のデータ | |
ジョイ(Joy)は、かつて北海道に存在したスーパーマーケットである。
法人名としてのジョイ(Joy Co., Ltd.)は2004年(平成16年)7月30日から2008年(平成20年)3月30日まで、店舗ブランド名としての「スーパーJoy」は1972年(昭和47年)から2018年(平成30年)10月31日まで使用されていた。
ここでは、法人としてのジョイ、および法人設立前にジョイなどを運営していた日本商事、住友石炭鉱業などの流通部門についてを述べている。2008年4月以降の店舗ブランドとしてのジョイについてはマックスバリュ北海道を参照。
歴史
日本商事時代
1962年(昭和37年)、札幌市を本社に置く住友石炭鉱業株式会社の子会社、日本商事株式会社[注 1](にほんしょうじ)が設立された。会社創立の主目的は「食料品、衣料品など物品の製造、加工、販売」であったが、実際の創立当初の事業は住友赤平炭鉱・歌志内炭鉱の川流微粉炭の採集で、山元手取の手助けを行うものであった[2]。翌年の1963年(昭和38年)1月23日、住友石炭鉱業の各鉱山の配給所分離問題が解決し、住友赤平炭鉱・奔別炭鉱の配給所計14店舗が日本商事に移管[3]。その後配給所はストアと改称された。
その後日本商事はスーパーマーケット事業に進出、札幌市にスーパーマーケット一号店として1966年(昭和41年)8月、「いずみストア北光店」を開店。その後北栄店、厚別店を出店した[2]。
一方1970年(昭和45年)、羽幌炭鉱の子会社で親会社の閉山により営業を停止し、札幌地裁から破産宣告を受けた大五商事(店舗名:総合ストア大五[4])が運営していた北店・新川店・北郷店・月寒店、および建設中であった平和通店の計5店舗の運営を引き継ぎ、こちらは子会社サニーマートが運営するサニーマートとする[5]。その後白石店を開店した。
1972年(昭和47年)4月に「赤平日本商事株式会社」(あかひらにほんしょうじ、本社:赤平市)を設立し、赤平・歌志内のストア(旧配給所)を分離する[3]。同年5月、日本商事運営の札幌市内の「いずみストア」3店舗およびサニーマート運営の「サニーマート」6店舗を統合し、新しく「ジョイチェーン」が発足することとなった[6]。
1973年(昭和48年)8月に会社としてもサニーマートを合併。その後は積極的なチェーン化を推し進めていった。1979年(昭和54年)に日本商事は住友石炭鉱業株式会社の総合多角化経営の一翼を担う事業部門として、合併されることとなる[1]。
住友石炭鉱業の一部門として
1980年(昭和55年)、シージーシー北海道本部(現在の北海道CGC)の立ち上げに参加する[1]。住友石炭鉱業の一部門となった後も「ジョイ」の商標で年間1,2店舗ずつの出店を続け、1981年(昭和56年)には札幌市内で2位の規模を持つスーパーに成長[7]。
1983年(昭和58年)以降は150坪型の老朽化店舗の閉店や既存店の増築や改築といったスクラップアンドビルドを繰り返し[1]、体質の改善を図っていった。その結果、1990年(平成2年)には売上高100億円を超え、住友石炭鉱業の売上の12.2%を占める事業となった[2]。
1994年(平成6年)時点で、JOYチェーンの売上高は168億1300万円で北海道10位の売上高を持つスーパーマーケットであった[8]。
1997年(平成9年)当時、住友石炭鉱業北海道支社では中期ビジョンとしてスーパーマーケットのほか酒類や書籍の販売を行い、370億円規模を目指すとされていた[9]。
赤平日本商事→ニッショウ
1972年に分社した赤平日本商事は独自の道を辿っていた。当初は「赤平日本商事ストア」を名乗っていたが住友赤平炭鉱株式会社の設立と共にその子会社となり[10]、「ニッショウ」に社名と店名を共に変更。赤平以外へも店舗の展開をすすめ、1988年(昭和63年)、砂川市に輸入家庭用品などを販売する「ワールド・ショップ・ニッショウ」を開店したり[11]、1989年(平成元年)北見市に輸入品専門店を出店する[12]などした。
1994年、住友赤平炭鉱が閉山するに辺り、赤平の地域経済振興と離職者の雇用の受け皿の一環として、ニッショウ旧本店(位置は北海道中央バス「住友栄町」停留所前の国道38号線信号、旧赤平自動車学校右隣・旧赤平住友小学校付近)を旧市民球場跡地に移転し増床を行う[13]。赤平市内初の大型スーパーマーケット、「セリオあかびらニッショウマート」として開店した[3]。
ニッショウ株式会社は住友赤平炭鉱閉山後も住友石炭鉱業株式会社の子会社となり存続していた[3]。
イオングループへの売却
2002年(平成14年)、住友石炭鉱業の子会社として株式会社エスシーエム興産が設立され、ジョイはエスシーエム興産の経営となった。また株式会社ニッショウから赤平市の店舗運営を委託された[14]為、スーパーマーケットの運営会社は一本化された。エスシーエム興産はスーパーマーケットの他に不動産賃貸管理業およびゴルフ場の運営を行う会社で、2004年(平成16年)3月期には、年商242億9400万の売上を上げる企業であった[15]。またスーパーマーケット事業においても2002年3月の169億円から2004年3月には204億円に増加。既存店の売上も4%以上伸びていた[16]。
しかし大手の寡占化が進む中で、地元中堅のスーパーマーケットであるJOYは生き残りに限界があり、また親会社の住友石炭鉱業は石炭関連事業に経営資源を集中させ、新規出店が出来ないでいる状態だった。一方、道内の事業拡大を目指しており、マックスバリュ北海道との店舗の重複が少ないイオンとの思惑が一致し、イオンがJOYを買収することになった。買収額は約18億円であった[16]。
なお、エスシーエム興産はジョイ売却後の2004年9月にゴルフ場運営会社の有限会社ジー・ジー・シーに経営を譲渡[17]。住友石炭鉱業の連結子会社では無くなりゴルフ場や不動産事業の運営を続けていたが、自主再建を断念し、2005年(平成15年)2月に民事再生法を申請した[15]。
イオングループ加入後
イオングループの下で、法人としての「株式会社ジョイ」が設立された。設立時にはエスシーエム興産の経営陣、店舗、従業員をそのまま引き継ぎ、またマックスバリュ北海道との合併も否定された[16]。
2005年(平成17年)には2010年に売上高500億円、経常利益10億円を目指すという目標を掲げた[18]。2006年(平成18年)2月23日に栄町店を出店し、4年ぶりに出店を再開。年間2、3店舗ペースでの出店を目指すとした[19]。
2006年(平成18年)9月には、空知地区を中心に展開していたスーパーマーケット「りょーゆー」を運営する菱栄商事が事業を撤退するにあたり一部店舗を買収。この時に営業を引き継いだのは滝川市の栄町店(ジョイ滝川栄町店)、西町店(ジョイ滝川西町店)、朝日町店(ジョイ朝日町店)、滝の川店(ジョイ滝の川店)、芦別市の本町店(ジョイ芦別店)の5店舗で、全て「ジョイ」へ転換した[20]。
しかし、その後のジョイは業績低迷が続いた。2006年3月期は2000万円、2007年(平成19年)3月期は3億1800万円の経常損失を計上。2007年6月には、マックスバリュ北海道の社長であった松長正三が社長となり[21]、経営効率の改善や商品調達力の強化に取り組んだ。ジョイの業績は回復しつつあったが経営の効率化と競争力の強化を図る為、2008年(平成20年)2月にマックスバリュ北海道と合併契約書を締結し、4月1日にマックスバリュ北海道に吸収合併された[22]。
「ジョイ」ブランドの消滅
マックスバリュ北海道には「Joy」「プライスマート」「ニッショウマート」のブランド計18店舗はそのまま引き継がれた。
しかし後年、改装などを行う際に地域実情に合わせて改善が見込める店舗については「マックスバリュ」「マックスバリュエクスプレス」「ザ・ビッグエクスプレス」に転換を行う一方、ジョイの店舗には小型店が多く収益を伸ばすには限界があった為、多くの店舗が閉店することとなった[23]。
「ジョイ」の屋号は朝日町店の閉店をもって2018年(平成30年)10月31日に消滅。「プライスマート」の屋号は苗穂店のみしばらく残ったが、2020年(令和2年)1月31日に閉店し、これをもって「ジョイ」由来の屋号は完全消滅することになった。