タトラKT4
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| タトラKT4 | |
|---|---|
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| 基本情報 | |
| 製造所 | ČKDタトラ |
| 製造年 | |
| 製造数 |
|
| 運用開始 | 1975年 |
| 主要諸元 | |
| 編成 | 2車体連接車 |
| 軌間 | 1,000 mm、1,435 mm、1,458 mm、1,524 mm |
| 電気方式 |
直流600 V (架空電車線方式) |
| 最高速度 | 65.0 km/h |
| 起動加速度 | 1.31 m/s2 |
| 減速度(常用) | 1.31 m/s2 |
| 減速度(非常) | 2.29 m/s2 |
| 車両定員 |
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| 車両重量 | 19.96 t |
| 全長 | 19,054 mm |
| 車体長 | 18,110 mm |
| 全幅 | 2,180 mm |
| 全高 | 3,400 mm |
| 車体高 | 3,100 mm |
| 床面高さ | 900 mm |
| 車輪径 | 700 mm |
| 固定軸距 | 1,900 mm |
| 台車中心間距離 | 8,900 mm |
| 動力伝達方式 | 直角カルダン駆動方式 |
| 主電動機 | 回転型インバータ(MG) |
| 主電動機出力 | 40 kw、45 kw |
| 出力 | 160 kw、180 kw |
| 制御方式 | |
| 制動装置 | 発電ブレーキ、ドラムブレーキ、電磁吸着ブレーキ |
| 備考 | 主要数値は[1][2][3][4][5][6][7]に基づく。 |
タトラKT4は、かつてチェコスロバキア(現:チェコ)のプラハに存在したČKDタトラが製造した路面電車車両(タトラカー)の1つ。急カーブや急勾配など厳しい条件下の路面電車路線向けに開発され、東ドイツやソビエト連邦を始めとする社会主義国家(東側諸国)に導入された[2][5]。
タトラカーは、アメリカで開発された高性能路面電車・PCCカーの技術をライセンス契約の元で取得したČKDタトラ(旧:タトラ国営会社スミーホフ工場)によって開発された路面電車車両の総称である。東側諸国による経済協力機構である経済相互援助会議(コメコン)の元で大量生産されたタトラカーはソビエト連邦やユーゴスラビアなど世界各国へ向けて生産され、東ドイツにおいても1960年以降タトラT3Dや改良型のタトラT4Dの大量導入が実施された[8][9]。
だが、首都・ベルリンのベルリン市電を始めとした東ドイツ各地の路面電車は急カーブや急勾配、狭い車両限界など、従来型のタトラカーを直接導入する事が難しい線路条件であり、1970年代前半までこれらの都市には小型の2軸車が継続して導入される状態となっていた。そこで、タトラ国営会社は東ドイツ政府の指導のもと、それらの車両に代わる厳しい条件下でも走行可能な新型電車の開発に着手した。そして複数の試作車を経て1975年から量産が開始されたのがKT4である。形式名の"KT"は「小型連接式電動車(Kurzgelenk Triebwagen)」と言う意味を持つ[3][9][5][6][10][11]。
概要
KT4は2両の車体を繋いだ2車体連接車だが、タトラ国営会社がそれまで製造していた連接車とは異なり、各車体に2基の主電動機を搭載したボギー式動力台車が設置され、床下と屋根に設置されたヒンジで車体同士が結合される構造となっている。これによって通過可能な最小曲線半径は15.8 mとなり、従来のボギー車[注釈 1]や連接車では通過する事が出来なかった急曲線も走行する事が出来る。更に連結器ではなくヒンジで車体を繋ぐ事により、2軸車による連結運転で生じた縦揺れが抑えられている。一方、台車や主電動機、駆動方式(直角カルダン駆動方式)など主要機器についてはT4Dの構造が引き続き用いられている他、制御装置も1980年代以降に製造された一部車両を除いて抵抗制御方式が採用されている。ただし抵抗値の操作についてはT4Dを始めとした従来のタトラカーで用いられていたタップ制御ではなく電磁開閉器が使われており、信頼性の向上が図られている[1][2][6][3][12]。
車体はループ線が終端に存在する使用路線の条件に合わせ、車体右側にのみ乗降扉が存在する片運転台構造となっている。乗降扉は各車体に2箇所、1両につき合計4箇所設置されており、乗客の流動性が従来の車両から向上している。また連結器が搭載されているため、KT4形同士の連結運転も可能である。車体デザインはボギー車のタトラT5と同様に角ばった外見となっているが、車両限界が狭い東ドイツの路線での走行を考慮し、車体幅は2,180 mmに抑えられている[2][6][5][3][13]。
運用・車種

KT4の開発にあたり、まず1969年に試作連接車のタトラK1を改造し、連接構造を始めとする新機構の検証が実施された。その結果良好な成績が得られた事で、1972年に2両の試作車が製造され、翌1973年から軌間1,435 mm(標準軌)のプラハ市電と軌間1,000 mm(狭軌)のリベレツ市電でそれぞれ試運転が実施された。そしてこれらの車両が1975年4月に東ドイツのポツダム市電で営業運転を開始したのを皮切りに、東ドイツ、ソビエト連邦、ユーゴスラビア、朝鮮民主主義人民共和国向けに以下の車種の大量生産が実施された[2][5][10][11]。
- KT4D - 東ドイツ向けの形式。1990年までに試作車を含めて合計1,045両が製造された。1982年からは制御装置を電機子チョッパ制御方式(サイリスタチョッパ制御)に変更したKT4Dtの展開も行われ、ベルリン市電向けに99両が導入された[5][3][11][14]。
- KT4SU - ソビエト連邦向けに製造された形式。1980年から1990年にかけて435両が製造された[5]。
- KT4YU - ユーゴスラビア向けの形式で、KT4-YUBとも呼ばれる。1980年から1990年にかけてベオグラード市電(現:セルビア)に200両、ザグレブ市電(現:クロアチア)に51両が導入された。また、1997年には電機子チョッパ制御(IGBT素子)を用いたKT4M-YUBがベオグラード市電に向けて20両生産されている[4][5]。
- KT4K - 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の首都・平壌の路面電車である平壌市電の復活に合わせて1991年に製造された形式。最終組み立ては中華人民共和国(中国)で実施された。50両が導入されたが、早期に連接部分が溶接され、以降は全長18 mのボギー車として使用された[5][15]。
導入都市



タトラ国営会社(→ČKDタトラ)で製造されたタトラKT4が導入された都市は以下の通りである。国名や都市名の一部には略称を含む[5][7][10]。
| KT4 導入都市一覧[5] | |||
|---|---|---|---|
| 形式 | 導入国 | 都市 | 導入車両数 |
| KT4D | 東ドイツ (現:ドイツ) |
ベルリン (ベルリン市電) 「タトラKT4 (ベルリン市電)」も参照 |
576両 |
| エアフルト (エアフルト市電) 「タトラKT4 (エアフルト市電)」も参照 |
156両 | ||
| ゲーラ (ゲーラ市電) |
63両 | ||
| ポツダム (ポツダム市電) 「タトラKT4 (ポツダム市電)」も参照 |
45両 | ||
| プラウエン (プラウエン市電) |
45両 | ||
| フランクフルト(オーダー) (フランクフルト(オーダー)市電) |
34両 | ||
| ツヴィッカウ (ツヴィッカウ市電) |
22両 | ||
| ブランデンブルク (ブランデンブルク市電) |
16両 | ||
| コトブス (コトブス市電) |
16両 | ||
| ゲルリッツ (ゲルリッツ市電) |
11両 | ||
| ライプツィヒ (ライプツィヒ市電) |
8両 | ||
| ゴータ (ゴータ市電) |
6両 | ||
| KT4Dt | 東ドイツ (現:ドイツ) |
ベルリン (ベルリン市電) 「タトラKT4 (ベルリン市電)」も参照 |
99両 |
| KT4SU | ソビエト連邦 (現:ウクライナ) |
リヴィウ (リヴィウ市電) |
145両 |
| ソビエト連邦 (現:ウクライナ) |
ヴィーンヌィツャ (ヴィーンヌィツャ市電) |
81両 | |
| ソビエト連邦 (現:エストニア) |
タリン (タリン市電) |
73両 | |
| ソビエト連邦 (現:ロシア連邦) |
カリーニングラード (カリーニングラード市電) |
41両 | |
| ソビエト連邦 (現:ロシア連邦) |
ピャチゴルスク (ピャチゴルスク市電) |
35両 | |
| ソビエト連邦 (現:ラトビア) |
リエパーヤ (リエパーヤ市電) |
22両 | |
| ソビエト連邦 (現:ウクライナ) |
ジトーミル (ジトーミル市電) |
20両 | |
| ソビエト連邦 (現:ウクライナ) |
イェウパトーリヤ (イェウパトーリヤ市電) |
18両 | |
| KT4YU | ユーゴスラビア (現:セルビア) |
ベオグラード (ベオグラード市電) |
200両 |
| ユーゴスラビア (現:クロアチア) |
ザグレブ (ザグレブ市電) |
51両 | |
| KT4M-YUB | ユーゴスラビア (現:セルビア) |
ベオグラード (ベオグラード市電) |
20両 |
| KT4K | 北朝鮮 | 平壌 (平壌市電) |
50両 |