トーマス・デン

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愛称 トミー[1]
ラテン文字 Thomas Deng
生年月日 (1997-03-20) 1997年3月20日(29歳)
トーマス・デン
名前
愛称 トミー[1]
ラテン文字 Thomas Deng
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
南スーダンの旗 南スーダン
生年月日 (1997-03-20) 1997年3月20日(29歳)
出身地  ケニアナイロビ
身長 182cm
体重 73kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 横浜F・マリノス
ポジション DF(CB、RSB)
背番号 44
利き足 右足
ユース
2011-2013 オーストラリアの旗 ウェスタン・イーグルスFC
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2013 オーストラリアの旗 ウェスタン・イーグルスFC 15 (2)
2014 オーストラリアの旗 グリーン・グリーSC 13 (0)
2015-2020 オーストラリアの旗 メルボルン・ビクトリーFC 71 (2)
2015-2016 オーストラリアの旗 メルボルン・V NPL 10 (0)
2016-2017 オランダの旗 ヨングPSV(loan) 5 (0)
2020-2021 日本の旗 浦和レッズ 21 (1)
2022-2024 日本の旗 アルビレックス新潟 64 (0)
2025- 日本の旗 横浜F・マリノス 22 (0)
代表歴2
2015-2016  オーストラリア U-20
2016-2020  オーストラリア U-23
2018- オーストラリアの旗 オーストラリア 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2026年2月1日現在。
2. 2020年1月30日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

トーマス・デン: Thomas Jok Deng1997年3月20日 - )は、ケニアナイロビ出身のプロサッカー選手Jリーグ横浜F・マリノス所属。ポジションはディフェンダー(センターバック、右サイドバック)。オーストラリア代表

オーストラリア南スーダンの2重国籍をもつ。2022 FIFAワールドカップ オーストラリア代表メンバー。

オーストラリア時代

アデレードのサッカークラブに所属して本格的にサッカーを開始。14歳でメルボルンに転居して地元のサッカークラブに所属した後、しばらくしてAリーグメルボルン・ビクトリーのユースに加入。ユース時代にはトップチームへの練習参加も経験し、1年後に昇格、18歳でメルボルン・ビクトリーとプロ契約を結ぶ[2]

2015年、メルボルン・ビクトリーFCでAリーグデビューを果たす。プロ1年目より13試合に出場し[2]、同年にFFAカップを獲得。

翌2016-17シーズンは期限付き移籍によりオランダPSVアイントホーフェンリザーブチームヨングPSVに加入し、ルート・ファン・ニステルローイの指導を受けステーフェン・ベルフワインらとプレー。出場機会を優先し、1シーズン限りでメルボルン・ビクトリーに復帰する[2]

復帰1年目となる2017-18シーズンにはAリーグのタイトルを獲得[2]。翌2018-2019シーズンは本田圭佑とともにプレーして本田から「まだ若いけれど、オーストラリアで最高の才能を持つ選手の1人」と評され[3]、2019年のAFCチャンピオンズリーグにも出場する[2]

浦和レッズ

2020年1月に開催されたAFC U-23選手権2020にオーストラリア代表の主将として参加し、そこでのプレーからセンターバックとサイドバックでプレーできるユーティリティ性にジャンプ力やスピードなど高い身体能力、さらに主将としてのピッチ内外での振る舞いや言動が評価された事によって、1月28日にJ1リーグ浦和レッズへの加入が発表された[4][5]。キャンプ入りが遅かったことに加えて新型コロナウイルス感染症の流行に伴うリーグ中断が重なったため、加入後半年近く出番がなかったが、7月4日のJ1・横浜F・マリノス戦でようやく移籍後初出場を果たした[6]。8月23日、J1・ヴィッセル神戸戦で移籍後初ゴールとなる豪快なボレーシュートを決め、このゴールは8月の月間ベストゴールにも選ばれた[7]

2021年シーズンは負傷のため出遅れ、5月19日のルヴァンカップ横浜FC戦で戦線に復帰した[8]。東京オリンピック後、前年シーズン終盤から苦しんできたグロインペイン(左足の股関節痛)が再発。別メニュー調整が続いていたが[9]、その後も負傷離脱を繰り返し、全公式戦出場わずか6試合に終わった。11月24日、契約満了により同年シーズン限りで浦和を退団することが発表された[10]

アルビレックス新潟

2022年1月5日、当時J2リーグアルビレックス新潟への移籍が発表された[11]。1月21日にサッカーダイジェストのオンライン取材にて新潟加入の理由について、新潟が目指しているサッカーにフィットすると思ったこと、ジェイソン・ゲリアからJ2が戦術的にも技術的にもJ1と遜色がないこと、そして自分の能力を示せるところでプレーしたかったことを挙げた[12]。同年シーズンの前半は、前年故障した部位を回復させるために別メニューで練習を続け、夏以降に全体練習に合流[13]。シーズン後半に出場するようになり、チームのJ2リーグ優勝に貢献。2023年のジーズンからは、J1へ活躍の場を移した。

2024年11月28日、契約満了に伴い2024年シーズン限りで新潟を退団することが発表された[14]。ホーム最終戦となったG大阪戦後には、他の契約を満了する選手とともに別れの挨拶をする場が設けられた[15]

横浜F・マリノス

2025年1月21日、横浜F・マリノスへの移籍が発表された[16][17]。 1月のキャンプは3日目から合流。順調にペースを上げていたが、1月27日の練習中に左足首付近を負傷。練習続行が不可能となった[18]

代表経歴

代表は一貫してオーストラリア代表を選択。

U-20代表としてはAFC U-19選手権2016に出場した。

U-23代表としてはAFC U-23選手権2016AFC U-23選手権2018AFC U-23選手権2020の3回に出場した。

U-24代表としては東京オリンピックのメンバーに選出された。

A代表としては2018年10月15日に行われたクウェート代表との親善試合に出場し代表初キャップ、この試合では同じ南スーダン難民の幼馴染であるアワー・メイビルもともに初キャップとなった[19][20]。2022年、2022 FIFAワールドカップ オーストラリア代表メンバーに選出された[21]

私生活

  • ナイロビ(ケニア)で南スーダン難民の子供として南スーダン出身の両親の間に生まれ、道端でストリートサッカーを始める。その後6歳の時に、医師である父を仕事の都合でナイロビに残して母、3人の兄、姉の家族とともにアデレードオーストラリア)に移住[2]、オーストラリア国籍を取得する。
  • 兄のピーター・デンは南スーダン代表のサッカー選手[22]
  • 2024年に結婚。伝統的な形式での結婚式を挙げた[23][24]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
2015-16メルボルン・VAリーグ130-00130
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
2016-17ヨングPSVエールステ50000050
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
2017-18メルボルン・V14Aリーグ212-00212
2018-19260-20280
2019-2060-1070
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2020浦和20J119100-191
202120301060
2022新潟3J280-0080
2023J12602010290
20243003000330
2025横浜FM442200010230
2026J1特別--
通算オーストラリアAリーグ 662-30692
オランダエールステ 50000050
日本J1 99180301101
日本J1特別 --
日本J2 80-0080
総通算 178380601923
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2016メルボルン・V00
20181450
201950
通算AFC 100

その他の公式戦

  • 2017-18
    • Aリーグファイナル 3試合0得点
  • 2018-19
    • Aリーグファイナル 2試合0得点

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 3試合 0得点(2018年-)[25]
オーストラリア代表国際Aマッチ
出場得点
201810
201900
202000
202100
202210
202310
2024
通算30

タイトル

クラブ

浦和レッズ
アルビレックス新潟

個人

  • J1リーグ月間ベストゴール:1回(2020年8月)

脚注

関連項目

外部リンク

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