マーク・コッツェイ

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生年月日 (1975-12-02) 1975年12月2日(50歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
220 lb =約99.8 kg
マーク・コッツェイ
Mark Kotsay
オークランド・アスレチックス 監督 #7
オークランド・アスレチックスでの監督時代
(2023年5月12日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ウィッティア
生年月日 (1975-12-02) 1975年12月2日(50歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1996年 MLBドラフト1巡目
初出場 1997年7月11日
最終出場 2013年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • サンディエゴ・パドレス (2015)
  • オークランド・アスレチックス
    アスレチックス (2016 - )
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
五輪 1996年
オリンピック
男子 野球
1996野球

マーク・スティーブン・コッツェイMark Steven Kotsay, 1975年12月2日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ウィッティア出身の元プロ野球選手外野手)、野球指導者。左投左打。現在は、MLBアスレチックスの監督を務める。

プロ入り前

サンタフェ高等学校英語版卒業時にどこからもドラフト指名されず、1994年カリフォルニア州立大学フラトン校へ進学した。1995年には打率.422・21本塁打・90打点を記録し、ゴールデンスパイク賞を受賞。メンズ・カレッジ・ワールドシリーズでは打率.563・3本塁打・10打点を挙げMVPに選出されるなど大学球界の一躍スターとなった[1]

プロ入りとマーリンズ時代

1996年6月のMLBドラフト1巡目(全体9位)でフロリダ・マーリンズから指名を受け、その後アトランタオリンピック野球アメリカ合衆国代表に選出され「2番・左翼手」として常時出場してチーム2位の打率.303を記録し、銅メダル獲得に貢献[1]。オリンピック終了後の8月15日に契約[2]

アマチュア時代の金属バットから木製バットへうまく順応し、1997年は前年より1つ階級が上のAA級ポートランド・シードッグスで迎え打率.307・17本塁打・61打点を記録し、デボン・ホワイトの代役として7月11日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビューを果たした[1]。ホワイトが復帰したため7月28日にマイナーに降格[1]。その後はメジャーに昇格はなくメジャー1年目を終えた。

メジャー2年目となる1998年には、マーリンズでレギュラーに定着。2000年までの3年間、目立った成績では無かったものの、安定した活躍を見せた。

パドレス時代

2001年3月28日にマット・クレメントらとの2対3のトレードで、シーザー・クレスポ英語版と共にサンディエゴ・パドレスへ移籍した。

アスレチックス時代

オークランド・アスレチックス時代
(2007年7月28日)

2003年11月26日にラモン・ヘルナンデステレンス・ロングとのトレードで、オークランド・アスレチックスへ移籍した[2]

アスレチックス移籍1年目の2004年は、先頭バッターに定着し、自己ベストのシーズンになった。自身初の打率.300を記録したほか、自己最高の190安打を記録。

2005年は開幕当初こそ、不動のリードオフマンとして不振に陥っていたチームを牽引。しかし、後半戦からは背筋痛に苦しみ、尻すぼみとなってしまった。結局、打率こそ.280と前年より3分ほど落ちたものの、チーム内の最高打率であり、対左腕の打率は.324をマーク。そして、前年と同じ本数の本塁打に加え、自己最高の82打点をマークした。また、7月9日には2008年まで3年間総額2900万ドルで契約延長した[3]

2006年は、持病の腰痛の影響で二桁本塁打が3年連続でストップした。それでもオールスター後は欠場を繰り返したものの、打撃好調で50試合で打率.326をマーク。特に7月22日から8月18日の間は、16試合連続安打をマークした。この年まで指揮を執った監督のケン・モッカとの関係は悪く、故障続きで使いにくい選手だったが、アメリカンリーグチャンピオンシップシリーズではビリー・ビーンボビー・キールティを薦めた際に、モッカはコッツェイを起用したものの結果を残せず、監督解任の要因となった[4]

2007年は開幕前に持病の腰痛が悪化し、手術のために長期離脱を余儀なくされた。6月に戦線復帰したものの、8月中旬に痛みが再発し、この年2回目の故障者リスト入りとなった。結局、故障の影響でシーズンの大半を棒に振り、レギュラーに定着した1998年以来、最少の出場数となる56試合でしかプレーできなかった。

ブレーブス時代

アトランタ・ブレーブス時代
(2008年4月20日)

2008年1月14日にジョーイ・デバインジェイミー・リッチモンドとのトレードで、名手アンドリュー・ジョーンズFAとなったアトランタ・ブレーブスへ移籍した。ジョーンズの後釜の中堅手として出場し、8月14日にはサイクル安打と通算1500本安打を同時に達成した[5]

レッドソックス時代

ボストン・レッドソックス時代
(2008年9月10日)

2008年8月27日にトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍し、故障者リスト入りしたJ・D・ドリューの代役として出場[6]

2009年7月24日にDFAとなった。

レッドソックス退団後

ミルウォーキー・ブルワーズでの現役時代
(2011年6月12日)

2009年7月28日にブライアン・アンダーソンとのトレードで、シカゴ・ホワイトソックスへ移籍した[7]

サンディエゴ・パドレスでの現役時代
(2013年3月10日)

2011年ミルウォーキー・ブルワーズ2012年からは9年ぶりにパドレスでプレーし、2013年に引退した。

引退後

2014年からはフロントの一員としてパドレスを支える事となった[8]。オフの12月1日にパドレスの打撃コーチに就任した[9]

2015年11月12日、2016年シーズンからアスレチックスのベンチコーチを務める事が発表された[10]2018年シーズンからはクオリティ・コントロールコーチへ転任となり[11]2020年まで)、2021年からは三塁コーチ[12]を務め、2022年シーズンからは監督[13]を務めている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1997 FLA 145752510110134301040071.192.250.250.500
1998 1546235787216125711233681057334216117.279.318.403.721
1999 14853549557134239819950762929505011.271.306.402.708
2000 1525785308715831512235571992442204617.298.347.443.791
2001 SD 1194604066711829110179581351348125811.291.366.441.807
2002 1536465788216927717261611192459038910.292.359.452.810
2003 1285414826412828471853863115631828.266.343.384.726
2004 OAK 14867360678190373152786385555552706.314.370.459.829
2005 139629582751633511524582552440315113.280.325.421.746
2006 12955850257138293719459634644125518.275.332.386.719
2007 5622620620441401612011011930204.214.279.296.575
2008 ATL 883453183992173613337231125203413.289.340.418.758
BOS 22918461981029120100710111.226.286.345.631
'08計 11043640245111254616249241132304514.276.329.403.732
2009 2779744192012452101410121.257.291.324.615
CWS 40127113123370349181112112095.292.349.434.783
'09計 672061871652904732332131530216.278.327.390.717
2010 107359327307817281233113003230369.239.306.376.683
2011 MIL 10425523318631313873130012130274.270.329.373.703
2012 SD 82156143937802511402011111142.259.314.357.671
2013 104171155830201351202121300251.194.253.226.479
MLB:17年 1914711064647901784353481272614720986430485543813757152.276.332.404.737

年度別守備成績



一塁(1B)左翼(LF)中堅(CF)右翼(RF)
















































1997 FLA --14312011.000-
1998 331001.000-46134521.9861072081541.982
1999 191048091.000--1292461955.981
2000 210001.000-9201001.0001392671333.989
2001 SD -150001.000106269441.986530001.000
2002 --1473521143.989-
2003 --1263241334.991-
2004 OAK --1453471164.984-
2005 --137299743.987-
2006 428026.933-127281622.993-
2007 --56141523.986-
2008 ATL --841733011.000-
BOS 635317.974--19320001.000
'08計 635317.974-841733011.00019320001.000
2009 1910311091.000220001.000450001.000410001.000
CWS 22155120131.000230001.000120001.0008131001.000
'09計 41258230221.000450001.000570001.00012141001.000
2010 3829820123.997--892001.000
2011 MIL 11271041.0001920240.84610110001.0003048010.980
2012 SD 5260021.0001927111.966-9141011.000
2013 5262021.00019131001.000-640001.000
MLB 13480658475.9956270451.93710122389682723.989464845511310.986
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績





















ポストシーズン
勝敗
2022 OAK
ATH
AL 西 46歳16260102.3705 / 5 
2023 47歳16250112.3095 / 5 
2024 48歳1626993.4264 / 5 
2025 49歳1627686.4694 / 5 
MLB:4年 648255393.394-
  • 2025年度シーズン終了時。

記録

背番号

  • 4(1997年 - 1998年途中)
  • 7(1998年途中 - 2000年、2016年 - )
  • 14(2001年 - 2003年、2012年 - 2013年、2015年)
  • 21(2004年 - 2007年)
  • 11(2008年 - 2009年途中)
  • 30(2009年途中 - 同年終了)
  • 25(2011年)

脚注

関連項目

外部リンク

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