メジロファラオ
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| メジロファラオ | ||||||
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第122回中山大障害出走時 (1999年12月18日) | ||||||
| 欧字表記 | Mejiro Pharaoh[1] | |||||
| 品種 | サラブレッド[1] | |||||
| 性別 | 牡[1] | |||||
| 毛色 | 鹿毛[1] | |||||
| 生誕 | 1993年4月17日[1] | |||||
| 死没 | 不明(2019年以降?) | |||||
| 父 | アレミロード[1] | |||||
| 母 | メジロストーク[1] | |||||
| 母の父 | モガミ[1] | |||||
| 生国 |
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| 生産者 | メジロ牧場[1] | |||||
| 馬主 | メジロ商事(株)[1] | |||||
| 調教師 | 大久保洋吉(美浦)[1] | |||||
| 競走成績 | ||||||
| 生涯成績 | 41戦8勝[1] | |||||
| 獲得賞金 | 2億211万2000円[1] | |||||
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メジロファラオ(Mejiro Pharaoh)[1]とは日本の競走馬。主な勝ち鞍に1999年の中山グランドジャンプ。史上初のJ・GI制覇を達成したことで知られる。障害の名門として知られるメジロ一族の出身[2]である。
競走馬時代
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[3]
1995年10月7日、東京競馬場での3歳新馬戦でデビューし、7着。8戦目で初勝利を挙げ、約1年後に500万下条件戦を勝って2勝目を挙げる。900万下クラスに上がってからは芝の2000メートルを超えるレースに使われ、クラス2戦目の陣馬特別を勝ち、準オープンで1戦して函館競馬場に転戦、900万下クラスに降級ののち松前特別を勝って再度準オープンクラスに上がる。函館記念、京都大賞典の2重賞出走を経て1997年10月26日の高雄ステークスで5勝目を挙げた。その後はオープン特別の万葉ステークスも含めて5戦して新たな勝ち星が積み上がらず、障害競走に転じる。
1998年5月10日の障害未勝利戦を勝ち、続く障害400万下戦では3分21秒5のレコードタイムで障害2連勝。休養を挟み11月の障害オープン8着から中山大障害に臨んで、ビクトリーアップの2着に入った。1999年に入って初めの3戦は春麗ジャンプステークス3着が最高成績にとどまるが、第1回の中山グランドジャンプは6番人気で迎え、レースでは先行して最後はケイティタイガーに6馬身差をつけて初代の覇者となった[4]。その後は3戦して勝ち星はなく、2000年の春麗ジャンプステークス8着が最後の競馬となった。
雨及び不良馬場状態の第1回中山グランドジャンプにおいて2着馬に6馬身差で勝利する[5]等、平地時代も含めて現役時において不良馬場状態で一度も4着以下にならなかった[6]。
引退後
引退後は乗馬となり、はじめは日本大学馬術部で繋養されていたが、日本大学馬術部出身で八王子乗馬倶楽部のディレクターでもある細野茂之が性格や馬体から乗馬クラブ向きと判断したことで八王子乗馬倶楽部恩方スティブルに移動し、シーチャリオットらとともに繋養されていた[7][8]。その後、2019年のサマーホースショーには出場しているが[9]、以降の動向は不明。騎乗していた大江原隆が2022年に八王子乗馬倶楽部を訪れているが、その際にもメジロファラオ自身と対面したという記載は無い[10]。