レバーク・HR100

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コンストラクター チーム・レバーク
デザイナー ジェフ・フェリス
ジョン・バーナード
レバーク・HR100
カテゴリー F1
コンストラクター チーム・レバーク
デザイナー ジェフ・フェリス
ジョン・バーナード
主要諸元
シャシー アルミニウムモノコック
サスペンション(前) Independent triggered by torsion dampers
エンジン フォード コスワースDFV 2,993 cc (182.6 cu in) 90° V8, 自然吸気, ミッドエンジン
トランスミッション ヒューランド FG400 5速
燃料 バルボリン
タイヤ グッドイヤー
主要成績
ドライバー 31. メキシコの旗 ヘクトール・レバーク
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦 1979年イタリアグランプリ
出走優勝ポールFラップ
3000
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レバーク・HR100 (Rebaque HR100) は、レバーク1979年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。HR100が決勝に進出したのは1戦のみで、結果はリタイアであった。

チーム・レバークはメキシコ人レーサーのヘクトール・レバークが設立したプライベートチームであった。1978年シーズンにロータス・78を購入して参入、1ポイントを挙げコンストラクターズランキング19位になる。1979年、レバークは「78年シーズンの最優秀車」であるロータス・79を購入してシーズンに望んだ[1]。予想に反してレバークは車の性能を生かしてレースで成功を収めることはできなかった。レバークはロータスからのサポートが不足していたことを失敗の原因とし、独自のマシンを開発することを決定した。マシンの製作は外部の企業に委託した。

HR100

レバーク・HR100はイギリスプールで、ペンスキー・レーシングによって開発された。責任技術者はジェフ・フェリスであった[2]。その後マシンの開発にはジョン・バーナードが加わった[3]。ペンスキーのエンジニアがマシンの製作を引き継いだ。

HR100は多くの部分で成功したマシンを模倣していた。車の全体的なレイアウトはロータス・79と酷似していた[4]。しかしながらサイドボックスの設計は1979年シーズンでかなりの成功を収めていたウィリアムズ・FW07の影響を受けていた[5]。HR100はグラウンドエフェクトおよび現代的な空力コンポーネントを有していた。駆動部分では革新的なソリューションは無く、コンベンショナルなアルミモノコックにフォード コスワースDFVヒューランド製5速ギアボックスを搭載した[2]

HR100はイタリアグランプリでデビューし、ドライバーはレバーク自身であった。79年シーズン、自身の名を冠したマシンをドライブしたのはエマーソン・フィッティパルディアルトゥーロ・メルツァリオと彼のみであった。モンツァのポールポジションはジャン=ピエール・ジャブイーユが獲得したが、レバークの予選タイムはそれよりも8秒以上遅かった。レバークは予選を通過することはできなかった。続くカナダグランプリでは予選を22位で通過したが、決勝では31ラップ目にサスペンショントラブルでリタイアとなった[3]。最終戦のアメリカグランプリでは再び予選落ちとなった。これがHR100にとっての最後のレースとなった。

レバークの最初の声明に反して、HR100の後継は製作されなかった[2]。レバークは自らのチームで参戦するのを諦め、翌年はシーズン中盤にブラバムに加入した。

F1における全成績

(key) (斜体ファステストラップ

シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 順位 ポイント
1979年 レバーク・HR100 フォード コスワースDFV 3.0 V8 G ヘクトール・レバーク ARG
BRA
RSA
USW
ESP
BEL
MON
FRA
GBR
GER
AUT
HOL
ITA
DNQ
USA
Ret
CAN
DNQ
NC 0

出典

参考文献

外部リンク

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