三上愛介
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愛媛県に4人兄弟の末弟として生まれる[1]。父は新田高等学校在学中に1990年の第62回選抜高等学校野球大会で準優勝した経験を持つ[2]。小学校1年生時から野球を始め、済美高等学校在学中から本格的に野球選手を志した[1]。高校の先輩で、四国アイランドリーグplusの地元球団である愛媛マンダリンパイレーツでプレーしていた矢野泰二郎(のち東京ヤクルトスワローズ)から勧誘を受け、矢野を尊敬していた三上は愛媛への入団を決意した[1]。2022年11月4日に愛媛の特別合格選手となり[3]、12月26日に入団合意が発表された[4]。
2023年の入団から2年間は目立った成績を残せなかった[1]。負傷も多く、2年目の2024年は出場31試合で58打席にとどまった[5]。だが、矢野の「今頑張れば、後々いい経験ができるから、まずは今、死に物狂いで頑張れ」という言葉を支えにプレーを継続した[1]。3年目となる2025年は背番号を従来の51から1に変更した[6]。このシーズンは1番打者として定着し、成績も向上した[7]。その背景には先輩選手で前年に打率.351を記録した上野雄大からの助言や[1]、このシーズンからコーチに就任した田上健一の走塁指導があったとされる[8]。67試合に出場して打率.295、盗塁43の成績を残した[1]。愛媛が出場したグランドチャンピオンシップ優勝(独立リーグ日本一)にも貢献した[2]。その後リーグ選抜選手としてみやざきフェニックス・リーグにも参加し、のちに指名を受ける中日ドラゴンズと対戦した際に監督の井上一樹から長所を問われて「肩と脚には自信があります」と返答する場面もあった[2]。
同年10月23日、NPBドラフト会議の育成ドラフトで、中日ドラゴンズから3巡目で指名を受けた[9]。11月21日に松山市内で契約交渉をおこない、支度金300万円・年俸300万円(いずれも推定)で仮契約を結んだ[2]。
12月10日の中日の新入団選手発表会では「支配下登録は通過点。一日でも早く日本一になれるように必要な選手だと思われるようになりたい」と述べ、背番号は217となった[10]。