三原朝利
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| 三原 朝利 みはら あさと | |
|---|---|
| 生年月日 | 1977年12月8日(48歳) |
| 出生地 |
|
| 出身校 |
東京大学法学部私法学科 慶應義塾大学法科大学院法務研究科 |
| 前職 |
衆議院議員政策担当秘書 福岡市長秘書 |
| 所属政党 |
(自由民主党→) (無所属→) 自由民主党(麻生派) |
| 親族 |
祖父・三原朝雄(元防衛庁長官) 父・三原征彦(元北九州市議長) 伯父・三原朝彦(元衆議院議員) |
| 公式サイト | 三原あさと OFFICIAL SITE |
| 選挙区 | 比例九州ブロック(福岡県第9区) |
| 当選回数 | 1回 |
| 在任期間 | 2026年2月9日 - 現職 |
| 選挙区 | 若松区選挙区 |
| 当選回数 | 2回 |
| 在任期間 | 2017年 - 2024年 |
三原 朝利(みはら あさと、1977年〈昭和52年〉12月8日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。
北九州市議会議員(2期)を務めた。祖父は文部大臣、防衛庁長官などを歴任した三原朝雄。父は元北九州市議長の三原征彦。伯父は元衆議院議員の三原朝彦。
福岡県北九州市生まれ。北九州市立高須小学校、北九州市立高須中学校、福岡県立東筑高等学校を経て東京大学法学部私法学科卒業、加えて慶應義塾大学大学院法務研究科修了[1]。
東京大学卒業後、伯父である衆議院議員・三原朝彦の政策担当秘書や、福岡市長(髙島宗一郎)秘書を務める[2]。
2014年7月23日、翌年の北九州市長選挙への立候補を表明。自民党内では現職の北橋健治に対し対立候補擁立を求める声もあったものの、市議団の半数以上は北橋支持であり、朝利は「相談したら強く反対される」と伯父の朝彦にも相談せずに出馬表明に踏み切った[3]。投開票の結果、北橋に敗れ落選した[4]。
2017年1月29日に行われた北九州市議会議員選挙(若松区選挙区)に自民党公認で立候補し、7,230票を獲得して初当選した[5]。2021年同市議選で再選(4,606票)[5]。
2023年2月5日投開票の北九州市長選挙において、自民党福岡県連が推薦した候補(津森洋介)ではなく、元厚生労働省官僚の武内和久を支援した。これを受け、同年2月に自民党福岡県連より党紀委員会での審査を経て除名処分(離党勧告から変更)を受けた[6][7]。三原は不服として党本部に審査請求を行うなどしたが、最終的に無所属となった[8]。
2023年には伯父・朝彦の引退に伴う次期衆院選福岡9区の候補予定者に名乗りを上げたが、7月に行われた党員投票の結果、大家敏志参議院議員に大差で敗れた[9]。その後県連は大家を9区の候補予定者として上申したが、11月に自民党本部は9区には支部長を置かず「空席」とする方針を決定。背景には大家の所属する麻生派の領袖である麻生太郎副総裁が大家の鞍替えに否定的なことや、党独自の情勢調査では大家が三原より劣勢であったことなどが報じられた[10]。
2024年の第50回衆議院議員総選挙では、福岡9区から無所属で出馬した(大家は出馬断念)。投開票の結果、無所属の現職緒方林太郎にダブルスコアの大差をつけられ落選した(50,252票)[11]。
2026年、第51回衆議院議員総選挙を前に、自民党本部は福岡9区の公認候補として三原を擁立する方針を決定。これに伴い除名処分が解除され、党籍を回復した[12][13]。選挙戦では高市早苗首相(当時)や党幹部の応援を受け、組織戦を展開して前回より得票を伸ばしたが、無所属で強固な地盤を持つ緒方に約3万票差で敗れた。しかし、重複立候補していた比例九州ブロックにおいて自民党が堅調に議席を獲得したため、比例復活で初当選した[2][14]。選挙後、麻生派に入会した[15]。
政策・主張
憲法
- 憲法改正について、2026年の毎日新聞、読売新聞のアンケートで「賛成」と回答している[16]。
- 憲法9条の改正については、自衛隊の存在を明記すべきとの考えを示している[17]。
- 緊急事態条項の創設について、2026年の読売新聞アンケートで「どちらかといえば賛成」と回答[16]。毎日新聞のアンケートでは、内閣の権限強化とともに国会議員の任期延長を認めるべきとしている[17]。
外交・安保
- 防衛費の増額について、2026年の読売新聞アンケートで、GDP比2%の目標より「増やすべきだ」と回答している[16]。
- 防衛装備品の輸出拡大について、2026年の読売新聞アンケートで「賛成」と回答している[16]。
- 日本の核武装について、核兵器の保有はすべきではないとしつつも、「核共有は検討すべきだ」との見解を2026年の毎日新聞アンケートで示している[17]。
- 外交関係について、米国との関係強化には「賛成」、韓国との関係強化にも「賛成」とする一方、中国との関係強化には「どちらかといえば反対」と回答している[16]。
- 対中姿勢について、2026年の西日本新聞の取材に対し、高市政権の外交姿勢を評価し、毅然と冷静に対応すべきと述べている[18]。
- 台湾有事を巡る高市早苗首相の発言により日中関係が悪化したとされる件について、2026年の毎日新聞アンケートでは「(首相の答弁に)問題があったとは思わない」と回答している[17]。
経済・財政・エネルギー
- 高市内閣が掲げる「責任ある積極財政」について、2026年の西日本新聞の取材で「賛成」と述べ、財政出動による経済活性化を主張している。また、財政再建よりも財政出動を優先すべきとの立場をとっている[18]。
- 消費税について、2026年の西日本新聞の取材で「時限的な食料品の消費税減税」に言及しており[18]、読売新聞アンケートでも「限定的に減税するべきだ」と回答している[16]。毎日新聞アンケートでは「食料品の税率をゼロにすべき」との考えに近いと回答した[17]。
- 経済成長と分配のバランスについて、「成長を重視すべきだ」と回答している[16]。
- 原子力発電について、2026年の読売新聞アンケートで「今後も活用する」と回答[16]。毎日新聞アンケートでは「新増設すべきだ」と回答している[17]。
ジェンダー・人権
- 選択的夫婦別姓制度の導入について、2026年の読売新聞アンケートで「夫婦は同じ名字とする今の制度を維持する」と回答[16]。毎日新聞アンケートでも「反対」と回答している[17]。一方で、旧姓の通称利用拡大には賛成している[17]。
- 同性婚の制度化について、2026年の毎日新聞アンケートで「反対」と回答している[17]。
社会保障
- 社会保障制度の維持について、2026年の読売新聞および毎日新聞のアンケートで、給付水準を下げて負担を抑えるべきだという考えを示している[16][17]。
- 70歳以上の医療費窓口負担について、所得に応じて現役世代と同じ3割に引き上げることに「どちらかといえば賛成」としている[16]。
その他
- 外国人政策について、2026年の西日本新聞の取材に対し、不法滞在への規制強化を訴え「移民政策」には反対を明言している[18]。読売新聞アンケートでも受け入れ人数を「減らすべきだ」と回答している[16]。一方で、共生環境の整備については行政と企業の協力を挙げている[18]。
- 皇位継承について、2026年の読売新聞アンケートで「父方が天皇の血を引く男系男子のみ皇位を継承できる現在の制度を維持する」と回答[16]。女性天皇には反対し、皇族減少対策として旧宮家出身の男系男子の養子縁組案を支持している[17]。
- 企業・団体献金について、2026年の読売新聞アンケートで「存続させた上で透明性を高める」と回答[16]。毎日新聞アンケートでは「廃止する必要はない」としている[17]。
- 国会議員の定数削減について、2026年の読売新聞アンケートで「賛成」と回答している[16]。
- 国旗損壊罪の新設について、2026年の毎日新聞アンケートで「賛成」と回答している[17]。
北九州市について
人物
北九州市出身。座右の銘は「吾道一以貫之(わがどういつをもってこれをつらぬく)」[1]。 地元の保護司としても活動しており、地域の更生保護活動にも携わっている。[20]
剣道
- 特技は剣道。公式プロフィール等では5段となっているが[1]、2025年8月4日に行われた審査で六段に合格している。これは10年越しの挑戦であり、恩師や亡き母との約束を果たすための挑戦であったと語っている[21][22]。
- 小学2年生の時、地元の少年剣道クラブ「双葉剣友会」で剣道を始めた。きっかけは、母方の祖父から「土日は野球の練習があるから遊べないが、剣道なら時間が短いので遊べる」と言われたことであった[23]。
- 中学進学時に一度競技から離れたが、大学受験の浪人時代、自宅近くから聞こえる竹刀の音に引かれ、6年ぶりに道場を訪れたことを機に再開した[24]。当時の恩師たちが温かく迎え入れてくれたことが、後の人生の支えになったと述懐している[25]。
- 大学時代はレギュラー獲得のため、東京・新木場にある警視庁の道場へ通い、全日本選手権優勝者などが揃う朝稽古に参加していた[26]。
- 現在は、自身を育てた「双葉剣友会」の後援会長を務めるほか[25]、歴史ある剣道大会「神武館旗争奪少年剣道個人選手権大会」の会長職を前会長の後藤俊秀より継承している[27]。
親族
- 父:元北九州市議会議員の三原征彦[28]。2014年の北九州市長選挙に三原朝利が出馬した際、父を引退に追いやってしまったという思いから、当時の敗北を「申し訳なさの中で得た経験」と語っている[28]。
- 母:鹿児島県出身[28]。2015年に急性リンパ性白血病により69歳で死去した[28]。三原が36歳で挑んだ市長選の際は闘病中でありながら、病室から電話をかけるなどして応援していた[28]。
- 祖父母:母方の祖父母は鹿児島県出身で、熊本を経て北九州へ移住し、若松区でヤクルト販売店を営んでいた[23]。祖父は武士道精神を重んじる人物で、三原に「国家公務員になってお国のために働いてほしい」と願っていたとされる[23]。