佐夜鹿 (掛川市)

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佐夜鹿
大字
小夜の中山の航空写真
北緯34度48分47.83464秒 東経138度5分33.92668秒 / 北緯34.8132874000度 東経138.0927574111度 / 34.8132874000; 138.0927574111座標: 北緯34度48分47.83464秒 東経138度5分33.92668秒 / 北緯34.8132874000度 東経138.0927574111度 / 34.8132874000; 138.0927574111
日本の旗 日本
都道府県 静岡県の旗 静岡県
市町村 掛川市
人口情報(2024年3月末日[1]
 人口 67 人
 世帯数 22 世帯
設置日 1889年
郵便番号 436-0002
市外局番 0537(掛川MA
ナンバープレート 浜松
ポータルアイコン ポータル 日本の町・字
ポータルアイコン ポータル 静岡県
プロジェクト 日本の町・字
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佐夜鹿(さよしか)は、静岡県掛川市にある大字

山岳

小夜の中山(1935年撮影)
小泉屋の横に安置された夜泣き石(2018年6月中旬撮影)

静岡県掛川市の北東端に位置する。合併前の旧掛川市においては東端に位置していた。北東から南西に向けてやや長く伸びた形状の大字である。領域のほとんどが山林に覆われている。北端から西端にかけて国道1号と接している。南西から北東に向かってかつての東海道が貫いているが、佐夜鹿の領域内に位置する小夜の中山箱根峠鈴鹿峠と並ぶ東海道の三大難所として広く知られていた。

近隣には大字の名称と集落の名称とが一致しない地が散見されるが、佐夜鹿においては大字としての住所表記は「佐夜鹿」[2]と記されるのに対し、集落としては「中山」[3]と呼称される。なお、集落としての中山は、他の大字に位置する集落とともに掛川市の自治区である「日坂区」を構成している[4]

佐夜鹿は掛川市の大字であるが[2]、掛川市に隣接する島田市にも大字として「佐夜鹿[5]が存在する。これは1957年(昭和32年)6月に榛原郡金谷町の大字である「菊川」の一部が分立し、新たな大字として「佐夜鹿」が設置されたためである。この時点で既に掛川市にも同名の大字が存在しており、隣接する市町に同名の大字が並立することになった。同年8月、金谷町の大字である佐夜鹿の一部は掛川市に編入されることになったが、同時に、掛川市の大字である佐夜鹿の一部が金谷町に編入されることになった。結果として、互いに領域に変化はあったものの、引き続き掛川市と金谷町の双方に佐夜鹿が存在し続けることになった。のちに金谷町は島田市と合体し新たな島田市が設置されたことから、島田市と掛川市に同名の大字が並立することになった。

河川

歴史

佐夜鹿一里塚(2017年6月中旬撮影)
小泉屋(左)と夜泣き石(奥)(1959年撮影)

掛川市の大字である「佐夜鹿」には、もともとは自然村である大鹿村や新田である佐野新田が置かれていた[6][7][† 1]。大鹿村は、江戸時代に入ると幕府領となったが[6][8]、その後は旗本松平氏領となり[6][8]、さらに旗本の大河内氏領となった[6][8]内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば、当時の石高は40石9斗2合であったとされる[9][† 2]。農業が盛んであり、米をはじめとする五穀や野菜が栽培されていた[8]。また、東海道を行き交う人々を対象にした往還稼も行われていた[8]。さらに、薪炭業も行われており、薪や芝が採取されていた[8]。機業も行われており、木綿が製造されていた[8]。『角川日本地名大辞典』によれば、大鹿村の鎮守は駒形明神とされている[8]。一方、佐野新田は、近隣の小原子村の神谷家の別家にあたる神谷助次郎によって慶長年間に開墾され[7]、1676年(旧暦延宝4年)に検地が行われ年貢定納場となった[7]。内山の『遠江国風土記伝』によれば、当時の石高は7石5斗9升6合であったとされる[9]。この大鹿村の村域[6]、および、佐野新田の領域が[7]、のちの掛川市の大字である佐夜鹿に該当する。大鹿村、佐野新田、および、小夜中山明治元年に合併することになり[8]、新たな自然村として佐夜鹿村が発足した[8]

町村制が施行された1889年(明治22年)に佐夜鹿村は日坂宿、大野村と合併することになり[10]日坂村が発足した[10]。その際に従来の宿駅や自然村は大字とされることになり、日坂村の大字として「佐夜鹿」が設置された[10]

その後、この地は掛川市の一部となった[6][7][10]。1957年(昭和32年)に榛原郡金谷町の同名の大字である佐夜鹿の一部が掛川市に編入されるとともに、掛川市の大字である佐夜鹿の一部が金谷町に編入された。そのため、掛川市と金谷町とでそれぞれの佐夜鹿の領域に変化が生じたものの、引き続き両市町に大字として佐夜鹿が並行して存在することになった。

沿革

江戸時代に描かれた「遠江國」(『天保國繪圖』天保9年)。佐野郡の村は水色で示されており「大鹿村」、「佐野新田」がみえる

世帯数と人口

2024年(令和6年)3月末日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字世帯数人口
佐夜鹿22世帯67人

事業所

2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[11]

大字事業所数従業員数
佐夜鹿2事業所7人

小・中学校の学区

公立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12][† 3]

大字小学校中学校
佐夜鹿掛川市立日坂小学校掛川市立栄川中学校

交通

道路

施設

小泉屋(奥)と「子育飴」(手前)

史跡

小泉屋の横に安置された夜泣き石(手前)(1932年以前撮影)

その他

脚注

関連項目

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