紺屋町 (掛川市)
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| 紺屋町 | |
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| 大字 | |
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紺屋町の航空写真 (2020年6月16日撮影) | |
北緯34度46分18.91427秒 東経138度0分52.19514秒 / 北緯34.7719206306度 東経138.0144986500度座標: 北緯34度46分18.91427秒 東経138度0分52.19514秒 / 北緯34.7719206306度 東経138.0144986500度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 人口情報(2024年3月末日[1]) | |
| 人口 | 96 人 |
| 世帯数 | 53 世帯 |
| 郵便番号 | 436-0055 |
| 市外局番 | 0537(掛川MA) |
| ナンバープレート | 浜松 |
静岡県掛川市の北部に位置する。合併前の旧掛川市においては南部に位置していた。東西に伸びた長方形のような形状の大字である。全域が平地であり商店や住居などが多くみられる。東端が静岡県道254号掛川停車場線と接している。
近隣には大字の名称と集落の名称とが一致しない地が散見されるが、紺屋町においては大字としての住所表記は「紺屋町」[2]と記されるのに対し、集落としては他の大字とともに「町西部」[3]を構成している。
なお、大字としての紺屋町に関する一帯には、掛川市の自治区である「紺屋町区」が置かれている[4]。紺屋町区は龍尾神社の氏子区域であり[5]、掛川祭において「木獅子の舞」を披露することで知られている[6][7]。この木獅子は掛川宿鎮護の獅子と位置付けられており[8]、龍尾神社の神事にて舞を披露する際には「掛川宿鎮護大祓の舞」[8]と称される。1755年(旧暦宝暦5年)に上梓された『問屋要用』には当時の祭の様子が描写されており[7]、掛川宿の町丁であった紺屋町の木獅子により獅子神楽が披露されたことが記されている[7]。また、『掛川藩家老若林家文書』には、1848年(旧暦嘉永元年)に紺屋町の屋台が繰り出したと記されており[7]、これが掛川祭における初めての屋台とみられている[7]。江戸時代末期になると、紺屋町だけでなく他の町丁においても屋台が建造されるに至り[7]、さかんに曳き廻されるようになった。この紺屋町の屋台は老朽化が進み、1950年(昭和25年)に2代目の屋台が建造された[9]。なお、この屋台の天幕は明治年間に作られた豪奢なものであり、掛川市の『掛川市歴史的風致維持向上計画』では紺屋町区の屋台について「天幕は明治時代に作られ、掛川で一番高価な物と考えられている」[9]と解説している。
歴史
紺屋町と呼ばれている地は、もともとは遠江国佐野郡掛川宿の一部であった[10]。具体的には、掛川宿のうち紺屋町が、のちの大字としての「紺屋町」に該当する[11]。掛川宿は、山内氏領となったが[12]、江戸時代に入ると掛川藩領となった[12]。掛川宿は、明治元年には駿府藩領となり[12]、明治2年には静岡藩領となった[12]。この掛川宿の紺屋町が、のちの大字としての紺屋町に該当する[11]。
町村制が施行された1889年(明治22年)に掛川宿は下俣町、十九首町、仁藤村の大部分、大池村の一部、葛川村の一部と合併することになり、掛川町が発足した。その後の度重なる市町村合併を経て、この地は掛川市の一部となった。
沿革
世帯数と人口
事業所
2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[13]。
| 大字 | 事業所数 | 従業員数 |
|---|---|---|
| 紺屋町 | 39事業所 | 148人 |
