堅田神社
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位置
北緯34度30分20.5秒 東経136度46分47.3秒 / 北緯34.505694度 東経136.779806度座標: 北緯34度30分20.5秒 東経136度46分47.3秒 / 北緯34.505694度 東経136.779806度
主祭神
佐見都日女命
| 堅田神社 | |
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| 所在地 | 三重県伊勢市二見町茶屋字堅田442-2 |
| 位置 | 北緯34度30分20.5秒 東経136度46分47.3秒 / 北緯34.505694度 東経136.779806度座標: 北緯34度30分20.5秒 東経136度46分47.3秒 / 北緯34.505694度 東経136.779806度 |
| 主祭神 | 佐見都日女命 |
| 社格等 |
式内社(小)論社 皇大神宮摂社 |
| 創建 | 延長5年(927年)以前 |
| 本殿の様式 | 神明造 |
| 主な神事 | 神嘗祭 |
| 地図 | |
祭神
歴史
倭姫命が諸国を巡幸し二見の地を訪れた際に、土地の神である佐見都日女命は倭姫命に堅塩を奉った[7][8]。倭姫命はこれを喜び、堅田神社を定めた[7][8]。ただし、佐見都日女命は倭姫命に進んで堅塩を奉じたわけではなく、倭姫命の質問に一切答えず、黙って堅塩を奉じることで、自らの開拓した土地を差し出すことにせめてもの抵抗を示したのである[2]。これが二見浦で内宮・外宮へ納める御塩を生産する起源となった[2]。
堅田神社は一時祭祀が中断したものの、荒木田氏経が永享6年(1434年)に再興し、寛文10年(1670年)に二見が神領に復すると、江戸幕府は領民に祭礼と遷宮を命じ、こぞって奉仕したという[9]。
