川島大橋

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日本の旗 日本
所在地 岐阜県各務原市川島松原町 - 岐阜県各務原市川島笠田町 間
交差物件 木曽川本流
開通 1962年(昭和37年)8月8日
川島大橋(旧橋)
左岸上流側より撮影
基本情報
日本の旗 日本
所在地 岐阜県各務原市川島松原町 - 岐阜県各務原市川島笠田町 間
交差物件 木曽川本流
開通 1962年(昭和37年)8月8日
閉鎖 2021年(令和3年)5月28日
座標 北緯35度22分09.6秒 東経136度49分25.9秒 / 北緯35.369333度 東経136.823861度 / 35.369333; 136.823861座標: 北緯35度22分09.6秒 東経136度49分25.9秒 / 北緯35.369333度 東経136.823861度 / 35.369333; 136.823861
構造諸元
形式 ワーレントラス橋
全長 343.50 m
車道橋6 m、歩車道橋2.75 m
最大支間長 72 m[1]
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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岐阜県道180号標識

川島大橋(かわしまおおはし)は、岐阜県各務原市を流れる木曽川本流に架かる岐阜県道180号松原芋島線。各務原市川島松原町川島笠田町を結んでいる。

1962年(昭和37年)8月8日開通。2021年(令和3年)5月28日には橋脚に異常が見つかって通行止めとなり、旧橋が解体されて新橋の建設が進められている。

  • 供用開始
    • 車道橋 - 1962年(昭和37年)8月[2]8日[3](車道橋)
    • 歩行者・自転車橋 - 1969年(昭和44年)2月6日
  • 延長 - 343.50 m[注釈 1][1]
  • 支間長 - 63m+3×72m+63m[1]
  • 幅員
  • 橋種 - 鋼5径間連続トラス橋[2]
  • トラス高さ - 7.8 m[1]
  • 架橋当時経費 - 202,076,000円[2]

歴史

江戸時代のこの地域には、現在の川島大橋の下流約300mの場所で笠田の渡しという渡船が運航されていた。笠田の渡しの上流約2kmには松倉の渡し愛知県道151号・岐阜県道114号一宮各務原線)があったが、この場所に架橋される事はなく、川島大橋の開通によって松倉の渡しは廃止された。

旧橋時代(1962年~2021年)

川島大橋の架橋に向けた運動は10年間にも及んだ[4]。1953年(昭和28年)に期成同盟会が発足[5]。1956年(昭和31年)には期成同盟会により岐阜県知事に陳情が行われている。陳情書はこの橋が名古屋市から一宮市川島村を経由し、郡上郡を経て、北陸へ向かうルートとなることが訴えられており、期成同盟会の市町村長名(一宮市木曽川町岐阜市羽島市美濃市上羽栗村八剣村笠松町柳津村稲羽町那加町蘇原町芥見村八幡町)が署名している[5]

1959年(昭和34年)8月には木曽川南派川河田橋が開通し、木曽川本流(北派川)への架橋の前提が確立すると、同年には初めて川島大橋の建設費が予算として計上された[4]。なお、建設中には便宜的に笠田橋という名称が用いられていた[4]

1959年(昭和34年)着工[3]。1962年(昭和37年)8月8日に川島大橋が開通し、河野一郎建設大臣、松野幸泰岐阜県知事、大野伴睦衆議院議員が列席して竣工式が行われた[4][3]。総工費は1億8000万円[4]。木曽川本流は川幅が広いため、日本初の5径間連続トラス橋となった[4]。なお、架橋によって川島町の中心部と笠田町が結ばれ、同年8月31日をもって川島町立川島小学校笠田分校は廃止された[6]

交通量の増加もあり、下流側に歩行者・自転車橋が設置されることになり、1969年(昭和44年)2月6日に竣工する。

通行車両の大型化による橋桁の上部の構造物への接触の防止、及び橋桁強化のため、1990年代に上部構造物の改修が行なわれた。

異常の発覚と復旧

歩行者用仮橋
旧橋の撤去後(2024年7月)。下流(左奥)に見えるのは歩行者用仮橋。

2021年(令和3年)5月28日、通行人から橋が傾いているという通報があり、同日22時から通行止めになった[7][8]。通報の一週間前の5月20日から21日に集中豪雨があり、木曽川は増水していたことから、この集中豪雨が橋脚が傾いたとされる[9]。右岸側のP4橋脚が洗掘により上流側に傾くという異常が確認され、6月9日から約1ヶ月程度緊急対策工事が行われ[8]、橋脚がこれ以上傾かないように、河道の変更と橋脚の周りの埋め立てが行われた。

同年9月3日、国土交通省は川島大橋の早期復旧に向けて、国の権限代行による災害復旧事業に着手すると発表した[10]。当初は損傷がP4橋脚を起点とするP3-A2の2径間であり、A1-P3間は大きな損傷を受けていないことから、P3-A2のみ架け替えるか、または全体を架け替えるかが検討された。しかし、A1-P3間の応力バランスを検証すると曲げモーメントが変わってしまっており、バランスが崩れていることが判明。橋自体も1956年(昭和31年)の鋼道路橋設計示方書で設計され、耐震性に問題があることから、全体を架け替えることとなった。

復旧は国の権限代行による災害復旧事業によって行われ、同年10月27日に国による復旧作業が開始された。復旧は被災した橋梁の撤去、歩行者用の仮橋、本復旧(新橋設置)で進行されている。同年12月1日から橋脚及び上部構造部の撤去、及び下流約300mの位置(笠田町公民館南の旧・笠田渡船跡付近に該当)に歩行者用の仮橋の建設に着手した[11][12]

歩行者用の仮橋(川島大橋歩行者用仮橋)は長さ395 m(左岸仮設用仮橋199 m、応急組立橋174 m、右岸仮設用仮橋22 m)、歩道幅員4 m[12]。2022年(令和4年)8月26日に供用が開始された[13][14][15]。仮橋は歩行者・自転車専用であり、原動機付自転車オートバイの通行は禁止されている。また、犬山市の犬山水位観測所での木曽川の水位が11.6mを超過した場合通行止めとなる。

新橋は既設橋を撤去し、同じ位置に設置。また、被災原因の除去、早期復旧を図る(撤去と同時進行で新橋の橋脚基礎部の工事を行うなど)ため、鋼2径間アーチ橋を採用となる[16]。計画では全長約360 m。鋼2径間連続アーチ構造とし、アーチ部の高さは最大約20 mとなる。2022年(令和4年)12月1日に着工[17][18][19]。新たな橋の完成は4~6年後(2026年から2028年)を目指している[19]

2023年(令和5年)2月、旧橋の上部構造物の撤去が完了した。最後に残っていた橋脚(P1)及び川島松原町側の構造物も同年11月に撤去された。

2025年(令和7年)3月に橋台及び橋脚の工事を終え、同年10月から橋桁の工事が始まる。

脚注

参考文献

外部リンク

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