船岡駐屯地
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第2施設団長が船岡駐屯地司令を兼務する。最寄の演習場等は、岩沼訓練場。
「重要施設の周辺地域の上空における小型無人機等の飛行の禁止に関する法律」による対象防衛関係施設に指定されている。
歴史
日中戦争の開戦に伴い、船岡村(1941年町制施行。現柴田町の一部)に大日本帝国海軍の火薬製造施設が建設されたが、終戦に伴い廃止された[1]。戦後占領期には進駐軍が駐留したが縮小・撤退に至ったため、跡地に町が様々な誘致活動を行い、陸上自衛隊が移駐し、いくつかの企業も工場を設置した[1]。しかし、手狭だったために現在地に移転し、船岡駐屯地となった。従前の駐屯地の跡地には、1967年(昭和42年)に仙台大学が設置された[2]。
なお、現駐屯地内の湯場地区にはかつて温泉旅館が2軒あったが、海軍火薬支廠の設置により立ち退きさせられた[3]。しかし、現在も源泉から温泉が湧出している[3]。
スポーツ
陸上自衛隊の中でも有数のラグビーが盛んな駐屯地としても知られる。
沿革
日本海軍第一海軍火薬廠
- 1938年(昭和13年)4月:海軍火薬本廠(神奈川県)に対し、「海軍火薬支廠」が、現在の仙台大学のキャンパスがある場所などに開廠。
- 1941年(昭和16年)4月21日:「第一海軍火薬廠」に改組(神奈川の本廠は第二海軍火薬廠に改組)。
アメリカ軍
警察予備隊船岡駐屯地(宮城県柴田郡柴田町船岡南2-2-18)
- 1950年(昭和25年)10月:警察予備隊船岡部隊移駐。
- 1951年(昭和26年)5月1日:警察予備隊第1管区隊第6連隊第3大隊および第901輸送車両中隊が船岡駐屯地において新編。第901輸送車両中隊が旧立川駐屯地へ移駐。
- 1952年(昭和27年)1月19日:部隊改編により、第6連隊第3大隊が第5連隊第3大隊に改称。
保安隊船岡駐屯地
陸上自衛隊船岡駐屯地
- 1954年(昭和29年)
- 1956年(昭和31年)
- 1月25日:第1補給整備支援群(陸上自衛隊東北補給処の前身)が編成完結。
- 3月31日:第6管区隊偵察中隊が大和駐屯地に移駐。
陸上自衛隊
陸上自衛隊船岡駐屯地(再開設)
陸上自衛隊船岡駐屯地(移転:宮城県柴田郡柴田町大字船岡字大沼端1-1)
- 1963年(昭和38年):陸上自衛隊の設備増強のため、現在の船岡駐屯地に移転(跡地には仙台大学が設置された)。
- 8月1日:第2施設団本部が仙台駐屯地から移駐。団長が船岡駐屯地司令に職務指定。
- 1974年(昭和49年)3月26日:第103建設大隊が第10施設群に改編。
- 2006年(平成18年)3月27日:第2施設団改編。東北方面隊の後方支援体制変換に伴い、整備部門を東北方面後方支援隊第105施設直接支援大隊に移管。
- 2010年(平成22年)3月26日:第10施設群改編。施設中隊を機能別中隊に改編。第304施設器材中隊および第303坑道中隊を廃止。
- 2017年(平成29年)3月27日:第301水際障害中隊が第2施設団直轄となる[8]。
- 2018年(平成30年)3月27日:第10施設群改編。第385施設中隊を廃止。
- 2026年(令和8年)3月23日:東北補給処船岡弾薬支処が陸上自衛隊補給本部隷下に編成替え。
駐屯部隊・機関
東北方面隊隷下部隊
- 第2施設団
- 第2施設団本部
- 第2施設団本部付隊
- 第10施設群
- 第104施設器材隊
- 第301水際障害中隊
- 第312ダンプ車両中隊
- 東北方面後方支援隊
- 第105施設直接支援大隊:第2施設団を支援
- 東北方面会計隊
- 第416会計隊
- 東北方面システム通信群
- 第103基地システム通信大隊
- 第303基地システム通信中隊(一部)
- 船岡派遣隊
- 第303基地システム通信中隊(一部)
- 第103基地システム通信大隊
- 船岡駐屯地業務隊
陸上自衛隊補給本部隷下部隊
- 陸上自衛隊東北補給処
- 船岡弾薬支処
防衛大臣直轄部隊
共同の機関
- 自衛隊宮城地方協力本部(一部)
- 船岡地区援護センター
