阪神51形電車
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車体
1905年に開業した阪神本線は、並走する東海道本線に比べると割安な運賃でフリークエンシーも高かったことから、東海道本線の乗客を奪っただけでなく需要も拡大して、乗客も順調に増加していった。このため1形50両だけでは増加する需要に対応することが困難になってきたことから、1912年に新形式の51形として、51 - 62の12両が加藤車輌製作所で、63 - 66の4両が梅鉢鉄工所で製造された[1]。
本形式は、1形をモデルとした路面電車タイプの両端にドアなしのデッキを持つ、いわゆるベスチビュール付きの両運転台車で、車体は全長約13.5m、車体幅約2.3m、側面窓配置v 13 v(v:ベスチビュール、数字:側窓数)、ウインドシルは1形と異なり太くなっていた[1]。前面は1形と同じ非貫通式の3枚窓で、右側に方向幕を装備していた。屋根も1形同様のダブルルーフで、3ヶ所あった開閉式明かり窓の外側には窓ガラスがついた[1]。
塗色は1形と同じ濃い青色で、客室ドアや窓枠などはニス塗りであった。
主要機器
台車及び電装品は1形と異なり、台車は国内初採用のJ.G.ブリル社製釣り合い梁式台車であるBrill 27MCB-1を装着[2]、主電動機は1時間定格出力37.3 kWのゼネラル・エレクトリック(GE)社製GE-90Aを4基搭載、制御器は直接制御のGE社製K-40Aを装備した[3]。
集電装置は、1形同様複架線式であったことから前後に各2基ずつトロリーポールを搭載した。このほか、併用軌道区間を走行する関係で前面に救助網を装備した。
改造・転用
北大阪線への転用
1920年より本線に総括制御車の301形が増備されると、51形は併用軌道線の北大阪線に転用された[3]。また、この時期までに二重屋根の前後端を301形同様丸屋根に改造した車両が現れ、その後も同様の改造が実施された。
主電動機交換
北大阪線転出後の1923年には、本線の1形の総括制御化改造車を291形に改造する際に51 - 60の台車及びモーターを291形と交換することになった[2]。台車はBrill 27MCB-1で変わりなかったが、主電動機がGE社製のGE-200C(1時間定格出力29.8 kW)となってパワーダウンしたことから形式が分けられ、主電動機交換車が51形51 - 60、従来車が61形61 - 66となった[3]。
1926年には51形10両の制御器が芝浦製作所製のRB-201Aに換装された[4]。1930年には北大阪線のレールを国道線のレールと同じT型レールに交換したことから、車輪及び車軸をそれに対応したものに交換している[4]。
121形「アミ電」への改造
1938年には63・64が国道線の「アミ電」こと121形123・124に改造された[3]。また、前年に廃車された65・66から発生した機器は121・122の性能向上・乗り心地改善用に使用された[5]。
満洲国への供出
第二次世界大戦中の1941年に満州国の新京交通へ51・55・56・59・60の5両を供出、譲渡した[2]。この際51と57、55と58の番号を振り替えて供出車が56 - 60に、残存車も57・58を51・55に振り替えて51 - 55に揃えられた[3]。