阪神5311形電車

From Wikipedia, the free encyclopedia

製造年 1968年 - 1969年
製造数 4両
阪神5311形電車
大物駅付近にて
基本情報
運用者 阪神電気鉄道
製造所 武庫川車両工業
製造年 1968年 - 1969年
製造数 4両
引退 2010年
主要諸元
編成 2両編成
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
最高運転速度 106 km/h (各停運行時は91 km/h)
設計最高速度 110 km/h
起動加速度 4.5 km/h/s
減速度(常用) 5.0 km/h/s
車両定員 140人
自重 36.5 t
全長 18,880 mm
全幅 2,800 mm
全高 4,108 mm
台車 住友金属工業製FS-343
主電動機 東洋電機製造製TDK-814-B
主電動機出力 75 kW
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 74:13 (5.69)
制御方式 電機子チョッパ制御
制御装置 三菱電機製 CFM-108-15-RH
制動装置 HSC-R 電磁直通電空併用抑速
保安装置 阪神・山陽・阪急形ATS
備考 チョッパ制御化改造後の諸元
テンプレートを表示

阪神5311形電車(はんしん5311がたでんしゃ)は、阪神電気鉄道(阪神)が所有していた、各駅停車用の通勤形電車である。普通運用の4連化に伴い、1両走行が可能な増結車両を増強するため、1968年から1969年にかけて4両が製造された。

1967年11月12日に実施された阪神の新設軌道各線(本線・西大阪線・武庫川線)の架線電圧の直流600Vから直流1500Vへの昇圧、翌1968年4月7日神戸高速鉄道開業に伴う同社東西線および山陽電気鉄道への相互乗り入れの開始によって阪神本線の車両運用は大きく変化した。同時に、普通運用も朝ラッシュ時には4連運行を行うこととなり、基本編成となる2連は、昇圧後は2両固定編成となった5231形2連12本と当時最新鋭の5261形1次車 (5261 - 5270) 2連5本を中心に、従来から2両固定で使われることが多かった「ジェットシルバー」こと5201形5201 - 5202編成2連1本の計2連×18編成36両でまかなわれるようになった。

増結運用は単車走行可能な5001形2両・5101形・5201形28両[1]5151形2両の各形式合計32両が充当されていた。この時点では基本編成のほうが増結車より4両多く、増結車各形式は基本編成に充当されることもあり、その運用数によっては増結車の数が不足するおそれがあった。このため、5261形1次車をベースに単車走行可能な車両を投入することとなり、本形式が製造されることとなった。

概要

1968年12月から1969年2月にかけて、単車で走行可能な1,500V用車両として4両が製造された[2]。製造所は武庫川車両工業である。また、本形式も5261形1次車同様、製造時期や車体形状などからジェットカー第2世代と呼ばれることもある。

火災事故対策の強化のため、阪神で初のA-A基準を採用し、以後の車両にも適用された[3]

車体

車体は5261形1次車(5261 - 5270)に類似した経済設計車体である[4]。車体裾のRがなく前面は切妻であるが、前面の雨樋7861形後期車と同様の埋め込み式になった[5][6][7]

パンタグラフは全車運転台側に1基搭載され、屋根上には5261形1次車と同じグローブ形通風器を搭載していた[5]。また、5261形と同じく屋根のRが300mmと小さく、幕板の幅も広いことから、他形式と併結されると高さに差異が出るため、凹凸がよく目立った。

座席は他形式同様ロングシートであるが、車内の化粧板は若葉色を基調とする格子状模様入りのアルミデコラになり[2]、以後8000系登場までの標準仕様となった[6]

主要機器

台車は5261形1次車と同様に住友金属工業FS-343を装着し[7]、駆動装置も中空軸平行カルダンを採用した。歯車比も74:13で変更はなく、主電動機も5231形以来の出力75kW東洋電機製造製のTDK-814Bを4基搭載する[7]

制御方式は抵抗制御主制御器は単車走行可能な1C4M方式で、東芝製MM-19Cを搭載した[5]。ブレーキは発電ブレーキ併用の電磁直通ブレーキ(HSC-D)である[5]

起動加速度および減速度も、試作車以来の起動加速度4.5km/h/s、減速度5.0km/h/sを維持しているほか、昇圧後の登場のため、当初から1500V専用車として製造されている。

運用

本形式の投入によって、朝ラッシュ時4両編成、データイムおよび夕ラッシュ時3両編成、夜間は2両編成で運行するという、阪神本線における1970年代の普通運用が確立された。

主な運用パターンは、4連でラッシュ運用に充当後、尼崎ないしは御影で1両解放、夕ラッシュ終了後再び尼崎ないし御影で1両解放して2両編成で終電まで運行した。入庫後、再び翌日の運用に備えて車庫内で4両編成を組んだほか、早朝2連で出庫して今度は尼崎ないし御影で2両増結、ラッシュ運用に充当されることもあり、あるいは増結車で3連を組成して車両交換で再び出庫、本線および西大阪線の運用につくなど、基本編成と増結車を組み合わせたきめの細かい運用を実施していた。この運用形態は1977年5001形(2代)が登場して、初期投入のジェットカー各形式の置き換えが本格化される1970年代末期まで行われ、その後は早朝深夜2両、その他の時間帯は4両といった形態に簡素化された[8]

なお、入庫時は解放後単車走行で入庫したが、御影入庫の場合、石屋川車庫まで回送していたことから、大阪側に運転台がある奇数車が入庫する場合は連結面を前にした推進運転で御影 - 石屋川の一駅間を走行していた[9]

1971年には列車選別装置の設置、1980年には列車無線VHF化が実施された[4]。  

冷房化と電機子チョッパ制御化改造

1980年に入ると普通系車両の冷房化が推進されることとなったが、折からの第二次オイルショックに端を発した省エネルギーの機運が高まっていた。阪神においても5151形・5311形の冷房改造と同時に施策的に回生ブレーキ付きの電機子チョッパ制御装置を設置することとなった。

編成は2両ユニットとなり[2]、奇数車に補助電源装置、偶数車に主制御器が搭載された[7]。主制御器は回生ブレーキ付き三菱電機製電機子チョッパ制御のCFM-108-15-RHに換装、5151形の東芝製に対して5311形は三菱製である[6]

ブレーキ装置も回生ブレーキ対応のHSC-Rに変更した[7]。補助電源装置は75kVAのMGであるCLG-346、空気圧縮機はDH-25-DからC-2000-L(LA)に交換されている[7]

冷房装置は分散式ユニットクーラーのMAU-13Hを6基搭載、冷房効果を高めるために補助送風機としてラインデリアを併設するとともに貫通扉にドアチェック付の引戸を取り付けた。

パンタグラフは下枠交差式に換装した。回生ブレーキを使用するため、離線対策としてパンタグラフは各車に1基搭載する[7]

この改造は5311 - 5312の編成が1980年6月12日付で、5313 - 5314の編成は1981年6月6日付で実施された。この時の改造結果が良好であったことから、1981年には回生ブレーキ付き電機子チョッパ制御の5131形・5331形が新造された[10]

改造後の5311形

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI