駒形町 (前橋市)
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河川
前橋市の南部、桃ノ木川が合流する地点の南の広瀬川右岸に位置している。
歴史
江戸時代頃から明治時代にかけては「駒形新田」という地名だった。江戸時代は前橋藩領だった。
慶安元年に隣接する東善養寺村から移住が始まり、慶安4年(承応元年)に「駒形新田」として分村された。
江戸時代には前橋から五料関所を経て本庄で中山道と合流する「江戸道」(下りは「前橋道」)の宿場だった[5]。
万延元年に大火に遭い、町内約200戸が焼失した。
正式な名称は「駒形新田」だったが、住民は駒形町や駒形宿、駒形駅などと呼んでいた。明治3年から数回にわたって駒形町への改称を申し立て、明治39年にようやく改称された[6]。
年表
- 元亀元年(1570年) - 元来「駒形野」と呼ばれる原野だったが「駒形」に地名を改めたとされる(明治10年「郡村誌」[7])
- 天正18年(1590年)から慶長年間(1596年 - 1615年) - 大胡藩主牧野氏の領内だったとされる(明治10年「郡村誌」[7])が疑わしい[8]。
- 慶安元年(1648年) - 前橋藩主酒井忠清の命で、東善養寺村から4名の者が移住したことに始まるとされる(「駒形新田由来」[9][10])。以降江戸時代を通じて前橋藩領だった[11]。
- 慶安4年(1651年) - 戸数が14軒となったため三郎右衛門を名主として正式に分村(「駒形新田由来」[9][10])。
- 宝永7年(1710年) - 小屋原村泉蔵寺持ちであった駒形明神を氏神として貰い受ける(「駒形新田由来」[9][10])。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行により、駒形新田は天川大島村、上大島村、女屋村、上長磯村、東上野村、野中村、下長磯村、小屋原村、下大島村、笂井村、上増田村、下増田村と合併し南勢多郡木瀬村が成立する。
- 明治29年(1896年)4月1日 - 南勢多郡と東群馬郡が統合し勢多郡となる。
- 明治39年(1906年) - 駒形新田から駒形と改称する[12]。
- 昭和32年(1957年)1月20日 - 勢多郡木瀬村、荒砥村が合併し城南村が成立する。その際、一部が東駒形となる。
- 昭和35年(1960年)4月1日 - 城南村の一部(駒形、東駒形)が前橋市へ編入される。そのため前橋市駒形町となる。その際、東駒形を合併する。
- 昭和55年(1980年) - 一部が山王町1-2丁目となる。
地名の由来
駒形新田の開拓以前から当地にある駒形神社に由来するという[13]。
世帯数と人口
人物
小字
- 東高島
- 西高島
- 桃ノ井
- 上橋
- 北高砂
- 南高砂
- 三ッ俣
- 上流
- 善心塚
- 落合
- 一里塚
- 下流
- 一本松
- 東簗場
- 西簗場
- 中久保
- 清内
- 下橋
- 宮前
- 宮東
- 町尻
- 打越
- 増田境
- 東境
- 中島
- 宮子境
小・中学校の学区
交通
鉄道
バス
(2024/03/31 路線廃止)
道路
北関東自動車道が通っており、駒形ICがある。国道はなく、県道は群馬県道40号藤岡大胡線と群馬県道2号前橋館林線、群馬県道104号駒形柴町線が通っている。