1982年シーズンのカンザスシティ・チーフス

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成績 3勝6敗8中止
地区 AFC西地区4位
CON AFC11位
結果 レギュラーシーズン敗退
カンザスシティ・チーフス 1982
成績 3勝6敗8中止
地区 AFC西地区4位
CON AFC11位
結果 レギュラーシーズン敗退
組織
オーナー ラマー・ハント
GM ジム・シャーフ英語版
HC マーブ・リービー英語版
ホーム アローヘッド・スタジアム
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1982年シーズンは、カンザスシティ・チーフスのチーム創設23年目のシーズンであり、AFL時代を除きNFL13年目のシーズン。マーブ・リービー・ヘッドコーチの5年目のシーズン[1]

ストライキによるシーズンの混乱

1982年シーズンのチーフスは、最終成績3勝6敗を記録。ストライキ明けの連敗が響き、プレーオフ進出を逃した。

シーズン第2週終了後、NFL選手会(NFLPA)による57日間のストライキが決行され、レギュラーシーズンの中断を余儀なくされた。 開幕2連敗を喫していたチーフスにとって、この中断は立て直しの機会となるはずだった。しかし、11月にシーズンが再開されると、チームはさらに3連敗を喫し、開幕5連敗という最悪の状況に陥った。この不振が引き金となり、シーズン終了後、5年間チームを率いて再建の礎を築いたマーブ・リービーHCは解任された[2]

守備の孤軍奮闘とSゲイリー・バーバロ

チームが低迷する中で、守備陣は依然として高い水準を維持していた。 特にS ゲイリー・バーバロは、わずか9試合の短縮シーズンながら、第14週のセントルイス・カージナルス戦で102ヤードのインターセプト・リターンTDを記録。これは当時のNFL最長記録に並ぶ歴史的なプレーであった。バーバロはこの年もプロボウルに選出され、暗黒期から再建期を支えた守備の要としての意地を見せた[3]

ジョー・ディレイニーの輝きと早すぎる別れ

前年の新人王ジョー・ディレイニーは、ストライキと負傷の影響で8試合の出場に留まり、ラン380ヤード、TDなしという不本意な成績に終わった。しかし、彼がフィールドで見せるスピードは依然としてファンの希望であった。 誰もが翌1983年シーズンの完全復活を信じて疑わなかったが、1983年6月、ディレイニーは工事で発生した水たまりで溺れている子供たちを救おうとして帰らぬ人となる。1982年第16週のデンバー・ブロンコス戦(37-16で勝利)が、彼のNFLでの最後の雄姿となった[4]。2年間の活躍ながら、ディレイニーはチーフス殿堂に入り、その名は本拠地に掲げられ、非公式ではあるものの背番号「37」はディレイニー以降の誰も着用していない事実上の永久欠番となっている。


直近のチーム成績

チーフス の当年及び近年のシーズン成績
成績Con地区地区ConSOSSOV平均得点平均失点
1982 レギュラーシーズン敗退11位4位360.3332-12-1.506.51919.620.4
1981 レギュラーシーズン敗退7位3位970.5625-35-3.486.46521.418.1
1980 レギュラーシーズン敗退8位3位880.5004-44-4.520.49219.921.0
1979 レギュラーシーズン敗退12位5位790.4384-44-4.555.44614.916.4
1978 レギュラーシーズン敗退13位5位4120.2501-71-7.520.40615.220.4
1977 レギュラーシーズン敗退14位5位2120.1431-61-6.607.39316.124.9
1976 レギュラーシーズン敗退10位4位590.3572-52-5.546.44320.726.9
1975 レギュラーシーズン敗退9位3位590.3573-33-3.500.51420.124.4
1974 レギュラーシーズン敗退10位3位590.3572-42-4.579.52116.620.9
1973 レギュラーシーズン敗退6位2位752.5714-24-2.480.32116.513.7
1972 レギュラーシーズン敗退6位2位860.5714-24-2.510.44220.518.1

レギュラーシーズン

参照

外部リンク

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