1982年シーズンのサンフランシスコ・49ers

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成績 3勝6敗8中止
地区 NFC西地区3位
CON NFC11位
結果 レギュラーシーズン敗退
サンフランシスコ・49ers 1982
成績 3勝6敗8中止
地区 NFC西地区3位
CON NFC11位
結果 レギュラーシーズン敗退
組織
オーナー エドワード・デバートロ・ジュニア英語版
GM ビル・ウォルシュ
HC ビル・ウォルシュ
ホーム キャンドルスティック・パーク
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1983 »

1982年シーズンは、サンフランシスコ・49ersNFL33年目のシーズンであり、AAFC時代を含めチーム創設37年目のシーズン。ビル・ウォルシュ・ヘッドコーチ及びQBジョー・モンタナの4年目のシーズン[1]

攻撃陣の停滞と負傷

1982年シーズンの49ersは、ビル・ウォルシュHC体制の4年目である。第3週から第10週にかけて行われた大規模なストライキにより、レギュラーシーズンは全9試合に短縮された。最終成績は3勝6敗となり、カンファレンス11位に沈み、プレーオフ進出を逃した。

攻撃陣は、前年までの勢いを維持できず、総得点191点(1試合平均21.2点)に留まった。 QBジョー・モンタナは、全9試合に出場しパス2,613ヤード、17TDを記録。パス成功率68.0%と個人スタッツでは高い水準を維持したが、チーム全体でのファンブルやターンオーバーが重要な局面で響いた。

ターゲット陣では、WRドワイト・クラークが60キャッチ(リーグ最多)を記録し、エースとしての役割を果たしたが、第16回スーパーボウルで見せたような爆発力は影を潜めた。地上戦では、前年の主軸であったリッキー・パットンに代わり、この年のドラフトで獲得した代用選手や若手の起用が試行されたが、ラン攻撃はリーグ最下位の平均78.7ヤードと完全に沈黙した[2]

守備陣の崩壊

前年に劇的な進化を見せた守備陣は、平均失点27.8点(リーグ24位)と再び崩壊した。

ロニー・ロットら「ルーキー・セカンダリー」と呼ばれた若手たちが2年目のジンクスに直面したことに加え、ストライキによる中断が守備ユニットの連携を乱した。フロントセブンにおいても、相手のラン攻撃を阻止できず、1試合平均150ヤード以上の地上獲得ヤードを許す展開が続いた。堅守を誇った前年の姿はなく、第16回スーパーボウル覇者の威厳を保つことはできなかった[3]

シーズンの結果

開幕2連敗の直後にストライキに突入し、約2ヶ月の中断を経て再開されたものの、チームは最後までリズムを取り戻せなかった。ウォルシュHCは、この「燃え尽き症候群」と称された低迷を受け、チームは再び強豪への道を模索することとなった。

直近のチーム成績

49ers の当年及び近年のシーズン成績
成績Con地区地区ConSOSSOV平均得点平均失点
1982 レギュラーシーズン敗退11位3位360.3331-31-3.457.37023.222.9
1981 第16回スーパーボウル制覇1位優勝1330.8125-15-1.457.46222.315.6
1980 レギュラーシーズン敗退9位3位6100.3752-42-4.477.26020.025.9
1979 レギュラーシーズン敗退13位4位2140.1251-51-5.527.50019.226.0
1978 レギュラーシーズン敗退14位4位2140.1250-60-6.512.28113.721.9
1977 レギュラーシーズン敗退9位3位590.3573-33-3.495.30015.718.6
1976 レギュラーシーズン敗退6位2位860.5715-25-2.467.39319.313.6
1975 レギュラーシーズン敗退8位2位590.3573-33-3.439.35718.220.4
1974 レギュラーシーズン敗退8位2位680.4294-24-2.480.31016.116.9
1973 レギュラーシーズン敗退9位3位590.3572-42-4.622.47918.722.8
1972 ディビジョナル敗退3位優勝851.6073-2-13-2-1.436.42425.217.8

プレシーズン

相手 結果 戦績 開催地 観客数
 勝利   敗戦  at:敵地での対戦

レギュラーシーズン

参照

外部リンク

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