2000年シーズンのカンザスシティ・チーフス
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| カンザスシティ・チーフス 2000 | |
|---|---|
| 成績 | 7勝9敗 |
| 地区 | AFC西地区3位 |
| CON | AFC10位 |
| 結果 | レギュラーシーズン敗退 |
| 組織 | |
| オーナー | ラマー・ハント |
| GM | カール・ピーターソン |
| HC | ガンサー・カニンガム |
| ホーム | アローヘッド・スタジアム |
« 1999 2001 » | |
2000年シーズンは、カンザスシティ・チーフスのチーム創設41年目のシーズンであり、AFL時代を除きNFL31年目のシーズン。ガンサー・カニンガム・ヘッドコーチの2年目のシーズン[1]。
崩壊した守備:デリック・トーマスの不在
ガーバックの球団新記録とゴンザレスの怪物化 2000年シーズンのチーフスは、最終成績7勝9敗でAFC西地区3位に終わり、プレーオフ進出を逃した。しかし、攻撃陣に限ればリーグ屈指の爆発力を誇っていた。
QB エルビス・ガーバックは、当時の球団新記録となる年間4,169パスヤード、28TDを記録。11月5日のオークランド・レイダース戦では一人で504パスヤードを稼ぎ出すなど、リーグ屈指のパサーとしての地位を確立した。また、TE トニー・ゴンザレスも進化を続け、93レシーブ、1,203ヤード、そして前年に続き9タッチダウン(前年の11TDから微減したが、レシーブヤードは大幅増)を記録。名実ともにリーグNo.1タイトエンドとしての評価を不動のものとした[2]。
攻撃が華々しい記録を残す一方で、守備陣は崩壊した。チームの魂であったデリック・トーマスを交通事故による急逝により失った穴は、数字以上に深刻であった。前年までリーグ上位を維持していた失点数は354点まで悪化。パスラッシュの鋭さは影を潜め、勝負所での粘りを欠く試合が目立った。
特に第12週から最終週までの6試合で1勝5敗と失速したことが響き、ガーバックの孤軍奮闘も虚しく、チームは負け越しを喫した。
ガンサー・カニンガム体制の終焉
シーズン終了後、2年間指揮を執ったガンサー・カニンガムがヘッドコーチを解任された。ショッテンハイマー時代の「守備のチーフス」というアイデンティティが崩れ去り、チームは抜本的な改革を迫られることとなった。
これを受けてオーナーのラマー・ハントとGMカール・ピーターソンが招聘したのが、前年にセントルイス・ラムズを世界一に導いた攻撃の魔術師、ディック・ヴァーミールである。ここからチーフスは、守備のチームから「リーグ史上最強クラスの攻撃チーム」へと、その色を劇的に変えていくことになる。
直近のチーム成績
| 年 | 成績 | Con | 地区 | 勝 | 敗 | 分 | 率 | 地区 | Con | SOS | SOV | 平均得点 | 平均失点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000 | レギュラーシーズン敗退 | 10位 | 3位 | 7 | 9 | 0 | .438 | 5-3 | 5-7 | .480 | .464 | 22.2 | 22.1 |
| 1999 | レギュラーシーズン敗退 | 7位 | 2位 | 9 | 7 | 0 | .562 | 4-4 | 7-5 | .516 | .472 | 24.4 | 20.1 |
| 1998 | レギュラーシーズン敗退 | 11位 | 4位 | 7 | 9 | 0 | .438 | 4-4 | 4-8 | .543 | .455 | 20.4 | 22.7 |
| 1997 | ディビジョナル敗退 | 1位 | 優勝 | 13 | 3 | 0 | .812 | 7-1 | 9-3 | .484 | .442 | 23.4 | 14.5 |
| 1996 | レギュラーシーズン敗退 | 7位 | 2位 | 9 | 7 | 0 | .562 | 4-4 | 5-7 | .551 | .528 | 18.6 | 18.8 |
| 1995 | ディビジョナル敗退 | 1位 | 優勝 | 13 | 3 | 0 | .812 | 8-0 | 10-2 | .470 | .453 | 22.4 | 15.1 |
| 1994 | ワイルドカード敗退 | 6位 | 2位 | 9 | 7 | 0 | .562 | 4-4 | 6-6 | .496 | .493 | 19.9 | 18.6 |
| 1993 | AFC決勝敗退 | 3位 | 優勝 | 11 | 5 | 0 | .688 | 7-1 | 9-3 | .516 | .489 | 20.5 | 18.2 |
| 1992 | ワイルドカード敗退 | 5位 | 2位 | 10 | 6 | 0 | .625 | 6-2 | 8-4 | .477 | .419 | 21.8 | 17.6 |
| 1991 | ディビジョナル敗退 | 4位 | 2位 | 10 | 6 | 0 | .625 | 6-2 | 8-4 | .531 | .463 | 20.1 | 15.8 |
| 1990 | ワイルドカード敗退 | 5位 | 2位 | 11 | 5 | 0 | .688 | 5-3 | 7-5 | .441 | .420 | 23.1 | 16.1 |
ドラフト
| 巡 | 全体 | 選手 | Pos. | 大学 | 備考 |
|---|
プレシーズン
| 週 | 米国 | 日本 | 対戦相手 | スコア | 勝敗 | 開催地 | 備考 |
|---|